3-11
思ったより冷静だった。
少なくとも。俺自身は、そう思った。
「……一佳が、何だって?」
声は震えていない。心もさざめき立っていない。
あれほどに待ち望んだ情報だと言うのに。
俺自身でも意外なほどに、続きを促すよう、言葉を紡ぐことが出来た。
「イチカ様は兄である貴方を心配――――」
「御託は良い。結論を話せ」
背景に興味は無い。必要な情報はそこにはない。そんなのは時間のある時に聞けばいい話だ。
俺が知りたいのは結論。何故此処で、わざわざ正体を明かし、そして妹の名を出したのか。
ヴァネッサの顔が強張る。言うべきかを迷っているのだろう。
だがすぐに。その表情を消して、彼女は深々と頭を下げ直した。
「……イチカを、助けて下さい。どうか、お願い致します。」
■ 妹が大切で何が悪い ■
イチカ・タチバナは聖女として職務を全うするも、その力を失くすことを惜しんだイーリス聖教国によって、聖教国内に監禁されてしまっている。
先の本国への入国制限も、表向きは聖女を護るためだが、その本心は聖女を外に出す事で、イーリス聖教国の国力が低下する事を恐れた事によるもの。
このまま監禁され続ければ、死ぬまで国を出ることは叶わず、あるいは有事の際に捨て石にされてしまう。
そんな未来にはさせないためにも、イチカと昔からの仲であるヴァネッサと、その仲間たちは、何とか国から彼女を脱出させようと策を考えている。
その最中に、俺たちの噂を聞いた。
イチカ自身も、資料からキョウヘイ・タチバナなる人物が自身の兄であることを確信。
ヴァネッサが聖教国より、数少ない魔族への対抗としてキョウヘイの調査の命を受けた際に、イチカよりヴァネッサの判断で、彼をイーリス聖教国に連れてきて欲しい事を依頼される。
で、紆余曲折を経て、ヴァネッサはキョウヘイを信頼に足る人物と判断し、助けを乞う。
……背景はざっとこんな感じだ。
「……まぁ、信用するさ」
一佳の情報。外見的な特徴や、性格、口癖。そして、俺たち家族にしか分からない言葉。
ヴァネッサの言うイチカと、俺の妹の一佳は、同一人物だろう。
「元々イーリス聖教国には行くつもりだったしな」
それにしても、まさか、である。随分な急展開だ。が、俺としては有難い内容だ。元々イーリス聖教国へ行く為に無茶をしてきたのだ。道が開けたのなら、それに越した事は無い。
「すまないな。妹が迷惑をかけている」
「いえ、そんな事は……」
「少なくとも、盗賊団に捕らわれたのは想定外だろう。あの馬鹿が無茶な願いを言わなければ、わざわざ危険な目に遭うことは無かった」
その無茶な願いが無ければ俺が一佳に会えるのはもっと後になっていただろうが、それとこれとは別である。身内の願いで無茶を強いられたのなら、そこは謝らなければならないところだ。
「いえ、そのおかげでキョウヘイ殿の人となりを見ることが出来ました。イーリス様のお導きです」
「……もしも俺がアンタらの依頼を受けてなかったらと思うとゾッとするよ」
最初は断ろうと考えていた。断らなかったのは、色々な要因が重なり合った偶然である。そして依頼を受けたとしても、無事に戻れる保証は無かったのだ。……いや、たらればの話はもういいか。
「まぁいい、話を戻そう。アンタらは一佳の望みを叶えたいわけだ」
「はい。……そして、可能であればイチカを逃がしたいと考えています」
それこそ好都合だ。俺も会ってお終いにするわけにはいかない。
一佳と会って、一緒に現実に帰る。
そこまでが、俺のやるべきことだ。
「逃がす、と言ったが、策は? 何かマジックアイテムを使用するのか?」
「いえ。イーリス聖教国は魔法系に対して強固な守りを敷いています。魔法系での侵入は、難しいと言わざるを得ません」
難しい……要は無理だ、ということか。まぁ確かに、マジックアイテム程度で内部に瞬間移動出来たら、如何に聖教国言えどもぶっ壊し放題である。対魔物系の最重要拠点であるからこそ、護りは堅牢と考えて当然だ。恐らくだが、ラヴィアの発明した水でも、侵入は不可能だろう。
「なら、魔法を使わずに物理的に侵入するのか。だが、顔が知られているアンタらならともかく、俺は入れないだろう」
「はい。偽装も意味を為しません。……侵入が判明すれば、そこに悪意は無くとも、長期的な拘束は間違いないでしょう」
こんなご時世だからこそ、余計にそうだろう。国からすれば、最大戦力を逃がす羽目になるのだ。ヴァネッサは拘束という言葉を用いたが、侵入者など見つかり次第殺される可能性もある。
「……ダメもとで訊くが、お偉いさんとの交渉は?」
「不可ですね。彼らはイチカに頼り切っています。国にとってマイナスになるような交渉の席に着く事は、例え相手が国王でもないでしょう」
「俺が聖教国の出した全条件を満たしたとしても?」
「真偽の確認等、適当な理由を付けて、会わせることを拒否するでしょう。正攻法では無理です」
今度は難しいでは無く、無理と来た。なら、本当に望みは無いのだろう。
「一佳自身が出ることを望む事は?」
「それは何度か試していますが、上手くは行っていません。理由をつけて却下されるか、常に監視がつきます」
「……アイツが最高戦力なら、自分自身で突破は出来ないのか?」
「イチカは対魔物に対しては、唯一無二の強さを誇ります。ですが、それ以外は……」
「あぁ……」
そう言えば一佳は、あまり運動は得意じゃなかったっけ。加えて能力も、聖女の名から察せる様に、極端なパラメーターになっているのだろう。ヴァネッサの反応を見るに、間違いは無い。
「……敵対、をするわけにはいかないしな」
敵対。つまりは、一佳脱出の為に、イーリス聖教国を敵に回す。だがそうなれば、この世界を敵に回すと同義だ。現実に戻る手筈が確立されていない以上、そんな自殺行為は選べない。
だが、正攻法が無理なら、後は手を汚すしかないのも事実だ。
「……聖女の護衛として名乗りを上げるのは可能か? そうすれば、少なくとも近づくことは出来るだろう」
「アリア殿。それは可能です。ただ、護衛になった後が問題となるでしょう。あなた方は有名になり過ぎました」
有名になった結果、取り入ることは少しは楽になるだろう。だが、それ以上に抜け出る事は難しくなった。
ヴァネッサも俺も、目的は同じだ。
一佳を脱出させる。
決して取り入る事は手段で、そこで留まっては意味がない。
……いや、待った。まず、そもそもの話、
「仮に脱出した後は、どうするつもりなんだ?」
一佳は有名になり過ぎた。仮に脱出に成功したとしても、その力を求めて追手が来ることは間違いない。それがイーリス聖教国か、或いは別の国か、国に属さない組織か、その違いなだけだ。
勿論それは俺に対しても言えることだが、俺の最終目的は一佳を連れて現実世界に戻る事だ。その方法さえ分かれば、この世界の追手など気にする必要ない。
だがヴァネッサは違う。彼女はこの世界の人間で、当然一佳が別の世界から来た事など知らず、一佳がこのままここで過ごすと思っている筈だ。
「……イチカの好きにさせてあげたい。ただ、それだけです」
「……ノープラン、って事か」
「いえ……その為の考えは、あります」
すぅ、と。ヴァネッサは気合を入れる様に息を吸い込んだ。
そして真っすぐに俺を見、口を開く。
「イチカの死を、偽装します」
■
策は簡単だ。
一佳と背格好が似た死体を用意して、聖教国側の、出来ればお偉いさんに発見させる。
死体自体は、余計な見分はされない様、焼却する。
本物は身を隠し、逃げればいい。
実に簡単で、そして穴だらけの、全く上手く行くとは思えない策だ。
「……信用するのか?」
ヴァネッサたちを部屋へ帰す。
そうして2人きりになったところで、アリアは重々しく口を開いた。
「半々だな。一佳については信用する」
「妹については?」
「ああ。アイツが一佳を考えている事は信用する」
ヴァネッサが一佳を想っているのは本当だろう。彼女は一佳の為ならば、喜んで手を汚すし、自らの命を危機に曝す事だって躊躇いは無いと思う。だから、そこだけは信用できる。
「アイツが一佳の仲間で、イーリス聖教国の関係者で、一佳を大切に想っている事は信用する」
「なるほど」
「ただ、策は全く信用できないがな」
ヴァネッサの語った策は、あまりにも稚拙だった。思いつき、と言い換えた方が良い。人に話すには、考えなしを通り越して、失礼であるとすら思う。
「あの程度の策が本気なら、ふざけているとしか思えないな」
「……なんだ、冷静で良かったぞ」
アリアも同じ印象だったらしい。2人揃って、思わず溜息を吐いてしまう。
「語っている内容は大枠だけ。必要人数、資金、逃走計画とかが、全く出てこなかったな」
「あの程度の策が本当に通用すると思うなら、世紀のど阿呆だ。或いは、気付くかどうかを試しているのかもしれないが……」
「気付いたところで、本当の策を教えるつもりはないだろうな。多分、眼を引くための囮として、ウソの役割を与えられるくらいじゃないか」
そう考える方が、よっぽどしっくりくる。わざわざ欺いていた事を明らかにしたのも、一佳の名を出したのも、稚拙な策を語ったのも。ヴァネッサの本当の策を悟られないようにするための、偽り。
「では、乗らないと」
「いや、乗る」
意外そうにアリアは眉根を寄せた。だがすぐに、ニヤリという言葉が似合いそうな笑みに変わる。
「なるほど。最大限に活用をしようと」
「ああ、その通りだ」
ヴァネッサの策は信用ならないが、一佳のことだけは信用できる。それに、推薦を貰うと言う遠回りをする必要が無くなったのはチャンスだ。この機会を逃すつもりは無い。
……もしかしたら。ヴァネッサは俺がそう思う事、それすらも見越しているのかもしれないが……そこまでは考えても仕方が無い。
「だから明日から俺は、ヴァネッサたちと行動を共にする。ただ、まぁ、確実に危険だからな、アリアは――――」
「行くぞ?」
さも当然と言いたげに。アリアは承諾の意を示した。
「例えキョウヘイが何を言おうと、私は行くぞ」
「……ありがたいが、良いのか? 多分、クソみたいな目に遭う」
「その時はその時だ。今から考えても仕方があるまい」
呆気カランと。アリアは言った。恐れを微塵も感じさせない声だった。
「君は自分の身は危険に曝すことを恐れないが、他者へは酷く臆病になるな」
「……いや、臆病とかじゃなくて、人として当たり前だろう」
「ハハッ、確かに。……だが、まぁ、そろそろ私の事を学習してくれても良いんじゃないか?」
「一緒に目の前の落とし穴に落ちてくれ、って言えと?」
実際は落とし穴どころではない。ヴァネッサの真意次第だが、命にかかわる事になる可能性だってある。
アリアの気持ちは嬉しいが、眼に見える危険に巻き込みたくないのも本心だ。
「今更だろう。ケントでの戦闘、ダンジョン探索、今回の救出。死線なら、何度も超えてきた」
「……ありがたくて涙が出てきそうだよ」
「手を貸すと決めた。危険が目に見えると言え、反故にするつもりは無いぞ」
誘う様に、或いは挑発するように。アリアは俺を覗き込んだ。出会った時と同じ、意志の強そうな翡翠色の眼。きっと彼女の眼には、煮え切らない様子の気難しげな俺の顔が映っている事であろう。
「ホントに良い奴だよ、最高にな」
「惚れたか?」
「とっくの昔に」
「ハハッ、相思相愛だな」
パシッ。互いに手を叩きあう。毎度のことながら、全く以ってアリアには世話になりっぱなしだ。
■
アリアも部屋に戻った。
お世辞にも広いとは言い難い部屋の中。ゴロリと横になり、天井を見上げる。
そうすると不思議なことで、あれほどに冴えていた頭が、急速に曇り始める。瞼が重く、意図せずに欠伸が零れた。
眠い。
実に、眠い。
「……まぁ、怒涛の2日間だったしなぁ」
有体だが、身体は休息を欲している。雑魚、ラヴィア、ネム、雑魚、チカ、雑魚、と連戦続きだったのだ。幾ら頭が冴えていようと、落ち着けば眠くなるのは自然の理だ。
ああ、実に眠い。
もう一度大欠伸をして、眼を擦る。浮かんだ涙をぬぐい取り、うつらうつらと微睡み始めた、その感覚に身を委ねる。
容易く意識は霧散化し、黒々とした世界に乗っ取られたのは、すぐの事だった。
「……で、これは何だ」
青空と水面。風一つ吹かず、鏡面の様にピクリとも動かない水。白色の台座。設置された同色のテーブルと2つの椅子。その1つに俺は座っている。
周囲には他に何も無い。水平線の先まで続く、凪いだ水面。昔見た映画の1シーンに、こんな光景があった。幻想的で、現実離れしていて、そして何とも表現のし辛い感覚を覚える。
例えるなら、昔に想いを馳せるような。もう戻らない懐かしさを想うような。そんな感じ。
「……また明晰夢か」
尤も、この状況に浸るには、余裕や風情と言うのが俺には足りないらしい。
気分が今一つ乗らない。せっかくの明晰夢だが、ここ最近は望むと望まないに関わらず、夢だと分かる夢をよく見ている。それにそもそも、就寝とは疲労や体力回復のために行うもの。肉体は休んでいても、精神が興奮して疲労を感じてしまったら、元も子もない。
だから。ただただ座ったまま、水平線を眺める。
風も吹かず。水面も揺れず。陽もどこにも見えず。
そんな何も変わり映えのしない景色を眺める。
「如何でしょうか?」
ぼうっと眺めていたら、いつの間にかに俺の真向いの席女性が座っていた。
青色と白色の、修道服みたいな服装。栗色のロングヘア。そして優し気な翡翠色の眼。
見覚えのない女性だ。この世界に来る前も、来てからも、会った覚えは無い。……当然、話しかけられる覚えも無い。
「初めまして、キョウヘイ・タチバナ。調子は如何ですか?」
「……初めまして。可もなく不可も無く、ですね」
初めてなのになぜ名前を知っているのか、なんてことは気にするものでは無い。所詮夢だ。
ややぶっきら棒な話し方にはなったが、相手は笑みを浮かべたまま。俺の返答に気を悪くする様子も見られない。
「お名前をお伺いしても?」
「失礼致しました。イーリス・アロイ・ローリエと申します」
やっぱり初めて聞く名前だ。これっぽっちも記憶に該当しない。
「それで、今日はどのような御用件でしょうか?」
「感謝をお伝えしたく、突然ではありますがご挨拶に伺わせて頂きました」
感謝?
……頭を捻るが、該当す案件が浮かばない。
「魔族の討伐にダンジョン攻略。すばらしい活躍です」
「恐縮です」
「貴方のその活躍のおかげで、この世界の終焉が少し延びました」
終焉。穏やかではない言葉だ。
突然何をこの人は言い出すのか。思わず怪訝な表情を浮かべてしまったが、それは致し方のない事だろう。
「魔族の先遣隊の1人であり、何れは彼らの主力となるであろうジャックの討伐。そして魔石の順応による、魔族侵攻の阻止」
「……」
「貴方の活躍が無ければ、世界の終焉は早まっていました」
この人は何を言っているのか。何が目的なのか。
夢なのだから不思議なことが起きてもおかしくはない。寧ろ疑問に感じてはダメだろう。何せ夢だ。所詮は夢だ。理由を求めることに意味は無い。
……だが、
「終焉?」
どうにも不思議なことに。俺はこの女性が言っている事に耳を傾けていた。話を聞き、理解をしようとしていた。
「はい。……この世界は何度も終焉の危機に晒されています。今こうやって、存続しているのが不思議なくらいに」
「それは、魔族のせいでということですか」
「大きな原因で言えば、その通りです」
大きな原因。きっと他にもあるのだろう。が、言葉を濁したのは、わざわざこの場で言う事でもない、って事か。
「先の大戦を初め、終焉の危機には、必ず魔族が関係しております」
「魔族……」
「はい。一方で人類はいつも後手に回っています。護るべき民に剣を向ける。誰彼構わず見境なく戦闘行為を仕掛ける。腹の内で仲間の暗殺を試みる。己の好奇心を優先して何度も危機を招く。人の話を聞かずに特攻してばかり。理想論でいたずらに混乱させる。……魔族と違い、我々は団結する事すら出来ません」
いやに具体的だ。彼女自身の経験談なのだろうか。心なしか今の発言で目の生気が失せた様にも見える。
「……私の事は置いておきましょう。何にせよ、貴方と、貴方の妹であるイチカさんの活躍で世界の終焉が伸びた。そこに謝意を述べさせて下さい」
「……俺と一佳が兄妹ってことも分かっている訳か。流石夢だな」
「夢ではありませんよ」
……翡翠色の眼が。俺を映している。真剣な眼差しが向けられている。
「いえ、厳密には私の発言も正しくは無いのですが……全てを説明するには時間が足りません」
「……そうですか」
「信じられないのも無理はありません。……いつかまた、お話をしましょう」
「そうですね」
適当に相槌を打つ。彼女の言う通りに仮に夢でないとしても、こんなところにいる説明がつかない。
夢は夢だ。ひと時の休息。記憶の整理。そこに意味を求めても仕方がない。
「ありがとうございました。キョウヘイ・タチバナ。……最後に一言だけ」
「ん?」
「魔族と関わる事は、止めておいた方が良いでしょう」
「……そうですね」
言われなくてもそのつもりだ。帰る方法さえ分かれば、それで終わり。
だが俺の言葉をそのままには受け取っていないのだろう。彼女は何も言わず、俺の言葉に頷きもせず、音も無く席を立った。
それが合図なのか。
世界が白色に染められる。
彼女も、景色も、全てが無くなる。
「……変な夢だったな」
朝が来たのは、あっという間だった。




