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新緑の風2

 私の方からはのぞみに連絡しないと決めていた。


 私はあくまで、彼女のしたいことに付き合うだけ。

 こちらから遊びに誘うことはしない。

 私の方から彼女を求めてしまうと、お互いの身分の差を知らしめられて、みじめになってしまう気がしたから。


 のぞみには常に周りにたくさんの友達がいて、みんなの人気者。

 だから、友達なんて選びたい放題で、いつでも好きな友達と遊ぶことができる。


 対して私は遊びに誘えるほどの親しい友達なんていなくて、もしのぞみを唯一の親友と認めてしまえば、彼女が私に執心してくれているうちはいいけれど、もし彼女の興味が他へ移ったら、私との付き合いに飽きてしまったら、ほかに選択肢のない私は行き場を失ってしまうから。


 思い返せば、これは三年前にあすかと仲良くなった時にも心に決めたことだった。

 私があすかと話すのは、あすかが話しかけてきてくれた時だけ。

 調子に乗ってこちらから距離を詰めようとしてしまうと、私はあすかが思うおもしろい子ではなくなってしまって、彼女の私への興味が失われるのが怖かったから。


「ねえ、なに読んでるの?」


 私たちがもっと背が低くて幼かったとき、初めてあすかの方から声を掛けてくれた時にも、同じ言葉だったことを思い出していた。


「……ねえ、なににやにやしてるの?」

「ああ、ごめん。昔のことをちょっと思い出してて」

「昔?」


 指摘されて初めて、口角が上がっていたことに気付いた私は、照れ隠しに俯いた。


 嫌味のない様子で問い返すあすかは、昔からこんな感じだった。


 小学校の頃からも、中学に入ってからも、私は周りの女子たちからは浮いていた。

 自分は他の子たちとは違う。他の子たちみたいに、群れていなければ何もできないばかな女の子じゃない――肥大化した自尊心を胸にくすぶらせた少女時代、気付けばどんどんひねくれていった性格は矯正不可能なレベルにまでねじ曲がって、私はすっかり人嫌いになってしまった。


 中学受験の世界に入り込んで、私が何も特別でない凡人であることを悟った後も、女子特有の複数人で集まって同調圧力をかけ合い、よそのグループを相手に水面下で牽制しあうあの空気が好かなくて、いつまでも人の輪に入り込むことができないひとりぼっちの女の子のままでいた。

 そうやってひとりでいる私に声をかけてくれたのが、あすかだった。


「昔のましろちゃんは、もっとちっちゃくてかわいかったよね」

「うん。そういうあすかは、昔から背が高くてかっこよかったね」

「あれ、ましろちゃんがそんなストレートに人を褒めるなんて珍しい。嬉しいな」

「いつも思ってるよ。あすかはかっこよくてすごいなって」


 人嫌いでひとりぼっちの私だけど、あすかと喋るこの時間はなんだかんだ気に入っていた。


 誰とでもすぐに仲良くなって、みんなから好かれているあすかはかっこよくて、私は密かに憧れていた。


 だからこそその眩しすぎる光が、道端の雑草にほのかな暖かさをときどき供給してくれるだけにとどまってくれていたのが嬉しかった。

 地を照らすお日さまに近付きすぎれば、きっと翼をもがれ焼き焦がされてしまうのだから。


「いつもありがとうね」

「……なになに。照れちゃうな。そんなに言われると、ましろちゃんのこと好きになっちゃうぞ?」

「ならないよ。あすかは私のいやなとこ、大体知ってるでしょ?」

「いいとこもたくさん知ってるもん」


 そう言って、あすかはまた私の頭を優しく撫でる。

 お腹をすかせた野良猫をあやすみたいな、気まぐれな優しさが、それでも心地よい。

 でも決して飼い猫にはしてくれないだろうという安心感が、私を珍しく素直にさせていた。


「――かわいい」


 そしてあすかは、私の耳元に唇を近づけ、小さく囁いた。

 脳の奥まで響くような艶のある吐息交じりの言葉に、私は思わず背筋を震わせる。


 あすかはそれきり、野良猫に興味を失って一軍女子グループの会話に混ざりに行く。

 そこにはただ、質の悪いいたずらをされて悶々とした気持ちのままの私が残された。


 こんなんじゃ、読書もままならない。


「……いじわる」


 誰にも聞こえないくらいにぼそっと呟いて、私は読んでいた本を閉じ、机に突っ伏して表情を隠した。






 お昼休み。のぞみからの「一緒にお昼食べよー!」のメッセージを受けて、お母さんが作ってくれたお弁当を持って食堂へ向かう。


 勇気を出してのぞみを遊びに誘って以来、お昼を一緒することはなくなっていたのだが、改めて誘われたことに一抹の不安を感じてもいた。


 食堂の券売機で頭を抱えてうずくまり、何やらぶつぶつと念仏を唱える小動物女子を見て、他人のフリで帰ろうかと思った。


「待ってましろちゃん! 今日はカレーにするかそれともオムライスにするか、はたまた日替わり定食か……。どれがいいかな!」

「自分で決めればいいじゃん」

「なかなか決まらないから聞いているんだよ。うー困ったなあ……」

「……それより、今日はクラスの友達とかは一緒じゃないの?」


 中学一年生から高校三年生まで、生徒たちで賑わう食堂。

 食器に箸が当たる音が打楽器みたいに断続的に鳴り響き、少女たちの会話が気ままに奏でるオーケストラを彩っていた。


 のぞみは券売機の前に一人でいたが、席で他の友達を待たせているというわけではないようだった。

 私の質問に肯定を返す。


「ましろちゃんとふたりで食べたかったんだ!」

「そっか。……クラスでの付き合いも大事にしてね?」

「クラスの子とも仲良しだよ。今日の帰りにまたカラオケ行くんだー」

「……そっか」


 自分で言ったくせに、その相槌は弱々しく消えて、声になっているかどうかも怪しくて。


 ――だから言ったのに。眩しすぎる光には近づくなって。


 この胸の痛みは何? お前はいつから何者かになれたと錯覚したのか。

 所詮私は道端の雑草に過ぎない。人気者の彼女が私を放って他の友達と遊びに行くことの、何が悪いのだろう。


 着々と、のぞみは交友関係を多岐に広げていって、私なんかじゃ到底手の届かないところへ駆け抜けてゆくのだろう。

 それは最初から決まっていたことであって、何も不思議なことじゃない。


 そもそも、最初から彼女は手の届く距離になどいなかった。

 私はただ、大きすぎるその光を、近くにあると錯覚しそうになっていただけだ。


 だから勘違いなんてしない。

 見苦しい嫉妬などするな、私。


 私は人嫌いのひとりぼっちで、せいぜい光に影を差さないよう努め、温もりを享受できればそれだけで幸せな、役名も与えられないエキストラでしかなくて――。


「だからね、お昼はふたりでお話したかったんだ!」


 ――ああ、眩しいな。


 胸中に秘めたどす黒い感情が全部、真っ白な光で塗りたくられて浄化されてゆくみたいだった。

 すべてを彼女の明るさに委ねてしまいたいと思ってしまった。

 その明るすぎる炎で燃やし尽くしてくれて構わないから、屈託ない笑顔の近くに、たまにいさせてほしい。


「ここの日替わり定食、たまにしか食べないけど、結構おすすめだよ」

「うん、じゃあ日替わり定食にする!」


 財布から千円札を取り出して、るんるん気分で鼻歌を歌う。

 首を振るたび揺れるストレートの黒髪ロングが、まるで飛び跳ねる飼いうさぎのように機嫌よさそうだった。


「ましろちゃんにも一口あげるね」

「いや、いいよ私は」

「あげる! だって、嬉しかったから」

「……優しいね、のぞみちゃんは」


 二人で窓際の席を取り、向かい合って食べる。


 今日の日替わり定食は、唐揚げとシーザーサラダ。

 もらった、というより無理やり口に突っ込まれた唐揚げの一口は、お肉によく脂がしみ込んでいてとてもおいしかった。


 食べ終わって、時間いっぱいまで、私たちは連休の予定の話をした。

 二人で行く初めての休日デートは、ショッピングモールでご飯を食べてゲームをして買い物をして、日が暮れるまで遊ぶことを約束した。


「楽しみだね、ましろちゃん」


 のぞみはそう言って、お日さまみたいにとびきりの笑顔を咲かせた。


「そうだね」

「昨日買った服、ぜったい着てきてよね?」

「わ、分かってるよ」

「ぜったいだからねー。めっちゃかわいいんだから――。あっ! ましろちゃんがナンパされちゃったらどうしよう……」

「いや、されないって」

「もしそうなっても、私が絶対守るからね! ましろちゃん、手を繋いで――あう!?」


 幼子みたいにはしゃいでお喋りの止まらないのぞみの姿が愛おしくて、ときどきあすかが私にするみたいに、私は手を伸ばしてのぞみの頭を撫でていた。

 柔らかな手触りで、さらさらの黒髪が指に馴染んでほどけてゆく。


 のぞみは、私にはたぶん初めて見せる恥ずかしがった表情で、少し困惑しているようにも見えた。

 が、しばらくすると大人しくなって喋りを止め、大きな瞳を俯かせてしおらしくなっている。


 ……かわいいなあ。


「なんだか、あすかの気持ちが分かったかも」

「あすかちゃんがどうかしたの?」

「……ううん、何でもない」


 妹みたいに甘えん坊で、守ってあげたくなるようなかわいらしさを、頭を撫でて愛でる。


 多分、中学時代からずっとあすかが私に対して思っていた感情と同じだった。

 彼女とって、なかなか人に懐かない気まぐれな野良猫は、庇護欲を掻き立てられるような存在だったのだろう。


「あの子とも、連絡取ってるの?」


 私とのぞみの縁はそもそも、あすかが繋げてくれたものだった。

 あの時あすかが無理やりにカラオケに連れて行ってくれなければ、私は彼女と友達になることもできていなかったかも知れない。

 そう思うと、あすかが自称ではなく、本当にキューピッドであるように思えてくる。


 ……いや、私ののぞみに抱く思いは決して恋愛感情ではないか。私はあくまでのぞみの友達の一人になれればそれで十分なわけで。


「うん。ましろちゃんのこと色々教えてくれて……あっ」


 しまった、なんて顔で口を噤むのぞみ。


 二人が相変わらずやり取りをしていたのは分かっていたけれど。

 ……いったい何を吹き込んでくれてるのか、あの子は。


 それに、そんな「言っちゃった」みたいな顔をするのぞみにもちょっと引っかかる。

 あすかがのぞみに対して、私には内緒でと断って話すような内容……、私が知られて恥ずかしい過去?

 そんなにすぐには思いつかなかったけれど、何かあったかなあ……。


「……ふうん。たとえば?」


 少し語気を強めて凄んでみれば、のぞみは見るからに狼狽え始めた。

 そんな様子もなんだか愛おしくて、内容なんて関係なしにのぞみの色々な表情を見てみたいと思ってしまった。


 かわいい子をいじめるのは楽しい、みたいなこともあすか言ってたっけ。

 悔しいけれど、そんな気持ちも分かってしまう。


「……ましろちゃんには内緒って言われてたんだった」

「なんで私に内緒にしなきゃいけないようなこと吹き込まれてるのかなあ」


 気付けば会話に夢中になって、昼休み終了の予鈴が鳴った。

 食堂の人の数もまばらになっていて、私たちは名残惜しく顔を見合わせた。


 急いで食器を片付けると、私たちはそれぞれの教室へ小走りで戻る。


 その件について問い詰めるのはまあ、また今度でもいいか、なんて呑気なことを考えながら、私は初めてできた休日に遊ぶほどの仲の友達にぞっこんになっているのをどうしようもなく自覚する。


 気になるあの子がどんどん近くなっていって、二人でしか共有していない時間、会話、秘密が増えてゆく。


 人嫌いを自認しながら、私はどんどんのぞみのことを好きになっていっていることを、認めなければならなかった。


 ああ――連休が楽しみだ。

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