30 後日談
30 後日談
「いやぁ、先日はヴィオラのお陰で助かった。感謝の言葉も無い」
誘拐事件の数日後、ヴィオラの執務室を訪れたユンフォニアは苦笑いを浮かべてそう告げた。
対するヴィオラは、真剣な面持ちでユンフォニアと対峙する。
「姫様、勝手に王宮を抜け出されては困ると何度も申し上げていますよね。いくらカスタリアは治安がいいとは言え、外界には様々な危険があります。この前の件でおわかりいただけたかと思います」
対するユンフォニアは不満げに口をすぼめる。
「説教なら聞き飽きたぞ……外界に出るなと言うがな、次期女王たる余が街の様子も分からないようでは、正しき政などできんだろう。ああいった経験もたまには必要なのだ」
「でしたら、ちゃんと許可を得て外出してください」
「外出の許可など簡単には下りん。それに、ぞろぞろと護衛を連れて馬車で外に出てもちっとも面白くない。自分の足で見て回ることが大事なのだぞ」
「それで、姫様の身に何かあれば取り返しのつかないことになります。姫様は、このカスタリアにとってかけがえのない存在なんです。それを御理解ください」
その言葉に、ユンフォニアはしゅんと表情を暗くして視線を下げる。
「それは重々承知しているが、余は神様ではない。そちらと同じ、普通の人なのだぞ……」
傍から聞いていた承治は、ユンフォニアが少しいたたまれなくなりフォローを入れることにした。
「まあまあ。今回はとりあえず無事解決したんだから、もういいじゃないですか。僕にはユフィ、じゃなかった、姫様の気持ちも少し分かりますよ。たまには外の空気も吸いたくなりますよね」
その言葉に、ユンフォニアはパッと表情を明るくする。
「さすがはジョージだ。話がわかるのう。この前の外出は、まあ色々とあったがとても楽しかった。また頼むぞ、兄様」
そう告げたユンフォニアはジョージにウィンクをする。
それは、また脱走に付き合えという合図なのだろうか。
面倒事はご免だが、ユンフォニアの気持ちも鑑みて承治は苦笑いで応えておいた。
そんな二人のやり取りを見たヴィオラは首を傾げる。
「兄様? ジョージさんは姫様の兄貴分にでもなったんですか? ちょっと頼りなさそうですけど」
ほっとけ。
などと承治が心の中で悪態をつくと、ユンフォニアは誤魔化すかのように微笑む。
「まあそんなものだ。とりあえず、今回の件は非公式な事件ゆえ、二人に褒美はやれん。だから改めて礼を言おう。ジョージ、ヴィオラ、ありがとう。そちらは余の頼もしい盟友だ。これからもよろしく頼む」
そう告げたユンフォニアは可愛らしくお辞儀をすると、そそくさと部屋を出て行った。
来るのも突然だったが、帰るのも突然だ。
そんなユンフォニアの姿を見送ったヴィオラは、いささか複雑な表情を見せて口を開く。
「正直、姫様の立場には私も少し同情します。まだ幼いのに次期女王という重荷を背負わされ、厳しい教育を受けながら王宮に閉じ込められていれば、たまには外で遊びたくもなるでしょう。まあ、私がそれを許すわけにはいきませんが……」
ヴィオラはユンフォニアに厳しく当たっていたが、内心では心を痛めていたようだ。親心にも似たその気持ちは、承治にもよくわかる。
「まあでも、姫様が本当に女王陛下になったら強権で駄々をこねて堂々とお忍び外出するようになっちゃうかもしれませんね」
「それはまた頭の痛くなりそうな話ですね」
そう告げたヴィオラは苦笑する。
そして、何かを思い出したかのように話題を変えた。
「そういえば、姫様を誘拐した例の犯罪グループですが、かなり大規模な組織だったようですよ。身代金を取られて泣き寝入りしていた被害者も多かったようで、どんどん余罪が出てきています」
「手口も巧妙でしたからね。それにしても、あの時のヴィオラさん、むちゃくちゃカッコよかったですよ。敵の斬撃をさっと避けて武器を蹴り落すところなんて憧れちゃいました」
その言葉に、ヴィオラは顔を赤くして視線を逸らす。
「もう、その話はあんまりしないでください……荒事は嫌いなんです。まあ、ああいう時の為に父は私に体術を教えてくれたんでしょうけど、あまり役に立っても嬉しくはありませんね」
ヴィオラの言うとおり暴力は振るわないに越したことはないが、魔法と体術を心得るヴィオラはいざというとき非常に心強い。
ホルント市政官の件も含めると、承治がヴィオラに助けてもらったのはこれで二回目だ。
ヴィオラのことは上司としても尊敬しているが、命の恩人とあればもはや頭が上がらない。
思い返してみれば、承治はこちらの世界に来てからというもの、そこそこ荒事に巻き込まれている気がした。
ただし、承治が荒事に巻き込まれたのはどれも外出時の出来事だ。
普通にデスクワークを生業にして暮らす分には平和な日々を送れるし、変な事に首を突っ込まなければ事件に巻き込まれることもなかろう。
そう気楽に考えた承治は、雑談を切り上げて仕事に戻る。
「ヴィオラさん。新しい決裁文書ができたんでサインをお願いできますか」
「はいはい。国債発行の件でしたね。内容は承知してますので今サインします」
ヴィオラと承治は、そんなやりとりをしながら今日も仕事に勤しむ。
日本とは異なる異世界でのデスクワークはそれなりに遣り甲斐がある。
上司のヴィオラとは仲違することもあるが、職場環境は上々だ。
色々あったけど、やっぱり平和が一番。
そう考えた承治は今日も書類を相手に奮闘する。
だが、その裏ではこの世界を揺るがす大事件が密かに進行していることを、承治はまだ知らなかった。