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2 side・オリーヴ 【逃げられる? 逃げられない?】

 扉を開け、一歩踏み出す。


 今まで青空の下の草原にいたあたしは、黒と灰色、そして葡萄酒色を基調にした薄暗い廊下に立っていた。

 空気は湿っぽく、あたりはシンと静まりかえっている。廊下でもくつろげるようにか、暖炉とソファがあって、暖炉と同じ側にはずらりと本棚が並んでいた。反対側は一面窓だったけど、そこから見える空はどんよりと曇っている。


 サッ、とあたしは振り向いた。

 ……誰もいない。見られてるような気がしたんだけど……

「お化け屋敷みたい」

 あたしはつぶやく。町にサーカスが来るとき、いつもお化け屋敷があるんだけど、それを思い出したのだ。あのお化け屋敷は楽しいけど、この城は不気味でしかない。


 あたしは静かに歩き出した。誰も見張りがついていないんだから、城から逃げ出せる可能性だってなくはない。ダメで元々だ。

 長い廊下を歩きながら、ちらちらと窓の外を見た。かなり高さがあるみたいで、下の方は靄に霞んでいる……何階だかわからないけど、魔王の言っていた通り、城、なのだろう。結構古びて汚れてはいるけど、色々豪華だし。


「……そうだ」

 足を止めて、あたしはつぶやいた。

「よく考えたら、あのかっこいい軍人さんはあたしの家に、あたしを助けに訪ねてきたんだもん。きっと今頃、あたしのこと探してる。ここまで助けに来てくれるかも」


 そのとたん、ガッシャン! とすごい物音がした。

 はじかれたように振り向くと、石の台に載っていたらしいきらびやかな壷が落ちて割れ、床でかけらが揺れている。その向こう、廊下の角で黒い影が動いたような……気のせい? でも、確かめに行くのは怖い。

 と、とにかくこの城(?)のなるべく高いところに行って、エプロンを振るなり、のろしでも上げるなりしてみよう!


 とてもいい考えに思えて、あたしは急ぎ足で廊下を進んだ。階段を見つけて上ってみる。再び廊下に出ると階段を探し、見つけては上っていく。


 でも、おかしなことに上っても上っても最上階にたどり着かず、それどころか見覚えのある場所に出てきてしまった。無惨に割れた壷の欠片が、廊下の片側に散らばっていたのだ。


「何なの……この城……」

 ふと息苦しさを覚えて、あたしは廊下のソファにへたり込んだ。頭がぐらぐらする。

「何だか変……ちょっと、気持ち悪く……?」

 座っているのも辛くなって、あたしはずるずると横になった。目を開けていられず、気持ち悪さに耐える。

 気が遠くなる――


 脇の下と膝裏に何かが触れ、身体を持ち上げられた。

「ん」

 かろうじて、薄目を開けた。

 若い男の顔だ。赤い瞳──さっきの、魔王。


 急に視界が暗くなって――

 ――意識が浮上すると、あたしは再び草原部屋の寝台の上にいた。


「……気分、直ってる。休ませてもらった……?」

 胸に手を当ててつぶやいたあたしは、仰向けになったまま、しばらく青空を眺めた。空気が澄んでいるように感じる。

 本当に大丈夫のようなので、そっと身体を起こした。


 すると、扉が半分開いていて……また、あの魔王が顔だけ覗かせていた。あたしはぎくりと固まる。


「目が覚めたか」

 さっき聞いたばかりに思える台詞を言うと、魔王はあたしに指を突きつけた。

「お前はフォッティニア人だ。イドラーバの空気に慣れていない。命が惜しければ、あまりこの部屋を長時間離れないことだ!」


 そしてあたしの返事も待たずに、サッ、と顔を引っ込めた。扉が静かに閉まる。

 あたしはポカーンと、それを見送った。


「ええと……それって、この部屋にいれば大丈夫って意味? 何で?」

 首を傾げながら、あたしは考える。

「よくわからないけど、とにかくここはイドラーバの空気じゃないってことよね。で、部屋の外はイドラーバの空気だから、慣れていないあたしには合わなくて、少ししたらここに戻ってこないと具合が悪くなっちゃう、と……」

 ……それって逆に言えば、慣れたら長時間外に出ても大丈夫ってこと?


 じゃあ、少しずつ外に出て、イドラーバの空気に慣れたら……

 好機が訪れた時に、逃げ出すことができる?

 でも、結局さっきみたいに迷うだけかも……


 トントン、とノックの音がして、あたしはびくっと身体を竦ませた。声を出せないまま扉を見ていると、少しして向こうから開く。


 そこにいたのは、巨大ネズミだった。


 二本足で立ったネズミの身長は、あたしの胸くらい。お屋敷使用人風のお仕着せ姿だ。深緑色のワンピースは黒のレースで縁取りがしてあり、白い毛並みに映えてよく似合う。同じ深緑色のエプロン、それに耳にも黒いレースの飾りがついてたけど、よく見ると黒く短い角が一本……ああ、魔族だもんね……って。

 呆然とするあまりマジマジと観察しちゃったわよっ!


 寝台の上で固まったままだったあたしに、ネズミは優雅にお辞儀をすると、あたしの横をちょこちょこと通り過ぎた。そして、まず右手(右前足?)に持っていた水差しの中身を、台の上に置いてあったボウルに空けた。次に、腕にかけていた籠を、私の膝にちょこんと載せる。籠には綺麗な布がかかっていて、中は見えない。

 ネズミはまた扉の所まで戻ると、あたしに向き直り、再び優雅にお辞儀をした。そして、部屋を出ていった。


「……」

 あたしはそっと寝台から身を乗り出した。脇の台のボウルに入っているのは、ただの水みたい。手や顔を洗うのに使うのかな。


 それから、膝に置かれた籠にかかっていた布の角をつまんで、持ち上げてみる。

 中には深皿が一枚入っていて、油で揚げた魚が三匹と丸いパンがひとつ、入っていた。あと、瓶に入った紫色の飲み物。

「いやいやいや……怖くて食べられないでしょ、ここの食べ物なんて」

 思わずつぶやいたけど、同時にお腹が「ぐぅ」と鳴る。


 ……時間の問題のような気もしてきた。どうせ空腹に耐えられなくなって食べるなら……

 細長い魚をつついてみると、温かい。揚げたて? 頭から食べられそう。一応調理してあるものなら、生よりも安心かも。と、心の中で言い訳をして……


 ……我に返ると、あたしは口をもぐもぐさせながら二匹目の魚に手をのばしていた。

「あー、こんな時にまで食い意地張っちゃった……でも、魔王の城で出る食事なんて、もっと不気味なものかと思ってた。謎の肉とか」

 本当に油で揚げただけの魚だったけど、普通に美味しいのだ。パンも柔らかい。

 あたしは瓶の栓を開け、少しだけ口に含む。……葡萄酒だ。葡萄酒は、まあ……魔王の城「っぽい」。酔うといけないから少しにしておこう。

 食事を終え、あたしはもう一度、布を籠にかけた。


 ……逃げられなかったら、こんな毎日が続くのかな。これから先、ずっと。人ならざる生き物に囲まれて……


 しばらくその籠をじっと見つめてから、枕元に置いて、寝台を降りた。

 寝台の脇に、あたしの肩掛けカバンが置いてある。

 かぶせの部分を開き、あたしは中に手を入れた。そして、小さな布包みをひとつ、取り出す。布を取り去ると、中からガラスの小瓶を取り出した。


 あたしの暮らしていたガーヌの町には、有名なガラス器の工房がある。あたしは少しずつお金を貯めて、可愛らしい小瓶を買うのを楽しみに、毎日働いていた。

 本当に小さな小さな瓶しか買えなかったけど、夜、暖炉の炎を透かす瓶は揺らめいて、まるで綺麗な妖精のようで。ひとりぼっちの家の中に、美しさと温かみをくれた。

 これは、そのうちのひとつだ。


 あたしは寝台の枕元に腰掛けると、瓶の栓──栓もガラスでできている──を抜いた。

 中には薄黄色い液体が入っている。間違えないように、匂いを嗅いで確かめる。


 これだ……

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