4 side・オリーヴ 【魔族たちの食事情】
やれやれ、どうにかシャツは渡せた。
あたしはホッとため息をつく。
なんで魔王が、あたしなんかに服を洗わせたのかわかんないけど、言われたらやらないわけにはいかない。怒らせるの怖いし。
ていうか、今までは誰が洗ってたのよ。フォッティニアの王族は、何度か着たら捨てちゃったり、臣下に下げ渡したりするって噂を聞いたことあるけど、もしかして魔族も洗わないとか? そもそも、服は誰が作るの? その辺はフォッティニアと同じ風だと考えていいわけ?
……まあいいや、次の洗濯物を探しに行くか。
あたしは廊下に出た。
イドラーバの空気がどうこう、なんて話を聞いてしまったせいか、何だか息苦しく感じる。あまり吸い込んじゃいけないような気がして、呼吸を浅くしてしまってるからだ。短時間なら大丈夫なんだから、と思っていつもの呼吸に戻そうとしても、意識してしまってうまくできない。早く用事を済ませよう。
窓の外を見ると、いつ見ても曇っている空は、今はさらに暗い。ああ、そろそろ夜なのか。
と思っていたら、いきなり廊下がフワリと明るくなった。
びっくりして見上げたら、壁に等間隔に掛けられていたランプに、灯りが点っていた。これも、何かの力なんだろうか。
あたしは廊下を進んだ。進むごとに、あたしの近くのランプが点って明るくなり、通り過ぎた後は消える。こ、怖い……何かがついてくるみたいで。早くやることやっちゃおう。
あたしはひとまず、目に付いた扉をそっと開けた。
そこは、絵や壷、石像なんかがゴチャッとしまわれた部屋で、床は板張り。入ってすぐの所にだけ、小さな絨毯が敷いてある。
あたしは絨毯の端を持って、広げたまま持ち上げると、廊下のランプの灯りにかざしてみた。……かなり汚れてるみたい。
今回はこれをあたしの部屋に持って帰って、明日洗うことにしよう。
中庭(と呼ぶことにする)の作業台に絨毯を置き、寝室に戻ったところで、ノックの音がした。
「は、はい」
返事をすると、扉が開き──
あの、一本角の白いネズミが立っていた。
魔王じゃなかった、と、あたしは少しほっとする。
使用人服姿の白いネズミは、廊下に置かれていたワゴンから脚つきの盆を持って入ってくると、寝台の上に置いた。盆には大きな蓋がかぶせてある。
ネズミはあたしの目の前で、その蓋を取った。
あたしは目を見張った。ご馳走が現れたのだ。
お昼は魚とパンだけだったのが、どうしちゃったの、この品数は!? 骨付きの肉、何かのパイ、茹でた野菜、果物、焼き菓子まである。
肉汁とソースの混じり合った香りがふんわりと立ち上り、口の中に唾がわいてきた。あたしは喉をごくりと鳴らす。
……ん? そういえば、できたてってことは、これを作ってる料理人がいるってこと? 厨房がちゃんとあるの?
それなら、厨房にあるもので欲しいものがあるんだけど……!
「あの」
部屋を出ようとしていたネズミに、あたしは呼びかけた。ネズミは振り返る。
「えっと、あのね。明日、洗濯するんだけど、汚れを落とすのに必要なものがほしくて、厨房に行きたいの。今夜でも、明日の朝でもいいから。……ダメかしら」
ぴこん、と、ネズミは首を傾げた。
そして、チィチィ、と鳴くと、部屋を出ていってしまった。
意味、通じなかったのかな。でも、ここに食事を持って来てるのは魔王に命令されてだろうから、魔王とは意志が通じてるはずなんだけど、どうやって……
考え込みながら、あたしは寝台に腰かけて夕食に手をつけた。
うっわ、美味しい。炙った肉、表面はカリッとしてて、脂身もしつこすぎなくて。パイは木の実をすりつぶしたものが入ってて香ばしい。果物も新鮮! ……焼き菓子かなと思ったのは、お菓子じゃなくて保存食っぽいな。ほんのり塩味がする。みっしり焼き締めてあって食感がかなり重くて、もったいないけど食べきれないや。
そういえば、魔族は食事、どうしてるんだろう。同じものを食べてるの? あたしと同じように?
それとも、何か違うものを……
怪しい肉を生のままむさぼり食らう魔族たちが思い浮かんで、あたしは頭を振ってその想像を追い払ったのだった。
部屋の扉に鍵がかけられないので、不安な夜を過ごしたけど、いつの間にか眠っていたらしい。
目を覚ましたあたしは、ちょっとだけ廊下に出て窓の外を見た。相変わらずの曇り空だけど、雲の向こうに太陽が感じられる。イドラーバにも、ちゃんと朝はやってくる。
部屋に戻り、あたしは鏡台の中から櫛を見つけて髪を梳いていた。そこへノックの音がして、ネズミが入ってくる。
「あ、おはよう……」
あたしがもごもごとあいさつすると、ネズミはスカートを摘んでお辞儀した。やっぱり、言葉は通じてるよね。
ネズミは寝台の横のボウルの水を換えると、扉の横に置いておいた昨夜の食器を廊下のワゴンに載せた。それから朝食を出してくれ……るのかなと思ったら。
扉の外でネズミが、ちょいちょい、と手招きをした。
「?」
お、お呼びですか?
ためらいつつも扉の所まで行くと、ネズミは廊下の先の方を指さした。
そして、ワゴンを押しながら先に立って歩き出す。
ついてこいってこと?
あたしは思わず目をぱちぱちさせ、それから急いで彼女(?)を追う。
ちらちらと、辺りを見回した。魔王がまた、どこからか見ているような気がした。
廊下を進み、何だかよくわからない部屋を突っ切ってまた廊下に出て、ずっと歩いていく。いつの間にか、窓の外に庭が……えっ、階段下りてないのに何で一階? もう、ほんとに、この城は何が何だか……
とにかく、ネズミに導かれてたどりついたのは──厨房だった。
やっぱり、あたしの言ったことは通じてたんだ!
そこへ、明るい声がした。
「花嫁さん、いらっしゃーい!」
にこにことあたしを出迎えたのは……えっ、人間!?
白髪をきっちりお団子にまとめた、しわくちゃの小柄なおばあちゃんだったのだ。頭に、角もない。
「えっ、あの、おばあちゃんもここに捕まってるの!?」
思わずそう話しかけると、おばあちゃんは笑った。
「違う違う。あたしの名前はエドラ、イドラーバとフォッティニアのあいのこ」
「あいのこ……?」
「そう。だから、フォッティニアでは暮らせなかったですよゥ」
エドラさんはどこか片言なフォッティニア語で──たまに知らない単語が混じるのはイドラーバ語かな?──、微笑みを絶やさないまま「朝食、朝食」と向こうを向いた。はっ、と見下ろすと、脚には靴を履いていないようで、鱗と鋭い爪が見えた。この部分が、「あいのこ」なんだろうか。目も、トカゲっぽくてちょっと変わってるし。
確かに、こんな姿だと知られたら、フォッティニアでは暮らしにくいかも……
「厨房に用事があるって、クリーチィに聞いたから、ついでに朝ご飯もここでネ。王様に怒られるですか? 大丈夫大丈夫!」
どんどんしゃべりながら、エドラさんは小さな机に椀と皿を並べる。白いネズミ──クリーチィと言うらしい──もそれを手伝い、チィチィ言いながら同じテーブルについた。エドラさんが「え、それ食べたことなかった?」なんて応えている所を見ると、この二人は話が通じてるみたい。
テーブルの上には、細切りの芋を炒めて卵でとじたもの、それに野菜スープとパン。ほんのりチーズの香りがするので、卵料理かパンに入ってるのかも。
ぐぅ、とお腹が鳴る。美味しそう……
「どうぞ、花嫁さん! エドラの料理はおいしいのヨ」
「あの、オリーヴって呼んで下さい」
あたしは思わず笑いながら、椅子に座って言った。
「昨日の夕食もとっても美味しかった、ありがとう」
「まっ、嬉し」
エドラさんはしわくちゃの頬をポアッと赤くした。クリーチィは黙って髭を動かしながら、塊のチーズを食べ始めている。
ようやく、魔王以外でまともに話せる人と出会えた。朝食をとりながら、あたしはエドラさんに少し質問させてもらうことにする。
「魔王とか、魔族は、食事はどこでしてるんです?」
「まおう? あ、王様ね、バルジオーザ様」
エドラさんはものすごい勢いでスプーンを口に運びながら言う。
「王様とその家来は、たまにしか食事しないのヨー」
「えっ」
たまにしか、食事しない?
目を見張るあたしに、エドラさんはにこにこと説明してくれた。まず、頭の上に人差し指を立てながら、こう言う。
「イドラーバの、角がある民は、角から力を吸い込む。その力を生み出すのが、王様。生み出せるひとが王様ネ。だから、こうやって口から食べる食事、必要ないです。でも、美味しいからたまーに食べる」
王が生み出す力を角で吸収することが、食事の代わりになる……? いわゆる「食事」は、じゃあ単純に楽しみのために、嗜好品として、食べることもあるってことか……
「魔お……王様も食べないんでしょ? すごいのね、食事しなくても力を生み出しちゃうわけ?」
エドラさんはイドラーバの民なんだから、少しは魔王を褒めないと色々しゃべってくれないかも。そう思ったあたしは、そんな風に言ってみた。
すると、エドラさんは言った。
「王様が欲望を満たせば、力が生まれる。王様がやりたいことをやれば、エドラたちも力がいただけるです。だからイドラーバの民は、王様を応援! 応援ネ!」
魔王が欲望を満たせば、力が生まれる。
魔王が欲することって、何? フォッティニアで人間を殺すこと……?