13 哀愁
13 哀愁
承治がこの世界に転生してから、早くも一ヶ月が経とうとしていた。
その間、ホルント市政官の失脚という出来事は、カスタリア王国にとって良い方向に働いていた。
予算の横領というホルントの悪事が大々的に公表された結果、他の市政官や地方官僚も自身に疑惑が飛び火するのを恐れ、ヴィオラの要求する決裁基準に従って予算を要求するようになったのだ。
結果的に、使途不明金の流出は大幅に抑えられ、カスタリア王国の財政は持ち直しつつあった。
「まさか、これほど予算が浮くとは想像以上です。それだけ、多くのお金が役人に流れていたということですね……」
自身の執務室で直近の収支報告を眺めるヴィオラは、頭を抱えてうなだれる。
対する承治はいつものように書類を整理しながら告げた。
「まあ、目の前に大金があれば手をつけたくなる輩はどこの世界にもいますよ。以前僕が住んでいた世界でもよくある話でしたし」
「ジョージさんのいた世界では決裁のシステムや予算の管理がもっと厳密になされていたんですよね? それでも横領があったんですか?」
「例えば、工事業者に水増しした見積りを提出させて、浮いたお金を発注者と請負者で折半するとか、予算を管理している人間がそのお金を投資やギャンブルにつぎ込んで、儲かればその分を懐に入れて元手を金庫に戻すとか、そういう手口が多かったですね」
「なるほど……って、それじゃあ今の体制でも横領が行われている可能性はあるということですか?」
その言葉に、承治は致し方ないといった様子で両手を頭の上で組む。
「まあ、こればっかりはイタチゴッコですねぇ。いかにルールを厳しくしたところで、複数の人間が絡んでいる以上、抜け道はありますよ。かといって、あんまり締め付けを厳しくすると業務効率は落ちるし、難しいところですね」
「最終的には、人を信頼する他ない、ということですね」
「ま、そういうことです」
そんな会話を交わしていると、いつの間にか日が暮れて今日の仕事は終いとなった。
宰相の仕事は暇なしだが、ヴィオラは公私の区別をしっかりさせており、残業や休日勤務は極力控えるようにしていた。
ヴィオラは背筋を伸ばして可愛らしい深呼吸をする。
「さて、今日の仕事はこれくらいにしましょう。明日は公休日ですね。急ぎの仕事もないし、ジョージさんも明日はゆっくり休んでください……あ、そうだ! せっかくですから、これからお食事にでも行きませんか? おいしいサラマンドラの姿焼を出すお店があるんですよ! カリカリの尻尾がブドウ酒に合う格別の味で……」
その誘いに、承治は気乗りしなかった。
はっきり言ってヴィオラはかなり酒癖が悪い。いつも「ちょっとだけ」と言いつつ、飲み過ぎてへべれけになる。
承治は外食に連れ出される度に酔い潰れたヴィオラの介抱をする羽目になり、いささか辟易していた。
むしろヴィオラは、承治さえ連れて行けば飲み過ぎても大丈夫と考えている節がある。
それを思った承治は、今日の誘いを断ることにした。
「いや、今日は疲れたんで王宮の食堂で済ませますよ。ヴィオラさんも、外に出ると飲み過ぎちゃうんだから気をつけた方がいいですよ」
「だって、自分の部屋で飲んでもつまんないんですもん……」
そう告げたヴィオラは長い耳を垂れ下げて口をすぼめる。
普段は凛としているヴィオラも承治に対しては随分心を許しているらしく、時よりこういった子供っぽいところを見せるようになっていた。
「とりあえず、僕は部屋に戻りますね。どうもお疲れさまでした」
「はい、お疲れさまでした……って、ジョージさんの挨拶が伝染っちゃいましたね。前々から思っていましたけど、お互い疲れたねって挨拶は、やっぱり変ですよ。苦労しかしていないみたいじゃないですか」
その言葉に、承治は自分がどうあっても元サラリーマンなんだな、ということを改めて実感する。
「まあ、それもそうですね。それじゃあ、さよなら」
「はい。さよなら」
ヴィオラの笑顔に見送られた承治は執務室を後にする。
そして承治は、この瞬間から暇を持て余すことになった。
ヴィオラの仕事は完全週休二日で、労働日三日か二日を挟んで一日の休日が与えられる。
当然、それを補佐する承治にも同じ休日が与えられ、明日は丸一日休みとなっていた。
しかし、承治はこの世界での休日の過ごし方を未だ確立していなかった。
サラリーマン時代は残業や休日出勤も多く、余暇は睡眠時間に当て、休日はダラダラとユー○ューブやニュースサイトを眺めているうちに一日が終わるという日々を送っていた。
だが、この世界にはスマートフォンやインターネットはおろか、テレビやラジオといった類のものは存在しない。
承治は転生時のオプションにスマホの持ち込みくらいは付けた方がよかったかな、などと後悔しつつ王宮の廊下を進んでいった。
そんな承治が最近見つけた暇つぶしは読書だ。王宮には大きな書庫があり、読む本には事欠かない。
承治は転生時に〝一級言語能力〟のオプションを付与されており、この世界の文字は難なく読むことができる。それどころか、司書が解読不能と言う古書すら読めてしまう始末で、承治は余計な仕事を増やさないよう、その事実を隠すようにしていた。
そんなこんなで承治が歩みを進めていると、王宮のバルコニーから綺麗な夕陽が射し込んでいるのが目に入る。
暇を持て余す承治は、綺麗な景色でも堪能しようかと、扉を開けてバルコニーへ足を踏み入れた。
思った通り、そこからの眺めは絶景だった。
遠くに沈む夕日は城下町を朱色に染め上げ、薄紫の空には月が瞬いている。
この世界でも、太陽や月は変わらないんだなぁ。
などと感傷に浸る承治は、無駄に格好つけたポーズで城壁に寄りかかり、景色を堪能する。
今ごろ、お袋や親父はどうしてるかなぁ。僕の葬式、どんな感じだったかなぁ。イッキ飲みを強要した同僚連中は警察にしょっぴかれてるかなぁ。
などと、承治はかつて暮らしていた現世のことに思いを馳せる。
いかに異世界に転生したとは言え、現世で一度死んでいるという事実は承治にとってそれなりに重い出来事だった。
ただ、それは考えても無駄なことだ。
転生時の契約内容を見るに、現世へ生き返る見込みはなさそうだし、そもそも今さら生き返りたいとも思わない。
カスタリア王国とこの王宮は、承治にとってそれなりに居心地がよかった。
たとえ暇つぶしはなくとも、心優しい上司の下で精力的に働くのは、それはそれで悪くないと思った。
「仕事って、こういうもんだよなぁ」
などと格好つけて独り言を呟く承治は目を細める。
そして、夕陽が地平線へ沈んだところで、踵を返して廊下に戻ろうとした。
「すいません。ちょっといいですか」
不意に、承治の背中に声がかかる。
承治の背後は城壁の外側だ。そこに人がいるはずはない。
驚いて振りかえると、そこには目を見張る光景が広がっていた。