10 side バルジオーザ 【近くの部屋に引っ越し】
「つまり、あたしとあまり仲良くすると、領主様に睨まれる可能性があったってわけ。下の息子──母さんを巻き込んだ男の弟が領主を継ぐんだろうけど、弟の方も母さんを恨んでるし」
オリーヴはうつむいて、続ける。
「ガーヌの人たちは、優しいの。母さんが悪くないのをわかってて、あたしを気にかけてくれてた。お店をやっていれば、そういう人たちが染み抜きを注文しがてら、あたしに会いに来てくれる。あたしとおしゃべりしてくれる。家族として一緒に生きてくれる人はいなくても、こんな風に穏やかに時間が流れて、年を取っていくなら、それでもいいって思ってた。でも」
顔を上げたオリーヴの、深い緑の瞳が、我を鋭く射抜く。
「二百年? ここで? ふざけないでよ!」
怒りに頬を紅潮させ、目を潤ませたオリーヴは、とても美しかった。
それなのに、我は苦しい。怒る彼女も美しいだろうと想像し、そしてそれを見ることが叶ったのに……なぜ、辛いのだ?
オリーヴが、辛いと感じているからか?
我が黙ったまま、何もできずにいると、テーブルの向こうのオリーヴはハッとしたように表情を変えた。
「ごめん、なさい……でも」
「わ、我がふざけておるように見えるか? ハハッ。イドラーバの王たる我の方が、ガーヌの者たちよりもお前のそばにいるというのは、皮肉なものだな! 身体が慣れ、もっと贅沢できるようになれば、気分も変わる。町も見に行くのも、叶えてやると言ったではないか」
そう。オリーヴの意志に関係なくさらったのは我だが、それでオリーヴが家族を得たなら、それでいいではないか。同時に我も……そう、我も家族を得た。
そうか。我も、今まで一人であったのだった。
今さらながらにそれに気づいた我は、口をつぐんだ。
「…………」
指先で涙をぬぐったオリーヴも、しばらく黙っていた。
やがて、顔を上げる。
「……あの」
静かな表情。我は緊張しながら答える。
「何だ」
「あなた、あたしがいかにもフォッティニア人だから近づいてこないんでしょうけど、あたしがもっともっとイドラーバに染まったら、近づくの?」
ぐっ、と我は詰まる。
オリーヴに近づきすぎれば、我は辛抱できなくなる。その自信があるっ。
その結果、子が生まれ(オリーヴが我の子を……ぐはっ)、生まれた子が我を殺せば、オリーヴは。
「ねえ、どうなの? 教えてよ」
オリーヴは問いつめてくるが、イドラーバに慣れる慣れないは関係ない。本当なら今すぐ抱きしめたい。しかし予言が本当になれば、オリーヴは自由になって他の男にっ……
……あの予言のことは、オリーヴには教えたくない。
なぜなら、誰の子でもいいから産むべきだと思ってしまうかもしれないからだ。
そして、一番手っ取り早いのは、今近くにいる我を、誘惑すること。
「お前は何も知らなくて良い」
だらだらと首筋に汗をかきながらも、余裕のあるふりでそう言ってグラスを傾けると、オリーヴは苛立った声で言った。
「あたし、本当に、あなたの妃なの?」
「そうだ。逃げることは許さぬ」
きっぱりと言うと、オリーヴは顔をゆがめ、震える声で言った。
「イドラーバはフォッティニアにとって敵なのに、王妃として贅沢に暮らすなんて、できると思う? あたしは、死んでもいいから逃げたいっ」
「何だとっ」
感情が高ぶり、力が膨れ上がるのを感じたとき、オリーヴは一気に言った。
「王妃とかどうでもいいから、もう少しくらい近くで暮らしたらどうなのよっ」
……もう少し、近く?
オリーヴは続けた。
「誰かの気配くらい感じたい。せめて同じ建物で暮らしてもいいじゃない。家族、なんでしょ?」
家族。
その言葉に、我は反射的に答える。
「わかった、そうしよう」
「ほんと?」
オリーヴは観察するように、我をじっと見つめる。
「絶対よ。あたしが部屋を移動する? それとも、あなたがあたしのいる建物に来るの?」
「か、考えておく。いいからお前は、今日はもう部屋に戻れ」
「約束ね?」
念を押すオリーヴ。我がうなずくと、薄く笑みを見せて彼女もうなずいた。
そして立ち上がり、一度扉のところで我を振り返ってから、食堂を出て行った。
しばらくの間、グラスを見つめていた我に、声がかかった。
「約束なんて、本気ですか」
背後の垂れ幕の陰からギルフが現れ、我に近寄る。
「こりゃ、予言が当たるかな」
「うるさい」
我は立ち上がった。
「オリーヴが死ぬのは我慢ならん。家族として我が近くにいなければ死ぬ、というなら、そう振る舞ってやる。それ以外は今まで通りだ。別棟の四階に、我の部屋を用意せよ!」
ギルフは肩をすくめると、バルコニーから飛び立って行った。
我はそれを見送ると、もう一度グラスを手にする。
しかし、それを傾けることなく、
「……三階の方が良かったかな……オリーヴと同じ階の。いや、やはりそれはまずい、昼間にばったり会う可能性があるではないか。いやいや、オリーヴの方が四階に来たり? 部屋にやってきて『だって家族だし』などと言われたらどうする? ええいうろたえるなバルジオーザ、空間をゆがめていちいち距離を取ればいいだけの話だ。……ところで、我もあの浴場を使うか? 中でばったり会う可能性があるではないか。家族なら当然か? いやいやいやいや」
と様々な可能性を脳裏に描き、食器を下げに来たクリーチィに怪しまれたのだった。
翌日。
我はオリーヴの部屋の前の廊下で、窓の外を眺めていた。部屋の扉からは距離を取り、階段の近くに立っている。
どれくらい待っただろうか。オリーヴの部屋の扉が開く、カチャッ、という音がした瞬間、我はサッと歩き出した。扉には、背を向けて。
背中に、オリーヴの視線を感じる。
そうだ、我を見ろ。我の動きを視線で追え。
我は階段を上り、四階へ向かった。
「……よし。オリーヴは偶然、廊下で我を見かけた。我は階段を上っていった。ということは、我が同じ建物内にいるということはひとまずわかっただろう。よしよし」
我は四階中央の部屋に入った。ここが、新たな我の私室だ。オリーヴの部屋の、真上だ。
この下に、オリーヴがいる。もしこの床に小さな穴を開けたら、オリーヴが見え……いやいや、それはやりすぎと言うか。王の矜持に関わる気がする。
そうだ。例えば、オリーヴが洗濯するものを探しに出たときに、廊下のテーブルにさりげなく茶器を置いておくのはどうだ? 我がここで茶を飲んでいたのだな、と、オリーヴは「夫」の存在を感じ取ることができるではないか。
「我はここにいるぞ、オリーヴ。だから安心して暮らせ」
つぶやきながら、部屋の中をぐるぐると四周する。足音で、彼女が我の存在を感じ取るといいと思ったのだが、よく考えたらそこまでこの床は薄くなかった。
「オリーヴの部屋の前を歩いてくるかっ」
我は廊下に出て行った。




