8 腐敗
8 腐敗
承治がヴィオラの下でデスクワークに取りかかってから二日目、早くも国庫の支出に関して動きがあった。
ヴィオラは、己のデスクで未明に届いたホルント市政官からの手紙に目を通す。
そして、苦々しい表情を浮かべて承治に告げた。
「ホルント市政官は、例の治水工事に関して工事内容の報告と監査官の受け入れを拒否するそうです。何でも、王室は私を信用していないのか、甚だ不本意かつ非効率的な要求である、とか……」
その内容に、承治はいよいよホルント市政官に疑念を深める。
「手紙の内容が感情的なところが怪しいですね。そのホルントって市政官は、工事資金を着服して私腹を肥やしている可能性が高い」
「残念ながら、私もそう疑わざるを得なくなりました。こうなれば、私が直接赴いて彼を問い詰めましょう」
「え?」
こうして、承治はこの国で初めての〝外回り〟に赴くことになった。
* * *
カスタリア王国の王都は、想像以上の賑わいを見せていた。
市場には生鮮食品を始め多くの品物が並び、街道には人類種、エルフ、獣人が溢れ各々の生活を営んでいる。
ヴィオラと肩を並べて歩く承治は、初めて見るその光景に目を見張った。
「多種族国家だけあって、本当に色々な人達が暮らしてますね」
頭に耳や角を生やし、濃い体毛を持つ人々が獣人と言われる種族だろう。
そんな多種多様な容姿を持つ人々が共生するこの街は、まさにファンタジー世界と表現して相違ない空間だった。
「現カスタリア王は、種族を超えた寛容な統治によって諸侯をまとめ上げた素晴らしいお方です。過去の歴史では種族間のいさかいもありましたが、今や人類、エルフ、獣人の三種族はこの地で互いに手を取り合い、平和的に生活を営んでいます。もちろん、三種族以外の少数種族も例外ではありません」
人間同士でも民族間でいざこざがあるというのに、ここは平和そうで良い所だ。
などという感想を抱いた承治は、ヴィオラと共に足を進める。
そして、二時間ほどでホルント市政官の私邸に辿りついた。
そのお屋敷を目の当たりにした承治は、正直な感想を述べる。
「豪邸ですね。市政官の給料って、そんなにいいんですか?」
「ここまで贅沢ができるほどの給金は払っていません」
まあ、そうだろうな。
ここにきて、承治の疑念はほぼ確信に至った。
豪邸の玄関口でヴィオラが挨拶を告げると、扉の奥から猫耳を生やしたメイド装束の獣人が姿を現す。性別は女性だろうか。
猫メイドは玄関先に立つヴィオラの顔を見て驚きの表情を浮かべる。
「ヴィオラ様! ほ、本日はどのようなご用件でしょうか……」
そう告げて当惑する彼女の仕草は、どこか可愛らしかった。
しかし、今は大事な仕事中である。ヴィオラの隣に立つ承治はネクタイを引き締め、なるべく真剣な面持ちを作る。
だが、ヴィオラの方は愛想の良い笑顔を見せ、優しく猫メイドに語りかけた。
「いえ、大した用はありません。たまたま近くを通りかかったので、ホルント市政官にご挨拶しようと思いまして。市政官は御在宅ですか?」
「はい。ただいまお取り次ぎいたします」
そう告げた猫メイドはそそくさと玄関を離れる。
どうやら、ヴィオラはこういった話術に長けているらしい。いきなり話があるから押しかけたなどと言えば、相手も警戒するだろう。
しばらくしてから戻ってきた猫メイドは、二人を招き入れるような仕草で扉を開いた。
「どうぞ中へ」
* * *
「いやはや! まさかヴィオラ首席宰相閣下が直々においで下さるとは、誠に光栄です! 事前にご連絡をいただければ宴の席をご用意できたのですが、とりあえず今はこれが精一杯です。つまらないものですが、どうぞ遠慮なさらず」
そう告げたホルントの前には、続々と豪華な料理が運ばれてくる。
今は日暮れ前だ。さして腹も空いていなかったので、承治はヴィオラに倣って食事には手をつけないようにした。
手広な応接間の中で、ホルントと対面するヴィオラはにこやかな表情で口を開く。
「今日はただのご挨拶です。もてなしは結構ですので、どうぞお構いなく」
「いえいえ、そんなわけにはいきません! 宰相閣下にはいつもお世話になっておりますゆえ、これくらいはさせていただきませんと」
「お世話だなんてそんな。私は、貴殿の勤めに対して相応の報酬をお支払いしているに過ぎません。それ以上のことは何もしていませんよ」
うわ、顔は笑顔だけど皮肉は言うんだなぁ。
などと、承治は心の中で思う。
対するホルントはそれを知ってか知らずか、派手な服装をはためかせ、ご自慢の口髭を摩って愛想よく応えた。
「ええ、ええ。私にとっては、お役目を頂けるだけで光栄至極ですゆえ。民の生活を守るというのは、誠に遣り甲斐がありますからなぁ。近頃は大きな水害もあり、私も大忙しです」
水害という言葉が出たところで、ヴィオラはいよいよ本題を切り出す。
「それで、市政として治水工事を行いたいとおっしゃっていましたね。この件に関しては私の方でも最近になって仕事のやり方を見直していまして、工事内容の詳細報告についてはお手間をおかけします」
うまい、と承治は思った。
ヴィオラは、さも「工事の詳細を報告してくれますよね」という態度で話を切り出している。こう言われれば、ホルントはヴィオラの要請をどう受け止めているか答えざるを得ないだろう。
当のホルントも、いささか返答に困っているようだった。
「ええ、まあ、その件についてですが……わたくしは市政を行う上で王室との信頼関係を重視しておりまして、業務の効率化を図るためにも、まずはわたくしを信頼していただき、取り急ぎ着工資金をいただきたく思います。民は一日も早い水路の復旧を望んでおりますゆえ、ここはどうか煩雑な手続きは抜きにして、わたくしめに全てお任せいただけませんでしょうか」
なんじゃそら、と承治は心の中で突っ込む。
対するヴィオラもホルントの言葉に不満があるようだった。
「そうはいきません。今さらと思われるかもしれませんが、私は国庫から支出された資金が横領される可能性を危惧しています。今回の要請は、それを防ぐための措置とお考えください」
その言葉に、ホルントはぴくりと眉を動かす。
「お、横領ですか。高貴なるカスタリアの役人にそのような悪事を働く者がいるとは思えませんが……」
「ええ、私もそう思っています。ですから、今回の措置はあくまで保険です。やましいことがなければ、特に難しい話ではないと思いますが」
ホルントは笑顔を浮かべたまま頭を掻いて茶化すように応える。
「いやはや、まったくおっしゃる通りですな。わかりました。早急に資料をご用意し、提出いたします」
「ありがとうございます。それと、工事の裁可が下りた後は、王室より監査員を派遣します。工事の進捗及び資金の使用用途は全てその者に報告してください」
その言葉に、ホルントは二つ返事でヴィオラの提案を承諾した。
* * *
治水工事に関する話を終えると、ヴィオラとその付き人はすぐに邸宅を後にした。
彼らの来訪目的が治水工事に関する疑惑追及であろうことをホルントははっきりと自覚していた。
ホルントは手つかずの料理を前に手を組んで頭を抱える。その様子は焦燥しているようでもあった。
すると、隣の部屋からホルントの部下と思しき男が姿を現し、控えめに口を開く。
「ホルント様。先ほどの話、いかがしましょう……」
ホルントは苛立たしげに応える。
「いかがするもクソもない。工事の件はオカリア商会と話が済んでいるんだ。今さら正規の価格で仕事をしろなどと頼めるわけないだろ」
「では、他の業者に変更するしか……」
「バカ者! そんなことをしたら私は夜道を歩けなくなる!」
ホルントはやけくそになって目の前のグラスに注がれたブドウ酒を仰ぎ飲む。
すると、何かを思いついたかのように目を細めた。
「夜道か……おい、今すぐオカリア商会の親方を呼べ」
その言葉に、ホルントの意図が読めない部下はいささか当惑する。
「は、何か妙案でも?」
「こうなれば強行手段だ。オカリア商会の連中も金が欲しいはずだ。ならば利害は一致する」
そう告げたホルントは、不敵に口を歪めた。