火の曜日
昨日リリアは訓練のあと、子守りの依頼をこなした。人見知りをする幼児にはちょっと困ったけど、水と光の精霊に頼んで虹を作り出し何とか留守番が出来た。早く級を上げたい一心だった。
しかし、今日は火の曜日。神殿にいく日だった。野暮ったい見習いの服を着て、食堂へ降りて行く。
「おはよう、お母様」
神殿までは距離があるため、早めに朝食を済ませて馬車で出なければ間に合わない。
母はそれに合わせて待ってくれていたようだ。
「今日は初めての火の曜日でしょう。
忘れ物はない?一人で大丈夫?帰りの馬車は夕方の六時でいいのかしら」
神殿での生活を知らない母にとっては、心配事は尽きない。特にちゃんと帰って来るか心配らしい。
「ええ、それで大丈夫。見習いだから裏方の仕事が中心だしね。
ちゃんと帰って来るわ」
馬車に乗るところまで見送るという母を断わって、ここで挨拶を済ます。
「行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けて」
食堂を出てそのまま馬車に乗り込む。
基本的に必要なもの何て何もない。この身一つあればよい。念のため少しは銅貨と銀貨は持ち歩くようにしているが、神殿では使い道がない。儀式の礼金を受けとる立場なのだ。
天啓の儀式は九時から始まる。それまでに巫女や神官の儀礼服を整え、天啓を受ける者を案内する等の補助をするのが、見習いの仕事だ。
三年間過ごした神殿は入ったら確かに出られなくなりそうな、広い敷地に庭園のような木々が植えられていた。実際リリアも入った当初はよく迷っていた。
馬車が神殿の裏門に着く。
「中までお送りしましょうか?」
馭者が確認してくる。裏門とはいえ、建物とはまだ距離がある。
しかし見習いの身分で乗り付ける分けにはいかない。
「ここで十分よ。また帰りもここでお願いね。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
神殿にはもうリリアの部屋は無いはず。まず出勤を巫女頭に伝えなければ。
確かこの時間なら朝食を終え、朝の掃除に取りかかっているはずだ。程なくして巫女頭は見つかった。
「おはようございます。巫女頭様」
「おはよう。マリアナ」
氏名の二つ目は六才の時に頂く洗礼名なのだ。神殿ではその名が使われる。
「早速で悪いのだけど、今日からあなたは巫女長付きとなります。
儀式で巫女長に付いて勉学に励んでちょうだい」
「私がですか。まだ経験が浅く、しかも周に一度しかか来ない私が長つきになってもよろしいのでしょうか?
まだ相応しい方々がおいでではありませんか」
これまで通りの仕事で済むと思っていたリリアには、荷が重い仕事だった。
「その長の指名なのですよ。長もご高齢だから一日中天啓を伝えるのは、お疲れになるの。お側について補助をして欲しいとの事なのよ。
これからは直接、長の所へ行けばいいわ。大丈夫よ。何もあなた一人でする訳じゃ無いんだから」
確かにそうだけど、長に見習いが側仕えするのは、無かったことだ。
これも例外の一つになってしまう。
「さあ、長がお待ちよ。早くお行きなさい」
「はい、巫女頭様」
とりあえず、決まっているなら、やるしかない。早く慣れなければ。
巫女長の部屋に着きノックをする。
「遅くなりました。マリアナです」
中から入室の許可が出る。
「失礼します」
中には長と、略装の準備をしている中年の側近巫女が二人いた。
リリアは頭を下げて再度、名乗った。
「マリアナです。お呼びと伺いました」
長が答える。
「顔をあげて。呼び出して悪いね。これから三年間付き合ってちょうだい」
屈託なく話しかけられる。
「マリアナには儀式に立ち会ってもらいたい。この二人も了解している。
それに儀式には精霊が集まる。己の力を制御する練習にもなるだろう」
「はい。ありがとうございます。それで私は何をすれば宜しいでしょうか」
「今は何も無いよ。用があるのは儀式の時だけだ。
本来の受けるべき鍛練も、巫女の分まで終わっているしね。
それでねぇ昨日、月例の大神殿の会議があった」
毎月各神殿の者が集まり、報告や通達を行う日だ。何か問題事や褒賞懲罰についても話し合われる。
「マリアナ、あなたの事が議題になったよ」
「ええ!私ですか?」
「ああ。普通の巫女見習いは15才から始まり早い者で一年、遅くても三年で巫女となる。
あなたは12才から、それも住み込みで神と精霊に仕えてきた。まだ若いが充分に巫女となる資格がある。これから、あまり神殿に仕えられなくてもね。
その才能を生かさないのは、神殿の主義に反すると決まったんだよ」
あり得ない話を聞いてしまった気がする。リリアは冷や汗が出て来るのを感じた。
「マリアナ、あなたは今日から正式に巫女となる」
「ですがまだ、巫女見習いの身分証を頂いたばかりですし、私にはまだ早いと思うのですが」
手伝いをすればいい見習いと、信仰を広め守る巫女では立場が違いすぎる。
「巫女長さま。私は冒険者を目指しています。それにご存知のように毎週火の曜日しか参りません。
それなのに巫女となっても良いものでしょうか」
「あぁ、大丈夫だとも。マリアナはもう巫女としても充分な鍛練を積んでいる。巡礼を行えるほどにね。
外では巫女の身分が助けになる事もあるだろう。活躍して教えを広めておくれ」
今は巫女になる道しか残されていなかった。
「昇任の儀式は今日の天啓の儀が終わった後に行うからそのつもりでいておくれ。
巫女用の部屋と服はそれまでに用意出来るからね。三年間また仕えた後で、神殿から離れたいと思うなら還俗をすれば良い。
まぁ大神殿が簡単には認めないだろうけどね」
「お気遣いありがとうございます。巫女長様」
もう、それしか言葉がでなかった。
部屋は所属する各巫女、神官の数だけ用意される。そして見習い生を用事で使う事も、専属見習いにすることも出来る。
それにいつでも神殿施設を利用出来るのだ。例えば練習室や図書室など。
だから冒険者として活躍する巫女や神官が存在し、冒険者ギルドも掛け持ちを認めている。
今までリリアは剣士か戦士として活動する事しか考えてなかったうえ、神殿に利用されるのを嫌っていたため、巫女になることを考えていなかった。でも神殿が認めてくれるなら、巫女を兼ねて戦士などになるのも良いかも知れない。
「そろそろ、時間だね。準備をするとしよう。マリアナ着替えを手伝ってくれるかい」
「はい、巫女長様」
身支度が終わった巫女長と礼拝室へ向かう。中は扇状の形になっており、真ん中の通路を挟むように左右に椅子が並べられている。そして奥は六段の幅が広い階段になったあと、神と精霊をモチーフにしたタペストリーが飾ってあり、手前に巫女長の席がある。
「マリアナ、私の横に立ち一緒に天啓を伝えておくれ」
「はい、巫女長様」
各階段に一人づつ、右を向いて通路の続きに並ぶ、六人の巫女や神官の前を通り階段を上る。席に着いた巫女長の右後ろに控える。
上段から見ると、その人の多さに、その視線がこちらを見ていることに気付き、緊張してしまう。子供の数より大人の方が多い。
リリアの時もそうだったが、家族で見守りに来ているのだろう。
「これより神と精霊の名において、天啓の儀を執り行う」
巫女長が宣言をする。並んでいる巫女と神官が手のひらを上にして両手を軽く前に出す。
「神と精霊の子供達よ。一人ずつ精霊に問いかけよ」
少年が前に出てきて祭壇に向かって一礼したあと一番前の神官と手を合わす。なにもなく次の巫女とも手を合わす。また次の巫女の時だった。合わせた手が淡く緑に光る。そして次の神官へと繰り返す。光ったのは赤と緑だった。最後に巫女長の前に立つ。
「マリアナ、どう判じる?」
巫女長が聞いてくる。そんな大切な事を答えても良いのだろうか。
不安になりながら小声で答える。
「火と風ですが、風の方が強かったので火の加護と風の契約が期待出来るかと。
おそらく商人か情報を取り扱う仕事に向いているかと思います」
「私もそう思うがあと芸術家の道もあるだろう」
巫女長が少年に伝える
「火と風に守られた者よ。汝の道は商人や情報、芸術に向かうだろう」
「ありがとうございました」
少年はまた一礼して家族のもとへ帰って行った。
「次の者」
また同じように進んで行く。天啓が終わった子供達は部屋をでて帰って行った。
それとは別に部屋へ入ってくる家族もいる。時間内なら部屋の外で受付をしているのだ。
これが午前九時から十二時までと、午後一時から四時まで続くのだ。リリアは時々天啓を聞かれた。まるで試験のようだ。それに立ちっぱなしで足が疲れる。巫女や神官たちは手も疲れているだろう。
天啓の立合者が午前と午後で交代制になっている理由が分かった気がする。
夕方四時、儀式は無事終了した。
「まだ終わりじゃないよ」
気持ちが表情に出ていたのだろうか。
「これからあなたの認定式だよ。皆、ご苦労だったね。あともう一つだ。儀式の準備を頼むよ」
今日は住み込みでいた時よりも、疲れた気がするリリアだった。