12 side オリーヴ 【痴話喧嘩みたいじゃないの】
『好きだ』
魔王はそう言った。
あたしを、好きだって。
急いで顔を伏せながらも、あたしは視線を泳がせていた。
魔王があたしを好きなんじゃないかって、だいたいわかってたことを、魔王の口からハッキリと聞いただけだ。普通は、相手との関係を変えようとして告白するんだろうけど、魔王はそうじゃないだろうし(だってあたしがどう思うかは関係ないって言ってたし)、何も、状況は変わらない。
それなのに……『好きだ』って聞いたとたん、どうして、顔が熱くなるの? どうして、こんなにうろたえてるの?
……ああ、そうか。
だってあたし、異性に「好き」って言われたの、初めてだから。
ガーヌでは、あたしを恋人にしようなんて物好きの男はいなかった。あたしから好きになった人はいたけど、近づくとさりげなく、避けられた。
一つ、深呼吸をする。
ちょっとちょっと、魔王は異性どころか、異種族だよ。動揺している場合じゃないでしょうがっ。冷静になって話の続きをしよう。
今この時は、甘い告白の場面じゃない。駆け引きの場面だ。
あたしは顔を上げ、魔王を見た。魔王は、表情はわかりにくいけど、何やら汗をだらだらかいている。
……きっと、隠し事に慣れてないんだろうな。
だって、欲望に忠実に生きるのがイドラーバの民なわけで。今までは、何も隠す必要、なかったんでしょう。
もしかして、あたしを好きだってことが、初めての隠し事だったの? どうして隠してたんだろう。自分を殺す子を産む女を好きになったなんて、認めたくなかった、とか……?
けれど今、魔王は言ったのだ。あたしを好きだと。
「バカね……それを知ったあたしが次にどうするか、予想はしてるんでしょ?」
唇を舐めて湿し、あたしは続ける。
「今、あたしの近くにいる男は、あなただけ。誰の子でもいいから、とにかく産んじゃえば、その子があなたを倒してくれる。そう、よね?」
占いとか予言とかって、受け取りようによってはどうとでも取れるもんだっていうけど、『フォッティニアの敵』はずっと昔からイドラーバだ。『フォッティニアの敵を滅ぼす』ってことは、当然、イドラーバを滅ぼすことになるはず。
「ハハッ。我とオリーヴの子か。王族の子だ、さぞ強い力を持つだろう。次の王を産みたいのか?」
威圧感のある言い方をしているけれど、魔王が焦っているのが何となくわかる。
あたしは首を横に振った。
「ううん。それじゃ、イドラーバを滅ぼすことにはならない。あたしがあなたの子を産んだとしても、その子は強い力を持たない、ってことだと思う。きっと、あたしの子に倒されたあなたの『王の力』は他の人に渡って、その人は王族ほど強くなくてフォッティニア軍に倒されるのよ。王族の血が絶えるんだ。イドラーバはそうしてどんどん弱くなって、滅びる。予言の通りにね。きっと、そう」
そしてあたしは、静かに立ち上がった。
「……オリーヴ?」
一歩、魔王が後ろに下がった。あたしたちの視線が、しっかりと絡み合う。
あたしはその場を動かないまま、言った。
「お願い。側にいて。フォッティニアには行かないで」
魔王にねだる声が、少し震えてしまった。
「あたしだって、自分の子に父親を殺させるなんて、したくない。でも、あたしはあなたを誘惑しつづける。だって、フォッティニアに戦いに行ってほしくないから。フォッティニアの人を殺さないでほしいから。フォッティニア軍の方は、あたしのことなんかもう見捨ててると思うけどね。……『魔王を倒せるのはオリーヴの子だけ』って予言だったら良かったのに。そしたら、あたしのこと、死にものぐるいで助けてくれたかもしれないのに」
目尻ににじんだ涙を、手の甲で乱暴に拭く。
ガーヌの町の人は、あたしを『家族』にはしてくれない。フォッティニア軍には、あたしを助けに来る力がない。もし何かの方法で帰れても、すぐに誰かの子を産めって言われるだろう。この、少し可哀想な魔王を倒す子を。
『予言』の真実は、あたしから、フォッティニアに帰りたいという気持ちを奪いつつあった。
だからって。
母さんと暮らした故郷を、嫌いになんてなれない!
「ねぇ、どうする? あたしは少しずつ、あなたを誘惑する。あなたはそれに耐えられる? あたしに飽きる日まで耐えるなんてバカバカしくない? 耐えられなくなる前に、あたしを殺した方がいいと思わない? 種族だって違うんだし」
魔王は、うっすらと唇を開いたまま、何も言わずにあたしを見ている。
そんな、まっすぐに、見つめないで。
あたしは目を伏せ、一気に言った。
「あたしなんか好きになるからいけないんだ。そんな気持ち、早く諦めた方があなたのためだよ。ね、すっきりしよう? 気が向いたらいつでも殺してくれていいから。できれば一息にやってね。それを言いたくて呼び出したの。じゃあ」
そして、魔王の返事は待たずに、自分の部屋の扉に駆け寄った。
「オリーヴ!」
急いであたしを呼び止める、魔王の声。
その声に、なぜか嬉しさのようなものが含まれているのを感じて、あたしは驚いて振り返った。
赤い瞳が、まるで宝石みたいにきらめいている。魔王は言った。
「王族は、子を一人しか作らない、と話したのを覚えているか?」
あたしはハッとした。
「あ……じゃあ……あなたが誰か他の女の人に子を産ませれば、あなたとあたしの間に子が産まれることは、もう、ない……?」
「そうなるな」
「じゃあ、そうすればいいじゃないのっ!」
あたしはカッとなって、思わず叫ぶ。
「仮にもイドラーバの王様なんだから、女の人なんて引く手あまたでしょ!? あなたがさっさとどこかで子ども作っちゃえば、あたしがあなたを誘惑したって、痛くも痒くもないじゃない! あとはあたしが他の男の子を産まないように閉じこめて、あたしを好きにできたのに、何でそうしないの!?」
すると、魔王は嬉しさを含んだ声のままで、自慢げに言った。
「我が好きなのは、お前だからだっ。他の女との間に子を作りたいと思わぬ!」
「ハァ!?」
あたしは呆気に取られた。
「ま、魔王のくせに何言ってんの、それくらいやんなさいよっ! だいたい四百年間なにやってたのよ、ずっと独身!?」
「独身だっ。特定の女などいなかった!」
「四百年、童貞!?」
「それはっ……それなりにっ……とにかく一度も子が産まれることはなかった!」
「何その言い訳みたいなっ!」
ああもう、これじゃあまるで、あたしが魔王の過去の恋愛を責めてる痴話喧嘩みたいじゃないの、ばっかみたい!
思わず頭を抱えるあたしを、魔王は目を細めて見つめている。
だから! 何でそんなに嬉しそうなの!?
「……お前は」
魔王は、まるで陶然としているかのように、つぶやく。
「怒っていても、美しいな」
「────! もう知らない!」
あたしは部屋の扉を開けて中に飛び込み、思い切り音を立てて閉めてやった。
水差しから直接がぶがぶと水を飲み、あたしは口元を手の甲で拭いながら荒い息をついた。
何なのよあの魔王は……っ。本当にっ、十代の少年じゃあるまいし、あれでもイドラーバの王なの!? やりたいようにヤリまくればいいのに、なんでそうしなかったのよっ!
……待って。冷静になって、考えてみると。
四百年、それなりに女の人とつきあってきたとして、一度も相手が妊娠しなかった、なんてあり得る? 四百年よ? 子どもができない体質? まさか本当に童貞じゃないでしょうね。
その時、ふと、思いついたことがあった。
しつこいようだけど、四百年、やることやっていたとして。特定の相手はいなかった、なんて言ってたけど、行きずりでも何でもとにかく。
魔王が知らないだけで、子どもが産まれてる……ってことだって、あり得るのよね?
それとも、産まれたら絶対に、魔王にはわかるんだろうか。さっき「一度も子が産まれることはなかった」なんて言い切ってたけど。
隠し事は苦手みたいだから、一応それを信じるとして……
食事の仕方だって、あたしとは全然違う、イドラーバの民。
もしかして、男と女のあれこれとか、子どもを産むことについても、フォッティニアの常識とは全然違うってこともあり得るんだろうか……?




