14 side オリーヴ 【あたしは王妃】
その日の夕食を、あたしは食堂で一人で食べた。
魔王、どこに行ったんだろう。何だかまた、様子がおかしくて……
……昼間、あたし、魔王に触れられるのを嫌だと思わなかった。前よりも近くにいること、好かれていること、優しくされることを嬉しいって思って、このままイドラーバで暮らしていってもいいんじゃないかって、思った。
もしかして、それを見抜かれたんだろうか。
だって、あたしが魔王の傍にいるのは誘惑のためでもあるって、魔王は知ってる。もし、あたしが子どもを作るために、魔王を受け入れるふりをしてるって思われたら……
魔王はあたしと、一度、うんと距離を置こうと考えたのかもしれない。
「オリーヴ様、食事、おいしくない? おなか痛い?」
今日はエドラさんが来ていて、あたしがあまり食べないのを見て心配そうに聞いてくれる。あたしは首を横に振ったけど、スプーンを置いた。
そして、つぶやく。
「今までより近づくことが嬉しいって思ったけど、魔王にとってはそうじゃなかったのかな。今まで通り、極端なくらい離れてた方が、魔王にとっては良いのかな」
エドラさんは不思議そうにしていたけど、やがてこう言った。
「王様から降ってくる力、昔より気持ち良くなったネ」
「気持ちいい?」
「昔と変わった。オリーヴ様を好きだからヨ!『好き』が変わったからヨ!」
「『好き』が変わった? それって、戦いを好きなのとあたしを好きなのとでは、魔王の生み出す力が少し違うってこと?」
「たぶん!」
「たぶんか」
あたしは思わず突っ込みながら、考える。
四百年戦い続けて、欲望を満たして『王の力』を生み出していた魔王。今になって、全く別のことで欲望を満たしたら、力の質が変わった。力が食事の代わりなのは同じみたいだけど、イドラーバの民は皆、あれっと思ってるだろうな。
その時、ノックの音がした。
はっ、と、あたしは息を飲む。
魔王……!?
「はい」
あたしが急いで答えると、扉が開いた。
……でも、そこに立っていたのは魔王じゃなくて、黒い犬頭のすらりとした男性──ギルフだった。
「バルジオーザ様は戻っておいでではないですか、戻ってらっしゃいませんね」
ギルフは食堂の中を見渡すと、すぐに立ち去ろうとした。あたしは急いで呼び止める。
「待って! あの、魔王はどこに行ったの?」
「黒枯の森です」
ギルフはさらりと答える。
「黒枯の森……イドラーバの民の故郷だっていう森? どうして?」
「竜人族と戦いに行ったのです」
えっ。竜人?
フォッティニアと隣合わせのイドラーバ、そのさらに向こうのことは、あたしは全然知らない。でも、いかにも恐ろしげな名前だ。
「竜人族、って……あの……そんな人たちがいるの? 強い、のよね?」
「我々の始祖にあたる存在です。我々の角は、竜の角の名残ですから。彼らは我々より長い年月を生き、竜に化身する者もいる。半端ない強さです」
ギルフは軽くため息をつくと、あたしに言った。
「バルジオーザ様に、何をなさったんです?」
「えっ? あたし、何も」
驚いていると、ギルフは続ける。
「色々我慢しきれなくなって、戦わなければ収まらないような感じでしたよ。フォッティニアに行くわけにはいかないから、森に行くと。色ボケを叩き直すつもりじゃないですか」
あたしが、フォッティニアに行かないでと言ったから。
あたしが、魔王との距離を詰めようとしたから……
「負けたら、どうなるの?」
つぶやくと、ギルフは当たり前のように答える。
「そりゃ、死ぬでしょう」
あたしは思い出す。
フォッティニアとの戦いでもそう、「我らが負ければ、我らが死ぬだろう」と言ってた魔王。
あの魔王が本当に死ぬところなんて、想像できない。でも、不死身じゃないみたいだから、強いものと戦って負ければ、当たり前に、死ぬ。
「ま、バルジオーザ様が死ねば我々にはわかります。他の者に『王の力』が移り、その者から力が届くようになりますから。そうなったらオリーヴ様にもお知らせしますよ」
ギルフは淡々と言って、食堂を出て行った。
夕食の後、あたしは廊下の窓から外を眺めた。
夜空は今日も曇っていて、星も月も見えない。遠くの方で、雷鳴が轟いている。
「クリーチィ、黒枯の森って、どっち?」
聞くと、一緒にいたクリーチィが小さな手で、あたしから見て左手の方を指さした。黒々とした影しか見えない。
でも、あたしはしばらくそっちの方を見つめ続けていた。
翌日になっても、翌々日になっても、魔王は姿を現さない。
どこからも、魔王の視線を感じない。洗濯していても、食事をしていても。
落ち着かなくて、あたしは夕食を厨房で取らせてもらった。
……魔王がいないことが、寂しい、なんて感じる日が来るなんて。
そうして、魔王がいなくなってから十日が過ぎた。
夕食の後で、廊下のソファに腰掛けてお茶を飲むのが習慣になった。飲む間、あたしは窓の外を眺めている。黒枯の森の方を。
その日は珍しく月が煌々と照っていて、夜空は明るかった。まんまるの月があまりに綺麗で、心の染みも綺麗になるような気がした。あたしはお茶を飲むのも忘れ、窓から射し込む月光を浴びながら、空を見つめていた。
そろそろ、部屋に戻ろう……と立ち上がったとき。
月を背に、黒い小さな影が、ふらふらと横切ったのが見えた。
「あ」
あたしは窓に駆け寄り、見上げた。
何かが夜空を飛んでいる。大きな翼、それにマント……?
今にも落ちそうに揺れながら飛んだ影は、あたしの視界から消えた。でもたぶん、あの方角は、この城の塔!
「ま、魔王!」
あたしは呼んでみた。
しばらく待ったけど、魔王は現れない。どの扉の隙間からも、あの赤い瞳は覗いていない。
「クリーチィ! ギルフさん! 誰か、いる!?」
廊下を見回しながら、声を上げた。すると、三つほど向こうの扉が開いて、黒い犬頭が姿を現した。
「お呼びですか」
あの部屋、どっかとつながってたのか。
あたしは思いながらも、ギルフに駆け寄って言った。
「魔王、戻ってきたんでしょ?」
「そのようで」
いつもシラーッとしているギルフは、今日も同じ調子だ。あたしは言った。
「どこにいるの? そこに、あたしを連れて行って」
今どんな状態なのか、どうしても確かめたい。ああ、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。どうして魔王なんか、心配してるんだろう。
ギルフは視線を窓の方に反らして言う。
「オリーヴ様を別棟から出して良いとは、聞いておりませんので」
あたしは声を抑えながら、言った。
「何であなたに閉じこめられなきゃならないの。あたしは王妃です、魔王のところに連れて行きなさい」
「えええーっ! まさかの自覚!」
ぱっ、とこっちを見て、珍しく目を見開く黒い犬。
うるさいなぁ、あたしだって違和感バリバリよっ! でも、こうとでも言わなきゃ、言うこと聞いてもらえないでしょうが!
「早く、連れて行きなさいっ!」
「かしこまりました、王妃様。でも、王妃様の命令だってことは、バルジオーザ様に言って下さいよ? 全くもう」
ギルフはぶつくさいいながら、横目であたしを見た。
「ところで、王妃と自覚なさったなら、せめて『魔王』という呼び名はやめて差し上げてはいかがです?」
いぶかしく思ったあたしは聞き返した。
「え、何で」
ギルフは淡々と言う。
「その呼び名は、フォッティニアから見てのものでしょう」
……そういえば、魔王が自分を「魔王」と呼ぶのを聞いたことはないし、エドラさんやギルフさんが「魔王様」なんて言うのも、聞いたことない。「バルジオーザ様」か「王様」で……
そうか。フォッティニアの人にとっては、謎の戦いを仕掛けてくる強い生き物は「魔」──災いをもたらす存在だから、「魔」。だから「魔王」。
でも、イドラーバの民にとっては違うんだ。「魔」なんかじゃない。あの人は、イドラーバの国王陛下だから。
そして、あたしにとってももう、「魔」だとは思えない。
「で、どこから行くの」
「こちらです」
あたしはギルフに導かれ、彼の出てきた扉の中に入った。そこは書斎というのか、立派な書き物机に椅子、本棚がいくつかある部屋で、本棚の一つが手前に開いている。
その向こうから、ランプの灯りが漏れていた。
ギルフが手で、そちらを示す。
あたしはゆっくりと、本棚を回り込んだ。
本棚の向こうはぽっかりと洞窟のような空間になっていて、数歩進むと赤いカーテンが幾重にも開いていた。その向こうがぼんやり明るくなっている。
カーテンを抜けると、暗い部屋の中に大きな天蓋つきの寝台があって、ランプの灯りに浮かび上がっていて。
その上に、血だらけの魔王が横たわっていた。




