第7話
《さー、アーシェラ。準備はいいね?まず、僕は存在しない。君には見えるし、場合によっちゃこっそり助言するかもだけど原則見えない、オーケー?》
謁見の間の控え室で、ラネルによる最終チェックが行われていた。
「分かった。謁見中はラネルを見ない、返事しない」
《挨拶の練習はした?最初の印象は大事だかんね?噛まないように》
「印象大事、噛まないように。印象大事、噛まないように……」
《あれ、思ったよりヤバイ?》
ラネルを落ち着かせるためにアーシェラの頭をつつこうとした時、ドアが叩かれた。
「アーシェラ姫、どうぞこちらに」
メイドに促されて謁見の間のドアの前まで移動する。
《じゃあ、僕はこっから喋らないから。一応他の人には見えないから目で追わないようにね》
ラネルの言葉に頷くと背筋を伸ばし、深呼吸。
「…行きます」
「ヴェネティエ王国第一王女、アーシェラ・エルベルク殿下!」
アーシェラの到着を告げる侍従長の声が広間に響くと同時に大きなドアが開かれた。
───躓かないように、躓かないように……!!
ドレスの裾を持ち上げ、毛足の長い絨毯に足を取られないよう気をつけ俯きがちになりながらも、足早に進む。
玉座の前まで来ると跪く。
「顔をお上げください」
たっぷり一呼吸置いてからゆっくりと顔を上げる。
だが、そこには空の玉座があるだけだった。
「あ、あの。これは……陛下はどちらに…?」
「国王は…息子は諸用で出ていてね、少し遅刻するそうだ。すまないね」
驚いて尋ねると、玉座の後ろに佇んでいた男性が答えた。
「フレデリック国王陛下…?」
「今はもう先王だよ。久しぶりだね、アーシェラ姫。長旅で疲れただろう……あ、お腹は減っていないかい?美味しいお菓子があるんだ、私のお気に入りの店のでね。息子がよく城下に行くと土産で買ってきてくれるんだ」
ニコニコと微笑みながら喋る先王フレデリックは、5年前、アーシェラの誕生日にヴェネティエ王宮を訪れた時と何も変わっていない。
(あの時も、確かお菓子をくれたっけ)
フレデリックに手渡された焼き菓子を見ながら数年前を思い出す。
「陛下!“出ている”じゃありませんよ!全く、貴方がそんなに甘いから、いつまでたってもあの子が城を抜け出したりするんです!」
フレデリックの隣に立っていた女性がフレデリックを叱りつける。
「しかし、あまり厳しく言っても反発するだけじゃないかなぁ…?」
フレデリックは眉尻を下げて弱々しく返す。
「もうっ…。ごめんなさいねアーシェラ姫。私はエリザベス。現国王レオナルドの母で先王の妃です。あの子ったら、こんな大事な日に抜け出すなんて…」
《噂どーりの恐妻家みたいだねー》
今まで黙っていたラネルが口を挟む。
《話じゃ、剣術や馬術も嗜んでるんだって》
(確かに…)
引き締まっていて立ち姿も隙が無いように見える。
「近衛が数名陛下を迎え…もとい捕獲に向かったからもう少しで来ると思うわ」
(捕獲!?)
「わ、分かりました」
表情筋を総動員させて笑顔が引き攣らないように努力する。
イルレオーネ王家は個性的が過ぎるわね…と目の前で繰り広げられる嵐に内心驚く。
「早く、急げって」
「急いでるって。…おいジオハルト、どこも変じゃないか?」
「気にしたいんなら抜け出すなよ…。大丈夫だ」
玉座の脇にある扉の外から声がする。
「あら、帰って来たみたいよ」
「へ、陛下のおなりです」
近衛の1人が気まずそうに扉を開けると、2人の青年が飛び込んできた。
1人は道中警護してくれたジオハルト。
もう1人、ジオハルトに背を押されるように入ってきた青年をエリザベスが叱り飛ばす。
「レオナルド!貴方どこに行っていたのですか!!」
「あ、や、ちょっとリュークがボヤ出して、その修理を…」
「言い訳は聞きません!」
「いや、だけど…」
「聞 き ま せ ん」
「ハイ…」
「全く…。お待たせしたわね。さ、レオナルド、挨拶しなさい」
エリザベスはアーシェラに微笑むとレオナルドを一歩前に押し出した。
「アーシェラ姫、お待たせして申しわけない。俺がイルレオーネ国王のレオナルド・オリビエ・シルヴェスター。これからよろしく頼むよ」
胸に手を当て一礼するレオナルドに、アーシェラも慌てて腰を折る。
「アーシェラ・エルベルクと申します。こちらこそよろしくお願い致します」
ラネルに習ったとおりの動きを実践する。
(これでいいかしら…)
横目でチラリとラネルを見ると、少し肩をすくめて《まあ、及第点かなぁ》と苦笑する。
とりあえずは一安心ね、と肩に入っていた力を抜く。
謁見はそのまま滞りなく進んでいった
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《あー、つっかれたー》
アーシェラに割り振られた部屋は日当たりのいい、城の南側にあった。
《あ゛ー、このベッドさいこー。ふっかふかだよ。あ゛あ゛ー》
真っ先にベッドに飛び込みゴロゴロと転がるラネルに苦笑し、クローゼットを開ける。
エリザベスがお近づきの印にとこの国の気候にあった衣装を用意してくれたのだ。
「これはちょっと、短くない…?」
大量に用意されていた衣装のほぼ全てが膝上丈のワンピースだった。
ヴェネティエは気温が年間を通して高くならない事もあり、丈が長いドレスが主流だ。
《ここは平均気温が30℃近いからねー。湿度も高いし、丈の短いワンピースに靴は革を編んだ風通しのいい靴が主流だよー。まぁ、物は試しで着てみれば?》
ラネルの言葉に、そういうものか、と頷き1着を手に取る。
「失礼いたします、殿下!!」
突然ノックも無しにドアが開かれたと思えば2人のメイドが入って来た。
「私、アーナと申します!」
「ヨーナと申します!」
「「双子揃って、殿下の身の回りのお世話をさせて頂きます!」」
背格好瓜二つの双子のメイドはアーシェラの手にあるワンピースを見るとニヤッと笑ってアーシェラに詰め寄った。
「お召し換えですね!」
「お手伝い致します!」
2人はアーシェラのドレスをさっさと剥ぎ取るとワンピースを着せてドレッサーの前に座らせた。
「御髪はどういたしましょう?涼しげに全て上げますか?」
「殿下、お化粧もしましょう!」
「いいから!そのままで大丈夫!」
「ですが…」
「姫自身がそう言っている。いいんじゃないか?」
突然湧いた声に3人揃って振り向くと、扉の傍にレオナルドが立っていた。
「陛下!女性の部屋に断りもなく入るなんて!」
「着替えは終わってたぞ?流石に着替え中には入らん」
やいやいと文句を言う双子にレオナルドが苦笑する。
「分かった分かった、以後気をつけるから。お前達はもう下がれ」
まだ騒いでいる2人を部屋から押し出すと振り返り、キョロキョロと辺りを見回す。
「あの鳥どこいった?」
「へっ!?」
「ほら、謁見の時お前の周りウロウロしてただろ?えーっと、はやぶさ!」
「うそ……」
精霊であるラネルの姿はよほどの事がない限り普通の人間には目視できない。
《へー、僕が見えるんだ。めっずらしー事もあるんだね。ね、アーシェラ》
枕の下に潜り込んでいたラネルが2人の頭上を旋回する。
「お前喋るのか!」
《まあ、精霊だしね》
「へー!…お、そうだ」
ラネルと話していたレオナルドがアーシェラの方を向く。
「俺今から出かけるけど、お前も来るか?」
「え?えっと、どちらに?」
戸惑うアーシェラの手を取ると、レオナルドはニヤリと笑う。
「城下!」