第二章 選別の朝
ネクロヴァリアの朝は、灰色だった。
陽が昇っているはずなのに、紫がかった薄霧が空を覆い、街の輪郭を鈍く濁らせている。
だが昨夜までと違うことが一つあった。
人の気配がある。
広場にはすでに何人もの住民が集まり、出来たばかりの白灰色の住居の壁に触れたり、新しい井戸の水を何度も確かめたりしていた。
誰も大声ではしゃがない。
まだ信じ切れていないのだろう。
けれど、動きが違う。
足取りに、昨日までの諦めが少しだけ薄れていた。
広場の端、即席の作業台に寄りかかったまま、ゼノスはそれを眺めていた。
一睡もしていない。
眠らなかったわけではない。眠れなかったのだ。
住居を十棟、井戸を一つ、仮設排水路を三本、広場周辺の地盤補強を一帯。そこまでまとめてやれば、さすがに脳の奥が焼けるように重い。
視界の端に、薄いノイズが残っている。
演算の余熱だ。
だが、寝不足を顔に出す趣味はない。
「総督」
ガウェインがやってくる。
昨夜と同じ鎧姿のまま、疲れを見せない顔をしていた。
「名簿の一次集計が終わりました」
「読め」
ガウェインは木板を差し出した。
「現時点で住民は五十七。うち子どもが十一、老人が九、重傷者が四、軽傷者が十三。まともに力仕事ができる者は二十一」
「少ないな」
「死地ですから」
ゼノスは木板を受け取り、ざっと目を走らせた。
「元兵士は」
「徴兵経験ありが五。傭兵崩れが二。見張り経験者が三。弓を扱える者が一。槍経験者が二。剣は……まともに振れる者はいません」
「昨日の魔獣襲撃で生き残れた割には貧弱だな」
「それでもゼロではない」
その返答に、ゼノスは木板を返した。
「広場に集めろ。戦える者だけでいい」
「承知」
ガウェインは即座に向きを変えた。
そして少し離れたところで、よく通る声を張る。
「昨日、前へ出た者は広場中央へ! 徴兵、護衛、傭兵、見張り、腕っぷしに覚えがある者も来い!」
広場の空気が変わる。
ざわめきが広がり、何人かが顔を見合わせる。
昨日、手を挙げた者たちが一人、また一人と前へ出てきた。
片足を引きずる壮年の男。
痩せてはいるが肩幅のある女。
目つきの悪い若者。
背の曲がった老人までいる。
総勢十一人。
少ない。
しかも揃いも揃って、使い古された道具みたいな顔をしている。
ゼノスは無言で広場の中央まで歩いた。
集まった者たちが自然と背筋を伸ばす。
「武器は」
ガウェインが首を振る。
「まともなものはほぼありません。錆びた槍が二、刃こぼれした短剣が三、弓が一本。あとは棒と斧の残骸程度です」
「そうか」
ゼノスは広場の隅に積まれた廃材へ視線を向けた。
「なら作る」
住民たちの間に、低いざわめきが走る。
ゼノスは瓦礫の山へ手を向けた。
昨夜選り分けた黒鉄片、折れた補強材、工具の残骸、古い釘、使い物にならないと思われていた金属屑。
それらが一斉に持ち上がる。
頭の奥に鈍い痛みが走った。
昨夜の負荷が抜けきっていない。
分かっていた。分かっていたが、いま止める理由にはならない。
彼は眉ひとつ動かさず、演算を押し進めた。
黒鉄は不純物を吐き出し、細片へ分かれる。
使える鉄分だけが集め直され、柄となる木材の芯も周囲の廃材から抽出される。
やがて空中で形を結んだのは、十一本の簡素な武器だった。
槍、短槍、短剣、片手剣、手斧。
豪華さはない。だが軽く、丈夫で、今この街の人間が扱うには十分すぎる。
最後の一振りが地面へ落ちた瞬間、ゼノスの視界がわずかに揺れた。
――まだいける。
彼は何事もなかったように手を下ろす。
「取れ」
前へ出ていた者たちは、一瞬ためらった。
最初に動いたのは、あの片足を引きずる男だった。慎重に槍を持ち上げる。重さを確かめるように一度構え、それから目を見開いた。
「軽い……」
次いで弓兵上がりの女が短剣を手に取る。
柄を握り込んだ瞬間、彼女の顔にごく薄く、戸惑うような笑みが浮かんだ。
「手に張りつくみたいだ」
若い傭兵崩れは、逆に何も言わなかった。
ただ剣を受け取って二、三度振り、そして無言で頷いた。
それで十分だった。
「感想は要らん」
ゼノスは言う。
「壊すな。失くすな。勝手に売るな。全部、俺のものだ」
「……はい」
返事は揃わない。
だがそれが妙に生々しくて、ガウェインは少しだけ口元を緩めた。
ゼノスは十一人を見回す。
「これから選別する」
その一言で、広場がまた静まった。
「全員が前線に立てると思うな。向いていない者を無理に立たせても邪魔なだけだ」
片足を引きずる男が眉をひそめる。
「……じゃあ、立てない奴は?」
「別の使い道を与える」
ゼノスは即答した。
「見張り、運搬、修繕、連絡、罠、補給。戦いは斬るだけではない」
その言葉に、何人かの肩から力が抜けた。
不思議な話だった。
冷たい言い方なのに、切り捨てられた感じがしない。
ガウェインが前へ出る。
「まず走れるかを見る。広場を三周だ。足を止めるな」
十一人が顔を見合わせる。
だが文句を言う者はいない。走り出す。
一周目で差が出た。
若い傭兵崩れと女弓兵は安定している。
見張り経験のある少年は速いが、呼吸が浅い。
徴兵上がりの二人は体力そのものはある。
片足を引きずる男は遅い。しかし遅いなりに崩れない。
ゼノスは黙って見ていた。
その沈黙のせいで、走る者たちの方が余計に緊張している。
二周目、若者の一人が足をもつれさせた。
すぐ横にいた傭兵崩れが舌打ちしながら腕を引き、転倒を防ぐ。
ゼノスの目が細くなる。
三周目を終えたところで、ガウェインが次を命じた。
「止まれ。今度は構えだ」
即席武器を持たせ、一人ずつ前へ出させる。
槍の持ち方。
踏み込み。
重心。
目線。
ガウェインが無駄なく見抜いていく。
元騎士であることを隠す気もない手際だった。
「お前、槍を突く時に肘が死んでる。押し込めない」
「お前は腕力はあるが足が流れる。壁の後ろに置く」
「女、お前は短剣より弓の方がいい。目が先に動く」
そのたび、ゼノスは必要最低限だけ言葉を足す。
「そいつは前に出すな。死ぬ」
「こっちは見張り向きだ。耳がいい」
「その老人は外せ。代わりに鐘を持たせろ。合図役だ」
広場の端で見ていた住民たちは、いつしか息を潜めていた。
これは訓練ではない。
もっと冷たい何かだ。
向き不向きを切り分け、役割を決め、無駄を削る。
だがその厳しさが、不思議と残酷には見えない。
死なせないためにやっているのだと、誰の目にも分かったからだ。
最後に、ガウェインが若い傭兵崩れと打ち合った。
棒切れ同士の軽い確認程度。
だが一合で差が出る。傭兵崩れは荒いが速い。二合目で踏み込みすぎる。三合目で懐に入られ、喉元へ棒を突きつけられて止まった。
「名は」
ガウェインが問う。
「……ヴェス」
「癖が悪い」
「よく言われる」
「だが悪くない」
ヴェスは鼻で笑った。
その横で、ゼノスが短く告げる。
「そいつは正面に立たせるな」
ヴェスがむっとする。
「は?」
「勝ち急ぐ。視野も狭い。だが足は速いし、ためらいが薄い。横から噛ませる方が向いている」
一瞬の沈黙。
ヴェスは不満そうな顔のまま、それでも反論しなかった。
図星だったからだ。
「……見ただけでそこまで分かるのかよ」
「分からない方が困る」
ゼノスは素っ気なく言う。
次は女弓兵だった。名をセラという。
彼女は弓こそないものの、目と手の動きが落ち着いている。ガウェインが投げた木片を、短剣でほぼ反射的に叩き落とした。
「お前は後ろだ」
ゼノスが言う。
「投射武器が手に入るまで無理に前へ出るな」
セラは少しだけ顎を上げた。
「命令なら従う」
「命令でなくても従え」
そこで、広場の端から小さな笑いが漏れた。
昨日までのこの街にはなかった種類の笑いだった。張り詰めた緊張の中で、ほんの少し空気が動く。
ゼノスはそちらを睨んだが、特に何も言わない。
選別が終わる。
結果は単純だった。
前に立てる者が三。
壁の後ろから支えた方がいい者が四。
見張り、伝令、合図役向きが四。
あまりに少ない。
だがゼノスは逆に納得した。
この街の今の規模なら十分だ。
むしろ半端に数だけいても餌になる。
ガウェインが問う。
「どうします」
ゼノスは一拍置いてから答えた。
「朝と夕に集めろ」
「訓練を続けると」
「違う。続けるのは当然だ」
淡々と言う。
「街の修復の合間に、立てる者から順に鍛える。武器の扱い、壁の使い方、合図、退避、追撃、全部だ。あと、見張りは二重にしろ」
「承知」
「ヴェス、と言ったか」
若い傭兵崩れが顔を上げる。
「今夜から外周の影を見ろ。斥候が来るなら、まずお前が見つけろ」
「一人で?」
「何か問題があるか」
ヴェスは数秒黙り、それから肩をすくめた。
「……ねえな」
「セラ」
「はい」
「弓が手に入るまで投擲を覚えろ。釘でも石でもいい。目だけ腐らせるな」
「了解」
「片足の男」
「ドランだ」
「ならドラン。前へ出るな。だが下がりすぎるな。壁上の補助と鐘だ。お前は崩れない」
ドランは、何とも言えない顔で頷いた。
誇らしいような、信じられないような顔だった。
ガウェインが静かに息を吐く。
「役割を与えるのが上手い」
「無駄が嫌いなだけだ」
「それを上手いと言うんです」
ゼノスは返事をしなかった。
脳の奥がまたじくりと痛んだ。
昨夜からの連続演算に、今朝の武器再構築。さすがに積み上がっている。
だがその不調を見せるつもりはない。
彼は広場の向こう、新しい城壁と、その先の毒霧を見た。
いずれ来る。
魔獣だけではない。
もっと厄介で、もっと狡猾で、もっと欲深いものが。
それに対して、この程度の人数では足りない。
ゼロではない。
だが足りない。
なら増やすだけだ。
戦える者を拾う。
鍛える。
規律を覚えさせる。
使える牙へ変える。
それだけのことだった。
「ガウェイン」
「はっ」
「今日からこいつらをまとめろ」
「……隊として?」
「まだそんな大層なものではない」
ゼノスは吐き捨てるように言う。
「番犬だ。まずは街の周りをうろつく害虫を噛み千切れる程度でいい」
だがその言葉に、ガウェインの目はわずかに光った。
ヴェスも、セラも、ドランも、他の者たちも顔を上げる。
番犬。
侮辱のようでいて、役目としてはあまりに明快だった。
守るべき場所がある。
噛むべき敵がいる。
そして、自分たちはそれに選ばれた。
ゼノスはそんな空気を嫌っているように、すぐに言い足した。
「勘違いするな。誇りを与えるつもりはない。必要だから使うだけだ」
するとヴェスが、皮肉っぽく笑った。
「十分だろ」
ゼノスの眉がぴくりと動く。
「何がだ」
「必要だって言われたの、久しぶりなんだよ」
広場が静まる。
その言葉は妙に軽く、けれど妙に重かった。
ゼノスは数秒だけ黙り、それから視線を逸らした。
「……くだらん」
たったそれだけ言って踵を返す。
だがもう、誰も傷つかない。
むしろその背中を見て、無言で頷く者の方が多かった。
ガウェインが一歩前に出る。
「聞いたな。今からお前たちは総督の番犬だ」
その言い方に、広場のあちこちで微妙な顔が浮かぶ。
嫌そうな者、困惑する者、吹き出しかける者。
だがガウェインは真顔のままだ。
「まずは吠え方から教える」
そこで初めて、はっきりと笑いが起きた。
ほんの小さなものだった。
けれどネクロヴァリアには、その小ささすら眩しかった。
ゼノスは背を向けたまま、広場から離れていく。
次は排水だ。倉庫だ。食糧管理だ。やることはいくらでもある。
その途中、彼はふと立ち止まり、こめかみを押さえた。
視界がわずかに暗くなる。
やはり負荷はある。
当たり前だ。これだけの規模を連続で組み替えれば、脳も魔力経路も無事では済まない。
だが、まだ倒れるほどではない。
まだ――。
「総督様」
後ろからフィアの声。
振り向くと、彼女が水差しを持って立っていた。
差し出される。
「井戸の水です」
「……なぜ俺に寄越す」
「必要だから、です」
昨夜のヴェスの言葉が、妙に耳に残っていた。
ゼノスは無言で水差しを受け取る。
一口だけ飲む。冷たかった。
「そうか」
それだけ言って返そうとしたが、フィアは首を振った。
「持っていてください。今日は、まだ長そうなので」
ゼノスは彼女を見た。
フィアは少し緊張していたが、もう目を逸らさなかった。
結局、ゼノスは何も言わず水差しを持ったまま歩き出す。
その背中を見送りながら、フィアは小さく息をついた。
怖い人だ。
冷たい人だ。
たぶん、本当に自分では善人だと思っていない。
それでも。
街の中央では、ガウェインが即席の訓練を始めていた。
ヴェスが悪態をつき、セラが静かに構えを繰り返し、ドランが鐘の位置を確かめている。
少年記録係は木板に名前を書き足し、その隣では別の子どもが興味津々で覗き込んでいた。
街が、少しずつ形を持ち始めている。
そしてフィアは、まだ誰も知らない確信を胸に抱いていた。
これはきっと、ただの始まりだ。
家と井戸と壁だけでは終わらない。
あの人はきっと、この街に牙まで生やす。
後に灰都を守ることになる最初の牙は、こうして広場の片隅で、棒切れを打ち合わせるところから始まったのだった。




