7 決裁基準
7 決裁基準
さっそく仕事に入った承治は、まずカスタリア王国の収支を記録した書面に目を通していた。文字は見たことのない言語だったが、スラスラと読むことができた。これも一級言語能力の恩恵だろう。
「確かに、公共事業での支出が右肩上がりですね。市政官からの要求ってことでしたけど、その人達が都市のインフラを維持管理しているんですか?」
ヴィオラはその問いに応じる。
「はい。私は各都市の道路や水路、城壁といった公共財の状況を仔細に把握しているわけではありません。ですので、それらの維持管理は各都市を管理する市政官に一任しています」
「だけど、費用は国が出すわけですね」
「公領を除く直轄領都市の維持管理費は、全て国庫で賄われています。ですので、市政官はあくまで地方行政を国から委任されているだけで、独自の収入源を保有していません」
つまるところ、会社で言えば雇われ支店長のようなものだ。
収支は全て国が管理し、市政官は与えられた仕事をこなす存在に過ぎない。素直に受け止めればそういうことになる。
「ヴィオラさんは、その市政官が国庫で発注した工事の内容や、諸経費の内訳を確認したことはありますか?」
「大きな施設の竣工式に立ち会ったことはありますが、経費の内訳までは……」
それはいささか問題があると承治は思った。
金は渡すが使い道は一切合財任せるというやり方は、よっぽど信頼のおける相手でなければしてはならない。
承治は、その仕組みにいささか腐敗の臭いを感じ取った。
「とりあえず、今後は施工する工事の金額に応じて決裁基準を設けた方がよさそうですね」
「決裁基準、ですか?」
「ええ。額の安い工事は市政官の一任で施工して構わないですが、額が大きくなる場合は内容を記載した決裁文書を提出させて、それを決裁権限者に確認させた上で経費の支出を認めるようにしましょう」
「それでしたら、市政官から工事を行うための要望書を毎回受け取っていますけど……」
そう告げたヴィオラは、自身のデスクから一枚の紙を取り出して承治に手渡す。
要望書と言われるその紙には、こう書かれていた。
『親愛なるカスタリア王へ。我がホルント市は、先日の水害により農地の水路に多大なる損害を被りました。わたくしは、農地への被害に嘆く民の意を汲み、早急なる対処を行うべく急ぎこの文をしたためました。つきましては、この事態を収めるべく、僭越ながら3000万カスト程の資金をわたくしにお任せしていただきたく存じます。市政官ホルントより』
なるほど、と承治は軽く頷く。
そして言葉を続けた。
「それで、この3000万カスト……恐らく大金なんでしょう。このお金の使い道は、漠然とした治水工事に使われるという情報だけで、実際のところ規模も費用の内訳もよくわからないわけだ」
「ええ、まあ……」
甘い、と承治は思った。
水害があったことは事実だとしても、治水工事に予算を割くなら、それがどのくらいの工事規模で、誰が施工し、どんな予算の使い方をしたのかくらいは把握しておくべきだ。
でなければ、その金が誰の懐に消えてしまうとも限らない。
それを踏まえ、承治は話を続ける。
「最低限、こういった工事の決裁を下すなら、工事箇所と規模、それに施工業者や材料費、人件費の内訳くらいは報告させましょう。もちろん、その報告が信用できそうにないなら、王宮から人間を派遣して工事の中身を確認させればいい」
「しかし、それではまるで私たちが市政官を信用していないと言っているようなものでは……」
その言葉に、承治ははっきりと告げる。
「部外者である僕は、そのホルントという市政官を信用できる材料がありません。ヴィオラさんの管理するお金は、国民から集めた大切な資産です。それが正しく使われているか、ヴィオラさんには確認する義務があります」
承治がそう告げると、ヴィオラはいささか表情を暗くして視線を落した。
「確かに、私は宰相として少し人が良すぎたのかもしれません。使い道も分からず、はいはいとお金を渡し続ければ国庫も空になるはずです……」
物悲しげにそう告げたヴィオラは、承治に向き直って告げる。
「わかりました。承治さんの言う通り、今後はお金を渡す前に経費の詳細を市政官に提出させ、その中身を確認する人間を派遣しましょう」
「そうと決まれば、まずは決裁基準の明確化と報告すべき項目の設定ですね。僕が草案を作りますから、ヴィオラさんは内容を確認してください」
「はい!」
こうして、承治は上司ヴィオラと共に、未知なる世界で最初のデスクワークに取りかかった。