新緑の風3
「へえー、ましろちゃん大人っぽいのも似合うじゃん。いけるいける。デート楽しんできてね。あのましろちゃんに休日一緒に遊びに行くお友達ができるとか、人って変わるもんだなあ」
「お褒めいただき恐悦です……。あの、一応私お姉ちゃんなんだからね?」
姉の威厳はどこへやら、一つ年下の妹の雪菜はスマホをよそ見しながら淡々と、無感動にそう言った。
連休初日。待ちに待ったのぞみとのショッピングデート。
前に古着屋でのぞみに買ってもらった服に袖を通して、不安を紛らわせようと雪菜に見せたら、あまりにも雑な反応が返ってきた。
却って緊張が解れたため、やはりこの格好で出かけることに決めた。
普段は着ない系統のファッションで恥ずかしかったけれど、そうしなければせっかくお金を出してくれたのぞみに悪いし。
集合は正午ちょうど。
都心とは逆方向の電車に乗って、現地の最寄り駅。
家から一時間くらいかかる距離で、念のためと早めに出ることにしていたが、前日は夜もなかなか寝付けず、朝も早く起きてしまって少し寝不足だった。
だのに、そわそわして何にも手がつかなくて、結局予定より三十分以上早く家を出てしまった。
電車に乗っていると、のぞみからメッセージが。
『ましろちゃん準備おっけー? 今日は楽しみだね!』
『私も。すごく楽しみ』
『ちゃんとこの前買ったげた服着てきてね』
『着てるよ。ロングスカートなんて履くの、初めてかも』
座席の上で広がるスカートの端を折りたたんで、足の上に乗せた細く頼りない両手の指を絡ませて、あてもなく手遊びをして緊張を誤魔化す。
連休初日の人の多い電車を、そんなわけもないのに変に見られているように錯覚してしまって、いつもと違う雰囲気の自分の格好に気恥ずかしさを覚える。
おしゃれして友達と出かけるなんて、ほとんど初めての経験だった。
嬉しさとわくわく、不安、恥ずかしさがぐちゃぐちゃに混ざって、心臓が今にも破裂してしまいそうなくらいどきどきと高鳴っていた。
『来るまでにナンパされたらだめだからね? 知らない人についてっちゃだめだよ』
『されないって。知らない人にもついてかない』
早めに着いたショッピングモールの最寄り駅は、様々な属性の人たちで溢れ返って、活気に満ちていた。
子連れの家族やカップル、複数人の友達同士、老夫婦。
一人で歩いているおばあさんや、若い女の人、などなど……。
春の心地よい陽気が少しずつ熱を増し、お日さまが元気になりだした今日この頃。
春物のリブ生地は熱いくらいに感じられて、この調子なら念のためと荷物に忍ばせておいたアウターの出番はなさそうだった。
駅前のペデストリアンデッキ。その端のベンチに腰かけて、読みかけの本を取り出した。
まだ心がざわついて落ち着かないが、のぞみの前では少しでも気丈に振る舞おうと、冷静さを取り戻す儀式だ。
紙の上に気ままに踊る活字に目を落とし、雑踏に耳を傾ける。
いつも学校で、朝のひとりの時間にしているルーチンに没頭していたら、少しずつ心が落ち着いていく感じがした。
そうしてあっという間に、集合時間が来ていたのに気付かなくて、私はのぞみからのメッセージ通知をしばらくの間スルーしてしまっていた。
「まーしろちゃん!」
頭上から投げかけられた天使の声が、私を現実へと呼び覚まして、虚ろな瞳で、少し不満げにするのぞみの顔を見上げる。
唇を真一文字に結んで、眉をひそめるその顔もなんだかお人形さんみたいで愛おしくて、私はそのまっすぐな黒い瞳にしばらく魅入った。
「見ぃつけた。メッセージ気付かないと思ったら、また文学美少女してるんだもん」
「文学美少女……、わたし? ――あうっ」
のぞみは人差し指で私の額を軽く小突くと、呼んでいた文庫本を取り上げて、そのページにしおりを挟んで閉じた。
「ご、ごめん。なんだか落ち着かなくて、気付いたら夢中になっちゃってた」
立ち上がって、スマホで時刻を確認する。
待ち合わせの時間を十分以上過ぎてしまっていた。
私は改めてごめん、と謝ると取り上げられた本へ手を伸ばす。躱される。
のぞみはうさぎの意匠のかわいらしいトートバッグに、私の愛読書をぽい――と投げ入れると、つんと澄ました顔で言い放った。
「今日は解散するまでこの本は返しません!」
「ほんとにごめんって……。本に嫉妬するなんて」
昨日の夜から眠れないくらい楽しみにしていて、集合場所にも三十分以上早く着いてしまっていたのに、こんなことになるとは誤算であった。
しかし、のぞみの機嫌は思いのほか早く治ってくれた。
本をパクったらすっかり気が済んだみたいだった。
「ましろちゃん、おなかすいてるでしょ? お昼食べに行こうよ!」
「そうだね」
晩春の清らかなお日さまの下、陽の光に負けないくらいの眩しい笑顔にあてられて、さっきまでの不安や緊張が全部吹っ飛んだ。
手を繋いでふたり歩き出し、駅前を彩る様々な属性の人たちの中に私たちも含まれるように混ざって、私たちは駅直結のショッピングモールへと歩き出す。
「ましろちゃん、今日の格好すごくかわいいね!」
「のぞみちゃんが選んだんでしょ」
「えへへー。そうでした」
視線をほんの少しだけ下に、のぞみの表情がころころと移り変わる。
彼女もまた、二人の時間を純粋に楽しんでくれているだろうか。
せめて私にできるのは、彼女の貴重な休日の相手が私で良かったと思ってもらえるよう、精一杯努力することだけ。
だから私も、お日さまの隣に恥じぬよう、全力の笑顔を貼り付ける。
「私はね、服装迷ったんだけど、かわいい系にしてみたんだー」
春のよく晴れた日にぴったりの、白系を基調としたミニスカコーデは、今時の十代女子って感じで、おしゃれでかわいらしい。
それを華麗に着こなす美少女の煌びやかさたるや、隣を歩くのも烏滸がましく思えるくらいだった。
仮にナンパするなら絶対こっち。
私はどう考えてもいわゆる、じゃない方。
まあ折角の二人のデートを、どこの馬の骨とも知れない男なんかに邪魔させる気はないけれど。
「のぞみちゃんもその服、すごく似合ってる」
「えへ、ありがとおー」
照れ笑い胸の前で手を握るその仕草の一つ一つを、スナップにして保存したいくらいに愛おしく思った。
――ショッピングモールに入ってすぐにエレベーターホールへ。上の階へ上がり、レストラン街。
「下調べしてたら見つけたんだけどね、行ってみたいお店があるんだ!」と得意げののぞみに手を引かれるがまま、オムライス専門の洋食店へ入ると、私たちはオムライスとサラダのセットを注文した。
出てきたオムライスは、今までに食べたことないくらいの大きさで、卵もふわっふわで。
二人してその大きさと見た目のおしゃれさに感動し、スマホカメラで写真を数枚撮った。
口に運べば舌の上でとろとろに融ける甘さに、心まで蕩けてしまいそうになった。
食べ終わった後も、時間を忘れて会話を弾ませた。
あっという間の時間で、お昼を食べ終わってお店を出るまでに一時間、それが一瞬の出来事のように感じられた。
私はもう自分はのぞみには相応しくないだとか、似合わない格好をして恥ずかしいだとか、そんなネガティブな気持ちは一切消え失せて、純粋に親友との休日デートを満喫していた。
食後はゲームセンターに行ってクレーンゲームで遊び、プリクラを撮った。
生来写真に撮られるのが苦手だったが、強引に手を引かれて暖簾をくぐらされ、のぞみの気のゆくままに撮りまくった。
過剰なくらいに加工した写真に、お互いの名前を落書きして、のぞみはそれを宝物にするだなんて言って、大げさな……なんて心の中で思う。
いや――これは私も宝物にしちゃおう。口には出さずに、胸に秘める。
コスメコーナーでは試供品を試し、新作の春物の服もひとしきり見て回って、すっかりへとへとになった私たちは、フードコート内のスムージー専門店で飲み物を注文し、休憩していた。
「久々にこんなに歩いた……」
「ねー!」
苦笑交じりに呟くと、のぞみはまだまだ元気の有り余った様子で嬉しそうに同意した。
乾いた笑いを零す。
はしゃぐのぞみに手を引かれるまま時間も忘れて楽しんで、歩き疲れて棒みたいになった足も、なんだか一周回って心地よく感じられた。
ブランドのロゴの入った、服とコスメでいっぱいになった厚紙のショッピングバッグに、まじまじと目を落とす。
アルバイトもしたことがなくて、お母さんから毎月もらうお小遣いの使い道は専ら文庫本だった私にとって、世間一般で言う女の子の好きなものにこんなにお金をかけるなんて初めてで。
人生で初めて尽くしの今日が、なんだか夢みたいに楽しくて、楽しい時間はまだ終わっていないはずのに急にしんみりとした気持ちになる。
そんな私と気持ちを共有してくれているのだろうか、のぞみは半ば身を乗り出してこう聞いてくる。
「すっごく疲れたけど、ましろちゃんとお買い物、とっても楽しいよ!」
「……うん」
気を抜いたらなんだか涙が出てきてしまいそうで、私はそれ以上の言葉を紡げなかった。
なんだ、私だって、普通に女の子できてるじゃんか――。
私をそうしてくれたのは、目の前に座る初めての友達だ。
本当に、私にはもったいないくらい素敵な友達は、素直に、嘘偽りをまったく感じないまっすぐさで、邪気のない言葉を一つ一つ投げかけてゆく。
「ねえ次はどこに行く? 今度は文房具見て回りたいなあ」
「――あのさ」
ゆっくりと、私は言いたかったこと、言うべきことを少しずつ、丁寧に言葉にしてゆく。
私とは正反対で、まっすぐな彼女の瞳に恥じない女の子でありたかったから。
「私、こんな風に友達と休日にお出かけしたりとか、初めてで、その……。すごく嬉しくて」
だから、ありがとう。
少なくとも、字面の上では素直な本心は、涙で震えて言葉にならなかった。
雫に濡れる榛色の瞳は、親友の前に曝すのがなんだか気恥ずかしくて。
こんなに楽しい一日のはずなのに、涙なんかで台無しにしてしまうのが本当に申し訳ないのに、そうしたくないのに、止まってはくれなかった。
きっと動揺しているのぞみの声がしんみりとして、それでも変わらずお日さまみたいに明るく暖かい。
「私もなんだ――私も、仲良しのお友達とこんな風にお出かけするのが初めてで」
そして、眩しすぎて見えずにいた、明るさの裏にコーティングされた彼女の本心が曝け出されてゆく。
それは私自身の卑屈さばかりで気付けなかった、のぞみの本当の気持ちだったのだろう。
「ずっと、誰かとこうして近くで触れ合いたくて、でも勇気が出せなくて、それ以上近付けなくて――だから、ましろちゃんが初めてなんだ。こんなにありのまま、本当の自分でいられるの」
堪えきれず流した涙にぼやけた視界で顔を上げる。
楽しいはずなのに、嬉しいはずなのに、悲しくなんてないのに。
どうして情けない私の涙は止まらないんだろう?
きっと笑顔を浮かべてくれているであろうのぞみの表情は、もったいないことによく判別できなかった。
「だからさ――」
のぞみはそう続ける。
そして立ち上がり、対面に座っていた私の隣に立って、猫背で丸くなる私を強く抱き締めた。
「大好きだよ、ましろちゃん」
甘美な響きを持ったその言葉は一瞬のうちに消えてゆくようで、されど若干の余韻を持ってフードコートの喧騒に紛れていった。
温かなその腕に抱きすくめられて、たくさんの人の集まるショッピングモールの一角。
子連れの家族やカップル、複数人の友達同士、老夫婦。
一人で歩いているおばあさんや、若い女の人、などなど。
彼らのそれぞれの人生なんか気にもならないくらい、私たちは世界の中心で主人公になって、陽だまりに抱かれてその温かさに安心して。
私だけじゃなかった。
のぞみも同じように、人肌の温もりに飢えていて、そこで私という運命の人に出会ったんだ。
「勇気を出せなかった私の変わりに、私のことを誘ってくれてありがとう。本当に嬉しかった。仲良くなりたいって思ってくれて、ありがとう!」
ずっと誰かの中心にいて、誰からも好かれて、でも誰とも深い関係を築くことはできなかった。
明るすぎる光はその場から動くことはできなくて、明るすぎるあまり周囲の人たちも近付きすぎることはできなかった。
だからみんなの人気者のようでいて、臆病な彼女はずっとひとりぼっちで孤独を感じていた。
「私も、のぞみのことが好き」
ようやく言葉にできた愛の告白を自ら噛み締めて、私はのぞみの抱擁を受け返した。
いつまでもこうしていたいくらいに温かくて、誰かに見られてしまうとかそんなのも一切気にならなくて、私たちは時間を忘れてしばらくこうしていた。
どちらからともなく、ようやく抱擁の手を離した私たちは、お互いに見つめ合って、照れを隠すように苦笑した。
宇宙みたいに真っ黒な瞳に、色素の薄いヘーゼルが絡み合うように反射して、少なくとも今日いちにちは、私たちは一つであった。
すっかり氷が溶けて、水気を多く含んで薄くなったスムージーをちまちまと飲みながら、私たちはさっきとは打って変わって必要以上に言葉を交わさなかった。
半分くらい飲み切ったところで、お互いの味を交換こして飲んだ。
私のストロベリー味と、のぞみのチョコ味が舌の上で冷たく絡み合って、今更になってさっきの抱擁が恥ずかしくなって、それからスムージーを飲み終えるまで私たちは目を合わせることができなかった。




