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88 死闘

88 死闘


 ヴィオラを背後に突き飛ばした承治は、剣を構えて突進してくるレベックに堂々と対峙する。


 承治は、この作戦を計画した段階で、肝心のレベックを倒す方法を考えていなかった。

 正確に言えば、基礎能力の高いファフや長岡の力を借りれば対抗できるだろうという算段はあったが、それは他力本願かつ行きあたりばったりな発想でしかない。


 そもそも、この作戦そのものが〝ヴィオラを助けたい〟という我儘から生じたものだ。

 ならば、最後くらいは自分で決着をつけるべきだろう。

 自分の我儘のせいでファフが傷ついたという自覚のある承治は、その責任を取るためにレベックに立ち向かう覚悟を決める。


 もちろん、覚悟を決めたところでレベックに勝てるかどうかは分からない。

 それでも承治は、ヴィオラの為なら自分はどうなっても構わないと素直に思えた。

 ヴィオラの為に己の命を賭けていいと思えた。

 その刹那、承治は己の中にずっと渦巻いていた感情の正体に気付く。


 なんだ。やっぱり僕は、ヴィオラのことが好きなんじゃないか。

 美人で、聡明で、優しくて、強がりで、世話好きで、謙虚で、たまに天然で、正義感があって、胸が大きくて、酒癖が悪くて、笑顔が可愛くて、時に儚げなヴィオラのことが、僕は好きなんじゃないか。


 剣を構えたレベックが迫る中、承治はようやく己の気持ちに気付いた。

 むしろ、こんな時だからこそ、自分に素直になれたのだろう。


 なんでもっと早く素直になれなかったんだろう。

 もしここで死んだら、ヴィオラに好きだって伝えられなくなるじゃないか。

 なら、まだ死ぬわけにはいかない。

 そう心に決めた承治は、この一瞬に全てを賭けた。


 恐らく、レベックは用心深く的確な攻撃を繰り出してくるだろう。

 挑発のお陰で魔法攻撃を受けるシナリオは回避できたが、問題はこれからだ。

 レベックが斬撃を繰り出す前に承治が何らかの動きを見せれば、その動きは間違いなく封殺される。レベックは、それができるだけの動体視力と反射神経を兼ね備えている。


 だからこそ、承治はレベックの斬撃を受ける直前まで、あえてモーションを起こさなかった。

 もちろん、このままモロに斬撃を食らえば一瞬で絶命してしまう。

 完璧に回避できなくてもいい。せめて、致命傷を避ける動作が必要だ。


 そう考えた承治は、斬撃を受ける直前に渾身の力でバックステップを行う。

 だが、そんな動きはレベックにとって何の妨げにもならなかった。

 レベックは踏み込んだ足を更に前方へ滑らせ、冷静に斬撃のリーチを伸ばして承治の体を捉える。


 ヒュン、と斜め上から降り下ろされた剣先が鋭い風切り音を奏でる。

 そして、承治の胸元から深紅の鮮血がほとばしった。


 レベックは勝利を確信し、口元を歪める。

 だが、その笑みは一瞬にして消え去り、徐々に驚きの表情が露わになる。


 なぜなら、胸を斬り裂かれた承治は、その瞬間になって懐から短剣を取り出していたからだ。

 それは、ただの短剣ではない。ユンフォニアから事前に用意してもらった、れっきとした魔道具だ。


 なぜ、このタイミングで魔道具を出したのか。

 そもそも、承治は攻撃を受ける前に反撃を成功させようなどという、甘い考えは端から捨てていた。

 承治は、致命傷を避けるためのバックステップという最低限の動作だけを行い、〝あえて〟レベックの攻撃を受けた。


 そして、承治の目論見通り斬撃を成功させたレベックは、剣を振り下ろした姿勢で勝利を確信し、気を緩めた。

 その一瞬こそが、圧倒的実力差のあるレベックに付け入ることができる、最初で最後のチャンスだ。


 己の胸から飛び散る血しぶきを眺めながら、承治は渾身の力で短剣を構える。

 そして、苦痛に歪む顔に無理やり笑みを浮かべ、一文字ずつ噛みしめながら呪文を口にしていく。


『ヴィント……』


 承治は、こちらの世界に来てから二回ほど魔法を行使したことがある。

 一回は、ファフを封印するために行使した古典魔術というピーキーな代物だったが、もう一回は普遍的な精霊魔法だった。

 その精霊魔法は、かつてワニ顔の誘拐犯と対峙した際に、ユンフォニアと一緒に行使した魔法であり、そしてヴィオラが最も得意とする魔法でもある。

 承治は、今までに何度もその魔法のお世話になった。


 だからこそ、承治はその魔法を行使するイメージを明確に浮かべることができた。


――魔法を使う際は、行使したい魔法を頭の中でイメージし、指先に神経を集中させて呪文を唱える。


 かつて、ユンフォニアはそう教えてくれた。


 想像するんだ。短剣の先端から風の塊を放つイメージを。

 集中しろ。全てをこの一発に賭けるために。


『……シュトース!』


 承治が呪文を言い終えたその刹那、短剣の先端に空気の〝ゆらぎ〟のようなものが形成されていく。

 徐々に大きくなった〝ゆらぎ〟は、人一人を覆うほどの大きさになり、そしてレベックの全身を包み込んだ。


 全てを見届けた承治は、不敵な笑みを浮かべたままポツリと呟く。


「元サラリーマン、なめんじゃねぇぞ」


 そんな言葉と共に、風魔法によって吹き飛ばされたレベックは、城壁の塀を超えて足場のない空中へと放り出される。

 後は、何者も抗うことのできない重力によって地面まで自由落下する他無い。


「オオツキィィィィィィィィィィ!!!」


 そんな断末魔と共に、レベックは承治の視界から姿を消す。

 この外縁城壁の高さは、目算で約十メートルはある。いかに鍛え上げられたレベックといえど、十メートルの高さから落下して無傷とはいかないだろう。


 だが、今の承治には落下したレベックの様子を確認しに行く体力は残されていなかった。

 胸に刻まれた切創は、かすり傷と言えない程度には深いようだ。

 ふと肩の力が抜けると、全身が熱を帯びたかのように熱くなり、意識が朦朧としてくる。

 

 たまらず承治は膝をつき、その場に倒れこむ。


「ジョージさんッ!」


 すると、視界の端に悲痛な表情を浮かべるヴィオラの姿が映り込んだ。

 傍に駆け寄ってきたヴィオラは、承治の体を揺さぶり何かを懸命に喋っている。


 なんだか、凄く眠たい。

 このまま眠ったら、死んでしまうだろうか。

 なら、死ぬ前に僕の気持ちをヴィオラに伝えた方がいいだろうか。


 意識が遠のく中で、承治はしばし迷いを見せる。

 だが、あえて何も言わないことにした。


 なぜなら、死に行く人間の言葉は無責任だからだ。

 今さらヴィオラに好きだと伝えて、そのまま死んでしまえば一時の自己満足にしかならない。

 好きという言葉に責任を持てない。

 

 じゃあ、こんな時、なにを言えばいいのか。

 承治は色々と考えたあげく、力を振り絞って静かに呟く。

 

「すいま、せん」


 僕は、何に対して謝っているのだろう。

 そんなことを思うと同時に、承治はヴィオラが何度も口にしている言葉を、なんとか聞き取ることができた。


――ごめんなさい。


 ヴィオラは、とめどなく涙を流しながら、しきりにそう告げている。

 そんな姿を見た承治は、なんだか今の雰囲気が可笑おかしく思えてきた。

 

 死に際って、もっとこう、何か感動的な言葉を交わし合うものじゃないのかよ。

 それを、すいません、ごめんなさいって。仕事で失敗したわけじゃないんだから。

 そんなことを考えているうちに、承治の意識は徐々に混濁していく。


 ああ、やっぱり僕は死ぬのか。

 呆気ないようだが、やるべきことはできた。

 未練があるとすれば、もうヴィオラと会えなくなることくらいだろうか。

 好きな人と別れるのって、やっぱり辛いんだな。


 ふと、承治の右手にひんやりとした感触が伝わる。

 どうやら、ヴィオラが手を握ってくれているらしい。


 承治は、そんな心地よさに誘われ、遂に意識を失った。



 * * *



 そして承治は再び目を覚ます。

 だが、状況は何も変わっていなかった。


 隣で佇むヴィオラは涙を流しながら右手を握ったままだし、ここはまだ城壁の屋上らしい。

 先ほどとの違いがあるとすれば、長岡とファフが顔を揃えてこちらを覗き込んでいることくらいだろうか。


「よかった。治癒魔法は間に合ったみたいですね」


「まったく、無茶するわねアンタも」


「ジョージさんッ! ジョージさんッ!」


 いささか冷静すぎる長岡と、呆れた様子のファフ、そして取り乱したヴィオラの姿を眺めながら、承治は今の状況を察する。

 どうやら、長岡の治癒魔法によって胸の傷を治してもらったらしい。恐らく、ファフが負った傷も同様だろう。

 だが、未だに意識は朦朧とし、体は鉛のように重い。やはり、流れ出た血までは回復しないのだろうか。


 承治は、とりあえず体を起して己の胸を触る。

 服は破けているが、傷口は綺麗に塞がっている。

 そんな確認を終えると、生の実感が沸いてどっと気が緩んでくる。

 そして、生きててよかったと強く思えた。


 この世界に来る前、イッキ飲みで死んだ時の承治は、そこまで生に執着していなかった。

 死んでしまったなら仕方ないかと、その程度に考えて現世からの離脱を受け入れた。


 だが、今は違う。

 この世界には、ヴィオラがいる。

 これからも、ヴィオラと一緒に過ごすことができる。


 承治は、そんな安心と嬉しさから、勢い余ってヴィオラの体に抱きついてしまう。


「ジョ、ジョージさんッ!? どこか辛いんですか!?」

 

 こんなことしても、まだ心配してくれるんだ。やっぱりヴィオラさんは優しいな。

 承治はそんなことを考えつつ、ヴィオラの体温を直に感じ取る。同時に、優しげな匂いが鼻をくすぐり、全身で柔らかい肌の弾力を感じる。そして、背中に回した手が長いブロンド髪に触れてこそばゆい感触を得た。

 それら全ての刺激は、再び天界へ誘われてしまいそうな心地よさを承治に与える。

 

 ずっと、こうしていたい。

 そして承治は、そんな願望を叶えるかの如く、再び意思を失っていった。

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