第三章 灰都に牙が生える
ネクロヴァリアに人が流れ込み始めたのは、壁ができてから三日後のことだった。
最初は一人。昼過ぎ、北側見張り台の鐘が一度だけ鳴った。
魔獣ではない。武装もなし。ガウェインが決めた合図だった。
広場で黒鉄の排水格子を作っていたゼノスは、手を止めずにガウェインを見た。
「一人だ。兵ではない。飢民か」
「十中八九」
「ヴェスは」
「影を取っている」
「なら見ろ」
それで終わりだった。
やがて門から連れてこられた男は、痩せこけ、片腕にぼろ布を巻いた四十前後の流れ者だった。
名はベラム。昔は徴兵で槍を持っていたという。
ゼノスは男の周りを半歩回り、古傷の腕を顎で示した。
「槍はまだ持てるか」
「多少なら」
「水を飲ませ、飯を食わせろ。その後で棒を持たせて見ろ」
ベラムが顔を上げた。
「……ここに、置いてくれるのか」
「勘違いするな。使えるかどうかを見るだけだ」
男は深く頭を下げ、何も言い返さなかった。
その無言が、広場の空気を静かに変えた。
それが最初だった。
二人目はその翌日。三人目はその夕方。
四日後には親子連れまで現れた。
噂はどこからともなく広がっていた。
毒都に壁ができ、水が飲めて、夜も魔獣が入らない。
新しい領主は冷たいが、役に立つなら追い払わない――と。
ゼノスにとっては迷惑極まりなかった。
倉庫で木板の名簿を睨むゼノスに、ガウェインが淡々と告げる。
「住民七十四。戦闘経験者、あるいはそれに近い者が十五」
「盗賊の目も混ざっている」
壁にもたれたヴェスがにやついた。
「三人ほど、歩き方で分かる。武器を隠してる奴もいる」
「泳がせろ。どこへ帰るか見る」
その夜、斥候が動いた。
鐘は鳴らさず、見張り台の灯りが二度揺れた。
北西の瓦礫地帯で、ヴェス、セラ、ドランの三人が盗賊二人を制圧した。
ヴェスが笑う。
「番犬だよ。飼い主に言われてんだ。勝手に嗅ぎ回る害虫は噛めってな」
城壁の上ではゼノスが夜気を見下ろしていた。
隣のガウェインが静かに言う。
「生け捕りです。情報になります」
「足りん」
ゼノスは低く吐いた。
「壁も、見張りも、人数も、規律も、全部だ」
下では捕らえられた盗賊が引きずられ、住民たちが息を詰めて見守っていた。
数日前ならただ震えていただけだろう。
今は違う。番犬たちがいて、壁があり、鐘があり、指示がある。
ゼノスは背を向けた。
「ガウェイン」
「はっ」
「明日から、戦える者をもう一段階分けろ。前衛、見張り、遊撃、補助。役割ごとに時間をずらして鍛える」
「承知」
「流れ者の中に元兵士がいたら拾え。ただし、目の死んだ奴から先に話を聞け」
ガウェインがわずかに口元を緩めた。
「実に総督らしい選び方だ」
「褒めるな」
ゼノスは露骨に顔をしかめた。
「黒鉄会にも声をかけろ。もうだ」
そして最後に、静かに言った。
「番犬に、牙だけあっても足りない。鎖も、檻も、目も、罠も要る」
ガウェインは短く頷いた。
「軍を作るのですね」
一拍の沈黙。
ゼノスは嫌そうに眉を寄せた。
「軍などという上等なものではない。俺のものを守る私兵だ」
その声は、いつもの苛立ちよりも冷たかった。
ネクロヴァリアの夜は深い。
だがその闇の底で、静かに、次の時代の音が鳴り始めていた。




