32 不穏
32 不穏
承治がこの世界に転生を果たしてから、早三ヶ月が経とうとしていた。
その間、色々な出来事があったが日々の生活は概ね平和だ。
今日は束の間の休日である。
承治は、王宮の庭先で何をするでもなく、日光を浴びつつぼんやりとしていた。
視線の先には、草むらでじゃれ合うユンフォニアとセレスタの姿が映る。
「おお、セレスタの尻尾はモフモフだのう。匂いもなかなか……」
「くすぐったいヨ……」
ユンフォニアは、セレスタの毛深い尻尾に顔をうずめてスリスリしている。
承治はそんな微笑ましい光景を少し離れた場所で見守っていた。
父親と共に王宮で仮住まいをしている幼き魔女セレスタは、第一王女ユンフォニアと歳が近いということもあり、二人はいつの間にか仲良くなっていた。
近頃はこうして王宮の庭先でよく遊んでおり、休日を持て余す承治はたまたまその場に居合わせていた。
「むむ、耳もモフモフだのう! この感触はクセになりそうだ」
「ウー、耳はダメー」
平和だなぁ。
仲睦まじく遊ぶ(?)二人の姿を眺める承治はしみじみと目を細める。
娘ができたらこんな感じなのかなぁ。
などと、独身オッサン特有の妄想を膨らませる承治は、自身の将来に思いを馳せる。
一応、デスクワーカーとしてこちらの世界で生計を立ててはいるが、これといって近頃の日常に大きな変化はない。
まあ、当分はこうしてのんびりと暮らすのも悪くないだろう。
そんな風にして、先のことを棚上げした承治は草むらに寝転がる。
青空が綺麗だ。
青草の香りを運ぶ風に撫でられ、まばらに浮かぶ雲を眺めていると徐々に瞼が重くなってくる。
そのままウトウトしていると、不意に遠くの方から人を呼ぶ声が聞こえた。
「ひめさまー!」
誰かがユンフォニアを呼んでいるらしい。
承治が体を起こすと、庭先に駆け込んでくるヴィオラの姿が目に入った。
ヴィオラは息を切らしてユンフォニアの正面に立ち、何やら言葉を告げている。その表情は、どこか真剣さを帯びていた。
何かあったのだろうか。
気になった承治が二人の姿を眺めていると、ユンフォニアと話を終えたヴィオラは承治の方にも駆け寄ってくる。
そして、どこか焦るような面持ちで口を開いた。
「ジョージさん、お休み中に申し訳ありません。実は、国外でいささか問題が起きていまして、その対応について急きょ臨時会合が開かれることになりました。もしご迷惑でなければ、ジョージさんにもご出席していただきたいんですが……」
ヴィオラも休暇中のはずだが、察するに国外で何か重大な出来事があったのだろう。
承治は立ち上がって尻を払いつつヴィオラに応じる。
「出席するのは構いませんけど、僕みたいな平民が参加してもいい会合なんですか?」
「私の部下として臨席するなら問題ありません。もしかすると、ジョージさんの知恵をお借りするかもしれませんので……」
とは言え、承治もただの元サラリーマンだ。
転生者という立場から色々と期待されても困るが、とりあえず会合に参加して話だけは聞いてみることにした。
* * *
いざ承治が会合の席についてみると他の参加者は錚々たる顔ぶれだった。
上座に座る第一王女ユンフォニアを始め、各席にはいかにも偉そうな王侯貴族風の面々が腰を下ろしている。しかし、病の床に伏せる国王カスタリア三世の姿は見えなかった。
承治はいささか場違いな雰囲気を帯びつつ、末席で会合が始まるのを待つ。
そして、参加者が概ね集まったところで首席宰相であるヴィオラが立ち上がり、会合の口火を切った。
「皆様、この度は急きょご参集いただきありがとうございます。本日の議題は、隣国チエロ王国の動向に関してです」
その言葉に、承治は己の記憶を引っ張り出す。
チエロ王国は、確かカスタリアと国境を接している隣国のひとつだ。支配者層はドワーフの一族が統べており、国民にもドワーフが多いらしい。
その国で何かあったのだろうか。承治は続くヴィオラの言葉を待つ。
「そのチエロ王国ですが、先日になって政変があったらしく、突如として現国王が退位しました。そして、新たにチエロのトップに立ったのは、〝ファフニエル〟と名乗る謎の人物です」
その言葉に、ユンフォニアが口を開く。
「ファフニエルとは、確かチエロの民が祭る神の名であろう。自ら神を名乗るとは、そやつは一体何者なのだ?」
「それは、私の方でもまだ把握しておりません……しかしながら、そのファフニエルは自らを魔王と称し、新たに皇帝位を設けてチエロを独裁制の帝国に政変させました」
ヴィオラの言葉を受けて議場はざわつき始める。
「魔王だと? バカバカしい。どこの馬の骨だ」
「ドワーフ一族の権力争いでしょう。このままでは内乱になるのでは?」
「チエロは武器製造に富む軍需大国だ。早めに手を打たねば我が国とて……」
ヴィオラは議場を諫めるべく、声のトーンを上げて言葉を続ける。
「ご静粛に。この話には続きがあります。実のところ、ここからが本題と言っても過言ではありません」
そう告げたヴォオラは、一息区切って重々しく話を切り出す。
「政変後の新政チエロ帝国は、今日になって信じられない声明を周辺各国に出しました。それは、大陸全土に対する宣戦布告と降伏勧告です。私も何かの冗談だと信じたいのですが、現にチエロ国内では兵の動員を進める動きがあるそうです」
ユンフォニアは席を立って声を荒げる。
「大陸全土に対する宣戦布告だと!? にわかには信じられん……撹乱目的の計略か何かではないか?」
「その線は私も疑っています。チエロはドワーフ達の冶金技術を生かした軍需大国ではありますが、周辺国をまるごと相手取って戦えるほどの国力は持ちあわせていません。しかしながら、最悪の事態も想定する必要があると私は考えています」
その言葉に、ユンフォニアは複雑な面持ちを浮かべて呟く。
「そうだな……仮に、チエロが本気だとすれば、我が国は周辺国と協調して迎え撃つ必要があるだろう。余は国王代行として、速やかな挙兵の必要性を感じる。皆の者はどう思う?」
その言葉に、異議を唱える列席者はいなかった。
ユンフォニアは言葉を続ける。
「うむ。では、各諸侯は速やかに己の兵を動員し、戦の準備を進めてくれ。余は周辺国との外交交渉を開始する。民にはチエロとの往来と交易を制限する布告を出さねばならんな……これはヴィオラに頼もう。とにかく、事は急を要する。各位、速やかに己の成すべきことに取り掛かってくれ」
そう告げるユンフォニアの振る舞いは、次期女王に相応しい威厳を持っている。
対するヴィオラや列席者達も、真剣かつ冷静に事態を受け入れているようだった。
だが、そんな席上で一人呆気にとられる承治は、大きな不安に苛まれていた。
まさか、これから戦争でも始まるのか。
平和なこの世界で、こんなにも急にキナ臭い出来事が起きるとは考えも及ばなかった。
仮に戦争が起きれば、多くの人が戦火に巻きこまれるだろう。
承治は、自分の命が危険に晒されるという心配よりも、身近な場所で多くの人が不幸になるかもしれないという事実に、心底嫌悪を抱いた。
だが、そんな承治の感情は子供じみた駄々のようなものでしかなかった。