90 茶会
90 茶会
先日の冤罪騒動――通称〝レベック事件〟が終息してから、早くも三日が経過していた。
あの事件で少なからず肉体及び精神的ダメージを受けていた承治とヴィオラも、事件後から丸一日の休息を取ることでほぼ本調子を取り戻し、現在は普段通りの生活に戻っている。
未だレベックの行方は分からないままだが、カスタリア王宮は今までと変わらぬ平穏を取り戻していた。
そんな中、ようやく平和な休日を迎えた承治とファフは、久しくユンフォニアの私室を訪れていた。
部屋中央のローテーブルを囲う形でソファーに腰掛ける承治、ファフ、ユンフォニアの三人は、揃って侍従の淹れたお茶に口をつける。
そして、この席を設けた張本人であるユンフォニアは、先の〝レベック事件〟について言及した。
「いやぁ、先日はえらい目に遭わせてしもうたのう。レベックの件は、余の監督不行き届きでもある。この場で改めて謝罪しよう。この度は本当にすまんかった」
深々と頭を下げるユンフォニアに対し、承治は慌てて口を開く。
「いやいや、ユフィは何も悪くないよ。むしろ、ユフィが僕達を信じて味方をしてくれたお陰で解決できたわけだし、むしろ感謝するのは僕の方だよ」
「そう言われると余も気が楽になる。しかし、そちがこの国を救ったのはこれで二度目だな。まこと伝承通りの活躍ぶりだ」
「国を救っただなんてそんな……僕はただ、ヴィオラさんを助けたかっただけで……」
今回、承治が考案した作戦は確かにレベックの陰謀を打ち砕いたが、それはあくまでヴィオラを救うための副次的な結果に過ぎない。
それを思うと、あまり誇れるような気分にはなれなかった。
承治がそんなことを考えていると、ユンフォニアは素朴な疑問とばかりにストレートな疑問をぶつけてくる。
「ふむ、ヴィオラの為か……やはり、ジョージはヴィオラのことを好いておるのか?」
その瞬間、承治は口に含んでいたお茶を噴き出しそうになる。
そして、ユンフォニアの疑問にはファフがすかさず応じた。
「もー、誰が見たってそう思うわよね。だけど、ジョージったら意地張って全然認めようとしないのよ。いい歳して何を恥ずかしがってんだか……」
その挑発的な態度にムッとした承治は、あえて開き直ることにする。
「ああそうだよ。僕はヴィオラさんのことが好きだよ。ヴィオラさんの為なら死んでもいいと思えるくらい好きだよ。こう言えば文句ないか?」
すると、ファフはにんまりと口を歪めて承治の小腹を肘でつつく。
「ヒューヒュー! 男はやっぱりそうでなくちゃ。で、もうコクったの? もしかして、既にラブラブとか? そういえばこの前、病室でずっと二人っきりだったもんねぇ。まさか、あの時病室のベッドでしっぽり……」
そこまで言いかけたところで、承治はファフの頭に軽くチョップをお見舞いする。
「お姫様の前でなんて話してんだ」
「む、余を子供扱いするでない。男女の仲となれば、体を重ねることもあろう。何も恥ずかしがることはないぞ」
どうもファフが口を挟むと毎回話がややこしくなる。
「いやだから、僕とヴィオラさんはまだそういう関係じゃないんで……」
承治がそう告げると、ファフとユンフォニアは揃って落胆したような表情を見せた。
「せっかく病室で二人っきりだったのに、まだコクってないの? 相変わらずヘタレねぇ。心配しなくても、ヴィオラならオッケーしてくれるっての」
「うむ。余から見ても承治とヴィオラはお似合いだ。ヴィオラも随分とジョージのことを信頼しているようだしのう」
正直なところ、承治も近いうちに自分の気持ちをしっかりヴィオラに伝えたいとは考えていた。
しかし、いざ告白するとなると、何かしら雰囲気の良いシチュエーションを用意する必要があるだろう。やはり、こういうものはムードというものが大切になってくる。
もちろん、その点については承治もいくらか考えがある。
だが、そんな計画を馬鹿正直に話す必要もないと感じた承治は、とりあえず話題を変えることにした。
「まあ、僕の気持ちはいずれちゃんとヴィオラさんに伝えるよ。それより、僕のことはいいとして、ファフの件は王宮内でちゃんと意見がまとまったの?」
すると、ユンフォニアは何かを思い出した様子で手を叩く。
「おお、そうであった。今日は、その経過を話すつもりでここに誘ったのだったな」
ユンフォニアの言う〝経過〟とは、ファフの処遇に関する話だ。
先日の事件で、レベックはファフの存在を利用し、クラリアとの外交問題を意図的に発生させた。
当然、カスタリアとしては外交問題の材料になったファフの存在を改めて問題視せざるを得なくなり、それが承治にとっての懸案事項だった。
しかし、レベック事件が終息してから三日経った現在、当のファフに対するリアクションは特に無い。
話を振られたユンフォニアは、その理由を説明してくれた。
「貴族連中には、ファフニエルの処分を強行すれば逆上したファフニエルが再び暴れる可能性がある、と脅しておいた。余は事を穏便に済ますため、承治とヴィオラの手を借りてファフニエルを懐柔しているのだ、ということになっておる。どうだ、良い言い訳であろう」
いささか過激な嘘だが筋は通っているか、と承治は納得する。
「まあ、無難な落とし所かな。とりあえず、ファフは牢獄に逆戻りしなくて済んだわけだ」
「うむ。ファフニエルは今までどおりジョージの下で労役刑に服す扱いだ」
二人の会話を聞いていたファフは、申し訳なさそうに口を開く。
「ごめんなさい。私みたいなのがいるから、あんなことになったのに……私ったらお姫様や承治に甘えてばっかりで……」
普段のファフは態度がでかいが、自分の事になると急に弱気になる節がある。
そんな風にしおらしくなる姿がどこか可愛らしく思えた承治は、ファフの頭に手を乗せてわしわしと撫でてやった。
「せっかくユフィが居場所を作ってくれたんだ。今まで通り、地道にやってこう」
すると、ファフは弱々しい笑みを浮かべて静かに「うん」と呟く。
ファフにしては珍しく素直な反応だ。
そして、そんな二人の様子を見ていたユンフォニアは「うむうむ」と満足げに頷く。
「いやあ、こういう一時を過ごしていると、ようやく平和な日常が戻ってきたという感じだのう。変化の無い何気ない日常というのも、それはそれで尊いものだ」
変化のない何気ない日常――転生者として過去を失った承治にとって、こちらの世界で得た居場所と、そこで過ごす何気ない日々は、唯一無二と言えるくらい尊いものだ。
先の事件でレベックの陰謀を打ち砕こうとしたのだって、一番の動機はヴィオラだったが、自分の居場所を守りたいという動機が含まれていたのも確かだ。
そして今、ようやくその〝何気ない日常〟が取り戻された。
承治は、異世界でのデスクワーク生活という、平和な日々を取り戻した。
だが、承治はその日常を大きく変えてしまいかねない行動を、これから取ろうとしている。
ヴィオラに自分の気持ちを伝える――それは、今の日常に大きな変化をもたらしかねない決断だ。ともすれば、ヴィオラと承治の部下であるファフにも影響が出るだろう。
それでも承治は、湧き上がる己の想いをヴィオラにぶつけたいと思った。
どんな結果になろうと、それを受け入れる覚悟ができた。
ユンフォニアとファフが談笑を続ける中、承治はそんな風にして己の決意の固さを確かめ続けていた。