5 side・オリーヴ 【故郷が払う犠牲】
絨毯洗いは、かなり大変な作業だ。身体はすっかり疲れている。
それなのに、寝台で仰向けに横たわったあたしは、眠ることができなかった。目の周りがこわばって、頭の芯が重い。
今朝、クリーチィに連れて行ってもらった厨房。エドラさんは快く、小麦粉と灰を分けてくれた。
そのとき、気づいた。
小麦粉の袋に、フォッティニア軍の印がついていることに……
あたしは愕然とした。
これは、フォッティニア軍を襲って奪ってきた小麦粉なの!?
じゃあ、昨日あたしが美味しい美味しいって食べた、あのご馳走も、材料はフォッティニアから奪ってきたもの? 保存食みたいだと思った塩味のあれも、本当に軍の保存食だったのかも。だから、エドラさんは見た目だけでパンかお菓子だと勘違いして、夕食に添えた……
魔王たちは、フォッティニアの、物資を運ぶ部隊をきっと襲って、戦いになって。何人も、死んだかもしれない。
そういえば昼間、あたしは、魔族の服はどこから調達してくるのかなって思った。フォッティニアと同じだって考えていいの? って。
でも、そういう布類も、もしかしたら全部フォッティニアから奪って……
そう思ったら、食事ができなくなってしまったのだ。
お腹は空いているのに、何だか胸がむかむかして。
はるか昔、イドラーバのずっと奥、黒枯の森と呼ばれるところから、イドラーバの民はやってきたと伝えられていた。
国土の大部分は荒れた土地だけど、一部では畑作や酪農も行われているという。その程度でも大丈夫だったのは、角のある民が食料を必要としないからだったのね。彼らは魔王が生み出す力で生きられるから、角が小さかったり、なかったりする民の分だけ食料が確保できれば良かったんだ。
でも、魔族はフォッティニアの食料を奪ってる。小麦粉の袋がその証拠。なぜ?
フォッティニアの食べ物が豊かで美味しいから? そう、エドラさんの話だと、角のある魔族にとって食べ物は嗜好品みたいなものらしい。どこそこ産の葡萄酒は美味しいから、くらいの感覚で、フォッティニアから奪っているのかもしれない。
それを、あたしにも与えた……
そういう食べ物のことだけじゃない。
角のある民は、魔王の力を吸収して生きている。その力は、魔王がフォッティニアに戦いに行くことで満足して、生み出される。
あたしの故郷、フォッティニアを犠牲にして、イドラーバの民は暮らしているんだ。
そして、あたしは。同胞の血と涙を吸った食べ物を、喜んで食べた。
何てひどい、裏切り……
あたしは、東部軍のあの金髪軍人を思い浮かべた。もう顔もおぼろげだけど、心の中で「何やってるのよ、早く助けに来なさいよっ、ばか!」となじる。
でも……軍人たちもきっと、イドラーバの空気に慣れなければ城には入ってこれない。それとも、フォッティニア軍はイドラーバ遠征の時、その辺のこともちゃんと考えて行動したんだろうか。
わからない……
──いつの間にか、眠りに引き込まれていたみたい。
あたしは、ノックの音で目を覚ました。
「はい」
返事をすると、クリーチィが入ってきて、ちょん、とお辞儀をした。そして中庭に出ていき、手をつけていない夕食の盆を下げていく。
続いてクリーチィは、朝食の盆を持ってきた。寝台に置いて、あたしの様子を窺うように見る。
あたしは、首を横に振った。
すると、クリーチィは少しの間、首を傾げていたけれど──
やがて、扉の所まで戻ってから、あたしにちょいちょい、と手招きをした。
「何?」
また、どこかに連れて行こうっていうの? でも……
ためらっているあたしを、クリーチィはつぶらな瞳でじっと待っている。魔王に命令されているのかもしれない。あたしに言うことを聞かせられなかったら、罰せられるのかな。
あたしは軽くため息をついて、寝台を下りた。
しばらく歩くと、廊下の突き当たりに大きな扉が現れた。前にはこんな扉、ここになかったのに……なんて、驚くのも面倒になってきた。
扉は石でできている。これはもしかして、話に聞く「大理石」という石じゃ……。薄紅色で、固いのに色合いは柔らかで。なんて綺麗なんだろう。
クリーチィは重そうな扉をグッと押し、両開きのそれをどうにか片方開いて、あたしを促す。中を覗くと、作りつけの棚だけがある小部屋があって、その向こうからザアア……と水が流れ落ちる音――奥に、もう一枚の扉。
クリーチィが手で促すので、あたしは奥に進み、扉を自分で開けてみた。
中は一面、扉と同じ薄紅色の石でできた、浴場だった。
「……すごい」
浴場ってものを初めて見たあたしは、思わず声を上げる。いつもは自分でお湯を沸かしてタライに入れて、行水していたから。ガーヌの町では、それが普通だったし。
身体を包み込んでくる湯気と、なみなみと贅沢に満ちた湯。度肝を抜かれながら、靴を脱いで足を踏み出してみた。床にあふれ出した湯が、裸足を温める。
こんな浴場に行ってみたいって、憧れたこともあったっけ……大人になるにつれ、身の程を知って、そんなこと思いもしなくなったけど。
くいっ、と引っ張られる感覚があって振り向くと、クリーチィがあたしのエプロンの紐をほどいてスルリと取り去っていた。続いて、服の首の後ろのボタンを、背伸びして外そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ、お湯に入れってこと?」
あたしはあわてた。クリーチィは「チィ」と鳴き、作業を再開しようとする。
そのとき、あたしはあることに気づいて、ゾッとして口をつぐんだ。
もしかして、来るべき時が来たんだろうか。
きっと、クリーチィは魔王に命令されてるんだ。「オリーヴを入浴させて、身体を綺麗にしろ」って。
それはきっと、あたしを慰みものにする下準備……
……って、待ってよ。
魔王は、人間風情になんか近寄りたくないから、あたしに手を出さずに遠巻きにしてるんだと思ってたんだけど? 五番目に女が好きっていうのも、魔族の女のことじゃ……
ううん、でも魔王はあたしをわざわざさらってきて、「花嫁」だなんて言って、好待遇で軟禁してる。いつもあたしの近くにいて、こっちをチラチラ見てる。やっぱり、何かするつもり? ああ、訳がわからない。
とにかく、あたしが魔王に嫌われるような態度をとったら、あたしに飽きて殺して、フォッティニアに戦いに行ってしまうかも。それは……ダメ。
命令は、聞くべきだ。入浴しろっていうなら、しないと。
あたしは自分から、首の後ろのボタンを外すと、屈んでワンピースの裾をつかみ、一気に頭から脱いだ。
これからどうなるか、わからないなら。
せめてこの夢のような場所を楽しんでおこう……
いきなり後ろの方から、ブホッ、という低い音というか声がした。
下着姿でパッと振り向くと、クリーチィがあたしの服を持ったまま、扉の外をのぞいて「チィチィ!」と鳴いている。
「な、何? 誰かいるの?」
無意識に胸を隠して聞くと、クリーチィはあたしを見て「チィ? チィチィ!」とあわてた様子で言うと、外へ出て行き扉を閉めた。
「……考えないようにしよ……」
あたしは思い切って下着も脱ぐと、濡れない場所に置いてから、あふれる湯に近づいた。