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ある皇女と子爵の書簡  作者: もぃもぃ
第一章 微睡み
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一八〇六年 (三)





 三日間も雨が降りつづいています。わたしの気分もそのようなものです。


 ……もう少し思慮のあるおっしゃり方をなさいませ、と諫言かんげんされそうです。

 どなたかにですって? もちろん、言わなくてもおわかりでしょう。いいえ、もしかするとあの方は、好んでそうなさっておいでなのではないかと、思慮深くないわたしなどはあの方の真意を詮索してしまいます。



 先日、音楽会があってわたしも演奏するとお伝えしたでしょう? 

 グレイス、先日といってももうあれから二月と半も経ってしまったのですよ。あなたはお忙しいと思ったから、その代わりにわたしから嫌というほど手紙を差し上げようと固く誓っていましたのに。その間に、もしやあなたからのお手紙が届けられるのではないかと、ほんの少し、望んでいたとしてもわたしに罪はありません。


 ええ、ないんですったら。あなたと庭の木に登って歌を歌ったり、あなたと二人で銀盤を弾いたり、そういったことが懐かしくなってしまうのに、どんな咎めがあるのでしょう?

 わたしは、たくさんのとうとい方のまえで演奏するよりも、十三歳から十五歳の直前まであなたとしていたように、街の劇場へ出かけていってお芝居を観たり(皇女だった二年の間に、皇帝陛下もよくお連れくださったみたいに。思い起こされますが、陛下は芸術的で挑戦的な御方でしたね)、心が躍るような瞬間を感じていたいのです。



 つい、気持ちを口にしてしまったのがいけないのでしょうか。でも軽々しく言ったつもりなどありませんの。わたしは、ただ、あの活気にあふれた劇場が好きだったと、演奏するよりも、あの熱気を感じられるほうに魅せられると零しただけのはずだったのです。



 それでふと、考えました。

 あの御方が(そうです、ノルディア様のことです。おかんむりになることでしょうが、おそれ多いことですが、あの方の佇まいは、金色の髪がグラジオラスのような気高さを思わせます。でも前回のあなたのお手紙にあったヒヤシンスの、青というか紫というかあのちょっとすました色の冷たい感じも、ぴったりなのではないかと思ったのです。瞳の色は、殿下と同じ薄い青色でいらっしゃいますけれど。

 グレイス、なんていたずらな囁きかしら? わたしは、あの方を“ヒヤシンスの君”と呼ぶことに決めました)――――ヒヤシンスの君が、いつものように、細く鋭くおっしゃることです。



“あなたはもう、皇女様ではありません”



 それで、わたしは、故国――お屋敷がある場所も、劇場がある街も――が、とても好きなのは、どうしてなのだろうって。

 いつも夢みています、あのお屋敷の二階の窓にゆれるカーテンも、葉の影がこぼれるポプラの並木も。あなたの言うところの質実な街の建物も、礼拝堂も、敷石も、川にかかる力強くたくましいアーチの橋もぜんぶです。

 ……そして、皇帝陛下がおいでのあの素晴らしいお城と、お城の長い長い門と、お城のまえの広場のこともです。



 今まで、わざと考えないようにしていたのですが、あの忘れがたくて悲しい革命のことを、大好きな場所を想うとき、いつも心に映す底には、どこかでそのことが沈んでいる気がするのです。


 だから、わたしに授業(王国史だったり、計算だったり!)をしてくださるマイヤー伯爵に、その思いをお話ししたのです。伯爵はわたしのことを気遣ってくださって、こんなことをお話ししているだなんて、どうしてか不思議です。

 わたしがあの忘れがたい出来事を考えるには、冷静な目と忍耐強さが必要だと、伯爵はおっしゃいました。それって、どういうことなんでしょう?


 あなたの声がききたいです。小鳥があなたの声を届けてくれたらいいのに。






 あなたの幸運を願って

 七月三十日

 エレイナことあなたのレーナより



 






 聡明なる私の姫

 


 よもや、かの方(貴女の言い方でいえばヒヤシンスの君)が、諫言立てしていると思い詰めていらっしゃるのでは?


 姫、いかがです。

 新婚のお二人の邪魔をするわけではありませんが、私が拝命した公使の領地へおいでになりませんか。貴女が、雨が池に降り落ちるがごとく心を乱しているのなら、胸が痛みます。



 手紙を愉しみにしているのは、私のほうなのです。それなのに、ああ、そうであるからなお、己を責めずにはいられません。貴女を苦しめていたのかと思うと。

 朝に夕に、その日を顧みることなく(言い訳をゆるしていただけるなら)、ただ通り過ぎていたかのようです。

 ですが、私は地に足をつけたと確信しています。



 皇都からは、二十日ほども離れた地ですが、帝国の港を担う活気に満ちた都市です。

 朝の礼拝を告げる丘のうえの教会の鐘が、街中に響きわたるさまは、新しいなにかの到来を朗々と私に知らせてくれているようです。

 この手紙から、潮の匂いまで伝わりはしないかと、願うばかりです。

 この街に来てから、貴女もおっしゃった、我らが皇帝陛下の挑戦的な眼差しになにやら私は呼応している気がしてなりません。



 もちろん、万事がつつがなく営まれているわけではありません。

 しばしば、言語による対立や、ここからが本題ではありますが、あの喪失に満ちた革命の残滓ざんしを私は見出します。

 それらは、いかにも昂然こうぜんとして在るのです。皇都にいたときよりも、それらははるかに凌駕して私を圧倒します。なぜでしょうか。

 それは、ここが諸外国へ開き通じている海であり、哀しくも敗れた旧政府の人々の思想の終焉の地でもあるからなのです。



 アレンという青年のことを、貴女と直にお話しする機会がありませんでした。それでも、貴女なら、ほかでもない思慮深い貴女なら、これまでの私たちのやり取りを読み返して、心の片隅に残していらっしゃるだろうと私は必然的に知っています。


 散った花は枯れるでしょう。枯れて、やがて大地に浸透し、新しい花の苗床となるでしょう。

 思慮深く聡明で、可憐な、私の姫。

 貴女は、さながらマリーゴールドです。

 深い栗色の髪も、赤茶色のきらめく双眸ひとみも、その花の色の印象とは相違しますが、思わず抱擁せずにはいられない愛らしさは、貴女そのものです。



 小鳥になって空をわたるにはいささか骨が折れますが、私に、貴女が心に抱えるその清廉な声を聴かせてくださいませんか。

 小鳥になるには、しばし時を要することでしょう。けれどいかなる時も、愛らしい小鳥のための宿り木は、枝をのばしています。


 ご不安に思われるなら、今度は、いつでも、何度でもお返事差し上げます。






 いついかなるときも麗しき皇女である貴女へ

 グレイス・エル・ガーネット

 八月二日



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