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58 承治とヴィオラ

58 承治とヴィオラ


 ファフとセレスタが微笑ましい一時を過ごす一方で、承治とヴィオラは月明かりの射し込む薄暗い室内で、二人きりの酒盛りを始めていた。


 ヴィオラの私室には机と椅子が一式しかないため、唯一の椅子は承治が譲り受け、ヴィオラは己のベッドに腰を下ろしている。

 向かい合う二人は木彫りのコップに果実酒を注ぎ、軽く乾杯する。

 ヴィオラの話によると、その果実酒は部屋に隠しておいた秘蔵の一品らしい。


 承治が軽く口を付けると、鼻に強い刺激が走った。


「うへ、相変わらず強いお酒好きですね」


「フフ、これくらいの方が飲み応えがあっていいんですよ」

 

 そう告げるヴィオラは、澄ました顔で果実酒をぐいっと仰ぎ飲む。

 ちなみに、ヴィオラは無類の酒好きだが、酒に強いわけではない。普段からものの数杯でベロベロになってしまう。

 そんなわけで、軽く一杯を空けた頃には顔が薄赤く染まり始めていた。

 とろんとした瞳は虚ろになり、凛とした硬い表情も徐々にほぐれてくる。


 承治は、そんな風にして気持ちよさそうにほろ酔いするヴィオラの表情を眺めるのが好きだった。

 普段のヴィオラは、楽しげに会話する時にも常に気品を損なわないよう気を遣っている節がある。一方で、酔った時に見せる表情は心底安らいでおり、ヴィオラの内包する優しげで柔和な魅力を引き立てている気がした。


 そもそも、ヴィオラにとっては酒に酔う一時だけが、肩の力を抜ける唯一の時間なのかもしれない。


「ヴィオラさん、今日は演技疲れしたでしょ」


 ヴィオラの心労を察した承治は労いの言葉をかける。

 対するヴィオラは、弱々しく苦笑いを浮かべて応じた。


「やっぱり、親を騙すというのはいい気がしませんね……ジョージさんにも、大変ご迷惑をおかけしました」


「いやいや、これで事が穏便に済めばお安い御用ですよ。縁談が進んで、ヴィオラさんが今の仕事を続けられなくなって困るのは僕も一緒ですしね」


 すると、ヴィオラは視線を落して盃を眺める。


「……本当に、そうでしょうか。私は、今の仕事を自分の役目のように思い込んでいますが、別に私がいなくても、ジョージさんや他の優秀な方が私の代わりを務めるだけな気がしてきました。今の仕事が私にしかできないなんて、たぶん思い上がりなんですよ」


 今日のヴィオラは、どこか弱気だ。

 普段は飲むと陽気になるヴィオラも、今日ばかりは心労が祟っているのかもしれない。


 しかし、ヴィオラが語った言葉は一面の事実だ。

 言ってしまえば、特殊なスキルを必要としないデスクワークは、やり方さえ覚えれば誰にでもできる仕事だ。むしろ、誰にでもできるようにしておかなければ、異動があった時に業務が滞ってしまう。

 デスクワーカーに求められるのは、必要な業務を単純かつ効率的にこなすことであり、芸術家じみた個人技は求められない。


 ヴィオラの担う首席宰相という地位も、あくまで王族の定めた方針を実現させるための事務機関だ。つまり、カリスマやリーダーシップが求められるわけではない。

 そういった意味で、カスタリア王宮にはヴィオラの代わりを担える人材はいくらでもいるだろう。

 

 だが、承治は仕事の心配をしているわけではなく、もっと別の感情でヴィオラに今の仕事を続けてもらいたいと思っていた。

 

「僕は、このままずっとヴィオラさんの部下でいたいですけどね」


 承治は、己の感情の正体も分からぬまま、ふとそんなことを口走る。

 対するヴィオラは、はっと顔を上げて弱々しくはにかんだ。


「フフ、そう言われると上司として嬉しいですね。私も、ジョージさんが部下になってから、王宮での生活が随分と楽しくなりました。それまでの私は、孤独でしたから」


 かつて孤独だったと語るヴィオラが、他人から見てとっつきにくい性格だという話はヴィオローネやリュートから聞かされた。しかし、承治がヴィオラの下で働き始めた当初、そんな風に感じたことはなかった。

 転生したばかりの頃は、純粋に目の前の仕事に打ち込んでいたため、ヴィオラとの関係を考えるような余裕がなかったのかもしれない。


 つまり、ヴィオラと承治は共に働くうちに、自然と仲を深めていたということになる。それは偶然の出会いがもたらした縁と言えるだろう。

 今更ながら承治は、そんな偶然を嬉しく思った。


 そんなことを考えつつ、承治はコップに注がれた果実酒を傾ける。

 ヴィオラは既に三杯目を空にしており、酔いが回った様子でゆらゆらと体を揺らしている。


 承治の方も酔いが回ってきたらしく、徐々に思考が不安定になってきた。

 そして、酔った勢いでいささか突っ込んだ質問をヴィオラに投げかける。


「そう言えば、今回はお見合いを断りましたけど、ヴィオラさんって結婚願望は無いんですか?」


 すると、ヴィオラは呂律の回らない口で応える。


「別に、ケッコンガンッボーがないわけじゃないんれす。心を許せるヒトと一緒になれるなら、私もそれを望みまふ。それれも、相手はちゃんと選びますけろね」


「具体的には、どういう人が好みなんですか?」


「んー……スナオで優しくてぇ、がっついてなくてぇ、わらしの仕事にリカイがあってぇ、お酒に付き合ってくれるヒトがいいれす」


「へえ、じゃあ僕なんかでもいいわけだ」


 それは、無意識のうちに口からこぼれ出た言葉だった。

 話の流れ、酔った勢い、好奇心――それらの要素が重なり、承治は爆弾発言とも言える問いを繰り出してしまう。


 対するヴィオラも少し驚いた様子で、きょとんとした表情を見せる。

 そして、体を揺らしながら「うーん」と唸ったヴィオラは、困ったように眉をひそめて答えを導き出した。


「わかんないれす」


 わからないとは、どういう意味だろうか。

 含みのある答えではあるが、肯定されなかった事に変わりはない。


 こんな時、どんな顔をすればいいのか分からなかった承治は、己の感情を誤魔化すかのように苦笑いを浮かべて「そうですか」と簡素な返事をする。


 すると、ヴィオラの方から逆に問い返された。


「じょーじさん、わらしとケッコンしたいんれすか?」


 承治は、虚を突かれたように一瞬固まってしまった。


 僕は、ヴィオラと結婚したいのだろうか。それは昼間にも考えたことだが、改めて頭を働かせても、まったく想像が及ばない話だった。

 何をどうすれば、ヴィオラと結婚するなどという結果に至るのか。承治の頭の中では、その過程がすっぽりと抜け落ちたように空白として存在していた。


 だからこそ、承治はこう答えるしかなかった。


「わからないです」


 そんな言葉に対し、ヴィオラは小さくはにかんで応じる。


「わらしと一緒れすね」


 結局のところ、〝わからない〟という言葉は、今の二人にとっての共通認識なのかもしれない。

 そう思った承治は、今までの会話を酒の席の戯言たわごとだと思い込むようにし、話を切り上げる。


「そろそろ寝ましょうか。あんまり飲むと明日起きられなくなりますよ」


「そうれすね」


 そう告げたヴィオラは、おもむろに立ち上がって上着を脱ぎ始める。

 すかさず承治は視線を逸らしたが、ヴィオラは外行きのドレスの下にちゃんと肌着を着ていた。ただし、下半身は下着が丸見えだ。

 そんなあられもない格好になったヴィオラは、そのままベッドに寝転び、「うみゅ」と唸って猫のように体を丸くする。その様子は堪らなく可愛らしかった。

 

 だが、ここで承治はとても難しい二択を迫られた。

 このまま平然とヴィオラの隣で寝るか、遠慮して床で寝るか、その二択だ。

 

 承治は、かつてクラリアへ旅行した際に起きた〝ベッド内セクハラ事件〟のことを思い出す。そんな苦々しい思い出を持つ承治が取れる選択肢は、一つだけだ。


 承治は、ためらいなく床に寝転がる。何も敷いていない木板の床は、ゴツゴツとしていて最悪の寝心地だ。

 しかし、これも事を穏便に済ますための選択である。

 そう自分に言い聞かせた承治が目を瞑ると、不意に片腕が引っ張られた。

 

「じょーじさん、わらし、さっき言いましたよね」


 声のした方向に目を向けると、ぷくりと頬を膨らませたヴィオラが睨みつけてくる。

 続きを聞くまでも無く、ヴィオラの言わんとしていることは承治にもわかっていた。。


「ヴィオラさん、やっぱりそれはちょっと……」


「いいえ、らめれす! こっちにきてくらさい!」


 強引に腕を引っ張られた承治は、無理やりベッドに引き上げられる。

 すると、酒によって赤らむヴィオラの顔が間近に迫り、馴染みのあの心地よい香りが鼻をくすぐった。


 美女と同衾するこの状況は、健全な男子である承治にとってかなり刺激的だ。

 だが、いざ同じブランケットに包まれると何だか落ち着いてしまい、不思議と気恥しさが薄らいでいった。


「床で寝てたら、わらし怒りまふからね」


 そう告げたヴィオラは、承治の腕を掴んだまま背を向けてブランケットを被る。

 ここまで強引に誘い入れられては、承治もこの状況を拒むことはできなかった。


 確かに、ファフの言う通り僕はヘタレだな。

 そんなことを思った承治は、ヴィオラと背中合わせになる形で、ゆっくりと瞳を閉じた。

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