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2-7

 走る。ただ、走る。

 その先に救いがある事を信じて、走る。

 だが永遠に続くかと思われた鬼ごっこは、突然終わりを迎えた。




 狭い通路から、急に開けた場所へ。造りは洞窟から一変して、真四角の均整の取れた部屋に。身を隠すような遮蔽物は一切無いが、どこかの屋敷のホールを連想させる広さは、あの触手、及び怨念本体を迎撃するに足ると判断する。


「ここでアイツを迎撃する。先に行け」


 ミリアを置いて、そう告げる。腰を抜かしてお荷物状態の彼女を、戦闘力としてカウントするつもりはさらさ無い。此処に置いておいても護る対象が増えるだけなので、先に進むことを促す。


「あっ……い、嫌です」


 だが返ってきたのは拒否。相変わらず腰を抜かしたまま、彼女は俺のズボンを掴んで離さない。


「……状況が分かっているのか?」

「わ、分かっています! でも、嫌です! 何でもしますっ!」


 何も状況が分かっていないだろ。そう言いたくなるのを寸でのところで堪える。俺は今、言い争いをしたい訳じゃない。


「怨念とやらの迎撃をする。だが君じゃ戦闘できないだろ」

「そ、それは……」

「後で追う。先に行け」

「で、でも……」

「……嫌なら、通路の先で待っていろ」

「その……み、見捨てたりは……しない、です、か?」


 ああ、まどろっこしぃ。今更見捨てるって何だ、見捨てるって。

 ガシガシガシ。後頭部を掻き回し、大きく溜息を吐く。そしてミリアの首根っこを掴むと、強制的に移動させる。


「っ! 嫌だ、嫌だっ! 貴方と一緒に居させてください! 何でもします! お願いします!」

「阿呆。腰抜かしてたら避けられないだろうが。身を隠しとけ」


 広間の出口まで引きずる。そしてその先に座らせると、持っているウエストポーチやカンテラのような、戦闘に関係のないものを渡した。


「持ってろ。役割分担だ。絶対無くすなよ」

「は、はい!」


 暗に、必ず戻って来る、と伝える。ちゃんと伝わってくれたのか、返事は良かった。……これで一先ず、お荷物には注意を払わなくても良い。


 ――――ズドン


「うおっ!?」

「ひゃああ!?」


 一息つく間も無く、いきなり足場が震える。地震。パラパラと頭上から破片が落ちてくる。おいおい、大丈夫か? この場所は潰れないか? 追ってきている怨念とは別種の嫌な感覚に背筋を怖気が走り、


 ――――ズドン


「っ!」

「ひぃいいいいいいっ!!!」


 第二震。こんどはさっきよりも強い。

 ガシッ、と。ミリアが脚にしがみついてくる。流石にそんな彼女を振り払うことは出来ない。そもそも俺自身、揺れでまともに動くのは厳しい。……収まるまで待つか。だがこの間に襲われでもしたら、逃げることもできない。


 ――――ピシッ


 ……嫌な音が足元からした。そして時間が引き延ばされるような変な感覚。おいおい止めてくれよ。畳み掛けてくれる災難に、何故か笑いが込み上げてくる。ほとほと自分の運の無さに愛想が尽きそうだ。

 こういう時の悪い予感と言うのは当たるのだ。そう相場が決まっている。そして今更策を講じるには……遅すぎる。

 そんな俺の考えを肯定するかのように。

 足場の罅が急速に広がり。

 逃げる間も無く視界が沈み。

 浮遊感が身を包み。

 そして――――











■ 妹が大切で何が悪い ■








 



「――――げほっ!」


 ……ああ、クソッ。身体が重い。疲れた。呼吸をするだけで全身が悲鳴を上げている。

 最悪だ。最悪にクソッたれな気分だ。災難続きの自分の運の無さに、最早愚痴を零す気力も無い。疲れ果てて重たい身体。肺が酸素を求めて止まない。倦怠感。寒気。今のクソッたれな気分を肯定するのに足る材料はそこら中に転がっている。

 何が起きたか?

 要は足場が崩れて、下の階層へ落とされた。しかもその階層は水路になっており、随分と流された。ただのそれだけだ。


「……気絶したか」


 抱きかかえているミリアはピクリとも動かない。とは言え死んだわけじゃない。胸元に、彼女の規則正しい呼吸がかかる。ただの気絶……かどうかは分からないが、死んでなければ全て良しだろう。

 どれくらい流されたかは分からないが、元の場所に戻る事は不可能だろう。この場所こそ流れは緩やかだが、落ちたところはかなりの早さの流れだった。泳いで戻る体力など無いし、仮にあったとしても壁をよじ登れる来はしない。

 ……しかし、まぁ。何と言うか。


「運が良いのか、悪いのか……」


 進んでいた道を逸れ、大きく移動してしまったのはマイナスだろう。だがその代わりに、あの怨念からは逃げおおせたらしい。あれほどまでにしつこく追ってきていた気配を感じない。背筋を撫ぜる怖気が消え失せていた。俺たちを見失ったのか、崩落で斃れたのか……理由は不明だが、とりあえずのところは朗報と言えるだろう。

 深く息を吸い、吐く。空気を肺に取り込み、全身に行き渡らせる。どんな理由であれ、せっかく逃げる以外の時間を得たのだ。先ずは休息に当てなければ。休めるときに休まなければ身がもたない。


「さみぃ……」


 何はともあれ、先ずは暖だ。暖を取らないと寒さで死ぬ。

 濡れた服を何とか脱ごうとする。だが指先が凍えて上手く動いてくれない。へばりついた服を脱がす力が無い。


「クソがっ……」


 こうなったら先に火を起こすか。だが周囲に火種となりそうなものが無い。火打石で火をつけても、それを維持させられるものが無い。見渡す限りの岩、石、砂、あと大きな水晶の柱群。流された事で、服は勿論、ウエストポーチも、中の道具も全部濡れている。


「ランタンはどっか行っちまったし……」


 流されている間に、ランタンは無くなった。水晶の発光が無ければ、此処に辿り着く事すらできずに流され続けたに違いない。

 改めて周囲を見渡す。今俺のいる場所は、小さな砂浜だ。後方は緩やかな流れの水路。前方は水晶の柱が乱立しており、こんな時じゃなければ幻想的な光景に感動の一つでも覚えただろう。

 凍えて重たい身体。何とか上半身だけ服を脱いで、水晶体に近づく。その内の1本に触ってみるが、全く暖かみは感じない。発光している事から発熱をしていれば……と思ったが、残念ながら違うようだ。


 ――――ガラガラガラ……


 離れたところで崩れる音がする。微かな振動。他の場所でも崩落が起きているのだろうか。

 少しの間そのまま動かないでいるが、それ以上の変化は起こらない。とりあえずは身体に鞭打って崩落から逃げ回る必要性は無さそうだ。……今の体力じゃ逃げ回れる気もしないが。


「おい……」


 ペシッ。ミリアの元に戻り、彼女の頭を軽く叩く。気絶しているところ悪いが、寝たままにしてはおけない。

 ペシッ、ペシッ、ペシッ。続けて叩くと、苦しそうに呻き声を上げてミリアの眼が動いた。うっすらと開いたのを確認して、もう一度叩く。


「んぁ……」

「おい」

「……んん」

「おい」

「……んぇ?」

「……起きろ」


 ペシッ。もう一回叩く。この状況で自然に起きるのを待っていられる程、俺は気の長い人間じゃない。

 意識が覚醒したばかりなのか、いかにも寝起きです的な、半分しか眼の開いていない表情。そして左右を見渡す。直近の記憶が無いのは明らかだ。


「起きたな」

「へ、え……」

「簡潔に伝えるぞ」


 崩落した事。水路で流された事。お互い生きている事。多分怨霊は追ってきていない事。

 時間に反比例して情報は沢山あれど、最低限伝えたい事だけを伝える。ミリアは理解を十分の一もしていなさそうだが、もう俺自身の体力が限界だ。……いやにスローモーションになった視界重力に耐えられず、地面に突っ伏す。

 彼女にもう少し説明をすべきかとも一瞬思ったが、それよりも先に瞼が落ちた。原始的な欲求に、どこまでも身体は忠実だった。











 言葉に表せないほどに疲れていても、精神状態によってはロクに眠れない事がある。

 仕事上のミス。上手くいかなかった事への恐れ。損失を与えるかもしれないと言う緊張。

 身体は疲れている筈なのだが、深い眠りにつけない。恐れと緊張で、すぐに目が覚めてしまう。


 今の状況は、それに近しい。


「……っ」


 目を覚ます。荒い呼吸。動悸。悪夢でも見ていたかのような苦しさ。頭痛。そして体感で分かる。眠ってから、然程も時間は経過していない。時間にすれば1時間くらいだろうか。……当然、疲労も取れてはいない。

 伏せた姿勢のまま、視線を左右に向ける。水の音。発光する水晶体。薄暗い洞窟。こちらに背を向けて何かをしているミリア。眠る前と、殆ど状況は変わっていない。


「……っ!」


 ……いや。寧ろ悪化しているか。

 少しとは言え寝たせいで身体が硬直している。加えて固い岩の上。寝る前よりも酷い痛みが身体中に走る。ちょっと起き上がろうと試みただけでこれだ。

 体の隅々に意識を回す。指先、掌、手首。足先、土踏まず、足首。四肢の先から順々に身体の中心へ。一気に動かそうとはしない。痛みに慣れさせるように、少しずつ動かす。幸いにして、動く事には動く。


「ぐっ……」


 ある程度慣れたところで、痛みを堪えて起き上がる。酷い気分だが何時までも寝てはいられない。

 体中の痛み、とりわけ頭痛に顔を顰める。……割れそうだ。二日酔いの朝の、何倍もの頭痛。


「っ! 起きたんですねっ!」


 そしてそんな時の大声は酷く響く。

 ミリアの声に、ハンドサインだけで答えようとする。……と言っても、制止するように掌を向ける事しかできないが。


「何時間くらい……経った?」

「分かんないでず……目を覚まして良かったでず……」


 ぐすっ、ぐすっ。鼻をすする音。不安だったのだろうか。泣かれてしまうのは予想外だ。

 彼女の手を借りながら立ち上が――――ろうとして、握った手が妙な粘性を感じさせた。疑問に思い、掌を見る。


「……血?」

「あ、す、すいません!」


 握った手が赤く染まっていた。そして焦るミリア。何故? 様子を見るに、抱いた疑問の答えはどうやら彼女が持っているようだが……


「じ、呪術をっ! ……その、行使しようとしまして」


 呪術を行使?

 とりあえず話の続きを促す。


「呪術って言葉の通り、呪う術なんです。その方法は人によって違いますが、私は自分の血を使います」


 こんな風に。そう言って、ミリアは掌を自身の影に押し付けた。すると僅かに影が揺らぐ。そうして再び翳した掌には、血の一滴もついていなかった。あの特徴的な赤色がどこにも見えなかった。


「血は呪術的な因子が非常に強いんです。ですから単純な話、血を用いれば用いる程、威力は強くなる。私は自身の影に血を吸い込ませて、人型を作っていました。出て来て、『影鬼』」


 ミリアが影に手を翳す。すると影が動き、小さく立体化する。……本当に小さな、虫程度の、それこそカナブンとかくらいの大きさだが。


「……す、吸わせた量で大きさが変わります。まだ全然吸わせていないので、小さいし、弱いんですが……」


 なるほど。まだ始めたばかりだからこの程度の大きさと。初めに斃した人型は、人と同じくらいの大きさだった。……彼女のこれまでの話を信じるのなら、あの大きさに至るまでにどれだけの血を吸わせたのかという話だ。


「呪術師になると決めた日から、ずっと影に血を吸わせてきました。私が今までに行使していた強さになるまでは、もっともっと時間が必要です。……自業自得とは言え……やっぱり、寂しいですね」

「自分の血じゃなきゃダメなのか?」

「はい。勿論他人の血を使う手もあるんですけど、それは対象が限定されている時じゃないと充分な効力が出ないんです」

「じゃあ、いつでも一定水準以上に使えるようにするには、自分の血が一番だってことか」

「そうなんです」


 やはり彼女を戦力として数えるのは無理があるという事だ。今の大きさ程度だと、気付かずに潰されるだろう。そしてその度に呪い返しでダメージを受けられては、彼女自身の身がもたない。


「……無理戦闘を行う必要は無い。なるべく避けて行くのがベストだ。早速だが、動けるか?」

「は、はい。私は大丈夫ですが……」

「良し。なら、行こう」


 体力は覚束ないが、動けるうちに進んでおいた方が良いのは確かだ。或いは、せめて暖を取れるような物があるような場所にまで行きたい。

 濡れた服を可能な限り搾り、水を抜く。抜いて、改めて着てみたがロクに冷たさを感じない。温度を感じ取れないくらいに身体がマヒしているということか。

 探知のスキルを発動する。光の導は俺の眼前、つまりは水晶群へと伸びた。今のこの体調で水路を通らずに済むのは幸いだろう。……険しく道なき道を進まざるを得ないので、本当に幸いかは考えないでおく。


「よっ、と」


 手ごろな岩場に先に上り、後からミリアを引き上げる。

 ……疲労困憊で今にも倒れそうな気分だと言うのに、なんだかんだ言って身体を動かせているのは、少なからず不眠不休のスキルが作用しているからか。とは言え、言葉ほどの恩恵を受けている感覚は無い。不眠不休と言うのなら、疲労や不調を感じさせずに動かせるように設定してほしいものだが……


「……そこまで言うのは贅沢な話か」

「? どうされましたか?」

「いや、何でもない。独り言だ」


 今のように無茶を続けていれば、何れは他のスキルと同じように、名前が変わり、効力も増していくだろうよ。

 理解と納得。いずれも不十分だが、此処で双方を満たす必要性は無いのだ。











 岩場が混じっていた道は、やがて水晶体だけに変わった。

 一見すれば幻想的とも取れるが、足場が半透明な為、移動するのにどうしても躊躇いが生じる。

 着地した時の衝撃で割れないか。罅が入らないか。砕ける事はないか。

 俺の何倍もの太さだと言うのに、大丈夫だと言い聞かせても、それでも注意を払ってしまう。

 それを恐れるくらいなら、さっさと渡ってしまえばいい。そう分かっているのに、だ。


 とっとっと


「む……」


 足が縺れる。逆らわず、すぐに膝をついた。此処でバランスを崩して、転がって、落下でもしたら何の意味も無くなる。


「だ、大丈夫ですか?」


 ミリアの心配そうな声。大丈夫な旨だけを伝える。余計な心配を掛けさせる必要はない。

 ちなみにミリアの身体能力に任せていては何時までも進まないので、俺は彼女を抱えて移動している。疲労困憊の俺よりも運動能力に劣っているとはこれ如何にと問いたい。……良く生きていたものだと思う。シグレに遭遇していたら、確実に死んでいただろう。


『防具を斬り、肉を斬り、骨を斬り、心臓まで斬り裂いている。それも一撃。余計な傷が無い』


「ど、どうしたんですか……?」

「……いや」


 穴に落ちる前に襲ってきたアンデッド。そう言えばアイツらの生前の死因は斬撃によるもの。それもたったの一太刀。アリアが驚きを覚える程の見事な技だった。あの時は黒騎士の仕業かと思ったが……シグレの可能性も高い。寧ろあの性格なら、喜々としてやりかねない。

 そう言えばアイツの目的は何だったのか。今何をしているのか。

 会いたいとは思わない、また遭遇しても困る。特にこんな状況では。

 アイツの目的が分かれば予め避ける事も可能だが……


「なぁ」

「何ですか?」

「着物姿の女に遭ったか?」

「着物姿の女性ですか? ……お会いしていない、ですね」


 そりゃそうだ。遭っていたら殺されていると、さっき思ったばかりじゃないか。


「知り合いなのですか?」

「知り合いと言えば知り合いだな」


 限りなく敵に近いが。剣を向けられ、怪我もしたが。まず間違いなく味方にはなるまい。

 会っている時間は1時間も無いのに、嫌に脳に存在を刻み付けられた。思い出すだけで溜息が零れる。


「……遭って無いなら幸いだ。遭わないに越した事はない」

「……」

「なんだ?」

「いーえ、別に何でもないです……」


 興味を持ってしまったのか。少し考え込むような返答。会うのは止めた方が良いとは思うが……まぁ、個人の趣味にまで口出しをするつもりは無い。警告くらいはしておくが。俺は絶対会いたくないが。

 とは言え、アイツも俺たちと同じく穴から落ちたのだから、最終的な目的地は同じだろう。魔石。道中の目的など知らないが、一番確実な出口に向かうのは定石だ。……と言うか、


 ――――本当に、魔石が順応した後じゃないと出られないのか?


 アリアは言っていた。魔石が順応しないと、高ランクの魔物は出て来れないと。

 シグレは言っていた。戻るなら魔石の順応後だと。

 俺は俺で魔石の順応後じゃないと出られないと考えていたが――――いや、出られるか出られないかは、今考えても仕方が無い事か。俺がすべきことは、まずは導を追う事である。


「よっ、と」


 パックリと割れた穴を飛び越え、水晶体の洞窟に飛び乗る。導は真っすぐに、奥へと伸びている。

 結局ほとんど休まずにここまで来てしまった。我ながら良く動く身体である。短期的にタガが外れたことは経験したことがあるが、こんなにも長い間続いたのは初めてだ。


「休みますか?」

「いや、行こう」


 進む先はまた岩場に変わっている。休むなら、せめてそこに行ってから。水晶体の上では休んでいる気にならない。

 心身共に休められるのは何時になる事やら。

 諸々の気分を溜息に乗せて、しかしミリアには気取られぬよう細くゆっくりと吐き出した。

 我ながら自分自身を労わりたくて仕方が無かった。



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