75 束の間
75 束の間
長岡の歓迎会を兼ねた晩餐会を終えた翌日、朝食と身支度を済ませた承治は今日もヴィオラの執務室に出勤するため王宮の廊下を進んでいた。
今日の承治は、一見するとスーツに見えなくもない黒地の上着とズボンを纏っている。今まで承治が愛用していた一張羅のスーツは昨日の騒動でダメになってしまったため、今日着ているものは以前街の服屋に仕立ててもらった代替品だ。
なぜ、承治がこちらの世界でもスーツを着ることに拘っているのか、はっきり言って特別な理由があるわけでもなかった。
単純に、デスクワーカーの仕事着と言えばスーツだろうという発想で、今まで愛用していただけのことだ。言わば慣れみたいなものだが、その慣れが意外な執着心を生んでしまったらしい。
そんなわけで着慣れないスーツもどきを纏う承治は、今日も己の職場であるヴィオラの執務室へ足を運ぶ。
すると、いつも通りヴィオラが先に出勤していた。
「おはようございます。あら、今日はファフさんと一緒じゃないんですか」
朝の挨拶を返した承治は、いささか呆れた様子で口を開く。
「ファフは二日酔いでダウンしてますよ。まったく、飲み慣れてないのにガブガブ飲むから……」
「あらあら、昨日は随分飲んでましたもんね。今日はゆっくり休ませてあげましょうか」
「欠勤扱いなら、ちゃんと減給しておいてくださいね。甘やかすとサボリ癖がつきますから」
「フフ、ジョージさんも結構厳しいですね」
軽く会話を交わした二人は、普段通りヴィオラの淹れたお茶を一杯飲んでから仕事に取り掛る。
とは言え、今日は収穫祭の最終日なので王宮の事務機能はほぼ停止しており、できる仕事は限られていた。
二人は手持無沙汰な時間潰すため、必然的に雑談が多くなる。
そんな中、ヴィオラは昨日起きた強盗騒動に関する話題を承治に振った。
「そう言えば、今朝早い時間に警邏隊の隊長さんにお会いしたんですが、昨日大通りから逃げた強盗犯はちゃんと捕まったそうですよ」
「ああ、結局捕まったんですね。そりゃまあ、白昼堂々あれだけ暴れれば、すぐに捕まるとは思いましたけど」
「あの二人は本当はお金を脅し取るだけのつもりが、脅された店の人が騒いだので仕方なく強引な手に出たそうです。たまたま魔道具を所持していたので、あそこまで大きく出られたんでしょうけど……」
警邏隊の話によると、虎顔の強盗犯が使っていた魔道具は国の正規品が横流しされたものらしい。
「犯人の持っていた魔道具は横流し品って話ですけど、一体どんなルートで流れてるんでしょうね。前に出会ったワニ顔の誘拐犯も似たようなモノ持ってましたけど、あんな物が出回り続ければ街の治安は悪くなる一方ですね」
すると、ヴィオラはいささか深刻そうな表情を見せる。
「この問題は、少々根が深いんです。実は、魔道具の横流しを行っているのはユンフォニア姫の家督相続を快く思わない〝反ユンフォニア派〟と言われる派閥が主導しているという噂があり、彼らは魔道具の流出による治安悪化をむしろ好都合だと考えているようです。ユンフォニア姫の権威を貶めたいのでしょうね」
――反ユンフォニア派。
王宮に務める承治も、噂だけは聞いたことがある。
「ユンフォニアが次期女王になることをよく思わない連中か……」
次期女王としてのユンフォニアは、現国王カスタリア三世の政策を引き継ぐ形で他種族と友好的かつ対等な関係の構築を目指している。
それ自体は国内外で高い支持を得ているが、一方で人類種の権利拡大を目指する貴族達から敵視されているらしい。
いかにユンフォニアに人望があろうと、権力者である以上は反対勢力が生まれるのは必然だ。
しかし、単に事務処理を手伝うだけの承治にとって、そういった王宮内の権力闘争は、どこかぴんとこない話題だった。
承治は何となく思いついた疑問をヴィオラにぶつける。
「そういう連中をしょっぴいたりはしないんですか?」
「もちろん、横流しを行っている不届き者は追及する必要がありますけど、姫様に反対の立場とっているという理由で反ユンフォニア派を糾弾すれば、それは弾圧になってしまいます。姫様は強権による独裁を望んでいるわけではありません」
お姫様としてのユンフォニアは器の大きい王族のようだ。
そもそも、正義感の強いユンフォニアが王宮内の腐敗を放置するとも考えにくい。恐らく、横流しの追及についても、何らかの手を打っているのだろう。
「ま、あのユフィなら上手くやるか」
そんな独り言を呟いた承治は、この問題を深く考えないことにして仕事を再開した。