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20/4/6 誤字脱字修正
アンナ・アルボルクという女性は、一言で言うのなら、目立たない人物だった。
決して地味な人ではない。鮮やかな金色の長髪。人目を惹くくらいには綺麗な顔立ち。柔和な印象を与える眼。此処別に彼女の外見的特徴を注視すれば、目立たない筈がない理由なんて幾らでも挙げられる。
にもかかわらず、目立たない。存在感が薄い、という訳では無く、目立たない。
意図して隠れたり紛れたりしているわけではない。何と言うか……溶け込んでいる。周囲の状況に自然なまでに溶け込んでいる。
今回だって、自分から名乗り出てくれなければ、彼女の存在を気にも留めなかっただろう。
本当に今回の依頼の救出対象であるのかと疑わしく思うくらいに、彼女は目立たない。
そういった魔法でも使っているのだろうか? ……まぁ、真偽はアンドレアスさんに会わせた時に確認すればいい。今はまず、アリアたちとの合流を最優性にして動けばいいのだ。
「……?」
疑念。
アンナさんへ、ではない。
新しい疑念。視界の端に引っかかった、別の何かへ。
俺は本能に従って、今一度端の方に立つ別の人物へ視線を向けた。アンナさんとレオナさん以外の、残りの生存者たち3名の方へ。
その1人。肩甲骨くらいまでの長さの黒髪。黒色の眼。疲労故か顔色は悪いが、日系の顔立ちの美人である事は見て取れる。
どこかで見たことがある。魚の小骨の様に、意識に引っかかっている。だが肝心な何かを思い出せない。見たことがある筈なのに思い出せない。
或いは、日系的な見た目から、同郷の人間の懐かしさを感じているとでもいうのか。……そんな事を思うのも、先ほど日系人の死体を見たせいなのかもしれない。
……バカバカしい。
そう、バカバカしい。
首を振って疑念を霧散させる。此処で悩むことじゃない。思考を割く案件ではない。
一旦無理矢理にでも思考をリセットし、立ち上がる。
今やらなければならない事はなんだ?
そう、アリアたちとの合流。そこだ。
ここでうだうだと疑念に囚われている場合では――――
――――黒髪の死体、
うだうだと――――
――――裂かれた背、
疑念に――――
――――眼鏡とポニーテール、
囚われている――――
――――始まりの日の、
場合では――――
「――――チカ?」
■ 妹大切で何が悪い ■
この世界に来た、初日の出来事。
ドラゴンの襲撃と、死んだ3人の同期。
忘れるはずも無く、覚えている。
間違いなく、覚えている。
快活そうな印象のシュウ。
朗らかな印象のマナミ。
冷静そうな印象のチカ。
だが、皆死んだ。
シュウは顔がわずかに残っただけ。
マナミは上半身が無くなっていた。
チカは――――恐らくはドラゴンの一撃を受け、背を裂かれ、内臓が零れる程の傷を負い、死んだ。
死んだはずだ。
じゃあ、目の前の彼女は誰だ?
チカなわけが無い。彼女は死んだ。何度でも繰り返すが、死んだ。他の2人と同じように、死んだ。
あの城で生き残ったのは、俺とリオンの2人だけ。その筈だ。
「……すまない、変な事を言った」
首を振って、改めて否定する。彼女自身へ、ではなく、戯けたことを口走った俺自身に向けて。
そうとも。そんな筈がない。似た人を見て、勝手に関連付けているだけだ。
たまたま知人が死んだ土地で、たまたま知人に似た人を見た。……それだけだ。
「これから仲間たちと合流した後、近くの街まで戻る。レオナさん、彼女たちを頼めるか?」
少しばかり早口で、ここからの行動を伝える。まだ安全が確保されたわけでは無い。ここで呆けている事に意味は無い。
レオナさんは、分かった、と了承の意を示してくれた。まだあの異形化した屍人は倒し切れていない。そうでなくとも無限に屍人がいるこの土地で、彼女たちばかりに十全の力は割けない。俺とネムで何とか屍人の眼を引くとしても、護衛対象たちの無事をしっかりと見るには、別に人手が必要だ。
その事を分かっているからこその、了承の意。レオナさんは自身を敗北者と言ったが、そんな事はきっとない。
「……そこを退いて下さい」
さて、それじゃあ行こうか。そう思った矢先に、優しく場所を退かされた。
ネム。
だがその眼は怨敵を見るが如く鋭く眼を眇めている。
そして抜刀。
巨大な斧を敵を目前にするが如く構える。
「ここで会えるとは僥倖です。貴方が、件のネクロマンサーですね」
ネクロマンサー。死者を操る者。今回ラヴィアやネムが此処に来た理由の主。
ネムは切っ先を女性――俺がチカに見間違えた人――に向けている。という事は彼女がネクロマンサーだと言うのか?
「……ネム? 何を戯けた事を言っているんだ?」
彼女と一緒に行動した時間は、半日にも満たない。なんなら最初は敵対していた。殺し合いもした。だがここまで一緒にいて、こんなところで質の悪い冗談を言う性格で無い事は分かっているつもりだ。
俺はネムの手に右手を重ねた。彼女の動きを止めるための行動。だが斧の柄は固く握りしめられ、不自然なほどに熱を持っていた。
緊張? 何故?
「落ち着け。彼女がネクロマンサーなら、何故一緒に捕らえられているんだ?」
よくよく見れば、僅かにネムの息が乱れている。先ほどまでの連戦では全く乱れていなかったのにだ。
不審には思うが、至極、普通の理屈をぶつける。何を以て勘違いをしているのかは分からないが、ここで無暗に戦闘行為に及ばれても困る。というか弱っている人がそんな敵意をぶつけられて無事な筈がない。レオナさんをはじめ、皆怯えてしまって――――
「っ」
――――いない。怯えて、いない。
いや、ポーズとしては驚いている。彼女は他の皆と同じように、訳が分からない状態に驚いている。
だがそれだけだ。ネムの敵意を、威圧を。真正面から受けて、彼女は驚いているだけで済んでいる。俺ですら、息を呑んだのにだ。
それに。
眼。
彼女の眼は、まるで何も映していない。驚いているふりのまま、本当の感情は何も無い。
無関心。
この状況で、無関心。
「……ネム」
もう一度、彼女の名前を呼ぶ。但し、今度は少し強めに。だが全く彼女は意思を曲げようとしなかった。
「……レオナさん。すまないが、相方がこんな状況だ、皆を連れて先に広間へ移動してくれないか?」
「あ、ああ」
「何かあったら呼んでくれ。すぐに向かう」
レオナさんは怯えを飲み込み、他の面々――チカ似の人――以外を連れて部屋を出る。……助かる。彼女がいなければ、一瞬でもネムたちから眼を離さなければならなかった。この状況でそれは、止めるものを欠いた悪手にしかならない。
気配が遠ざかったのを感じながら、疲労を乗せた息を吐き出す。
……さて。それじゃあ、いなくなったところで……どうしようか。
「相方が済まない。とりあえず誤解を解きたいんだ。名前を訊かせてもらえないか?」
なるたけ悟られない様に、努めて自然に声を掛ける。表向きは、相方を諫める苦労性の人間。突飛な発言に対し、何とかしようと苦心する人物を演じる。
悟られてはいけない。
少しでも疑念を抱いた事に。
その真偽がどうあれ、だ。
「サイトウチカ」
「サイトウは簡単な字での斉藤。チカは漢数字の千に、歌う。それで斉藤千歌」
「久しぶりね、キョウヘイ君」
■
驚きで声が出ない。
まさかの言葉に、俺は次に言うべき言葉が見つからなかった。
だが女性――チカ?――は。彼女は後頭部を掻いて、溜息を吐き出した。
「まさかバレるとは思わなかったなぁ。結構自信あったんだけど」
「ネクロマンサーは死体を操る際に、契約を交わします。ここにいる屍人たちからは、貴女と同じ魔力が匂いました」
何を言っているのかは、正直よく分からない。分からないが、しまった、と言いたげに彼女は天を見上げた。初めて見る、彼女の生の感情。先ほどまでの無感情はどこにも無い。
「あちゃぁ……まさか魔力の違いを感知できる子がいるとは思わなかったよ」
「……私で無ければ、気づくことは無かったでしょう」
「マジ? じゃあ、運が悪かったって事かぁ」
待て待て待て。俺は何もついていけない。進んでいく話とは相反して、俺の意識は最初の自己紹介で置いてきぼりにされたままだ。
チカ。斉藤千歌。あの最初の城で死んだはずの同期。
何故生きている? 彼女は確かに、一目で分かるはずの致命傷を負い、倒れていた。確かめるまでもなく――――そう、確かめてはいないが、死んでいた……筈だ。
「……生け捕りを命じられていましたが、ここで、貴女を殺します」
「っ! ネムっ!?」
ついていけなくとも、話は進む。時は止まらない。しかも物騒な方向へ話の舵は切られている。
咄嗟に止めようと手を伸ばす。だがその前にネムは地を蹴った。蹴って、チカへと襲い掛かる。
スローモーションの様に、一瞬だが世界がゆっくりになる。
空を切る俺の手。
真っすぐに斧を振りかぶるネム。
そして驚く様子は無く、寧ろ薄ら笑いを浮かべながらネムを見ているチカ。
止めろ。無駄と分かっていても、俺の口は言葉を発しようとした。もう遅い事を分かって、それでも発声しようとした。
「――――殺せると、そう思った?」
死んだと思った。間違いなく。
両断されると思った。その斧で。
だが瞬きの後に見た光景は、俺の双眸が見ている光景は、
「ごめんね。その動き、もう見ているの」
斧が止まっている。チカを両断することなく止まっている。
ネム自身が、振り下ろそうと跳びかかった姿勢で止まっている。
「――――カハッ」
ボタボタと。ネムは口から血を吐き出した。彼女は腹部を貫かれている。
触手。
チカの足元から突き出たソレが、ネムを貫いていた。
「襲い掛かるのにわざわざ宣言するなんて、まるで漫画だよね。それとも余裕ってヤツ?」
貫いた触手が引っ込む。そして支えを失ったネムは、呆気なく地に伏した。
「カッ……ッ」
「流石に魔族は耐久力がダンチね。普通はこれで仕留められるんだけどなぁ」
苦しそうにネムは荒い呼吸を繰り返す。もしかしたら今の一撃で肺を傷つけたのかもしれない。
……瞬間、身体が自由を取り戻す。だが疑問を抱えたままでは、自分でも分かるほどに緩慢な動きだった。
「動くの、遅くない?」
ネムを助けようと、一歩踏み出た。だが次の動きに繋げる前に、先に地面を割って触手が飛び出てくる。
咄嗟に避けるが――――
「うんうん。咄嗟だと右に避けるよね。ゴメンね、もう知ってるの」
いつの間にかに。避けた先で。触手が口を開いていた。赤い口内と、ギザギザの歯。
噛み砕かれる。脳裏に過った光景に抗うべく、咄嗟に左足を先に歯につけ、そこを支点に右足で蹴りを喰らわす。耐久力よりも此方の力が勝ったらしく、触手の上半分が吹っ飛んだ。
「わ、すごい! そう来る!?」
チカの感嘆に言葉を返す暇は無い。即座に距離を詰め、ネムを抱える。そしてすぐに退いた。
「すごいね。そんなに動けるんだ。そう言えばキックボクシングやってるって言ってたもんね」
チカは余裕綽々だ。初めの頃に交わし会話を思い出して、笑顔を見せる暇すらある。俺とは大違いだ。
俺の胸元で、ネムは苦しそうに呼吸をしている。ヒューヒュー、と。空気が抜けていくような音。放って置けば死ぬだろう。
ポケットから回復薬を取り出し、ネムの傷にかける。どこまで効くかは分からないが、やらないよりマシだ。
「キョウヘイ君さ、その子とは会ったばかりでしょ? そこまでする必要なくない?」
「……」
「ダンマリ? せっかくの再会だってのに、ちょっとショックかな」
「黙ってくれ……」
ぐちゃぐちゃだ。頭の中が。さっきからこっちの事情を考慮することなく進む状況のせいだ。
荒い呼吸。跳ねる鼓動。その全てをどうにかして止めようと抑える事を試みる。だが上手くいかない。時間が掛かれば掛かるほど、余計に酷くなっていくばかりだ。
「誰なんだよ……」
そして俺から出た言葉は、
「お前はいったい、誰なんだ……」
情けないくらいに混乱に満ちた、弱々しい言葉だった。
「言ったじゃん。チカだって」
「聞いたさ。だけど……だけど、チカは……」
「死んだ? ドラゴンにやられて?」
「っ!」
俺の言葉の前に被せられる。だがまさしく、それは俺が言いたい言葉だった。
繰り返す。何度でも繰り返す。
チカは死んだ。死んだ、筈なんだ。
「死んでないよ? ほら、見て」
否定。そう言って、チカは纏っていた布を脱いだ。
一糸纏わぬ裸体。
だがそこに傷は見えない。
そしてその傷の無い身体を見せびらかす様に、彼女は1回転した。
「傷、無いでしょ?」
「……ああ」
確かに、無かった。
ドラゴンに付けられたはずの、大きな背中の傷が……無かった。
「ちょうどいいし、説明してあげるわ。私も知り合いに会えてうれしいし」
「……」
「そんな顔しなくても大丈夫だって」
けらけらと。チカは笑った。
明るくて、この場にそぐわない、それ故に不気味な笑顔だった。
■
「まずね。私、自己紹介の時に嘘ついていたの。……私ね、ネクロマンサーだったんだ」
ネクロマンサー。死体を操る者。
チカは恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ほら……やっぱり、初対面の人たちにこのクラスを名乗るのは、何と言うか……ねぇ?」
それはそうだ。死体を操るクラスと聞いていたら、難色を示されるかもしれない。チカの判断は至極当然だろう。
「ちょうどマナミが精霊使いって言ってくれたから、それに合わせたの。……ある意味ドラゴンに襲われて良かったわ。そうじゃなきゃ、どっかでバレたかもしれないし」
ある意味あの襲撃は、彼女にとっては幸運だったわけか。軽口の様な発言だが、仲間の死と引き換えな事には罪悪感があるのか、彼女は顔を顰めた。
「……シュウとマナミは死んじゃった。正直、キョウヘイ君も死んだと思っていたわ。リオン君は生きているの?」
リオンのことは知らない。あの日から、一度も会っていない。
首を横に振ると、そっか、とだけ言ってチカは首を回した。
「ドラゴンに襲われた時はヤバかった。一発目でかなり良いの入っちゃって、意識がトんだもの。死んだかと思った」
それは俺の台詞だ。が、彼女自身も傷を負った瞬間は同じことを思ったのだろう。
「でもね、私結構なレアスキル持ちなの。所謂チートってヤツ? そのおかげで何とか目を覚ますことが出来た」
レアスキル……ジャックがそんな事を言っていた。彼女にも俺やジャックと同じように、それがあったのか……
「それでも完全回復までは1日かかったけどね。回復中を襲われなかったのはラッキーかな」
スキルがあれど、回復中は完全無防備だったらしい。今こうして彼女が生きていられたのは、単に幸運であったことも作用してうたのだろう。
「で、その後はアンデッドを指揮して、何とか食いつないでいたの。私は初めてだし分からなかったけど、水辺とか、食べれる果物とか、そこら辺はアンデッドたちが良く知っていたもの」
アンデッドの使役し、水辺や無害な食べ物を探し出す。操るという事は、単純な戦闘戦力のみならず、生前にその人が培った知識をも有効活用できるらしい。……そう考えると、物騒なクラス名であること以外は、ネクロマンサーはかなり有益なクラスなのではないか。
「盗賊団の事を知ったのは、その最中だったわ。けっこう悪名高かったみたいだけど、壊滅させるのは簡単。だって、こっちの兵は無限だもの」
チカの言う通りだ。此処が屍人の森である以上、兵士は無限。加えて、死した兵士は全てチカの仲間になる。争うだけ相手からすれば損にしかならない。
まぁ、盗賊団には、相応の報いが訪れたという事だ。
「壊滅させた後は、結構良い居住だったから、そのまま使わせてもらっているわ。能力の事も良く知りたかったしね」
盗賊団の壊滅後、どうやらチカはここを拠点として活動をしたらしい。とすれば察するに、あの異形化した屍人共は、能力の試行故の産物だったか。……死体を弄ぶことは良い気がしないが、そんな綺麗ごとが通用する世界でもない。
「キョウヘイ君が来たのも、アンデッド越しに知っていたわ。他のお仲間さんの事も、襲撃してきた魔族の事も」
何時からかは分からないが、監視の目がずっとついていたのだろう。俺やネムは勿論、別行動しているアリアたちの事も全て知っていたわけだ。
「ここにしがみつく理由も無いし、助けに来てくれたのなら、一緒に同行しようと思ったけど……まさかバレるとは思わなかったわ」
それこそが彼女唯一の誤算なのだろう。ネムにバレさえしなければ、彼女は哀れにも盗賊団に捕らえられた被害者として街へ降りることが出来た。普通に街に行くよりも、簡単かつ安全に到着し、同情も誘える。この世界に溶け込むのも全く苦労しないわけだ。
「まぁ、こんなところかなぁ。私の方は以上よ」
一気にしゃべって疲れたのか、チカは触手に何かを指示した。ポイッ、パシッ。投げられたのは小瓶。それを受け取り、中の水を飲む。……事はどうあれ、自身の能力を使いこなしているのは間違いあるまい。と言っても死体を操る筈だから、あの触手も地面の下に死体でも埋め込んでいるのだろうか。……酷い絵面を想像し、吐き気を覚える。そんなものは想像するもんじゃない。
「あ、そうそう。一つ言い忘れていた」
水を飲み一息ついて。
チカは笑顔で爆弾を投下した。
「生きているのはアンナさんとレオナさんだけだよ。後はみんな屍人だから」




