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新年になりましたね。
明けましておめでとうございます。
本年も拙作を読んで頂ければ幸いです。
※20/1/11、誤字脱字修正
※20/1/20 誤字脱字修正
暗闇の中を進む。
先に延びる薄い光と、足を動かしていると言う感覚を頼りに。
右も左も分からぬ暗闇。
濃密な闇は音を消し去る。
地面を踏みしめている感覚も無い。
探知のスキルが発動していなかったら、とうの昔に迷い、二度と光を見ることは叶わなかっただろう。
暗闇に塗りつぶされる事無く、行く先を示す光の道。
その先に出口がある事を信じて、進む。
……どれだけ進んだだろうか。
時間の経過が一切分からない。
1時間は経過したかもしれないし、まだ10分と経過していないのかもしれない。
逸る気持ち。鼓動が煩わしい。呼吸が荒ぶる。
それでも尚、道に変化は無い。
ただただ、真っすぐに導を追う。
昔を思い出す。
別に面白い話でも何でもない。
最後に家族皆で食卓を囲んだ時の記憶。
誰もが経験した事のある、どこにでもあるような、ありふれた記憶。
……もう二度と、手に入らないかもと思っていた光景。
そんな事を、思い出す。
変わり映えの無い周囲。
唐突に表れる過去の記憶。
何の変哲もない、されど幸福だった日々。
今は愛しき、あの日々。
足の感覚は無い。
進んでいるかもわからない。
ただただ。
ただただ。
記憶に意識を割く割合が増え――――
「……いい加減にしろよ」
■ 妹が大切で何が悪い ■
足を止める。止めて、頭を左右に振る。
それから上を見上げ、大きく息を吸って、吐き出した。
「……ったく」
思わず悪態が零れた。俺の心の弱さに対しての悪態だった。
過去の記憶に意識を割く。それこそ、今の状況から逃れようとする、心の弱さによるものでかない。
アリアと別れて、シグレに襲われ、1人暗闇を彷徨う。
たったのそれだけで弱音を吐きかねないほど、俺は覚悟無しで此処に踏み込んだわけじゃない。
「そもそもおかしいんだよ」
いつまでも暗闇が完結せず、そして導が真っすぐのままであることが。
疑問を言葉と言う形にし、改めて考え直す。
まずは状況をまとめる。
「……暗闇」
そう、暗闇だ。上下左右前後全てが塗りつぶされたかのような暗闇。自分の発している呼吸音や心音以外は何も聞こえない暗闇。進んでいるのか、逸れているのか、或いは戻っているのかすら分からない暗闇。導は、探知スキルによる光のみ。それだけを辿って此処まで来た。
今の状況は、これが全て。進んだ距離はともかく、費やした時間くらいは計っておくべきだったが、今更悔いても遅い。
次に持ち物。
自分の身に着けている装備以外では、腰に魔力発光式のカンテラと、小型のナイフを装着している。それとウエストポーチを背負っている。暗闇で今は中身を確認できないが、最後に見た時には、中に非常食と簡易サイリウムが入っていた。あと火打石が入っていたか。
手探りで火打石を取りだす。右手に持っているサイリウムでは暗闇を照らせない。なら、瞬間的にもより明るくなる火打石を使用した方が良い。
「……見えねぇ」
ガキッ、と。確かに聞こえた。だが何も見えない。何の光も見えない。
火打石など使うのは初めてなので、やり方が悪いのかもしれない。だが何度も打ち鳴らしているのに、何も一向に見えないとは何事か。
じゃあ眼は開いているのか? 恐る恐る手で触れると、あの何とも言えない感覚が指に伝わった。開いている。……じゃあ、何故見えない?
心音が加速する。訳の分からない状況に焦りを意識する。宥める様に、緩やかに呼吸を繰り返すが、簡単には収まってくれそうにない。
「……座ろう」
一旦、休む。そしてまずは落ち着く。
言葉に出して行動に移す。その場で胡坐をかくように腰を降ろし――――
「!?」
脚が、空を切った。
あるはずの床が無い。腰を下ろす動作に一切の抵抗を感じることが出来ない。
落ちている? いや、だが、浮遊感は感じない。
経験した事は無いが、まるで無重力的な状況。
恐る恐る背を横にしてみるが、抵抗は一切なく、何も感じられない。
火打石を手から離してみたが、落ちて来やしない。離した場所でもう一度手を動かすと、火打石に触れた。
浮いている? ……俄かには信じがたい。だがそうとしか考えられない。
「……どういうことだよ」
零した言葉に返す者はいない。
零した言葉が震えた事を咎める者もいない。
あるのは混乱。理解の及ばない事象に直面した事により、理解への思考が追い付かない。
膨れ上がる疑問。現状の整理も満足に行えず、新たな疑問が生じては消えずに存在を主張し続ける。
許容量はいっぱいいっぱいどころじゃない。もう超えている。
だがその解決方法は、無い。
……本当に?
「……常識を疑え。俺の常識を」
言い聞かせる様に呟く。そうとも。此処は俺の常識が通用しない世界だ。だからと言って幾ら説明がつかない事が連続で起ころうとも、俺の常識に当てはめて思考を停止する事に意味は無い。
だから、考えろ。脳を回せ。思考を止めるな。疑問を絶やすな。思い返せ。違和感を拾い上げろ。
あの部屋を出た時と同じように。
この状況を打開する手立ては――――必ずあるはずだ。
■
真っ暗で、何も見えなくて、そして浮いている状態。そう言われて真っ先に思い浮かぶのは宇宙空間だが、此処では息が出来る。似ているだけで、決して同じというわけでは無い。
そもそもの話、この暗闇に足を踏み入れた時は、確かに足が床に触れたのだ。そこに物理的な存在があったのだ。
それが何故、そしていつの間に消えたのか。
「……足場は最初から無かった、とか?」
言ってから、馬鹿か、と首を振る。だったら最初の感触は何だと言う話だ。
荒唐無稽な状況に阿呆な理論で対抗してどうするのか。……わざわざ言葉にする辺り、相当に俺は疲れているらしい。
原因の究明も必要だが、まずはここから脱出する方法が最優先事項だ。阿呆な理論に思考を割いている場合じゃない。
「……無重力」
そう、無重力。推進力が無い限りは、移動ができない無重力。
右手に持ったままのサイリウムを、力任せに折ると、片方を思いっきり上へ投げる。……耳を澄ましても音は聞こえない。結構な力で投げたはずだが、余程天井は高いのだろうか。続いてもう一つも下へ投げるが、同じく音は聞こえない。
広大なのか。或いは、柔らかい素材で出来ているのか。
いずれにせよ、今の行為で解決に導くには、情報が足らなすぎる。
なら次は、探知スキルの発動。
まずは上に放り投げたサイリウムに意識を飛ばす。目の前に延びていた薄い光が方向を変え、上へと伸びた。……結構な長さだ。
続いて下に放り投げたサイリウムへ意識を飛ばす。上に延びていた薄い光が下への方向を変える。……こちらも結構な長さだ。
「……広いな」
続いて入る前に放り投げた椅子に意識を飛ばす。光の道は俺の後方斜め下へと伸びた。これも結構な長さだ。
「進んではいたのか」
入って、歩いて、今の状況に至るまで。以外にも、結構な距離を俺は歩いていたらしい。これは新しい発見だ。
だとすれば尚更どこで無重力に、という疑問はある。仮に突然足場が無くなったとすれば、全く進めなかったはずだ。だが後ろへ手を伸ばしても、何も触れない。空を切るばかりだ。それどころかバランスを崩して上下が逆さまになる。
さてはて。どうしたものか。
弱った事に、思考も行為も行き止まりに直面してばかりだ。
「……そもそも何でこんな場所が存在するんだ?」
言ってしまえば、この場所は魔物側に利のある作用をするとは思え無い。というか魔物側から見ても最悪だろう。ジャックの様に翼があるなら別だが、その他大勢の魔物は入ったら脱出できまい。何も出来ず、ふわふわと浮いたまま、二進も三進も行かずに力尽きる。そんな未来しか見えない。
そもそもの話、ダンジョン側の意図が不明だ。これではまるで、入った者を放置し朽ちさせる為だけの部屋。そこに意図は何も見えず、存在意義への理解が及ばない。魔物側に都合の良いように作用するなら、もっと理由が見えてくるはずだが……
「……あ」
例えば、食虫植物。そんな言葉が頭を過る。得物を捕らえて、ゆっくりと溶かし、自身の養分にする。ハエトリグサやウツボカズラが有名だろうか。
ダンジョンも同じように、得物を捕らえて、ゆっくりと朽ちさせ、自身の養分にすると考えれば――――この奇天烈な空間にも説明がつく。ダンジョンに意思がある事が前提の仮説だが、冒険者を落とす穴と言い、魔物の部屋と言い、決して的外れでは無いように思う。……そして仮にそうだとしたら、この状況はかなりヤバい。
進めない、退けない、動けない。
まんまと策略にはまった形だ。
……どうしたものか。
腹筋に力を込め、両腕で勢いをつける様にしてもう半回転。体勢を元の位置に戻す。妙案は一切思い浮かばないが、一先ず逆さまになったままでは気持ちが悪い。気分的な問題だ。
……思考を変えよう。今の自分の状況を、想像しやすい似たような状況に置換する。宇宙空間なんて想像し辛いものより、例えば……水中とか。
「水中なら泳げばいいんだがな」
そもそも言葉を発せたり息の続いたりする水中とは何だ、って話だ。此処は俺の常識が通用しないのだから、そう言う水もあるのかも知れないが。
……泳げたりしないものだろうか?
無重力状態。宇宙空間の様。というのは、俺の主観での話だ。そしてそれらの状態では推進力が無ければ動けない、というのも俺の主観での話だ。
あくまでも。俺自身の経験からそれっぽい言葉からを選んで、この状況に当てはめて無理矢理に言語化しているだけに過ぎない。
だとすれば。
試してみる価値は充分にあるのでは?
もう一度意識をアリアの大剣へ。薄い光が真っすぐに伸びる。この道をどうにか辿ることが出来れば合流できるのだ。
胡坐から平泳ぎの体勢へ変えると、闇をかき分ける様に両腕を動かす。
進めているのかは相も変わらず分からないが――――何もしないよりはマシだ。
■
結論から言ってしまえば、俺の仮説は間違ってはいなかったらしい。
時間にして約30分。休憩を挟みつつ両腕を動かしていると、光が途切れる。そして指の先が柔らかいものに触れた。
恐る恐る触れてみると、それは人の身体のような柔らかさで、俺の前方一面に広範囲に広がっている。払いのける事は叶わない。押しても動かない。
壁、だろうか。それにしては感触が気持ち悪いが。
「うぇっ、掴める……」
ぶにょ。言葉にするならこんな感じ。先ほどは気が付かなかったが、人肌ほどの温かみを感じる。これでは本当に肉のようだ。ますます気持ちが悪い。
光はこの壁で途切れているが、それはつまりこの壁で見えなくなっているだけだろう。ドアで光が途切れているのは何度か見ている。触った感じ目前のそれはドアでは無いようだが、此処を壊すなり破るなりして開ければ、また光が導いてくれるはずだ。
腰に差しているナイフを取り出すと、それを目の前の壁に突き刺す。無重力状態の力が入らない中で殴るよりも、小型とは言えナイフで切り開いた方が、効率が良いと判断したからだ。
「うわっ!」
突き刺した瞬間に、何か液体の様なものが腕に吹きかかった。生温さと、異臭。肉の様な触感と言い、この生暖かさと言い、この液体は血だろうか。何となく、生き物の内部に閉じ込められたかのような錯覚を覚える。
嫌な想像は一先ず置いておき、力任せに壁を切り裂く。ブシュッ、と。液体が吹きかかるが、今更気にはしない。する余裕も無い。
開いた穴に手を突っ込み、掻き分ける様にして中身をほじくり出す。ナイフを突き立て、壁を切り分ける。
ナイフ程度の大きさではとてもでは無いが、壁を破れない。破るには、俺自身が中に入る様に、掘りながら奥へ進むしかない。躊躇いが無いかと言えば嘘になるが、ここで躊躇っても仕方あるまい。
「気持ち悪ぃ……」
先ほどまでの闇とは違う、気持ちの悪い暖かさ。強くなる異臭。吹き付け、伝う、粘性を感じる液体。妙な脈動すら感じてくる。
ここにきて初めて明確に訴えてくる不快感。
これを肯定的に受け止められる程、俺は心の広い人間ではない。
眼を閉じ、鼻を閉じ、口を覆い。
必死に我慢して掘り進める。
――――コツッ
「……あ?」
そうやって暫く掘り進めていると、ナイフの切っ先が何か固い物に触れる。壁をかき分けて手で触れると、固く冷たさを感じる感触が伝わった。
いったい何なのだろうか。押してみるが、何も変わらない。
行き止まりかとも思ったが、導は此処で途切れている。この先に進まなければならないのは間違いない。だがナイフは刺さらず、此処まで掘り進んできた壁とは材質が異なっているのは明らかだ。
手の甲で軽く叩いてみると、金属製でも木製でもない音がした。
「……金属製じゃないならワンチャンあるな」
壊せる。感覚でそう判断すると、上の壁に手を突き刺す。そうして身体を固定すると、勢いをつけて壁に向かってドロップキックをかます。
ピシッ、と。乾いた音が確かに聞こえた。
ガラス。
咄嗟にその言葉が頭を過る。ならば、壊すのは苦労しない。
「せーのっ!」
掛け声とともにもう一発。勢いが足りないせいでまだ壊れないが、乾いた音がまた聞こえた。
ならば、もう一度。
同じように可能な限り勢いをつけて、両の足を壁に突き刺す。すると今度は、割れる音と共に、勢い余って足が壁の向こう側へ突き出た。
慌てて引き戻す。それから他の壁を破壊して、俺が出ても大丈夫なくらいの大きさにまで穴を広げる。
そして呼吸を止めると、穴の先へと身体を移動させる。
「っ!」
落ちている。闇の先。感覚でそれを理解するのと着地はほぼ同時。受け身を取る事も出来ず、そのまま耐えれずに転んでしまう。
闇を抜けた。一瞬視界がホワイトアウトするが、すぐに視力を取り戻す。教会を模したような、広大な部屋が視界に映った。礼拝をする広間だろう。久しぶりの光に眼球が痛むが、これほどに嬉しい痛みもあるまい。
両の足で立ち上がる。まだ痺れがあるが、確かな感触がある。そして重力。少しふらっとするのは、無重力に身体が慣れてしまったためか。
息を吸う。冷たい空気。身に沁みついた生臭さは取れていないが、それでもさっきまでよりは格段にマシだ。
「……出られたんだな」
見上げると、黒々とした穴が見えた。足元に色とりどりのガラスが散らばっている事から、恐らくはステンドグラスを蹴破ったのだろう。長い迷宮を通り抜けられたことに、思わず安堵の息が零れた。
さて、と。
感慨に耽るのも良いが、いつまでもそうして喜んでばかりもいられない。
頬を叩いて気合を入れ直す。
俺の最優先事項はアリアとの合流。此処で喜びを噛み締めるのは早すぎる。
「光は……」
ああ、あったあった。きょろきょろと周囲を見回し、薄い光の導を見つける。周囲の明るさのせいで見え辛いが、部屋の隅にある扉へと光が続いているのが分かった。
後は――――
「ひぃあああっ!」
悲鳴が聞こえた。そして扉を叩く音。
「開いて! お願い! 開いて!」
アリアじゃない。シグレでもない。全く別の女性の声。相当に切迫しているらしく、かなり鬼気迫った声色だ。
流石に見捨てていくのは目覚めが悪く、扉の閂を外して開いてあげる。すると小さな女の子が部屋に飛び込んできた。……ついでに、魔物も。
「ッ!」
咄嗟に蹴りを喰らわすと、魔物はそのまま長椅子へと突っ込んでいった。だがこの程度では致命傷とはならないらしく、すぐに立ち上がって威嚇をするように唸り声をあげる。
「か、『影鬼』! 出て来て! お願い!」
女の子は手を翳して、必死にお願いをしていた。だが何が出てくるでもなく、空しく言葉だけが部屋に響く。
魔物は俺とそんな女の事を交互に見ると、女の子の方へと跳びかかった。判断は正しい。与しやすい相手に狙いを定めるのは、どんな状況であれ当然の判断だ。……幾ら疲労で身体が重いとはいえ、それを黙って見過ごすつもりは無いが。
「ガッ……」
蹴りを正確に頸へ。骨の折れる音と、断末魔の声。別の長椅子に衝突すると、2、3回痙攣して魔物は動きを止めた。立ち上がってくる気配はない。永遠に止まったのは間違いないだろう。
「大丈夫か」
念のため扉を閉めてから、震えたままの女の子に手を差し出す。腰が砕けているのだろうか。女の子はぎこちない動きで俺の方に顔を向け――――
「ん?」
どこかで見たことがるような気がする。顔を見て、そう思った。
亜麻色の髪。小柄な体躯。涙を浮かべた髪と同じ亜麻色の眼。幼さが残る可愛らしい顔立ち。
はて。何処で会った事があるのか。
何となく記憶に引っかかっているのだが、肝心なところが思い出せない。
「た、助かりました……」
そんな俺の内心など露知らず、女の子は身体全体を震わせながら俺の手を掴んだ。そしてそのまま硬直する。
「ごめんなさいぃぃ……こ、腰が抜けて……」
見りゃ分かる。誰が見ても同じように判断するだろう。
クシーと初めて会った時も、そう言えば腰を抜かしていたなぁ。そんな思い出に思考を割きつつ、立ち上がれるように手を貸してあげる。
「ごめんなさい。も、もう少しだけ待ってもらってもいいですか?」
そう言うと思ったよ。
クシーとの出会いを回想しながら、黙って頷いた。