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第八章 巣食う者どもを、巣ごと消す

 出る者は、十人。


 多くはない。

 多くできない。


 ネクロヴァリアはようやく壁を持ったばかりの街だ。黒鎖の全員を連れ出せば、今度は留守を狙われる。だから遠征に出るのは、最低限で、なおかつ役割が噛み合う者だけだった。


 前に立つのはガウェイン、ベラム、ルカ。

 遊撃にヴェスともう一人。

 支援にセラ。

 補助と運搬に二人。

 黒鉄会からはバルドと若い技師が一人。


 そして、ゼノス。


 フィアは見送りの列の端で、少しだけ唇を噛んでいた。


「本当に行くんですね」


「行く」


 ゼノスの返事は短い。


「砦を残す意味がない」


「でも、総督様まで……」


「俺が行かないと遅い」


 それは事実だった。


 砦を壊す。

 罠を読む。

 崩し、封じ、二度と使えないようにする。

 それを最短でやるなら、ゼノス自身が行くのが一番早い。


 フィアは分かっている。分かっているが、不安は消えない。


「……無茶はしないでください」


 ゼノスは一瞬だけ彼女を見た。


「する必要がある時はする」


「それ、しないって意味じゃないですよね」


「そうだな」


 フィアはため息をついた。

 たぶんこの人に「気をつけて」は通じない。通じるなら、最初からこんな街を一人で作り替えていない。


 横でヴェスがにやにやしている。


「諦めろ。飼い主は言うこと聞かねえよ」


「お前は黙れ」


 ゼノスの返しは即座だった。


 だがヴェスは肩をすくめるだけだ。もうこのやり取りは、黒鎖の中では半分儀式のようになっていた。


 ガウェインが最後の確認をする。


「進路は北西、瓦礫帯を抜けて斜面裏から。ヴェスが前を取る。セラは中衛、前衛の頭越しに通せる位置を保て。バルド」


「分かってる。崩しどころは着いてから見る」


「総督」


 ゼノスは頷いた。


「無駄口は終わりか」


「はい」


「なら出る」


 それで終わりだった。


 隊列が動く。

 ネクロヴァリアの新しい門が静かに開く。


 外の空気は街の内側より冷たい。

 毒霧は薄いが、足元の瓦礫は不規則で、油断すればすぐに足を取られる。遠征には向かない地形だ。だからこそ、盗賊どもは根城を置いたのだろう。


 ヴェスが先を行く。

 音がしない。さっきまで軽口を叩いていた男と同一人物とは思えないほど、動きが消えている。


 その後ろをガウェインたち前衛。

 セラは少し離れて視界を確保し、バルドは歩きながら地形を見ていた。


「ひでえ道だな」


「砦に向いた場所だ」


 ゼノスが言う。


「見通しは悪い。接近路は限られる。崩せる斜面もある」


 バルドが横目で見る。


「もう壊し方まで考えてやがる」


「考えずに来るほど暇じゃない」


 バルドは低く笑った。


 しばらく進んだところで、ヴェスが片手を上げる。


 停止。


 全員がぴたりと止まった。


 前方、崩れた岩の陰。

 見張りが一人。


 眠そうにしている。

 緊張感がない。おそらく、まさか廃都の側から打って出てくるとは思っていないのだ。


 ヴェスが振り返る。

 目だけで訊く。


 ――やる?


 ゼノスは短く指を二本。


 生け捕り。


 ヴェスは露骨に嫌そうな顔をしたが、従った。

 回り込む。音もなく。背後へ。口を塞ぎ、膝裏を蹴り、喉元へ刃。


 数秒後には見張りが縄で縛られ、岩陰へ転がされていた。


 ルカが小さく息を吐く。


「……すげえな」


「見るな。真似ろ」


 ヴェスの返しも短い。

 もう遠征中だ。無駄な軽口は減る。


 さらに進む。


 やがて地形が開けた。


 砦、というより粗末な山寨だった。

 天然の岩壁と崩れた洞窟口を利用し、前面だけを木柵と石積みで塞いでいる。見張り台が二つ。中央に焚火跡。左手に倉庫らしき横穴。右手は斜面。崩れればそのまま下まで持っていけそうな地盤だ。


 ゼノスは一目で全体を測る。


 粗い。

 だが、粗いからこそ厄介だ。無駄が多く、予測しづらい。しかも相手は盗賊であって兵ではない。統制ではなく嗅覚で動く。


 ガウェインが低く言う。


「正面から叩けますが、被害は出ます」


「正面は囮だ」


 ゼノスの返事は早い。


「バルド」


「見えてる」


 バルドが斜面を見上げる。


「あの右手、崩せる。だが一気にやるなら中の支え位置が要る」


「ある」


「だろうな」


 ゼノスはもう目を閉じていた。

 砦の構造を読む。木柵、石積み、杭、横穴の支柱、地面の空洞、斜面の重さ。全部は無理だ。だが急所はある。


 問題は、その急所へ届くまで相手を動かす必要があること。


「ガウェイン」


「はっ」


「正面に姿を見せろ。壊すな。引きつけるだけでいい」


「時間は」


「俺が言うまで」


「了解」


「ヴェス」


「いる」


「左手の倉庫口へ回れ。火は使うな。物資を外へ出させろ」


「盗んで逃げるように見せろって?」


「そうだ」


 ヴェスが笑った。


「性格わりぃ」


「褒めるな」


「最近それしか言ってねえな」


「黙れ」


 セラが静かに言う。


「見張り台は?」


「片方だけ落とせ」


 ゼノスは即答した。


「両方やると引きすぎる。片目だけ潰せば十分だ」


「了解」


 指示が散る。

 それぞれが動く。


 最初に砦側が気づいたのは、ガウェインたち前衛だった。


「誰だ!」


 怒鳴り声。

 続いて笑い声。


「おいおい、向こうから来たぞ!」


「馬鹿か!? 人数も見えねえのか!」


 ガウェインは答えない。

 槍が飛ぶ。板盾で受ける。前に出すぎない。あくまで見せるだけだ。


 砦の中がざわつく。

 予想通りだ。盗賊は“打って出られた”ことにまず驚く。だが相手が少数だと見るや、すぐに食えると思う。


「出ろ! 門を開けろ!」


 木柵の一部が開く。

 中から四人、五人と飛び出す。


 その時、左手倉庫口で騒ぎが起きた。


「おい! 誰だ!」


「物資だ! 盗まれてるぞ!」


 ヴェスだった。


 わざと派手に荷箱を転がし、袋を破き、まるで盗賊が盗賊の砦を荒らしているみたいな混乱を作っている。

 当然、何人かがそちらへ引っ張られる。


 統制がさらに崩れる。


 そこへ、セラの投石。


 見張り台の片方にいた男のこめかみへ石が刺さる。

 悲鳴。

 体が傾き、そのまま台ごと崩れ落ちた。


 「上だ!」「いや左だ!」「何人いる!?」

 砦の中が完全に散る。


 ガウェインが叫ぶ。


「今か!」


 ゼノスは答えない。

 壁ではなく、地面を見ている。


 斜面。

 右手。

 崩れた岩と、砦を支える打ち込み杭。

 そのさらに下、洞窟口の横を支える古い石積み。


 見えた。


 そこだ。


「全員、右へ寄れ」


 低い声だった。


 ガウェインは即座に動く。


「右へ!」


 前衛がずれる。

 セラが位置を変える。

 ヴェスも倉庫口から滑るように離れる。


 盗賊たちは一瞬、その動きの意味が分からない。

 だから遅れた。


 ゼノスが、右手を前へ出す。


 今までより深く。

 今までより重く。


 演算が噛み合う音が、頭蓋の内側で鳴る。

 石。木。鉄。土。重さ。角度。連鎖。


 負荷が一気に跳ね上がる。

 視界の端が白くなる。


 だが、止めない。


「崩れろ」


 その一言で、砦の右半分が沈んだ。


 轟音。


 まず斜面の表層が滑る。

 それを支えていた木杭がほどけ、下の石積みが分解され、横穴の口を支えていた黒鉄片が一斉に外れる。支えを失った重みが、そのまま内側へ崩れ込んだ。


 木柵が折れる。

 見張り台が捻じれる。

 横穴の上部が落ち、倉庫口を巻き込んで半分が土砂に埋まる。


 盗賊たちは悲鳴を上げた。

 逃げ場を探して右往左往するが、もう遅い。


「う、うわあああ!」


「斜面が! 斜面が来る!」


「親分!」


 ガルザが飛び出してきた。


 いや、正確には、飛び出さざるを得なかった。自分の根城が、足元から食われていくのだから。


「てめええええ!」


 怒号。


 ゼノスは砦の崩落を見届けながら、静かに息を吐く。

 負荷が重い。さっき門前で使った拘束より、ずっと深い。斜面と支えをまとめて読んで連鎖崩壊を起こしたのだ。簡単なはずがない。


 だが、それでも足りない。


 ガルザは生きている。


「ガウェイン」


「はっ!」


「終わらせろ」


 ガウェインが駆ける。


 今度は正面からではない。崩れた地形の左を回り込み、足場の安定した一線だけを踏んで間合いへ入る。

 ベラムとルカも続く。


 ガルザは斧を振るう。

 だが怒りで荒れていた。門前での重さはまだあるが、理性が削れている。


 ガウェインが一撃をいなし、ベラムが横槍を入れる。

 ガルザがそれを弾く。

 ルカが踏み込み、今度は浅くてもいいと割り切って太腿を裂く。


「ぐっ……!」


 それでも倒れない。

 しぶとい。


 ヴェスが横から笑う。


「しつけぇな、おっさん」


 短槍が飛ぶ。

 ガルザの肩に刺さる。動きが止まる。


 そこへ、セラの最後の石。


 狙いは顔ではない。斧を握る手首。

 打音。握力が緩む。


 斧が落ちる。


 ガウェインの剣が、ぴたりと喉元へ止まった。


 沈黙。


 ガルザが荒い息を吐く。

 周囲を見回す。

 砦は半壊。部下は土砂と瓦礫の下、あるいは逃亡。立っている者は少ない。


 ゼノスは歩いてきた。


 ゆっくりと。

 黒衣の裾に土も血もつけずに。


「終わりだ」


 ガルザが見上げる。


「……化け物め」


「そうか」


「街一つ守るだけで満足してりゃよかったものを」


 ゼノスは少しだけ首を傾けた。


「お前が来た」


 平坦な声だった。


「なら消す」


 あまりにも当然の理屈で、ガルザは逆に笑った。


「はっ……はは……最悪だな、お前」


「褒めるな」


 ヴェスが後ろで吹いた。


 こんな場面でも、それを言うのか。

 ルカが口元を押さえ、ベラムですら肩を震わせる。


 ゼノスだけが本気で不機嫌そうだった。


「生き残りは縛れ。使える物資は持ち帰る。燃やすな、崩せ」


 バルドが即座に動く。


「倉庫側は半分死んだが、まだ拾える。道具もあるぞ」


「持てるだけ持て。持てない分は埋める」


「了解だ、クソ領主」


「遅いと蹴る」


「分かってるよ」


 そのやり取りの間にも、黒鎖は動いていた。

 捕縛。

 確認。

 物資回収。

 怪我人の仕分け。

 セラは黙って残弾代わりの石を拾い直し、ドランの代わりに来ていた補助役が縄を結び直している。


 砦はもう終わっていた。


 ただの勝利ではない。

 巣そのものを消した。


 それを、黒鎖の全員が理解していた。


 帰路、誰もしばらく口を利かなかった。


 興奮でも疲労でもない。

 実感が遅れて来ているのだ。


 ネクロヴァリアは、もう守るだけの街ではない。

 手を出した相手の根まで折りに行く。


 その現実が、じわじわと全員の中へ沈んでいく。


 やがて、ヴェスがぼそりと言った。


「やべえな」


 ガウェインが横目で見る。


「何がだ」


「飼い主が思ったより本気だった」


「今さらか」


「いや、今さらだよ」


 セラが小さく息をつく。


「砦ごと消すとは思わなかった」


「俺もだ」


 ベラムが苦く笑う。


「だが……嫌いじゃない」


 その言葉に、ルカが頷いた。


「俺もです」


 ゼノスは少し前を歩いている。

 聞こえているだろうに、振り返らない。


 ただ一度だけ、こめかみに指を当てた。


 負荷は深い。

 斜面崩落までまとめて動かした反動は、今ごろ静かに来ている。


 ガウェインだけがその動きを見た。


「総督」


「黙れ」


「まだ何も」


「顔に出てる」


 前にも聞いたやり取りだった。

 だが今度のガウェインは、少しだけ語尾を柔らかくした。


「帰ったら休んでください」


「考えておく」


「珍しい返事だ」


「今は口を動かすのが面倒だ」


 ヴェスが後ろでにやつく。


「弱ってんな、飼い主」


「お前を埋める元気くらいはある」


「十分だな」


 そこで、ようやく小さな笑いが広がった。


 ネクロヴァリアへ戻った時、街の空気は朝とは別物になっていた。


 砦を落とした。

 盗賊の巣を消した。

 その報せは、隊が見える前から走っていたらしい。門の内側には住民たちが集まり、息を詰めて待っていた。


 そして、戻ってきた黒鎖を見て、誰もが理解した。


 数は減っていない。

 物資を持ち帰っている。

 捕縛までいる。


 勝ったのだ。


 歓声は上がらなかった。

 まだそこまで明るい街ではない。

 だが代わりに、深く、熱のあるざわめきが広がった。


「本当に……」


「砦を……」


「帰ってきた……」


 フィアが前へ出てくる。

 最初に見たのは、ゼノスだった。


「総督様」


「何だ」


「お帰りなさい」


 ゼノスは一瞬だけ沈黙した。


 それから、少しだけ視線を逸らす。


「当然だ」


 いつもの返し。

 だがフィアはそれで十分らしかった。


「はい」


 その夜、ネクロヴァリアの焚火は少しだけ明るかった。


 盗賊砦から持ち帰った物資は多くない。

 だが意味は数字ではない。


 この街は、自分を狙った敵を退けるだけでなく、巣ごと潰して戻ってきた。


 その事実が、街の空気を変えた。


 流れ者は増えるだろう。

 噂も広がるだろう。

 恐れも、敬意も。


 そしてゼノスは、そのどちらにも興味がない顔で、倉庫の壁にもたれていた。


 バルドが横に立つ。


「派手にやったな」


「効率だ」


「斜面まで巻き込むのが?」


「二度と使えない方がいい」


 バルドは低く笑う。


「黒鎖の名、もう根付くぞ」


 ゼノスは顔をしかめた。


「面倒だ」


「そうか? 俺は好きだぜ」


「お前の好みは聞いてない」


 だが、そのやり取りの向こうで、すでに何人かの住民が黒鎖という言葉を小さく口にしていた。

 黒鎖。

 灰都の牙。

 総督の番犬。

 呼び方はまだ揺れている。だが、名が街へ染み始めているのは確かだった。


 後に振り返れば、盗賊砦消滅は単なる報復ではなかった。


 あれは宣言だったのだ。


 ネクロヴァリアはもう、捨てられた死地ではない。

 噛みつかれれば噛み返す。

 奪おうとすれば、巣ごと消す。


 そんな最悪の領主が支配する、最も安全な灰都がここに生まれたのだと。

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