52 ニセの恋人
52 ニセの恋人
集落内に足を踏み入れた承治、セレスタ、ファフの三人は、ヴィオラを先頭に足を進めながら各々周囲に目を向けて集落の様子を観察していた。
道すがら出会う人々は、その全てが長い耳を持つエルフ族だ。
身なりはどちらかと言えば質素で、派手な刺繍の施された独特な服装が王都との文化差をありありと示している。
また、ぽつぽつと立ち並ぶ家々の軒先には毛皮や野草が干してあり、その生活様式が伺い知れた。
エルフ族は狩猟民族と言うだけあって、自然と共に暮らしているのだろう。
移動の途中、何度かヴィオラに声をかける人物がいたが、皆気さくで人当たりの良さそうな人だった。
王都もそれなりに平和な街だったが、ここはここで浮世離れした独特の雰囲気がある。
こんな場所でのんびり暮らすのも悪くないかもしれない。
承治がそんなことを考えつつ足を進めていると、一行は目的地であるヴィオラの実家に到着する。
ヴィオラの実家は、集落中央にそびえる大木の脇に設けられていた。
材木をふんだんに利用して造られたその建屋は、簡素な構造でありながら、そこそこの大きさがある。一見すると山間のリゾート地に立つペンションのようだ。
そして、実家の玄関先に立ったヴィオラは、すぐに扉を叩かず、振り返って承治と目を合わせる。
その表情は、いささか真剣身を帯びていた。
「中で色々と聞かれるかもしれませんが、私とジョージさんの関係については私から話します。ジョージさんは適当に話を合わせてください」
適当にと言われても、承治にとってはそれが難しいように思えた。
偽る内容については、承治とヴィオラが結婚を前提とした付き合いをしているという点だけだが、問題はヴィオラの親族に対してどんな反応を取ればいいのかという部分にある。
こればかりは相手がどうでるか分からないので、行きあたりばったりにならざるを得ない。全ては承治とヴィオラの演技力にかかっている。
いささか緊張し始めた承治は生唾を飲み込む。
そして、覚悟を決めつつ小さく頷いた。
承治の反応を見たヴィオラは、正面に向き直り実家の玄関をノックする。
しばらくすると、「はーい」という軽快な返事と共に扉が開け放たれ、エルフ族の青年が姿を現した。
「ああ、ヴィオラか。おかえり。ありゃ、結構な大所帯で来たんだね」
そう告げた青年は、端正な顔で笑みを作り、「どうもどうも」と一行に向けて頭を下げる。
そんな青年に合わせて一行も軽く頭を下げると、ヴィオラが彼の紹介を始めた。
「彼は、私の兄リュートです。一応、この公爵領の領主を務めています」
ヴィオラの言葉に対し、「一応は余計だろ」と突っ込んだリュートは、姿勢を改めて口を開く。
「初めまして、リュートです。公爵なんて地位を貰って領主を務めていますが、大したことはしていません。妹がいつもお世話になっています」
承治は、ヴィオラの兄がカスタリア王国二大公領の一つであるリュート公爵領の領主その人であることを、今始めて知った。
以前ヴィオラは、自身が有力なエルフ族長の娘であると語っていたが、父亡き今は兄のリュートがエルフ族を取りまとめているのかもしれない。
すると、ファフが承治にだけ聞こえる声で小さく呟く。
「すんごいイケメンね」
ファフの言う通り、リュートは驚くほどの美形だった。
長く伸ばされた髪はヴィオラと同じ綺麗なブロンドで、身長も中肉中背の承治より高い。西洋風な顔立ちとエメラルドグリーンの瞳が合わさるその容姿は、まるで絵画に描かれた貴公子のようだ。
そんな完璧人間を前にいささか気後れした承治は、ヘコヘコと頭を下げて挨拶を交わす。
「初めまして。大月承治と言います。こちらこそ、ヴィオラさんにはいつもお世話になっています」
そんな自己紹介に対し、リュートは感情の読めない表情で承治と目を合わせる。
「へえ、あなたがヴィオラの……」
リュートは自分の妹が連れてきた恋人こと承治に、かなり興味がある様子だ。
しかし、その場で追及するようなことはせず、承治を見つめたままニコリと愛想の良い笑みを見せただけだった。
続いて、セレスタとファフも軽く自己紹介を済ませる。
セレスタは移動の足を提供してくれた友人として簡単に紹介できたが、ファフの方はヴィオラの部下ということで適当にはぐらかしておいた。こんな場でファフが世間を騒がせた元魔王ファフニエルであると明かす理由はない。
そんなこんなで全員の紹介が済むと、リュートは一行を招き入れるかのように半開きだった玄関を開け放つ。
「皆さん長旅でお疲れでしょう。立ち話も何ですから、中へどうぞ」
その言葉に応じ、一行はヴィオラの実家に足を踏み入れた。
* * *
ヴィオラの実家は、玄関を入った先が開けたダイニングルームになっていた。
窓際が炊事場になっており、部屋の中央に大きなテーブルが置かれている。かなりの広さがあるので、テーブルを足せば二十人くらいは同時に食事を取ることができそうだ。
照明がないため室内はいささか薄暗いが、ほぼ木材で構成された内装には趣があり、どこか心を落ちつけてくれる雰囲気を作り出していた。
そんな空間に案内された承治、セレスタ、ファフの三人は、大テーブルの隅に並んで腰かける。
すると、手早くお茶淹れを始めたリュートはヴィオラに向かって口を開いた。
「ヴィオラ、かあさんを呼んできてよ。僕はお客さんにお茶を出すから」
ヴィオラはいささか困った様子で承治にチラリと目を向ける。
嘘をついている手前、ヴィオラは承治の下を離れるのが心配なのかもしれない。二人が離れたところで、塗り固めた嘘に齟齬が生じる可能性を危惧しているのだ。
しかし、変な態度をとっても怪しまれると思ったのか、ヴィオラは素直に返事をして廊下の奥へと消えていった。
すると、手早くお茶を並び終えたリュートは席につく三人の対面に腰を下ろし、承治に目を向けて口を開く。
「ジョージさん、と呼んでいいかな。いやあ、正直僕はヴィオラに恋人ができたと聞いて凄く驚いたよ。ヴィオラはなんと言うか、男勝りで仕事人間だから近寄りがたい感じがするでしょ? いくら相手を紹介しても見向きもしないもんだから、まさか自分から相手を連れてくるなんて思ってもみなくてね」
さすがはヴィオラの兄だけあって、妹のことをよく知っている。
リュートの言う通り、承治から見たヴィオラは仕事と食事(大体酒絡みだが)のこと以外に無頓着で、恋人どころか友人と仲良くしているところも見たことがない。
ヴィオラは愛想の悪いタイプではないが、首席宰相という立場もあって近寄りがたい孤高の存在なのは事実かもしれない。
それを考えると、凡夫丸出しの承治がヴィオラと恋仲にあるという設定は、不自然に思われて当然だ。
返答に困った承治が適当に愛想笑いを浮かべていると、いきなりファフが口を挟む。
「いやー、こう見えて承治とヴィオラはすんごいラブラブなのよ。職場でいっつもイチャイチャしてて、部下の私もたまに目のやり場に困るくらいなのよねー」
そう告げたファフは、ニヤニヤと口を歪めて承治に視線を向ける。
言わなくてもいい嘘をつくファフは、明らかにこの状況を楽しんでいるようだ。
続けて、セレスタも援護のつもりなのか天然なのか分からない発言を繰り出す。
「ジョージとヴィオラ、仲いいよネ。いつもイッショ。フウフみたいだヨ」
二人の言葉に、リュートは驚いた様子で「はえー」と声を漏らす。
「あのヴィオラがねぇ……僕には想像もできないや。いや、あいつもジョージさんと出会って変わったってことなのかな。とにかく、ヴィオラにも心を許せる相手ができたのは兄として嬉しいよ」
そんな反応を前に、承治は冷汗を流しつつ引きつった笑みを浮かべる。
なんだろうこの状況は。
とりあえず、承治とヴィオラのついた嘘は順調な盛り上がりを見せている。
だが、承治は次第に逃げ場のない崖の端へ追いつめられたような心地になってきた。