84 作戦開始
84 作戦開始
地平線から昇る朝焼けが大地を照らし始めたその頃、レベックは椅子に拘束されたヴィオラの傍らで壁にもたれながら浅い睡眠をとっていた。
ヴィオラは既に目を覚ましていたが、何をするでもなく虚ろな目で床をじっと眺めている。
ヴィオラが拘束されてから、そろそろ丸一日が経とうとしている。
寝ている間にレベックが身なりを整えてくれているらしく、体と服は綺麗なままだ。
だが、長時間の拘束による疲労は容赦なくヴィオラの精神をすり減らしていた。
この状況で悪あがきをするような気力は、もはや残されていない。
それでもレベックが傍にいる間は少しだけ安心することができた。
なぜなら、レベックがこの場にいるということは、承治に危害が及ぶ可能性が下がると思ったからだ。
もちろん、承治が今どうなっているのか、ヴィオラには知る由もない。
考えたくはないが、レベックは既に承治の〝処理〟を済ませているかもしれない。
それでもヴィオラは、承治の無事を祈り続けた。
承治という存在に、縋るしかなかった。
そして、ヴィオラはいつの間にか承治という存在に助けを求めていた。
元々、自己犠牲を厭わず常に他人本位であるヴィオラは、他者に助けを求めることに強い抵抗感を持っている。
いつも一人で問題を抱え込み、自分の力だけで解決しようと努力してきた。
だが、全ての意思と行動を封殺され無力となった今、ヴィオラは弱みを見せた。
絶望の中で、他人に縋ろうとする気持ちが自然と湧き上がってきた。
――助けて。
それでもヴィオラは、〝誰でもいいから助けて〟とは願わなかった。
ただ一人、承治だけに助けを乞うた。
それは、他でもない承治になら弱みを見せてもいい、己をさらけ出してもいいと思える、ヴィオラの内心が表面化した結果でもあった。
私って、こんなに弱かったんだ。
そう自嘲しながら、ヴィオラの心は無意識のうちに悲鳴を上げる。
――助けて。
その瞬間、小さな異変が起きた。
どこからもとなく、窓の外から雷のような重低音が響き渡る。音はあまり大きくなかったが、床が微かに揺れたので距離は近いようだ。
すると、ヴィオラの傍で睡眠をとっていたレベックはすぐさま目を覚まし、窓に駆け寄って地上を見下ろす。
そして、窓の外に見える何かを確認してから、ヴィオラに視線を向けた。
「いよいよだヴィオラ。ようやく、オーツキと決着をつける時がきたようだ。もう少しだ……もう少しの辛抱だから待っていてくれ」
オーツキと決着をつける――つまり、ジョージさんは生きている。
レベックの言葉から承治の無事を察したヴィオラは、安堵のあまり涙を流しそうになる。
だが、レベックに弱みを見せまいと最後の力を振り絞って冷静さを保った。
そんなヴィオラと視線を交わしたレベックは、ニヤリと口を歪めて体を翻す。
すると、全身を覆い隠していたローブがはためき、使い古された剣と鎧が姿を覗かせる。
レベックは、これから承治を殺しに行くのだろう。
ヴィオラは直感的にそう思った。
だが、今のヴィオラは無力だ。絶望的なまでに無力だった。
それでも、〝想う〟ことはできる。たとえそれが無意味な行為だったとしても、ヴィオラは想わずにはいられなかった。
――ジョージさん、どうか無事で。
そんな言葉を胸に秘めたヴィオラは、部屋を去るレベックの背中を静かに見送った。
* * *
日が昇って間もない頃、爆炎魔法で牢獄の鉄格子を爆砕した長岡は、派手な脱獄劇を開幕させた。
爆炎魔法による騒音と振動は王宮中に響き渡っており、近くにいた衛兵達は何事かと牢獄内に突入してくる。
長岡は、そんな衛兵達を風魔法や重力魔法で適当にあしらいつつ、牢獄の廊下を堂々と突き進んでいた。
長岡は、転生オプションにより精神力を消費することで様々な魔法を行使できる。そのため、剣と鎧を奪われた貧相な格好でも、凄まじい戦闘力を発揮することができた。
魔法が使えない衛兵など相手にもならない。
そんな無双状態の長岡は、とりあえず牢獄監視役の詰所と思われる一室に足を踏み入れる。
そこで、幸運にもお目当ての品を発見することができた。
「お、すぐ見つかってよかった」
長岡の視線の先には、己が愛用していた青色の鎧と装飾に凝ったロングソードがまとめて置かれている。その装備は、長岡が転生時にオプションとして貰った大切な装備だ。
手早く着慣れた装備を整えた長岡は、今後の行動を思案する。
「さて、派手にやるなら外に出た方がいいかな……」
そう告げた長岡は、詰所の通用戸を抜けて中庭と思しき空間に繰り出す。
長岡ほどの実力があれば、このまま城壁を強行突破して王宮から逃げ出すのは容易い。
だが、長岡はあえてその場に留まり、衛兵達が集まるのを待っていた。
そもそも、長岡と一緒に投獄されていたはずの承治とファフは、脱獄騒ぎが始まる前から既に姿をくらましている。
全ては、承治の考案した作戦のうちだ。
長岡は、言わば囮役だ。
派手な行動を起こし、周囲の目を引き付ける役目を帯びている。
どちらかと言えば損な役回りだが、長岡はその役目を素直に引き受けた。
なぜなら、昨晩承治が告げた〝想い〟に、強く心を打たれたからだ。
「僕も、大月さんみたいに誰かのことをあんな風に想える日が来るかな……」
そんな独り言を呟いた長岡は、周囲に集まりつつある衛兵を前にいよいよ臨戦態勢を整えた。