第5話
アンリの死から一週間。
アーシェラは嫁入りのために馬車でヴェネティエを発った。
アーシェラは半日ほど心此処に在らずと言った風に懐中時計と窓の外と目を行ったり来たりさせていた。
「はぁ…」
本日何度目かも分からないため息を吐く。
《あんまりため息ばっかり吐いてると幸せが逃げるよー》
「もう既に十分過ぎるほど逃げてるわよ…」
《えー?でも、嫁ぎ先のイルレオーネでは幸せになれるかもしれないじゃん?》
向かいのソファーに陣取りケラケラと笑うラネルの額を爪弾く。
「何を言ってんのよ。政略結婚に幸せもクソも無いじゃない、利益最優先なのに。…でも、イルレオーネ国王ってお父様より歳上ではなかったかしら?」
頬に手を当てて小首を傾げる。
《え?何それ本当にイルレオーネの話をしてる?》
「あら、違うの?」
アーシェラの中のイルレオーネ国王は御歳52の恰幅のいいおじ様と言うイメージだ。
「優しすぎると言えばいいのか、気が弱いのか。確か王妃がいらっしゃったから私は後妻?そういえばご子息が一人いた様な…」
《…うへぇ。これは王宮に着くまでお勉強だなぁ》
ラネルは一つ咳払いをすると真剣な顔をする。
《まず、地理は分かる?》
「え?えぇと。ヴェネティエと山を一つ隔てて隣接しているそこそこの大国よね。確か、グロッシア大陸の南の海にも面していて王都ナヴェルは大陸一他大陸との交易が多いと言われている。…だったかしら?」
《うん。魚介類の水揚げ量が多い事も有名だよね。日持ちのきく塩漬けとかはヴェネティエでも出回ってるし。特産品とかも言えたら満点だったけど…まあ及第点かな》
「地理は大丈夫よ。王宮の敷地から出られない分外の話はアニタに沢山聞いていたもの」
《…意外と知識人だよね君って。じゃあ当代国王の名前は?》
「ゔっ…」
じとーっとした目で見られ、口ごもる。
確か、3年前に聞いた名前は…。
「フレデリック陛下…だったっけ?」
《それは前王!!ヴェネティエ第1王女である君の夫は当代国王のレオナルド・オリヴィエ・シルヴェスター!!相手の名前くらい把握しておいてよ!》
「へぇー、代替わりしてたの。知らなかったわ、先王の訃報なんて届いてなかったから」
《いんや?先代はご存命だよ?》
「…はぁ!?」
先王崩御も無しに代替わりなんて聞いたことがない。
《なんか、バカ王を生産しないための方針らしくて。跡取りは12までを城下で民と一緒に育ち、16から執政の手伝いを始めて17で即位ってのがイルレオーネの流れ。王が生きているうちに色々教わって間違っても独裁とか、そーゆー類の政治をしない様にって感じかなー》
「なるほど…。市井を知れば民の為になる政もできる、と言う訳ね」
国が違えば流儀が違う。
「当たり前の事だけど、外に出ないと分からないものね。…まぁ生きていればどうにかなるかな」
《おっ。前向きになった?》
「ははっ。ちょっと頑張ってみるよ」