81 囚われ
81 囚われ
大紛糾の様相を見せた緊急会合が終わった頃には、日が傾きかけていた。
結局、ユンフォニアは承治とファフの処遇に関して明確な結論を出さず、より詳細な事実確認を行うようにと指示を出すに留まった。
そして、一連の経過はレベックにとって全て想定通りに推移していた。
会合を終えたレベックは、自身の私室には向かわず、その足で王宮敷地のはずれにある小さな塔を訪れていた。
王宮外縁を囲う城壁に隣接したその塔は、かつてカスタリア王家の親族が住まう場所だったが、今は空き家と化している。
そんな人気のない塔を昇ったレベックは、最上階に設けられた一室の前で立ち止まる。
そして、固く閉ざされた鍵を解錠し、室内に足を踏み入れた。
小窓から差し込む夕日に照らし出されたその部屋は、手広な寝室だ。
埃っぽい室内は家具が殆ど撤去されており、空き家らしい質素な空間と化している。
だが、そんな空間で異彩を放つ物体が部屋の中央に据えられていた。
まるで夕日のスポットライトに照らし出された美術品のように鎮座していたそれは、鎖と枷で椅子に拘束されたヴィオラだった。
レベックの入室に気付いたヴィオラは、ジャラリと鎖を鳴らして顔を上げる。
すると、レベックは椅子の前に跪いて優しげに声をかけた。
「ヴォオラ……起きていたのか。君をこんな目に遭わせてしまい、すまない」
「そう思っているのなら、この枷を解いてちょうだい」
そう告げるヴィオラの表情は憔悴していたが、鋭く細められた瞳だけは輝きを失わずレベックを捉えていた。
そして、枷を付けられた手首からはポタポタと血が滴っている。
それに気付いたレベックは、自身のローブでヴィオラの手首から流れる血を拭き取っていく。
「ああ、抜けだそうとして暴れたんだね。美しい体がこんなにも痛々しく……もう少しの辛抱だから、どうかおとなしくしていてくれ」
レベックは、ヴィオラを拘束した張本人でありながら、まるで恋人を心配するかのような優しい声色でヴィオラの身を案じている。
そんな矛盾は、レベックを突き動かす〝狂気〟を如実に表していた。
「もう少しの辛抱って……このまま待っていたらどうなるって言うの? アナタは私を捕らえ、そして私の大切な人達を陥れて、何をするつもりなの? お願いレベック、こんな悲しいことはもう止めにして……」
レベックがこの場を訪れる前、眠りから覚めたヴィオラは拘束から逃れるために様々な手段を試みたが、成果は上がらなかった。
残る手段は、情に訴えかけてレベックを説得するくらいしか思いつかない。
だが、当のレベックはまるで聞く耳を持たず、不意にヴィオラの頬を優しく撫で始めた。
「ああ、もっと早くこうしていればよかった……もっと早く、キミに寄り添っていれば、キミは傷つかずに済んだのに……」
「私を傷つけているのはアナタ自身よレベック。もし、アナタが私のことを大事に思ってくれているのなら、アナタのやろうとしていることは間違っているわ」
「いいや、間違っているのはキミの方だよヴィオラ。そもそも、キミが僕じゃなくて、あの男を選ぶはずがないんだ。やっぱり間違っているよ。この間違いを正さなきゃ、キミはもっと傷ついてしまう」
レベックの言葉は、どこまでも自分本位だ。自分世界に閉じこもって現実を見ようとしていない。
誰が、レベックをそうさせてしまったのか。
レベックに手を差し伸べなかった周囲の者がそうさせたのか。それとも、唯一レベックに手を差し伸べたヴィオラのせいなのか。
ヴィオラはただ、孤独なレベックを独りきりにしておけなかっただけだ。
幼い頃、一緒に遊ぶようになった動機はそんな同情じみた感情だったが、レベックと共に過ごす時間は、ヴィオラにとっても楽しいと思えた。
あの頃のレベックは、よく笑っていた。子供らしい可愛げのある、無邪気な笑顔だった。
なのに、誰がレベックを〝壊して〟しまったのか。
私、なのだろうか。
私を想うレベックの気持ちが、彼自身を追い詰めてしまったのだろうか。
誰かを慕い、想いやるという優しい感情が、どうして人を傷つける狂気に変わってしまうのか。どうして、そんな悲劇が起きてしまうのか。
レベックの言う通り、私は間違っていたのだろうか。
ひんやりとしたレベックの指先を頬で感じながら、ヴィオラは不毛な自問を続ける。
恐らく、このままレベックを放置すれば、ジョージ、ナガオカ、ファフの三人はレベックによって始末されるだろう。
それを思ったヴィオラは、胸の中で肥大化を続ける自責の念に押し潰しそうになる。
そして、自然と口を動かしていた。
「レベック……私はもう、どうなってもいい。アナタに従い、アナタの言う通りにする。そうすれば、アナタはもう独りにならないでしょ……だから、人を陥れるようなことはもう止めて……」
すると、レベックはヴィオラの頬を這わせていた手を顎に移動させ、顔を持ちあげる。そして、今にも鼻先が触れてしまいそうな距離で視線を交わした。
そして、レベックの持つ漆黒の瞳に射抜かれたヴィオラは、心の内を全て見透かされたような心地になった。
「僕には分かるよ。キミはまだ、オーツキの身を案じているんだろう。だから、僕を止めようとする。やっぱりキミはどこまでも、どこまでも優しい女性だ。でも、大丈夫だよ。オーツキ・ジョージがいなくなれば、キミは何も案ずる必要がなくなる」
――オーツキ・ジョージがいなくなれば。
その言葉を聞いた瞬間、ヴィオラはまるで走馬灯を見るかのように、承治と共に過ごした日々の記憶を思い出した。
以前はちょっぴり寂しかった王宮での生活も、承治が部下として加わってからは随分と様変わりした。
もちろん、最初の頃は何とも思っていなかった。承治との出会いは偶然だったし、部下にしたきっかけは単なる成り行きだった。転生者という特殊性はあるが、承治との人間関係で意識するようなことは何もなかった。
だが、承治と共に働きながら他愛もないお喋りをし、時に笑い合い、ケンカをし、食事をしたりお酒を飲み交わしたりしているうちに、自然とヴィオラの心は満たされていた。
大月承治という存在が、いつの間にかヴィオラの心の一角を占めるようになっていた。
そしてヴィオラは、承治が失われることを心底恐れている自分の気持ちに気付いた。
先ほど口にした言葉は、たとえレベックにその身を差し出しても、承治というかけがえのない存在を失いたくないという強い思いが自然とこぼれ出たものだった。
それは他人本位のように見えて、根にあるのは自分本意な発想だ。
他でもない自分のために、承治に生きていてほしいと願ったのだ。
ここに来て、そんな人間的な弱さを自覚したヴィオラは、もはや己を自嘲することしかできなくなる。
そして、自然と負け惜しみのような言葉を放っていた。
「もし、アナタがジョージさんに何かすれば、私はそれを一生忘れない。そして、アナタを一生許さない」
今のレベックにそんな宣言をしても、何の意味もないことは分かっている。
それでもヴィオラは、最後に残った己の意思をはっきりと告げておきたかった。
対するレベックは、まるで憐れむかのようにヴィオラの頬を何度も撫で、静かに口を開く。
「ヴィオラ……こうして起きていても辛いだけだろう。せめて、全てが終わるまで眠っているといい」
そう告げたレベックは、魔道具を取り出して再びヴィオラに睡眠魔法を行使した。