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ヨシュアが出て行ってから、数時間が経過した。
既に窓の外からは光が消え失せ、ポツポツと炎らしきものが揺らめいているのみだ。
おそらくは夜間警備、といったところか。
普段であれば結界が作用して、魔物の襲撃に怯えなくてもよかっただろうが……まぁ、もう、仕方が無い。やってしまった事。そこを悔いても、意味は無いのだ。
「お?」
部屋を探索していたら、綺麗に折り畳まれた服が見つかった。
「修道服、だな」
暗い青と白で彩られたそれを見て、アリアが教えてくれる。
「……女性もの、か」
サイズも小さい。これを着て外を出ることは出来なさそうだ。
「私なら入るかと」
ネムが横から出てくる。確かに彼女なら入りそうだが……
「ちょっと着てみますね」
そう言って、ネムは服をひったくると、その場で服を脱ぎ始める。
慌てて顔を背ける。まだ、見ていない。
「……紳士だな」
小声で揶揄う様に耳打ちするアリア。
「うっせぇ」
クセだクセ。こっちは女性が目の前で着替えるシチュエーションに、そんな慣れていないんだよ。
「どうでしょう?」
早くも着替え終わるネム。確かに、ぴったりだ。
「おかしなところは、多分無いな」
修道服なんて見る機会は無かったので、俺では分からない。分からないが、アリアが大丈夫と言うのなら大丈夫だろう。
「……大丈夫でしょうか?」
重ねて聞いてくるネム。
「おかしくは無いと思うぞ」
俺に服の有無を聞いてほしくはない。男物ならまだしも、女性物は分からん。それで元カノにへそを曲げられてもいるのだ。
「じゃあ、大丈夫という事なら――――これで外見てきますね」
……え、なんて?
■ 妹が大切で何が悪い ■
感覚共有の魔法。
読んで字のごとく、術をかけた人物同士の感覚を共有する魔法。
魔法としてはオーソドックスだが、使い魔でもない対象と共有するのは高度な技術らしく、そのレベルに至れるのは限られていると言う。
「……とんでもないな」
ネムが用いたその術で、俺はネムの右目を、アリアはネムの左目を共有した。左右の眼で見える情報が違うのは、初めての経験だ。その気持ちの悪さに、俺は思わず左目を瞑った。
ネムはゆっくりと周囲を見渡していた。俺たちにも部屋の外がどんな様子かを見せる為だろう。石造りの廊下は、余計な調度品が無い事を除けば、アルマ王国にて滞在した貴族用の邸宅と似ている。……この世界では、一定以上の基準の家屋はあんな感じの造りなのだろうか。
他にも部屋があるようだが、ネムは構わず廊下を進む。先ずは全体像の把握。さっき取り決めをした通りに。細かいところは、今は別に要らないのだ。
「ふむ……ヨシュアは人が来ないだろうと予測していたが、全くその通りだな。1人として見えないとは……」
アリアの呟き。彼女の言う通り、ネムの視界には人影が見えない。ヨシュアを疑うわけでは無いが、それでも此処は中心部。警備の兵が一人や二人くらいは配置されていると思っていた。
「……聖女に守ってもらえれば、という考えかもしれないな」
今のイーリス聖教国が、聖女――つまりは一佳――に頼りっきりであることは、ヴァネッサから聞いた話だ。何でも度重なる魔物の襲撃に、対抗できる司祭たちが命を落としたらしい。
『聖女』一佳。
『教皇』プレッソ。
そして、一佳と一緒にパーティを組んでいたターニャとカタリナ。
以上の4名しか、今のイーリス聖教国には、魔物や魔族に対抗できる人物がいない。
兵士たちでも魔物程度なら対抗できなくも無いが、それは一佳の祝福を受けた武器を所持しているからであり、結局は一佳に頼りきりなのだ。
「……複雑な事情なのは分かるが、妹を人身御供とされているのは見過ごせない」
「それは人として当然の感情だ。……私は肯定するぞ」
「助かるよ」
俺が行おうとしているのは、妹とは言え、この国の希望を奪おうとする行為。つまりは世紀の大犯罪だ。ま、結界を壊した時点で重罪人ではあるのだが。そう考えると、この国に住む人からすれば、俺は厄災以外の何物でも無いだろう。魔族以上に恨まれることは間違いない。
……それがどうした、と言う話だが。
「アリア、ありがとう」
「……どうした、急に」
「いや……今の内に気持ちだけ伝えたかった」
「……そうか」
コツン。左側頭部に固い物が当たる。そしてふわりと、芳しい香り。
何かと思い眼を開けてみれば黒髪と褐色の肌が見えた。
アリアの――――頭。
それが、俺の肩に乗る様にして、密着していた。
「……礼を言うのは私の方だ」
手を重ねられる。
吐息が熱い。
心音が煩い。
ひどく緊張しているのが、自分でも分かった。
そして……その行為が意味する事が何か、分からぬ程俺は愚鈍なつもりは無い。
「……そうだとしても、俺から言わせてくれ」
掌を上にする。上にして、少し強めに、重ねられた右手を握った。応じる様に、一瞬の硬直の後、アリアも握り返してくる。俺の固い手とは違う。柔らかな感触。
体温が上昇したのが自分でも分かった。アリアに気取られないか――――なんて、阿呆な事を思わず考える。もう、バレバレだろうに。
……恋愛経験が無い訳じゃない。ただ、少ないのは事実だ。そしてこんな思いを抱いたのは初めてだった。
重ねた手の熱さ。アリアの香り。彼女の体温。互いの鼓動。それだけでここまで揺さぶられるなんて。こんなことは思いもしなかった。まるで初めての恋を知る学生染みた恋愛だ。……そんなものは、俺は経験する事は無いと。そう思ってすらいた。
……感覚共有が、ネムからの一方通行で良かった。
互いの感覚を共有していたら、絶対に異常だと思われていただろうから。
■
『恭兵はさ、私の事好きじゃないよね』
昔、そう言われて別れた女性が居た。
束縛の強い子だった。
そしてそれ以上に、俺に束縛される事を望んでいた子だった。
『なんで私の事を気にならないの?』
友達と遊んでくる。そう言って出かけた事があった。
同窓会に行ってくる。そう言って、朝に帰って来た事があった。
旅行に行ってくる。そう言って、二日間出て行った事があった。
俺の基準で言えば、いずれも別に構わない内容だった。自然なこと。後日見せてくれた写真に、男がいたとしても、俺は何も疑問に思わなかった。そう言う事もあるだろう、としか思わなかった。
それが彼女には気に喰わなかったのだろう。
彼女は俺を束縛したがった。何処に行くのか知りたがり、誰と遊ぶかを知りたがり、誰と連絡をしているのかを知りたがった。少しでも女っぽい名前がチラつけば、根掘り葉掘り聞いてこようとした。時には、着いてこようともした。
それを俺は止めなかった。
好きにすればいいと思った。
俺は別にやましい事をしていない。責められれば、正論で返す自信があった。彼女の束縛も、一般的には女性は意中の男性が自分以外の女性と会うという事を良く思わないのだろう、程度にしか考えていなかった。
そんな生活が、大学卒業から1年経過して。
言われた言葉が、先の気にならないの発言だった。
『私、分からないよ』
ある日。彼女はそう言って泣いた。俺の方が彼女の気持ちが分からなかった。分からなかったが、もう一緒に歩むことは出来ないんだな、と。それだけを漠然と感じた。
『私は貴方の事が好き。世界で一番、好き。誰よりも貴方を愛せる』
泣きながら、彼女は言った。言って、また泣いた。
『なんで貴方は私を見てくれないの?』
見ているさ。そう言ったが、彼女は理解してくれなかった。ただ泣くだけだった。何をどこで間違えたのか、俺には分からなかった。
ひとしきり泣いて。彼女は出て行った。秋の月。もうすぐ冬になろうかと言う季節だった。
……今でも。俺は彼女の事を覚えている。彼女の好きなものを覚えている。彼女の仕草を覚えている。彼女の笑顔を、笑った時に出るえくぼを、少しだけ露わになる白い歯を。覚えている。……覚えているだけだ。
『荷物は好きにしていいよ』
彼女が出て行ってから、2年は経過しただろうか。
その間に交わした言葉は、たったのそれだけ。いや、言葉じゃないか。メールだけだ。
言われた通り、俺は好きにする事にした。彼女の私物は全て送り返した。2人で金を出し合って買ったものは、とりあえず家に残してある。撮った写真は、データとしてSDカードに移行して、私物と一緒に送った。
そして送った日に。俺は一つの事実を理解した。
俺は恋愛なんて、出来ない。
それは確信だった。
……アイツは、今俺が抱いているのと同じ感情を持っていたのだろうか。
告白。
初めてのデート。
重ねた肌。
交わした温もり。
感じた繋がり。
今でも思い出せる行為を、俺は果たして本当に、今の感情と共に行えていただろうか。
アイツの事は好きだった。それは事実だ。アイツが何を何と言おうと、俺はアイツを愛していた。
……だが、その感情は。俺が今アリアに抱いている感情と比べて勝るとは、到底言えなかった。
「……」
無言で手を重ね合う。
鼓動は漸く平常時と同じくらいに落ち着いた。
頭も無駄に高揚していたのが落ち着きを取り戻している。
だがアリアと触れ合っている箇所は、別物の様に熱い。
そして視界は。俺の右目は、角を曲がった先にある、大広間を映していた。
「……誰もいないな」
「ああ、流石におかしい」
「人が出払う理由は……まぁ、俺のせいか」
「だとしても、一人くらいは警備に残っている筈だ。それも無く、空けたままにする理由が分からない」
「襲撃……なら、もう少し街が荒れるよな」
「その通りだ。だがその気配は無い」
大広間にすら人がいないのは異常だ。灯りは最低限。普通なら就寝する時間だから、他に修道系の人がいないのは説明が付かなくも無いが、警備すらいないのはおかしい。まるで誰も存在していないかの様。
大凡の城内地図が把握できるのはありがたいが、それ以上に違和感が先行して、素直に喜べはしない。
「一先ず戻ってくるようだな」
「それがいいさ。進み過ぎて後戻りできなくなるよりマシだ。警戒はするに越した事は無い」
「ふふっ、そうだな」
柔らかな微笑みと共に、アリアは少しだけ握る力を強くした。それから、するりと指が抜ける。順に、腕が、肩が、頭が離れた。……言わんとする事が分からぬ程、ボケているつもりはない。
俺も少しだけアリアから離れた。そして深呼吸。緊張と共に探索に出た仲間を、浮ついた気持ちで出迎えるのは失礼だ。公私を混合するほど、混乱しちゃいない。
ネムは一切ペースを崩さず、扉の前に来た。そしてノック。同じように、俺もノックを返す。俺たち以外に誰も居ない事を証明するための合図だ。
「戻りました。状況は、見ていた通りです」
「ああ。1人もいないんだな」
「気配すらもありません。誰1人して、この付近には居ないようです」
視覚情報だけの俺たちとは違い、ネムは実際に歩いて五感で状況を感じている。その彼女が誰の気配も無いと言っているのだから、本当に誰も居ないのだろう。
「静まり返り、音一つしません。探知魔法を一瞬だけ展開しましたが、何も触れていません」
「何も?」
「ええ、何も、です」
探知魔法はクシーも使っていた魔法だ。生命探知。魔力や体力を相当消費するらしいが、ネムはケロッとしている。
「ゴーレムすらも掛からない辺りに、此処が本当に本国か疑わしいくらいです」
「……と言うと?」
「あの転移魔法はフェイクとか」
……可能性は無くもない。ヨシュアの裏切り。助けてくれた手前疑いたくは無いが、俺が招いた状況を思えば、決してゼロでは無いのだ。
とすれば、
「此処に留まり続けるのは悪手か」
「何とも言えないですが、それも考えるに越した事は無いかと」
事実に即して見るのであれば。人は居ないというのだけが事実だ。
だがそれを、他者の眼が無いと喜ぶべきか。
或いは、他者の眼が無いと恐れるべきか。
それによって、取るであろう行動は変わる。
「どうしますか?」
ネムは俺に意見を求める。
彼女は俺の指示を待っている。
「……ま、そうだな。キョウヘイと一緒なら地獄でも構わないさ」
アリアを見る。
彼女は気安く、俺の判断に命をベットした。
「ったく、そうかい」
重たいなぁ。今更ながらに、思う。本当に、今更に。
「じゃあ、出るか」
ヨシュアには悪いが、いつまでも待ってはいられない。
すまんな。心の中で謝る。
助けてくれたのは感謝するが、俺は自分勝手な人間なんだ。
■
行く先に人は居ない。
ネムが生命探知の魔法を発動しているので、視界以上に人の有無は確認できるのだが、それでも人は感知できない。
大広間を通り過ぎ、上階へと進んでもそれは同じことだった。
人っ子一人としていない状況。
まるでそれは、あのケントの街と同じ。
「人も魔物も、虫すらも何も無いか」
俺たち以外で見たものと言えば、あの部屋の中で見たトカゲくらいなものだ。
他に命のあるものは何も無い。
試しに一つ、生命探知をしたうえで扉を開けてみる。
誰もおらず、それどころか生活の様子もない部屋があるだけだった。
「……日記だな」
引き出しの中から本が出てくる。開いてみると、手書きで文字が書かれていた。日付もしっかり記載されており、書いている内容が日記であることを読み取るのは難しい話じゃ無い。
パラパラと捲ってみる。
春の月の7日で日記は止まっている。一昨日。俺たちが禁足地に向かった日だ。
――――今日は特訓を受けた。明日は教皇による祝福の日だから、不要な疲労を残さぬよう軽めだった。これで私も聖女様を護るために身を捧げられる。明日は私の新たな生誕の日だ。チェルシー、リオ、ティエリアに続いて、漸くこの日を迎えられることに感謝を。
……日記の内容はこれで終わり。身を捧げると言い、新たな生誕と言い、書いてある内容は、事前知識の無い俺からすれば、どことなく不安をかき立てられる内容だ。
「私物が殆ど無いな。軍人の寮でも、もう少し人となりが分かるものがあるものだが……」
「教典に筆記用具だけですか。あとはこの修道服程度のようです」
部屋をくまなく見ても、あるのはこれだけ。他には何も無い。備え付けの家具には、申し訳程度のネームプレート。アリッサ・ヒアマンとリベッタ・シューム。それだけだ。
「……他の部屋も同じか」
「此処の階はそうだろう。見るなら、上か、下に移動してからの方が良い」
この階のこの部屋だけ住居になっているとは考えにくい。アリアの言う通り、この階は全て住居スペース用と見るべきだ。
ならば、さらに上へ。
とりあえずは行き止まりに当たるまでは上に行こう。下は、それからだ。
「生命反応なし、大丈夫――――っ!?」
ネムが顔を歪ませ、焦りを見せる。
何事か、と思うより先に、俺もそれを感じた。
人を舐め回すような、嫌な感覚だった。
そして、どこかで感じた事のある感覚だった。
……いや、違う。どこか、なんて。そんな生易しいものじゃない。そんな予防線なんて意味を為さない。俺はついこの前これを感じたばかりだ。忘れる筈がない。
――――久しぶりやなぁ
言葉よりも雄弁に。
確かに、その感覚は、そう言っていた。
あの嫌な笑顔が、脳裏にへばりついて離れない程に、明確に俺はそれを思い出した。




