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第七章 盗賊砦、消滅

 ガルザがネクロヴァリアを襲ったのは、黒鎖の名が決まってから二日後だった。


 今度は様子見ではない。


 夜明け前。

 北西だけではなく、西と南西にも動く影が出た。見張り台の灯りが三度、四度、二度――決められた合図が続けざまに揺れる。


 広場にいた者たちは、もうその意味を知っていた。


 複数方向。

 数は多い。

 そして、これは威圧ではなく襲撃だ。


 ドランの鐘が一度だけ鳴る。

 短く、鋭く。

 それで十分だった。


「配置!」


 ガウェインの声が飛ぶ。


 黒鎖が散る。


 前衛は門裏へ。

 壁上補助は石と槍束を抱えて上へ。

 遊撃は北外周の抜け道へ。

 工区の者は補修材と拘束具を門脇へ運ぶ。


 もう誰も戸惑わない。

 まだ粗い。だが動く。街が一つの身体のように動き始めていた。


 ゼノスは新設した壁上通路へ上がった。


 風が強い。

 毒霧が薄く流れ、向こうの火が見える。


「数は」


「正面十八。西側に十前後。南西は攪乱です、五か六」


 ガウェインが答える。


「本命は正面か」


「おそらく」


 ゼノスは壁の上から外を見る。


 盗賊たちは火を持っていた。

 松明。油壺。粗末だが数がある。壁を焼くつもりか、あるいは門を炙るつもりだろう。


「下品だな」


 ゼノスが言う。


 その一言が、妙に冷たかった。


 門前へ出てきたのはガルザ本人だった。

 朝靄の中でも大きい。斧を肩へ担ぎ、荒くれどもを従えている。獣というより、獣を束ねる棍棒だ。


「おい、黒い坊主!」


 怒鳴り声が壁へぶつかる。


「隠れてねえで出てこい!」


「出ている」


 ゼノスが答えた。


 ガルザが壁上の姿を認め、口元を歪める。


「噂より細ぇな」


「噂より鈍そうだ」


 盗賊たちの間にどっと笑いが起きる。

 だがガルザだけは笑わない。


「いいねえ。口は回るらしい」


「用件を言え。朝からうるさい」


「簡単だ」


 ガルザは斧の刃を門へ向けた。


「その壁、水、食糧、人。全部置いて失せろ。そうすりゃ死ぬのは半分で済む」


 壁上の空気が張る。

 ドランの顔が強張り、セラの指が石嚢へ触れる。

 少し離れたところでフィアたち住民が息を殺しているのが分かった。


 ゼノスは、少しだけ首を傾けた。


「なぜ?」


 ガルザの眉が動く。


「なぜ、だと?」


「お前ごときに渡す理由がない」


 沈黙が一拍。


 次の瞬間、盗賊たちが怒声を上げた。


「ぶっ殺せ!」


「門を焼け!」


「女を引きずり出せ!」


 ゼノスは壁から手を離した。


「却下だ」


 その声と同時に、戦いが始まる。


 最初に動いたのは壁上だった。


「右目!」


 セラの声。

 投げ石が飛ぶ。


 先頭の弓持ちが矢をつがえるより先に、石が眼窩へ入った。絶叫。矢が逸れる。


「油壺、落とせ!」


 今度はドラン。

 壁上補助の二人が、あらかじめ用意していた長柄の鉤棒を門前の油壺へ引っかける。石畳へ落ちた壺を、ゼノスがわずかに指先で弾いた。


 壺の口金だけが分解され、中の油がだらりと地面へ流れる。火をつけようとした盗賊の松明は、逆に濡れた石へ叩きつけられて消えた。


「なっ……!」


「火が――」


「前を見ろ」


 ガウェインの声と同時に、門の脇からベラムたち前衛が突き出る。


 押し切らない。

 引き込む。

 門前に敵を溜める。


 黒鎖はまだ数で負けている。だから正面からはぶつからない。壁と石畳と罠と通路で削る。


 バルドたち黒鉄会が徹夜で仕込んだ簡易罠が、そこで初めて牙を剥いた。


 門前の石畳が一列だけ沈む。

 落とし穴ではない。浅い。だが足首を取るには十分だ。


 二人がもつれる。


「そこ!」


 ルカの槍が伸びる。

 若い。まだ荒い。だが恐れは飲み込んだ。肩口に入った一撃で、盗賊が門前へ膝をつく。


 次の瞬間、その横から斧持ちが飛び込んできた。


 ルカは受け損なう。間に合わない。


 そこで、壁上から黒鉄の細線が落ちた。


 鎖だ。


 黒鎖、という名を得たそのままの道具。

 門脇に仕込まれていた拘束具が、ゼノスの操作で跳ね、斧持ちの肘へ絡む。


 半瞬だけ動きが止まる。


「遅い」


 ガウェインが飛び込んだ。


 一撃。

 刃ではなく柄頭。こめかみを打ち抜く。盗賊が崩れる。


 ガルザはそれを見ていた。

 見て、笑った。


「面白え」


 大斧を下ろす。


「横から回れ! 壁上を潰せ! あの黒いのを殺せ!」


 それで盗賊たちの動きが変わる。

 正面だけではなく、西側から数人が散った。


 ヴェスの出番だった。


 霧の薄い帯を縫うように、遊撃が動く。

 ヴェス、そして新たに選んだ二人。まだ名も薄い連中だが、足だけは速い。


「左一、背負ってる」


 低い声。


 盗賊の一人が背に小さな袋を抱えている。火薬か油か。どちらにせよ壁際で使わせるわけにはいかない。


 ヴェスは真正面から行かない。

 瓦礫を踏ませる。視線を切らせる。そこで横から膝へ打ち込む。


 袋が落ちる。


「セラ!」


 石が飛ぶ。


 袋へ直撃。中身が散る。火薬ではない。油染みの布束だった。

 ヴェスが舌打ちする。


「しけた脅しだな」


 だが次の男は本物の火壺を持っていた。

 それを壁際へ投げようと腕を振りかぶる。


 ゼノスの目が細まる。


「鬱陶しい」


 壺が宙で分解された。


 粘土片と油と芯に。

 そのまま燃える前に全部が四散し、盗賊の顔へべたりと張りつく。男が悲鳴を上げる。


 視界が揺れる。


 負荷だ。


 ゼノスは表情を変えない。

 だがこめかみの奥で、鈍い痛みが脈を打つ。壁、拘束具、油壺、石畳、武器。細かく、多数。広範囲。短時間。さすがに負担が軽くはない。


 ガウェインだけが、その沈黙の間に気づいた。


「総督」


「黙れ。まだいける」


「言ってません」


「顔に出ている」


 そのやり取りの最中にも、戦いは続く。


 門前ではベラムが押し返し、ルカが二撃目を覚え、ドランが鐘ではなく短槍を壁上から落としていた。壁上補助の女が石を運び、セラは投げる場所を変える。さっきから、目ではない。手首、こめかみ、膝。止める場所を選び始めていた。


 黒鎖が機能している。


 まだ未熟だ。

 だが、役割が死んでいない。


 ガルザもそれを認めたらしい。


「退くな!」


 怒声が響く。


「押せば潰せる! 所詮は寄せ集めだ!」


 その言葉に、一瞬だけルカたちの顔が揺れる。

 実際その通りだからだ。寄せ集め。流れ者。元徴兵。傭兵くずれ。捨てられた街の余りもの。


 だが、その揺れを断ち切ったのはベラムだった。


「寄せ集めで十分だ!」


 槍を叩きつける。


「お前らを壁の外に捨てるにはな!」


 その一声で、空気が変わる。


 ルカが踏み込む。

 セラの投石がさらに鋭くなる。

 ヴェスは吹き出しそうになりながらも、盗賊の足首を刈った。


 ゼノスはその様子を見て、一言だけ落とす。


「悪くない」


 誰に向けたとも分からない。

 だがベラムたちは確かに聞いた。


 そこで、ようやくガルザが前へ出る。


「もういい」


 大斧を構える。


 他の盗賊が半歩下がる。つまり、こいつが本命だ。


 門前に出る。

 重い。だが遅くはない。むしろ厄介なのは、あの体格で妙に間合いの詰め方を知っていることだ。


 ベラムが槍を向ける。

 ガルザは笑った。


「いい槍だな。俺が使ってやるよ」


 一足。


 速い。


 ベラムが驚くより先に、槍の穂先が斧の柄に絡め取られ、弾かれる。続く一撃が盾板ごと前衛の一人を吹き飛ばした。


「っ!」


「下がれ!」


 ガウェインが飛び込む。剣と斧がぶつかる。鈍い音。

 火花は散らない。ただ重さだけがぶつかる。


 強い。


 ガウェインの顔が僅かに険しくなる。

 相手はただの山賊頭ではない。戦場を知っている。人を殺す角度を知っている。


 ガルザが嗤う。


「やっとまともなのが出たな」


「嬉しそうで何よりだ」


「殺し甲斐があるってだけだ!」


 二撃、三撃。

 重い。だが荒くない。ガウェインが押し込めない。


 ルカが横から入ろうとして、ゼノスの声が飛ぶ。


「入るな。死ぬ」


 止まる。

 その一瞬の判断が、命を救った。次の振り回しは、ルカが入っていれば首ごと持っていかれていた。


 ゼノスはガルザを見る。


 あれを門前で長く遊ばせるのはまずい。

 壁も前衛も削られる。


 なら、消す。


 演算を組む。

 だが広い。厚い。生体には触れない。狙うなら武器か足場か、鎧の継ぎ目か。


 負荷がさらに熱を持つ。

 視界の端でノイズが跳ねる。


 ――まだだ。


 ガルザがガウェインを弾き飛ばし、門前へ半歩踏み込んだ。

 その足元にあるのは、さっき盗賊たちが散らした金属片、壊れた武器、拘束具の残骸、石畳の割れ目。


 十分だ。


「跪け」


 ゼノスが言った。


 その声は大きくない。

 だが門前の全員に届いた。


 次の瞬間、ガルザの右足元の石畳が消えた。


 いや、消えたようにほどけた。

 石、砂、黒鉄。全部が分かれ、そのまま斜め上へ噛み合う。


 黒鉄の杭。

 石の顎。

 鎖の輪。


 地面そのものが拘束具へ変わり、ガルザの足首から膝裏までを一気に食った。


「な――」


 巨体が揺れる。


 その半瞬を、ガウェインが逃さない。


 斧をいなし、懐へ入る。柄頭ではない。今度は剣の峰で顎を打ち上げ、そのまま膝裏へ蹴りを入れる。


 ガルザが片膝をつく。


 ゼノスがもう一度だけ手を振る。

 転がっていた折れ槍の穂先が浮き、二本の黒鉄杭へ再構築される。


 肩。

 地面。


 打ち込まれる。


 ガルザの巨体がようやく止まった。


 静寂。


 盗賊たちが息を呑む。

 門前の黒鎖も動きを止める。


 その中心で、膝をつかされたガルザだけが、なお笑った。


「……すげえな、坊主」


 血を吐きながら言う。


「だが、これで終わりだと思うなよ。俺が消えても、似たようなのはまた来る」


「知っている」


 ゼノスは見下ろす。


「だから根を潰す」


 ガルザの笑みが、初めて止まった。


「……あ?」


「砦ごと消す」


 その一言で、広場の向こうにいたフィアたち住民まで凍る。


 ガルザが睨み上げる。


「できるわけ――」


「できる」


 ゼノスは平然としていた。


「貴様らはもう、この街の外で群れているだけの害虫じゃない。巣がある。なら焼くより早い」


 ヴェスが、そこで初めて笑みを消した。

 面白がっていた顔から、ほんの少しだけ畏れが抜ける。


 この領主は、本当にやる気だ。


 ガウェインが低く問う。


「今すぐに?」


「いや」


 ゼノスは短く答える。


「位置を吐かせる。道も吐かせる。罠も人数も吐かせる。それから消す」


 ガルザが唾を吐く。


「言うとでも?」


「言わせる」


 ゼノスの視線は冷たい。

 拷問の熱ではない。解体の視線だ。構造を読んで、どこを外せば崩れるかを考える時の目。


 ガルザは、それを見て初めて悟った。


 こいつは脅しで言っていない。


 本当に、自分の砦を消す気だ。


 戦いは、そこで終わった。


 盗賊の死体は七。

 捕縛四。逃走数名。

 黒鎖側は重傷なし、軽傷六。


 勝ちだった。

 だが、ただの防衛戦では終わらない勝ちだった。


 門前の片づけが始まる中、住民たちの顔はどこか現実感を失っている。

 さっきまで自分たちを脅かしていた大盗賊団を、寄せ集めのはずの黒鎖が押し返した。その上で、総督は報復に行くと言っている。


 フィアが、ようやく声を出す。


「総督様……本当に……行くんですか」


「行く」


「でも、向こうは巣で、こっちは街で……」


「だからだ」


 ゼノスは門前の血を見た。


「ここまで来た。なら、次も来る。面倒だ」


 それは、あまりにゼノスらしい理由だった。


 面倒だから、消す。


 フィアは言葉を失う。

 ガウェインは静かに目を伏せる。

 ヴェスは口元だけで笑い、セラは無言で石を拾い続ける。


 ベラムが槍を肩へ担ぎ直した。


「……なら、行くのか」


 ゼノスは視線を向ける。


「何だ」


「砦。俺たちも」


「来る気か」


「番犬なんだろ」


 その言い方に、ルカが吹き出しそうになる。

 だがベラムは真面目だった。


「噛んだ相手がまだ牙を持ってるなら、そりゃ最後まで噛み千切る」


 ゼノスは数秒だけ黙り、それから短く言う。


「悪くない」


 それが許可だった。


 ガウェインがすぐ動く。


「遊撃は逃げた連中の進路を追え。ヴェス」


「分かってる」


「壁上補助は補修と補給準備。ドラン、鐘と灯りはそのまま維持」


「おう」


「セラは投擲の補充。前衛は休めるうちに休め。ただし飯を食え」


 バルドが門前へ出てきて、壊れた拘束具を見て鼻を鳴らす。


「使い方は悪くねえが、継ぎ目が甘い」


「直せ」


「言われなくてもだ」


 黒鉄会の若い技師たちが、もう門前の罠を測り始めている。

 街は戦いながら学び、戦いながら次に備える。


 ゼノスはその中心で、一瞬だけ壁に手をついた。


 誰にも見せない、ごく短い動き。


 負荷は確かにあった。

 さっきの拘束は広範囲だった。足場ごと組み替えるのは、思った以上に脳を焼く。


 だが、まだいける。


 まだ――盗賊の巣を消すまでは。


 その日の午後、ガルザは吐いた。


 砦の場所。

 進入路。

 見張り位置。

 裏手の崩れた斜面。

 倉庫代わりの洞窟。

 隠し通路はないこと。

 今残っている人数は十五前後。


 ゼノスは全部を聞いたあと、ただ一言だけ言った。


「行くぞ」


 それだけだった。


 黒鎖が顔を上げる。


 まだ本隊ではない。

 街を空にできない以上、全員は出せない。だが選ばれた者たちには分かった。今から行くのは防衛戦ではない。


 報復だ。


 いや、ゼノスの言葉を借りるなら――

 所有物へ手を出した連中の、巣ごとの駆除だった。


 後に語られる“盗賊砦消滅”は、ここから始まる。


 灰都ネクロヴァリアがただ守るだけの街ではなく、

 自分を狙った敵そのものを消しに行く都市国家だと知らしめる、最初の遠征だったのである。

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