65 収穫祭1
65 収穫祭1
承治とレベックが廊下で対峙したあの日以来、二人の関係は明確に〝険悪〟な状態となった。
だが、その感情が態度として現れるような機会はあまりなかった。
その後も、承治とレベックはヴィオラの執務室で度々顔を合わせていたが、そもそもレベックはヴィオラ以外と口を利くことはなかったし、仕事以外の話題も殆ど口にしなかった。
もしかしたら、レベックはヴィオラの前では猫を被っていたのかもしれない。
対する承治も、あえて自分からレベックに話しかけるようなこともなく、仕事で用がない限りは無関心を決め込んでいた。承治の傍にいるファフも態度は似たようなものだ。
加えて、ここ数日は収穫祭の式典準備で忙しかったこともあり、承治はあえてレベックのことを考えないようにしていた。
そんな風にして、一応は平穏と言える日々を過ごしているうちに、今の仕事の山場である収穫祭当日はあっという間に訪れた。
晩秋に開催されるカスタリアの収穫祭は、その名の通り秋に実った作物の収穫を祝うお祭りである。
お祭りは三日間かけて行われ、その中心である王都では市民が自発的に企画する伝統的な歌や踊りのパレードが催されるらしい。
更に、収穫祭の期間中は市場の規制が大幅に緩和され、誰でも商売ができるようになるというのも大きな特徴だろう。秋の収穫で得られた作物は市場を埋め尽くし、農地を持たない都市民は冬の蓄えとして食糧を買い集める。同時に、収穫祭期間中は各公領や諸外国から観光客や商人が大量に流入するため、王都全体が大賑わいになるそうだ。
と、承治はそんな情報をヴィオラから聞かされる一方で、お祭り騒ぎなどどこ吹く風と言わんばかりにあくせくと働いていた。
収穫祭初日の今日は、カスタリア王宮で収穫祭の開催を宣言する式典が催される日だ。
首席宰相として式典運営を任されているヴィオラは、承治やファフの協力を得て一ヶ月以上前から準備を進めてきた。
そんな努力もあってか、厳粛に始まった式典は無事に進行しており、来賓との謁見を終えた国王代行のユンフォニアは、いよいよ王都市民に対する演説の準備に取り掛かる。
青々と晴れ渡る秋晴れの空の下で、承治はカスタリア王宮の城壁に設けられた監視塔から演説台に向けて合図を送る。
すると、城壁の屋上に立つヴィオラは、声を張り上げて目下に集まる市民に向けて声を放った。
「これより、カスタリア王国第一王女であらせられるユンフォニア姫殿下より、お言葉を頂戴します!」
そして、同じく城壁上に設けられた演説台に立つユンフォニアは、普段より一層煌びやかなドレスを靡かせ、市民に対する演説を始めた。
「此度、カスタリアが無事に収穫の時を迎えられたことを、余は嬉しく思う! 余はこの場を借りて、病に伏せる父上……国王陛下に代わり、忠直なる皆の働きに余は感謝の意を示す!」
ユンフォニアの演説は、声量も十分で堂々としている。さすがは時期女王といったところだ。
そして、ユンフォニアは演説の節々で病床にある父親こと国王に言及していた。
「国王陛下は、病に侵されても尚、この国の平和と発展を願っている! そんな陛下の御身を皆が案じるのであれば、嘆き悲しむのではなく、この収穫祭を大いに盛り上げ、活気溢れる皆の声を陛下の病床まで届けて欲しい!」
聞くところによると、国王であるカスタリア王三世の容体はかなり悪いらしい。この祝いの場で、あえてユンフォニアが国王に言及しているのは、近い将来の王位継承を見据えてのことかもしれない。
承治がそんなことを考えているうちに、ユンフォニアの演説はこう締めくくられた。
「これをもって、余はカスタリア王国収穫祭の開催を宣言する! 皆の者、存分に宴を楽しんでくれ!」
そして、カスタリア王宮は止むことのない大歓声に包まれていった。
* * *
「いやぁ、ようやくひと段落つきましたね」
ヴィオラの執務室で己のデスクにもたれる承治は、大きく背筋を伸ばす。
そして、同じくデスクに腰を下ろすヴィオラも肩の力を抜いて一息ついていた。
「無事に式典が終わってくれてホッとしました。今年は承治さんやファフさんが手伝ってくれて大助かりです」
ヴィオラの言葉通り、収穫祭式典は無事に終わった。
そして、同じ日の晩に催された付随イベントである王宮晩餐会の進行と一通りの後片付けを終えた頃には、太陽が一周して収穫祭二日目の昼になっていた。
徹夜まではしていないが、承治がこちらの世界に来てから寝る間も惜しんで働いたのはこれが初めてだ。
すると、部屋の中央に設けられたソファーでぐったりとしているファフは弱々しく呟く。
「ホントに疲れた……これが世に言うブラックってやつね……」
フフフ、この程度でブラックとは甘いぜファフ。僕が現世にいた頃は何日連続で会社近くの漫画喫茶に寝泊まりしたことか。
などと、承治が前職場のエピソードを思い出していると、再びファフが声を放つ。
「そういや、収穫祭って三日間あるのよね? あと一日半は何もしなくていいわけ?」
その問いにヴィオラが応える。
「初日の式典と晩餐会が終われば、大きな仕事はもうありませんね。もちろん、収穫祭の期間中に何かトラブルがあれば対応する必要はありますけど」
「ふーん。ま、私は騒がしいの嫌いだからお祭りなんてどうでもいいんだけど、仕事が無いならアンタら二人で街でも回ってくれば? 私は留守番しててあげるからさ」
なんと、ファフにしては珍しく気の利く提案である。
正直に言えば、承治もこちらの世界のお祭りには多少興味がある。それに、近頃は働き詰めだったので、少し息抜きが欲しかったところだ。
後はヴィオラの判断次第である。
ファフの提案に対し、いささか考え込んだヴィオラは申し訳なさそうに口を開く。
「本当は、ファフさんもご一緒できればいいんですが……」
「いいのいいの。どうせこんな体じゃ外出れないし、私に気ィ遣わないで二人で楽しんできなさいよ。ふ、た、り、で、ね!」
ファフは、なぜか〝二人で〟という言葉を強調する。と同時に、承治に向かって下手クソなウィンクをしていた。
ファフは承治とヴィオラが二人きりで街に繰り出すことにえらく気を遣ってくれたようだが、そもそも承治とヴィオラは以前から仕事終わりに二人きりで外食に行く習慣がある。
つまり、今さら二人きりになったところで意識するようなことは何もないのだ。
と言いつつも、以前は定番だったヴィオラとの飲み歩きも、ここ数週間はご無沙汰だった。なぜなら、最近の承治は監視対象であるファフにつきっきりだったので、殆ど外出する機会がなかったのだ。
それもあって、承治は久しくヴィオラと二人きりになり、そしてお祭りに行くというイベントを変に意識してしまった。
そもそも、男女二人きりでお祭りに行くという行為は、見ようによっては〝デート〟と表現することもできる。
などと承治が考えていると、ヴィオラは承治に目を向けて口を開く。
「では、お言葉に甘えて少し外を見てきましょうか」
そんな言葉に促され、承治はなぜかネクタイを引き締めて席を立った。