53 ニセの恋人2
53 ニセの恋人2
そんな調子で承治一行とリュートが会話を交わしていると、廊下の奥からヴィオラが姿を現す。
そして、ヴィオラの隣にはエルフ族の老婆が同伴していた。
ヴィオラと同じ色素の薄い髪と長い耳を持つその老婆は、老いていながらもしっかりとした足取りでダイニングに入室する。
恐らく、彼女がヴィオラの母親なのだろう。
愛想の良い笑みを浮かべる老婆は、ヴィオラの隣で自己紹介を始める。
「皆さん、ようこそお越しくださいました。ヴィオラの母で、ヴィオローネと申します。大したおもてなしはできませんが、どうか御遠慮なさらず、ごゆっくりしていってくださいね」
そう告げたヴィオローネは、ヴィオラの母親だけあって整った顔立ちをしている。口端の上がったその表情は丸みを帯びた皺と相まって宥和な印象を与え、母親らしい優しげな雰囲気を纏っていた。
全体として、気品のある気さくな老婆といった印象だ。
対する承治一行も軽く自己紹介をし、一同はテーブルを囲んで席につく。
そして、ヴィオローネの興味はさっそく承治に向けられた。
「ヴィオラが男を連れてくるなんて言うから、どんな人か想像もつかなかったけど、とても誠実そうな方ね。一体、どんな経緯で知り合ったの?」
ヴィオローネの質問に対し、手筈通りヴィオラが先に応える。
「ジョージさんは私の部下です。その縁で仲良くなりました」
「へえ、お仕事で……ジョージさん、ヴィオラって結構性格がキツいから相手するの大変でしょう?」
リュートと同じく、母親から見てもヴィオラの印象はとっつきにくいタイプだと思っているようだ。
質問を向けられた承治は、なるべく角が立たないよう正直に答える。
「えーと、ヴィオラさんは根が真面目なだけで、性格がキツいと思ったことはありませんよ。世話好きというか、優しい面もありますんで……」
すると、ヴィオローネの隣に座るヴィオラは真顔のままぴくりと耳を動かす。
その反応にどんな感情が含まれているかは分からなかったが、ヴィオラにも気を遣って発言しなければならないのは承治にとって非常に悩ましい問題だった。
そんな承治の回答に対して、ヴィオローネはクスクスと笑いをこぼしながら「ずいぶんと相性がいいのね」と簡素な返事を告げる。
その態度を見た承治は、緊張しながらも少しほっとしていた。
一見すると、ヴィオローネはとても気さくな態度で承治と接している。
仮に、見合い話を持ちかけたヴィオローネがヴィオラと承治の仲を快く思っていないのなら、それが態度に出てもおかしくない。
しかし、今のところはそんな様子もなく、素直に承治の存在を受け入れているようだった。
いささか気が楽になってきた承治は軽くお茶を啜る。
すると、再びヴィオローネが承治に向けて口を開いた。
「それで、ヴィオラとは夜の関係も上手くいってるの?」
その瞬間、予想外の不意撃ちを受けた承治はむせかえって盛大に咳き込む。
夜の関係って、娘の前で何を聞いとるんだこの親は。
しかし、ここは現代日本とは異なる異世界だ。エルフ族にとって、夜の関係を訪ねるのは常識的な質問なのかもしれない。
などという仮説を立ててみたものの、ヴィオローネの発言に対してはヴィオラとリュートも目を点にして呆気にとられていた。
ちなみに、ファフは今にも笑い出しそうな勢いで肩を震わせ、セレスタは何の話か理解できていない様子でのんびりとお茶を啜っている。
三者三様とはまさにこのことだろう。
そして、ヴィオローネの爆弾発言に対しては、軽く咳払いをしたヴィオラがやや怒った様子で応じた。
「もう、変なことを聞かないでください! かあさんには関係のないことでしょ」
その言葉に、リュートも苦笑いを浮かべて同調する。
「そうだよ。ジョージさんに失礼だろ」
すると、ヴィオローネはニコニコとした笑みを崩さず毅然と反論した。
「あら、そうかしら? お互いが身も心も愛し合えているか、というのは大切な話よ? 愛している、だなんて口先では何とでも言えますからねぇ」
そう告げるヴィオローネは、まるでヴィオラを挑発しているようでもある。
どうやら、ヴィオローネは承治が思っていたほど甘い人物ではないようだ。今の質問にしても、二人の関係を推し量る揺さぶりなのかもしれない。
しかし、いくらウソを演出するためとは言え、「毎晩愛し合ってます」などと答えるわけにはいかないだろう。それはそれで問題のある発言だ。
そんなわけで承治が答えに窮していると、ヴィオラが先に口を開いた。
「私達は、あくまで〝清らかな関係〟を維持しています」
まあ、そういうことにしておくのが無難だろう、と承治は心の中でヴィオラの告げた設定に納得する。
対するヴィオローネは、ヴィオラの回答に不満を示すようなこともなく、「そうなの」と簡素に相槌を打ってから再び口を開いた。
「まあ、あなた達のお付き合いについて、とやかく言うつもりはないわ。家柄だとか、そんなことも私は気にしていないの。だけど、あなた達だって、まさかお遊びでお付き合いしているわけではないんでしょう? 夜のことはいいとしても、先々のことはちゃんと考えているのよね?」
そんな言葉に対し、反射的にヴィオラが返事をする。
「勿論です。今は仕事があるので早急に話を進めるわけにはいきませんが、いずれは一緒になろうと考えています」
改めてヴィオラにそう言われると、ウソとは言え承治も気恥しくなってくる。
だが、そんな将来像が偽りの物であることを思うと、なぜか落胆のような気持ちを覚えるのも事実だった。
ヴィオラと一緒になる――それは、いかに想像を膨らませてみても実感の湧かない仮定のような話だ。
そもそも、互いにそんな気はないだろうし、今後そうなりたいとも思っていないだろう。
ヴィオラと承治が恋仲にあるという話は、あくまでここだけのウソなのだ。
それを改めて実感した承治は、コップの中にわずかに残ったお茶を仰ぎ飲む。
すると、ヴィオローネが再び口を開いた。
「まあ、時間があるのなら、今のうちに互いのことをよく知っておくことね。それこそ、身も心も」
互いのことを知る、か。
思えば、承治はどれくらいヴィオラのことを知っているだろうか。そこそこ長い付き合いになるが、それは上司部下としての関係が中心だ。
承治は、ヴィオラという人物のことを、それほど深くは知らない気がした。
同時に、ヴィオラも大月承治という人物のことをあまり知らないのだろう。承治は、ヴィオラに対して現世で暮らしていた頃の経験や、本心をあまり話したことがない。と言うより、今まで話す必要性を感じなかった。
勿論、そんな関係でも上司部下という付き合いを続ける上では何ら問題にならない。
それでも承治は、もっとヴィオラのことを知りたいと思った。
理由は上手く説明できないが、単なる興味本位ではないことは確かだ。
この感情は、一体なんなのだろうか。
承治がそんなことを考えていると、不意にヴィオローネが席を立って軽く手を叩く。
「さてさて、皆さん私なんかとお喋りしてても退屈でしょう? 特に、可愛いらしいお嬢さんお二人には関係のないお話ですものね。とりあえず、私は今晩のおもてなしの準備をしますから、皆さんは温泉にでも浸かってきてください。少し遠いけど、長旅の癒しになるわ」
すると、ヴィオラもその言葉に賛同する。
「そうですね。温泉ならセレスタさんとファフさんも楽しめるでしょうし、せっかくだからひと浴びしてきましょうか」
と、承治が余計なことを考えているうちに一行は温泉とやらに行くことになった。
温泉。それは、どこか懐かしい響きのする言葉だ。
こちらの世界にも風呂に入る習慣はあるので、温泉があっても不思議ではないが、まさかこの地で温泉に入れるとは思ってもみなかった。
温泉と言えば旅行の醍醐味だ。身も心も癒すにはもってこいの娯楽だろう。
そんな風にして、承治は居たたまれない気まずさと自身の頭に浮かんだ正体不明の感情を拭い去るため、半ば無理やり温泉に対する興味をかき立てていた。