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※20/1/20 誤字脱字修正
酷い世界だ。
探索しながら、俺はそんな事を思った。
縦にも横にも広い施設内部。
渡り廊下を渡って別の建物へ。
規則正しく並ぶ扉と、真っ黒に染まって先の見えない窓。
開いた室内には規則正しく机と椅子が並べられていて。
人の気配も、匂いも、何も感じられない以外は。
いつかのどこかでかつて過ごした場所とよく似ている。
「……気持ち悪ぃ」
言葉が零れる。
食い縛った歯の隙間から零れる。
懐かしさと、不快感
この世界の歪さに、身体が正直に反応してしまっていた。
形だけを真似た世界。
そこに生命の息遣いは感じられない。
「この階層も見たな。次へ行くか?」
「ああ」
そうして、また渡り廊下を進み、次の建物へ。
空いている掲示スペース。
何も書いていない紙。
誰も映っていない写真。
壁を指でなぞりながら、一つの確信を。
――――ここはきっと、どこかの大学。
■ 妹が大切で何が悪い ■
全くの知らない土地で。
かつて見たことのある景色を見て。
抱く想いは、どんなものだろうか。
懐かしさだろうか。
安心だろうか。
寂しさだろうか。
喜びだろうか。
驚きだろうか。
「キョウヘイ、大丈夫か?」
残念ながら、俺の抱いた感情は、そのどれもでもない。
「……悪い、少しだけ休ませてくれ」
彼是2時間は探索をしているだろうか。
変わる事のない景色。終わりの見えない道。想像の出来ない出口。悪意を感じる世界。
それらは想像以上に俺の精神に付加をかけていたらしい。
俺は足を止めると、備え付けのベンチに腰を下ろした。
「すまない、5分だけ休みたい」
「構わないさ」
アリアも俺の隣に腰を下ろした。だがそれは疲弊故の行動ではなく、俺に合わせただけだ。彼女の呼吸は乱れていないし、汗一つとてかいていない。
深く吸って、ゆっくり吐き出す。
この疲弊は精神的な混乱が原因だ。
なら、まずは落ち着かなければ回復は望めない。
それにしても、考えれば考える程、ここは奇妙だ。
現代日本……かどうかは不明だが、この建築様式は現代の色が強い。今までの、カルベやケント、マトの街を思えば、ここは異質すぎる。
勿論、先の三つの街は発展が遅れていて、国の中心部では現代と変わらぬ技術が使用されている、という可能性はある。現代だって、発展の遅れている国はあるのが事実だ。
……とは言え、そんな都合の良い理屈が、今の状況に通用するとは思えないが。
そもそも、何故こんな内部なのか。
まるでこれでは現実世界が――――
「……世界の裏側ってか」
「どうした?」
「……いや、何でもない」
無意識のうちに感情を口にしていたらしい。慌てて取り繕う。
今の俺の考えは、ただの推測だ。確証があるわけでは無い。
分からないなりに思考をする事は間違っていないが、それを正と捉えて行動する事は間違いだ。
社会人になって、先輩によく言われた言葉。
そして何度か痛い目を見てきた俺自身の経験。
「ん?」
「臭う、な」
考え事をしていたら、何か嫌な臭いを鼻が捉える。
それは俺たちが進もうとしていた、先の方から漂ってきた。
「……タイミングが悪いな。キョウヘイ、動けるか?」
「問題ない。大丈夫だ」
アリアが剣を抜いて立ち上がる。
まだ腰を下ろして2分程度。
本音を言えばもう少し時間が欲しいが、そうも言っていられないのは、どの世界でも同じことだ。
拳を握りしめ、暗闇の先に向けて目を凝らす。
「魔物か」
「だな」
耳をすませば何かを引き摺る音も聞こえてくる。
微かだった臭いは少しずつ強くなっていた。
どこかで嗅いだ臭い――なんて惚けるには、記憶が新しすぎる。
暗闇の先から現れたのは、ケントの街で目にした、あのおぞましい群れ。
「屍人か」
口元を真っ赤に染め、土気色の肌をした死者。
ケントで見たアイツらが、身体を揺らしながらジワリジワリと近づいてくる。
数は……6。
「6体。そして全員が武器持ち、ね」
「先に入った冒険者、ってことか」
「多分な」
先の門番は言っていた。12組入ったと。帰還者は1人もいない、とも。
団体での行動。冒険者用の防具。職種毎に異なる武器。
彼らが12組の内の1組であり、そして果てた姿と捉えるには、充分すぎる情報が揃っている。
「命を落として、魔菌に侵されたってところだろう」
アリアは大剣の切っ先を先頭の1人に向けた。ピタリと。震えることなく止められた切っ先が、言葉よりも雄弁に次の行動を示している。
「行くぞ。遅れるなよ?」
■
「それっ!」
アリアの大剣が閃く。
「魔菌って事は、魔族がいるかもしれないのか?」
遅れて、拳を振るう。
「可能性はある。だけど、おそらくは自然発生しただけだ」
首が跳ね飛び、行動不能になる。
「自然発生? てことは、噛まれなくても怪我をしたら侵されるって事か?」
首の骨を折り、行動不能にする。
「いや、そこまでじゃない。効力は弱いから、死なない限りは大丈夫さ」
アリアの大剣が炎を纏う。
「抗体の方が強いって事か」
行動を予測し、後ろへ下がる。
「そう言う事だ。まぁ、腐敗と同じだと思えばいい」
一閃。
炎が渦となり残っていた屍人を飲み込む。
「……燃やせば、一網打尽か?」
炎が晴れた後には、何も残っていない。
「そんなところさ」
大剣を振り、熱気を霧散させる。
「で、この2体は検死用ってことか?」
残ったのは、アリアが屠ったのと、俺が屠ったので2体。
「ま、そんなところだ。死体は語らないだけで多くの情報を持っているからな」
テキパキと。アリアは倒れ伏した死体の服を脱がしにかかる。防具を外し、短刀で服を切り裂き、そうして露わになったのは大きく裂けた胴体。左わき腹から右肩へ向けて、線が走っている。よくよく見ると細かな傷は他にもあるが、ここが致命傷となったのは間違いない。
「死んで2日、ってところだな。刃物、それも相当切れ味の良いやつだ。大剣じゃないな……倭刀か、或いは魔法のよる斬撃か」
「わとう?」
「ああ。刀身が薄く、斬る事に特化した剣の事だ」
つなりは日本刀の事だろうか。聞き覚えの無い言葉だが、察するにそう言う事だろう。
「防具を斬り、肉を斬り、骨を斬り、心臓まで斬り裂いている。それも一撃。余計な傷が無い」
「……この防具、獣の皮で出来ている。結構分厚いのに、一撃か」
「ああ。斬撃以外の要素は傷口から見られない。複数の魔法を併用したわけじゃなく、純粋に剣のみで斬られている。剣自体の斬れ味も相当だが、腕前も相当だな。不意を突いただけでは、ここまでは斬れない」
「……こっちの人も同じような傷だな。傷の向きは違うけど心臓まで達している」
つまりは、このパーティーは同一の敵に殺された可能性が高い。
だが、複数人のパーティーでそんなことが起こりえるのだろうか。
Bランクのクエストを受注できるようなパーティーに対して、一撃で全員を屠れるような魔物がいるのだろうか。或いは魔族がいるとでもいうのだろうか。
……この所業を出来るだろう相手は、俺には一人くらいしか思い浮かばない。
「……キョウヘイ、リベンジのチャンスかもな」
同じことをアリアも考えていたらしい。
リベンジのチャンス。すなわち、かつて負けた相手。
黒騎士。
俺と、アリアと、そしてルドガーが。
敗北を喫した相手。
それも手加減をされて、だ。
アイツなら、これくらいはやってのけるだろう。
……だが、
「だけど、何でここに?」
生じた疑問を言葉にする。
何故わざわざダンジョンにアイツがいるのか。
目的が不明だ。
「……アイツらの世界へ帰るつもりかもしれない」
「世界の裏側ってことか?」
「ああ。だけどその為には魔石を護らないといけない。だから、ここで門番紛いの事をしている、って可能性はある」
魔石がこの世界に順応するまでに掛かる日数は、大凡ひと月。
元の世界に帰るために、番人として魔石を護ると言うのは、充分に辻褄の合う理由だ。
「……国に顔を売れて、褒賞金が手に入り、リベンジまで果たせる。好都合だな」
「ハッ! 強気じゃないか」
さらに、一佳への脅威も減る。一石四鳥。相手が格上で、一度負けた相手だとしても、その怖れを飲み込んで前に進む価値は充分過ぎる。
恐怖は意思で抑えこむ。苦い記憶は言葉で上書きする。
「行こう、アリア」
「ああ」
黙祷をささげる。
十字を斬り、安らかに彼らが眠れるよう祈る。
死者への手向けは、今はこれだけ。
「リベンジだな」
アリアは笑った。
獰猛な獣の如く、唸る様に、笑った。
■
屍人になった冒険者たちがどこから来たかは、床につけられた剣を引き摺った跡が示してくれていた。
廊下を真っすぐ進み、開け放たれている非常扉から非常階段を通って下の階へ。数字を信用するのなら7階分は下に降りて。そうして到着したのは、階段の終わり。目の前には暗闇の中、半開きになったドア。
一寸先は闇。ランタンの灯りすら届かぬ闇。目前の光景を写真に撮り、適当な邦題を付ければ、立派なB級ホラー映画のポスターの出来上がりだ。
「ランタンじゃ無理だな……少し待ってくれ」
アリアはランタンを腰に掛けると、大剣を抜いて魔力を込める。瞬時に熱気が発生し、刀身が炎を纏った。ランタンとは比較にならないレベルの光源。だがそれでも、ドアの先は見えない。
「先導は私がしよう」
一歩。先にアリアが進む。ドアの向こうへ進む。その後を追う。
踏み入れたドアの先は、これまでと同じく人工の手が入った整備された床で出来ていた。
違うのは闇が濃いのと、空間が広いのと、
「……随分と散らかっているな」
床に落ちていたガラスを拾う。踏み砕かれ、破損した欠片。ガラスだけじゃなく、他の物も。それが至る所に散らばっている。先の道ではどこにも無かったものだ。
ここでさっきの屍人たちは休息を取り、襲われたのだろうか。確かにこの暗闇なら姿を隠すのは難しくないだろうが……
「炎を少し強めるぞ」
アリアが魔力を通し、より炎を巨大化させる。膨れ上がった炎が暗闇を払い、部屋の全容を照らし出した。
だが照らし出されたのは、今までとは全く違う世界だった。
「何だ、これは?」
アリアの疑問は当然だ。
俺も意味が分からず、何度も周囲を見る。
精巧な技術が用いられているステンドグラス。
天井から吊るされている巨大な十字架。
そしてマリア像。
純白の、マリア像。
「教、会?」
訳が分からない。混乱に混乱が上乗せさせられる。何も解決していないのに、疑問ばかりが膨らむ。
何故此処に教会が出るのか。魔物にとって教会は天敵ではないのか。何の意図なのか。今持ちうる知識では何も答えが導き出せない。
「アリア、これって――――」
「キョウヘイ!」
分からないなら、訊く。
そう考えてアリアの方に身体を向けようとし――――カクン、と。身体が傾いた。
何を、と思う間もなく視界が急速にズレる。
そして浮遊感――落ちている?
一瞬のスローモーション。
アリアの焦燥の表情。視線が交差する。
だけどすぐに視界はブレて――
「行け」
咄嗟の言葉は伝わっただろうか。
突然足元に空いた、黒い穴。
飲み込まれたという自覚。
視界はすぐに暗闇で機能しなくなった。
重力の鎖に絡めとられて、しかしゆっくりと落ちていく。
経験は無いけども、底なし沼に落ちていくのはこんな感じなのだろうか。
上を見上げても落ちた穴は何処にも見えない。
そして――――
「……っと」
終わりは突然に。
足が固い物に触れ、落下が止まる。濃密な暗闇のせいで、どこに目を向けても何も見えない。
懐からサイリウムを取り出し、光源として使用するが、正直言ってこれだけじゃ心許ない。
カンテラは持っているが、魔力を込めて発光させるタイプなので、俺じゃ使えないのだ。
「さて、じゃあ……っ!」
目的を声に出して自身を奮い立たせようとした、その矢先。
膨れ上がる無数の気配。
沸き立つ生臭さ。
思わず拳を構え、気配の方を向く。
「……くそっ」
何も見えない。
見えない、けどいるのは分かる。
大量に蠢いているのが、分かる。
……合流するのは遅れそうだ。
頬を伝う汗を感じながら、そう俺は思った。