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9 side オリーヴ 【予言録は語る】

 ふっ、と目を開くと、部屋の中は薄暗かった。

 昼間は、天井を透かしてか光が入ってくるんだけど、まだ夜明け頃ということかな。


 ……昨日の夜、何だか、魔王の様子が変だった。怒ったように見えたけど、やっぱりあたしに手出しはしてこなくて。何だったんだろう。

 そんなことを考えながら寝返りを打った時、頭に違和感があった。

「……?」

 あたしは起き上がり、頭に手をやる。

 何か、固いものが……頭にくっついて……?

 はっ、とあたしは寝台から飛び降り、鏡台に駆け寄った。

 目を見開いた、あたしの顔。そしてその頭には。

 二本の角が──!



「きゃあああ!」

 悲鳴を上げて飛び起きる。部屋は明るい。

「嫌、取って、とっ……」

 つかむようにして頭に触ったとき、手に触れたのは、髪だけ。パッと寝台から降りて、鏡台に駆け寄る。鏡には、青ざめたフォッティニア人の女が映っているだけだった。角なんてない。


「……っはぁ、はぁ……夢……」

 どっ、と汗が吹き出した。

 身体がイドラーバの民のようになってしまうんじゃないかと思っていたから、あんな夢を……


 トントン、とノックの音がして、また悲鳴を上げそうになった。

 扉が開いて、クリーチィが入ってくる。

 あたしがよほどひどい顔色をしていたのか、クリーチィはぶわっと毛を逆立て、駆け寄ってきた。

「チィ!? チィチィ!?」

「だ、大丈夫。ちょっと怖い夢を見ただけ」

 寝台に戻ろうとするあたしに、クリーチィが手を貸してくれようとする。ちっちゃくて可愛らしい手だと思っていたけど、今のあたしにはその「獣」の手が少しだけ恐ろしくて、「大丈夫」ともう一度言って自分で歩いた。

 腰掛けてため息をついていると、クリーチィは朝食の盆を運んできた。

「チィ」

「……ああ、うん……パンとお茶だけもらうわ」

 あたしは盆の上を見て、言った。あの夢を見た後じゃ、イドラーバの食べ物を口にする気にはなれない。

「ちょっと疲れが出たみたい。入浴もやめておくね。洗濯は、気分転換になるから、するかもしれないけど」

 そう言うと、クリーチィは「チィ」と返事をして、部屋を出ていった。


 形ばかり朝食に手をつけ、しばらくゴロゴロしていたあたしは、やがて起きあがった。やっぱり落ち着かない、洗濯しよう。「フォッティニア人のあたし」らしく。今日は何を洗おうか?


 あたしは廊下に出た。近くの部屋のもので、洗える大きさのものは、だいたい洗ったような気がする。次はどこに……

 少し奥に進むと、下りの階段が現れた。

 

 下り?


 あたしは首を傾げ、それからハッとして廊下の窓に駆け寄った。

「地面が見える……! 今までは見えなかったのに!」

 下に、庭園らしきものが見えたのだ。あたしがいるのは三階みたい。


 もしかして、今、この建物には魔王の力が働いていない……?


 あたしは即座に部屋に駆け戻ると、大事なものだけ布カバンに詰め込んでまた廊下に飛び出した。さっき見た階段を駆け下りる。普通に降りられる──自分の部屋の近くに戻されることもない。


 魔王、今、いないんだ!

 フォッティニアに戦いに行ってしまったのかもしれない。そう思うと胸が痛んだけど、考えていても仕方ない。

 身体はもう、ほとんど慣れたと思う。逃げる好機が来たんだ! 


 喜び勇んで駆け下りたのに、階段は二階までしかなくて、あたしはまた一階への階段を探してさまよう羽目になった。廊下は扉だらけで、階段が見あたらない……どこか、部屋の中か、部屋をつっきった向こう側に階段があるのかも。

 あたしは片っ端から扉を開けていく。でも、小さな部屋ばかりで、階段や抜け道はないように見える。


 やがて、両開きの扉の前にやってきた。金の飾りのついた、黒くて大きな扉……ここなら、中に階段や通路があっても不思議じゃない雰囲気。最初からここを開ければ良かった。

 あたしは一気に、扉の取っ手を引いた。


 そこは、大きな図書室だった。

 といっても、本棚はない。壁には一面、文字の彫り込まれた石板がはめ込まれている。

 扉からまっすぐに通路が伸び、両脇に長机がいくつもある。机は平らではなく手前に傾斜していて、本が表紙を上に向けて何冊も載せられ、鎖で机に繋がれていた。あれでは本を動かせないから、人間の方が読みたい本のところに移動して読むのだろう。

 一番奥、突き当たりの壁に、扉が見えた。あそこを抜ければ……


 長机の間の通路を、ゆっくりと歩き出す。ちらちらと周囲に目を走らせていると、ささやき声が聞こえて思わず足を止めた。まるで、図書室の中に何人も人がいて、声を潜めて話をしているみたいに。でも、誰もいない……


 あたしはハッとした。

 違う。この声は、本から聞こえてくるんじゃ……。本たちが、何か話をしている?


『オリーヴ』


 名前を呼ばれ、あたしはパッと振り向いた。

「……誰?」

 ささやき声に紛れていたけど、確かにあたしの名前だった。左の、後ろの方?


 おそるおそる、左手の長机に近づく。でも本に触るのは怖くて、あたしは置かれている本の表紙だけを順に眺めていった。

 赤い皮の表紙の『天文学』、茶色の皮に黒の鋲の打たれた『動物誌』、紺色に何か銀の紋章の入った『建築書』。

 そして──真っ白な皮の表紙に金文字の入った、『予言録』。


 予言……


 あたしは引き寄せられるように、その本に手を伸ばした。皮の表紙をそっと開く。

 最初の頁の一番上に、『青陽歴二六五年 花の月』と書かれている。あたしが生まれるよりずっと前だ。


 とたん、声がした。

『神は、予言する』

 驚いて手を離したあたしの耳に、図書室中に響くようなその中性的な声は告げた。

『フォッティニアの玉座に、女王が登るであろう』


 女王……。今のフォッティニアは男の王様だけど、あたしが生まれる前に、フォッティニアには女王様がいたと聞いたことが……

「これは、今までの予言を記録した本なの?」

 あたしは緊張しながらつぶやく。 

 この本は、過去の予言を、予言者の声ごと記憶しているのだ。


 あたしは急いで頁をめくった。本は勝手に、すでに現実になった予言を次々と読み上げていく。イドラーバで異常気象が起こったこと、フォッティニアで大きな地震があったこと……


 そして、あたしは一番新しい予言の頁を見つけた。年と月は、あたしがガーヌからさらわれた時のもの。きっとこれが、あたしに関する予言。

 心臓が喉から飛び出しそうだ。


『神は、予言する』

 声が、響く。

『フォッティニア王国ガーヌの町に住む乙女、名をオリーヴ――』


 あたしの、名前。さっき聞こえたのは、この本がこの頁をささやいていたからか……

 声は躊躇なく、淡々と、言った。


『――彼女が産む子は、フォッティニアの敵を滅ぼすであろう』


 ……えっ……?


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