93 異世界デスクワーク3
93 異世界デスクワーク3
「ヴィオラさん、ここに誤字がありますよ」
「あら、本当ですね。ありがとうございますジョージさん」
そう告げたヴィオラは、承治から受け取った書類の誤字に取り消し線を引き、訂正印を押す。
そして内容を再度確認し、〝清書行き〟と書かれたラックに書類を入れた。
それは、普段あまり誤字脱字を出さないヴィオラにしては珍しい所作だった。
承治、ヴィオラ、ファフの三人は、今日もヴィオラの執務室でデスクワークに邁進している。
異世界に似つかわしくないスーツ姿の男、エルフ族の美女、小悪魔じみた少女といった三者三様の面子が黙々とデスクに向かうその光景は、いささか冗談じみているが、三人にとっては今や馴染みの光景だ。
そんな中、ファフは先ほど交わされた会話が気になったらしく、ふと顔を上げて声を放つ。
「承治がヴィオラの誤字を見つけるなんて珍しいわね。普段なら逆なのに」
ファフの言う通り、書類仕事で誤字脱字を出すのは承治かファフで、ヴィオラはあまりミスを出さない。
しかし、いかに丁寧な仕事を心掛けようと、絶対はない。誰しもミスをするものだという前提で、それをカバーし合うのが仕事仲間と言うものだ。
などと承治が考えていると、ファフはどこか不敵な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「いやー、やっぱり愛の力があれば仕事での連携もバッチリってとこね」
そんな言葉に対し、ヴィオラは恥ずかしそうに視線を下げ、承治は呆れた様子でファフを睨みつける。
ファフの言葉が示唆する通り、承治とヴィオラはつい先日から男女の付き合いを始めている。それは紛れもない事実だ。
しかし、承治はヴィオラとの関係を他人に告げた覚えはないし、ヴィオラもその性格からして、わざわざ他人に話したりしないだろう。
だというのに、ファフはいつの間にか承治とヴィオラの関係に勘付いていた。
もちろん、しらばっくれることもできたが、それはさすがに往生際が悪いと感じた承治とヴィオラは、既に付き合っていることを認める。
とは言え、関係を茶化されるような言動を繰り返すファフに対しては、さすがの承治も辟易していた。
「一応、今は仕事中だぞファフ。気が散るような冗談はほどほどにしろよ」
そんな承治の注意に対し、ファフはオーバーに肩をすくめてみせる。
「気が散るも何も、普段からお喋りならいくらでもしてるじゃない。大体、私に茶化されたって堂々としてればいいのよ」
「堂々としろったって、節度ってものが……」
言い訳じみた承治の言葉に対し、ファフはいささか声のトーンを上げて反論する。
「いい? 節度だ何だって、周りの目を気にして恋人らしいこと何もできなきゃ勿体ないと思わない? 今はデキたてホヤホヤのアツアツでも、そんな調子だとすぐ冷めちゃうわよ」
「それは……そうかも」
「ちょっと、ジョージさん!」
ヴィオラに抗議の意思を示されたが、承治はファフの主張にも一理あると感じていた。
ファフの言う通り、周囲の目を気にしていては恋人らしいことなど何もできない。それはつまり、ヴィオラとの思い出を作る機会を失っているのと同じだ。
思えば、承治はヴィオラと付き合い始めてから、恋人らしいことを何もしてあげられていない。
やはり、こういう時は男からアクションを起こすべきだろう。
そう考えた承治は、視線をヴィオラに向けてなるべく自然に言葉を口にする。
「あの、ヴィオラさん。もしよかったら、今晩ご飯でも食べに行きません? ちょうど明日休みだし、お酒も好きなだけ飲めますよ」
急な食事の誘いに対し、ヴィオラは顔を赤らめたまま恥ずかしそうに当惑し始める。
「もう、ジョージさんったら、ファフさんに言いくるめられて急にそんな……」
すると、その様子を傍目から見ていたファフはニヤニヤと微笑みながら口を挟む。
「で、行くの? 行かないの?」
「行きたい、です……」
と、耳まで赤く染めたヴィオラは蚊の鳴くような声で返事をする。
承治はなりゆきでヴィオラを食事に誘ったが、いざOKされると急に期待感が高まってくる。
思えば、ヴィオラと二人きりで外食に行くのは一ヶ月半ぶりくらいになる。
そもそも、以前は定番だった二人きりでの外食も、ファフが部下になってからは一度も行けていない。
更に言えば、今の承治にとってヴィオラと二人きりで外食をするという行為は、以前と意味合いが異なってくる。
恋人同士が二人きりで外食する行為を、人は俗に〝デート〟と呼ぶ。
つまり、承治はヴィオラを〝デート〟に誘うことに成功したのだ。
ともすれば、楽しみに思うのは当然だ。
そんな風にして口元を歪める承治に対し、ファフが背中を叩いて声をかけてくる。
「よかったわね承治。ちゃんと夜の方も誘いなさいよ」
相変わらずファフは一言余計だ。
しかし、〝食事の後〟を期待していないと言えば嘘になる、というのが承治の本音だ。
こればかりは、男に生まれた性という他ないだろう。
そんなことを考えていると、承治の脳内は徐々にピンクな妄想に染まり始める。
すると、いつの間にかヴィオラが目を細めて軽蔑するような視線を投げかけていた。
「……ジョージさん、今いやらしいこと考えてましたよね」
いや、ヴィオラさんみたいな人と付き合っていて、いやらしいこと考えない方がおかしいでしょ。
などと反論できるわけもなく、承治は目の前の書類に視線を落してとぼけたフリをする。
「さてさて、憂いなく食事に出かけられるよう、ちゃんと今日の仕事を終わらせないと」
「またそうやってしらばっくれて……」
「そうそう。鼻の下伸ばしてたのバレバレだったから」
そんな会話が交わされると、三人は揃ってクスクスと笑い始める。
そして、いつの間にか室内は軽やかな笑い声に包まれていた。
承治は、屈託なく笑うヴィオラとファフの表情を眺めながら、改めて自分の居場所はここなのだと自覚する。
異世界でのデスクワーク――それは、日本にいた頃とあまり変わらないようで、時に不思議な出来事に巻き込まれる特殊な職場だ。
しかし、承治はそんな職場で、ヴィオラに出会った。
ヴィオラの部下となり、そして今や恋人となることができた。
それこそが、承治がこちらの世界で見つけた〝生きる意味〟だ。
自分の為ではない。承治は、他でもないヴィオラのために生きようと決めた。
だからこそ、ヴィオラの傍にいられるこの空間は、承治にとって居場所になり得た。
今日もそんな空間で承治は異世界デスクワークに邁進する。
だが、今は手元の書類ではなく、可愛らしい笑顔を見せるヴィオラの表情を、ただただ眺めていたい気分だった。
第2部―完―