第2話
そろりと音を立て無いように広間の扉を開ける。
長テーブルの上には既に湯気を立てるスープを始めとした食事が並べられていた。
「姫様、お早く」
足音も立てずに近付いて来た侍女が扉を開けアーシェラを招き入れた。
「遅かったな、アーシェラ」
テーブルの上座に着いている初老と言うにはまだ若い男がアーシェラに視線だけ向ける。
「おはようございます、お父様」
父王は視線をテーブルに戻すと食事を再開した。
「何をしている。掛けなさい」
慌てて席に座り、ふわふわの白パンを手に取る。
「あの、お父様…」
「顔色が優れない様だが、また夜更かしでもしたのか」
「…はい、あの、少し本を…。それで」
「お前はただの王の娘ではない。王女であると同時に神殿に仕える神子、聖女だ。民の憂いを聞くのがお前のお役目だと言うのに、民に不安を与えてどうする」
アーシェラの言葉にに被せるように続ける。
「お父様、あの。私は今日で17になります。その、私と彼の結婚を…」
「そうか。だがお前が決める必要はない。相手は私が決める。…時間だ、公務に行く」
“許していただけないでしょうか”
今日こそ伝えようとしていた言葉を伝えることはできなかった。
《いやー、相変わらず息の詰まる時間だねぇ朝食の席ってのは。僕この時間キライッ!》
何処に隠れて居たのかラネルがアーシェラの肩にとまる。
精霊であるラネルの姿は普通の人間には見えないが、よほど嫌いなのか、いつもこの時間は姿を消す。
「別に、私だって、好きじゃ無いわ」
そう言ってもそもそと食事を始めた。
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「せいじょさまー、おたんじょうびおめでとうございます!」
「あの、これ!わたしたちからです!!」
神殿の回廊を歩いていると、お役目用の薄絹の衣装の袖が引かれた。
袖を掴んでいるのは6歳から9歳の少女5人だ。
神殿には2種類の神子がいる。
王族から選出される最高位の神子・聖女。
貴族や一般市民出身で寄宿舎での修行を経てなる神子・聖乙女。
この5人は寄宿舎に所属する一番幼い見習い達だ。
差し出された手には少し歪なクッキーの入った袋。
「私に?」
「はいー。りょうぼさまにおそわりながらみんなでつくりましたー」
一番年上の一人がどうだと言わんばかりに胸をはる。
「そう…。ありがとう」
頭を撫でてやると他の4人が自分もと、我先にと寄って来た。
「こら、お前たち。聖女様をあまり困らせるんじゃありませんよ」
「あ、しんかんちょうさま!りょうぼさま!」
回廊の奥から歩いて来たのは神官長のアンリと寄宿舎の寮母も務める筆頭聖乙女のアニタだ。
「あなた達、もうすぐ謁見が始まるから裏方の準備をなさい。聖女様、準備が出来次第お呼び致しますので広間にてお待ち下さい。では、神官長。聖女様をお願いしますよ」
一礼して去って行くアニタを見送ってアンリが口を開く。
「それで、どうして不機嫌なのか聞いてもいいかな?聖女様」
「またお父様に言えなかったわ。自分の意思」
アンリは一瞬きょとんとすると、クスリと笑う。
「またかぁ。まあ、陛下は確かに人の話を聞かない節があるよね。」
アンリの束ねられた銀灰色の髪が日の光を反射して輝いている。
アーシェラはこの幼馴染みの青年と一緒にいる時が昔から一番落ち着ける。
“彼との結婚を許可してほしい”
朝伝え損ねたその言葉が割と恥ずかしい事に気がつき体温が上がる。
「あれ?どうしたの?顔色が青かったり赤くなったり忙しいけど…」
「なっ、何でもない!!」
「聖女様ー、出番です!」
顔を背けると、ちょうど呼びに来た神官の方へ駆け出した。
「あ、そうだ。ーーアーシェラ」
アンリが、互いに聖女と神官になってからは呼ばなくなった名前を呼ぶ。
「君に渡したい物がある。あと、言いたいこと。今夜君の離宮に行くから」
アンリはその晩、アーシェラの元を訪れる事は無かった。