92 二人の想い2
92 二人の想い2
「僕は、ヴィオラさんのことが好きです」
承治がそう告げた瞬間、二人の居合わせるその空間は、まるで時の流れから切り取られたかのように静止する。
風は止み、音は消え、おだやかな雲の流れと沈黙がその場を支配する。
その中心で、ヴィオラはゆっくりと表情を変化させてく。
視線を落したその表情には、困惑のような色が浮かんでいる。
それもそうか。いきなり告白されたら、やっぱり困るよな。
ヴィオラの反応を早とちりした承治は、肩を落して自嘲の笑みを浮かべそうになる。
だが、そんな反応を見せるよりも先に、ヴィオラが口を開いた。
「あの、これがお返事になるか分かりませんが、私の正直な気持ちを、少しお話しさせてください」
そう切り出したヴィオラは、軽く深呼吸し、ゆっくりと語り始めた。
「まず、ジョージさんと出会うまでの私は、何と言いますか、寂しい日々を送っていました。当時はあまり自覚がありませんでしたけど、毎日毎日、仕事に明け暮れるばかりで、面白味のない無味乾燥な日々を送っていた……だけど、そんな日々は、ジョージさんと出会って大きく変わりました」
ヴィオラは風に靡く髪をかき分け、まっすぐと承治に視線を向ける。
「最初は何とも思っていなかったんです。単に、優秀な部下ができて仕事が楽になったと、そんな風にしか思ってませんでした。だけど、ジョージさんと一緒に仕事をして、お喋りをして、ご飯を食べたりお酒を飲んだり、時には事件に巻き込まれたり……そんな日々を送っているうちに、私の心は自然と満たされていた」
そう告げたヴィオラは、恥ずかしそうに微笑む。
「不思議、ですよね。ただ一緒にいただけなのに、私はジョージさんと過ごす日々に幸せを感じていた。だけど、私意地っ張りだから、それを認めようとしないで……でも、あの事件に巻き込まれた時、はっきりと分かったんです」
ヴィオラは再び視線を落し、弱々しく眉をひそめる。
「レベックに捕まった時、私はずっとジョージさんの無事を祈っていました。でもそれは、純粋な意味でジョージさんの身を案じていたわけではありません。私は、私にとってかけがえのない存在であるジョージさんが失われることを、心底恐れた。それって、ある意味すごく身勝手ですよね?」
すると、ヴィオラは下を向いたまま自嘲のような笑みを見せる。
「私は、いつの間にかジョージさんに依存していたんです。それも、自分でも信じられないくらい強く、深く……こんな経験、生まれて初めてです。だから私は、自分の中にあるこの気持ちを何と表現していいか、分かりませんでした。依存、信頼、心配、愛着……そんな感情が入り混じる、不思議な気持ち」
そして、ヴィオラは再び顔を上げ、承治の瞳を見据える。
「だけど、今さっき、この気持ちの正体が分かりました。それに気付かせてくれたのは、他でもないジョージさんです。ジョージさんは、私に想いを伝えてくれた。私のことを好きだと言ってくれた。それで、分かったんです」
その刹那、ヴィオラの瞳から一筋の涙が流れる。
「私、嬉しかった……ジョージさんに好きって言われて、心の底から嬉しいと思えた……それで、分かったんです。私も、ジョージさんのことが好きなんだなって。じゃなきゃ、好きって言われて、こんな幸せな気持ちに、なるはず、ないから……」
そう言い終えたヴィオラは、堰を切ったように泣き始めた。
とめどなく流れる涙を何度も拭い、小さな嗚咽を漏らして泣き続けた。
承治は、子供のように泣きじゃくるヴィオラの下へゆっくりと歩み寄り、優しく抱擁する。
そこに、ためらいや恥じらいはない。さも自然なことのように、承治はヴィオラの体を全身で抱きしめた。
そしてヴィオラも、そんな承治に縋るように、己の身を預ける。
寄り添う二人は、互いの鼓動や体温、息遣いを直に感じ、心からの安堵を共有する。
もはや言葉は必要ない。
二人は、まるで互いの気持ちを確かめ合うかのように、徐々に腕に力を入れて強く体を寄せ付ける。
少し痛いくらいがちょうどよかった。
それくらい、強く抱き合っていなければ、安心できなかった。
ずっと一緒にいたい。
もう離れたくない。
晩秋の冷えた風が吹きすさぶ中、ヴィオラの静かな嗚咽だけが響き渡る。
そして、永遠に続くかと思われた長い長い抱擁は、ヴィオラの涙が枯れると同時に終わりを告げた。
泣き止んだヴィオラは、ゆっくりと承治から体を離し、赤く腫れたまぶたで上目がちな視線を投げかける。
目と目を交わした二人は、どこか気恥しくなり、クスクスと照れ笑いをこぼす。
そして、最初に沈黙を破ったのはヴィオラだった。
「すいません。はしたないところをお見せしてしまって……」
こんな時まで体面を気にするヴィオラに対し、承治はイタズラっぽく言葉を返す。
「泣いてるヴィオラさん、子供みたいで可愛かったですよ」
すると、ヴィオラは耳まで赤くして不満げに言葉を返す。
「ジョージさんって、たまに私のこと子供扱いしますよね。私の方が三倍くらい年上なのに……」
相変わらず恥ずかしがっている仕草も可愛らしい。
というより、ヴィオラの一挙手一投足が全て愛おしく思えた。
そんな感情に刺激された承治は、ますますヴィオラをからかいたくなってしまう。
「でも、エルフ族基準だと人間で言う二十五歳くらいなんですよね? それなら精神年齢は僕の方が上ですね」
「いいえ、私は精神もちゃんと育っています」
「じゃあ精神はおばあちゃんってこと?」
そんな言葉に対し、ヴィオラは「むー」と唸って頬を膨らせる。
だが、次の瞬間には吹き出すように笑い始めた。
そんなヴィオラにつられ、たまらず承治も笑いをこぼす。
青々とした秋晴れの空に、二つの小さな笑い声が四散する。
ヴィオラと二人で笑い合うその一時に、承治は心の底から幸せを感じた。
こんな風に、ずっとヴィオラと笑い合っていたい。
それは、承治がヴィオラに対する愛情を自覚する前から抱いていた願望だ。
結局のところ、愛情などというものは、そういう素朴な願望から沸き立つものなのだと承治は自覚する。
かつて承治は、ヴィオラに対して愛情を抱くことで、今までの環境に変化が生じるのではないかと無意識に怯えていた。今まで通りでいいと、現状維持に甘んじていた。
だが、抑えきれなくなった愛情をヴィオラにぶつけてしまった今、二人の関係は明確に〝進展〟した。
進展――それは、恐れていたような変化ではない。今まで歩んできた道筋の先が切り開けただけのことだ。
承治は、その一歩を踏み出したにすぎない。
「あの、ジョージさん?」
いつの間にか承治が真顔になっていたせいか、ヴィオラが心配そうに顔を覗き込む。
エメラルドグリーンに輝く大きな瞳の据えられたその端正な顔立ちは、いつ見ても息を飲むほどに美しい。そして、柔和なその表情からは慈愛のような底知れぬ優しさを感じることができた。
そんな顔をされると、色々と我慢できなくなってしまいそうだ。
でも、新たな一歩を踏み出せたなら、もう一歩だけ踏み込むのもアリだろうか。
承治は、静かにヴィオラの肩に手をかける。
「あ……」
驚いたヴィオラは息を漏らすように小さな声を放ったが、それ以上の当惑は見せなかった。
冷えた秋風はいつの間にか止み、再び無音がその空間を支配する。
交差する二人の視線は互いを吸い寄せるかのように距離を詰め、最後の瞬間に輝きを閉ざす。
そして二人は、小鳥がついばむような、優しいキスを交わしていた。