新緑の風1
新しい季節に浮かれる少女たちの輪から外れて、喧騒から離れた河川敷の桜並木の下。
その子は、まるで天使みたいにうららかに、そこに佇んでいた。
制服のブレザーをマントみたいに羽織って淑やかにスカートを折り、傾斜した芝生の上に、土でおしりが汚れるのも気にせず座って読書に夢中になるその姿が、物語に出てくるお嬢様みたいに見えて、しばらくその子に見惚れてしまった。
お日さまの光をキラキラ反射して明るく輝く色素の薄い髪色がきれいで、まっしろに散り咲く桜のまんなかで、きみは一番星みたいに輝いて見えたんだ。
憧れのお嬢様学校の入学式で見た周りの誰よりも、その女の子はお嬢様みたいに見えた。
ふと強い風が吹いて、少女のヘーゼルブラウンの髪をさらう。
少女が手に持っていたしおりが吹いてきて、私の足元で落ちた。
私ははっと我に返って、桜の刺繍の施されたしおりを手にとり河川敷へ駆けた。
「これ、落としたよ」
いつになく緊張した声色になっていたのが、自分でも分かった。
屈んで覗き込んだ先に、少女が上目遣いで見上げるのと視線が合って、私は不思議なときめきを感じた気がした。
髪の色と同じ色素の薄い瞳が虚ろに揺れていた。
その瞳はまるで焦点が合っていなくて、幽玄に取り残されたかのように危うげだった。
本当にそこに存在しているのか、夢か幻か疑ってしまうくらい、幻想的で儚げな雰囲気を纏っていて、私は思わず息を呑んだ。
「ありがとう」
少女は表情を変えず、抑揚のない声色で言った。
言葉の意味とは裏腹に、どこか厭世的でこれ以上の会話を拒絶するような壁を感じて、私はその場に立ち竦んだ。
私の足元あたりに視線を落とした彼女は、しばらく間を置いて無感動に続ける。
「どうしたの?」
「……なんでもない!」
居た堪れなくなって、私は脱兎のごとくきびすを返した。
春の風が連れてきた出会いはきっと運命で、新しい高校生活に素敵な出会いが待っている。
初めて少女漫画を読んだときみたいに胸をときめかせてみたこともあったっけ。
ましろちゃんとの初めての出会いは、たった二言の素気ないものだった。
この時はまだ、友達になんて到底なれないくらい心の距離を感じたけれど、私にはそれが不思議と漫画みたいに不思議な体験に感じられたんだ。
あの子といつか、きっと仲良くなれるかな?
ましろちゃんとの出会いがあったから、中学までの私からきっと変われると希望を持てたんだ。
* * *
「――どうしたの? そんなにぼーっとして」
「……あすか」
翌日の学校。
昨日のことが夢だったんじゃないかと考えていた。
だって、私みたいな友達が少なくて何の取柄もないひとりぼっちが、学園のアイドルみたいな子と一緒にカフェに行って、友達になって帰ってきたなんて、ありえなさすぎて考えられなかった。
……いやいや、そもそも誘ったのは私で、彼女はそれを受け入れてくれた立場だ。
もしかして彼女は勇気を出して誘った私に気を遣って……。でも友達になりたいってずっと言ってくれてたわけだし。でもなんで私が?
――考えるたび思考の渦に呑み込まれていって、私はすっかり新作を読み進める集中力も失って、ゆうべもあまり眠れなくて、何をするでもなしひとりぼーっと朝の時間を浪費していた。
あすかに声を掛けられて、ようやく現実に引き戻された。
「のぞみちゃんとデートしたんでしょ?」
「……ぜんぶ筒抜けじゃん。恥ず」
私は唇を尖らせる。
あすかは得意げに人差し指を立てた。
「あすかは、みんなの恋のキューピッドだからね」
「恋って、女同士でしょ。私ふつうに男の子が好きだからね?」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだってば」
そりゃまあ、あれだけかわいい女の子と一緒にいたら私だってちょっとはドキドキするし、友達になってほしいなんて言われたら勘違いしちゃうくらいすごく嬉しい。
女子校にいると女の子同士で付き合うなんて当たり前だから、世間一般の感覚とは少しずれてしまう。
おかしいことだなんて微塵も思わないけれど、それとこれとは別の話であって、私は女の子と恋愛をしたいわけでもない。
「もったいないなあ。ましろちゃんかわいいから、その気になればすぐモテるのに」
「無理だよ、私なんか……」
「ほんと自己肯定感低いよね。まあ、そういうところもかわいいんだけど」
「さっきからかわいいかわいいって、またばかにして」
「してないよ。ほんとに思ってるよ?」
家柄のいい子やお金持ちが多く通うこの高校において、並程度に容姿がよくてもそれだけで自慢にはならない。
私よりかわいい子なんてこの学校にはごまんといて、その上でカリスマ性、突出した才能、抜群の容姿といった特別な何かがないと、モテるなんて不可能だ。
それこそ、のぞみみたいな子ならきっとモテモテだ。
私みたいに何もない人間は、この高校生活もなるべく目立たないように過ごして、できればいつか恋をして結婚して普通の人生を送る。
そんな劇的なドラマもない、波風の立たない人生を私自身も望んでいた。
物語の主人公になるのはきっと大変で、すごく疲れるものだと、本の中のいろんな物語に触れながらいつも思っているから。
でも私、のぞみちゃんと友達になったんだよね――。
昨日ののぞみとの時間が、ずっと脳裏に焦げ付いて離れない。
宇宙の果てみたいに黒く澄んだまっすぐな瞳に吸い込まれて、まるで彼女の世界に飛ばされたみたいに、周囲の足音も気にならなくなって。
そのきれいな瞳から目を離せなくなるあの感覚。
頭がぼうっとして何も考えられなくなって、時間も、自分すら忘れてしまいそうになる。
「――おーい、聞いてる?」
「はわっ! ……えと、ごめん」
「かわいい。やっぱりのぞみちゃんに夢中なんじゃん」
「ち、ちがうって……」
「わかるよ。あの子かわいいもんね」
……そうだ。のぞみはかわいい。
本来なら私程度の人間が、気安く友達になっていい相手じゃないんだ。
中学一年の時、席が前後どうしで友達になって、ずっとつるんでくれてるあすかも、私とは違って他の友達がたくさんいて、みんなの人気者ポジションの一軍女子だ。
でもあすかは私のことなんて、ていのいいおもちゃ程度にしか思ってなくて、基本的には他の仲のいい子たちと一緒にいる。
私にはお互いに利用しあう程度の――あすかは変わり者の私との特別な関係がおもしろくて、私はあすかが数少ない友達でいてくれるだけで助かっている――その関係が心地よかった。
真正面から友達になりたいって、ぐいぐいくるのぞみみたいなタイプは、私にとって初めてだった。
「でもましろちゃん、これからきっと大変だよ。のぞみちゃんのこと狙ってる子も多いだろうし」
「だから、ここ女子校! すぐ恋愛に結び付けようとしないでよ」
「男がいないんだから、仕方ないでしょ? みんな恋に飢えてるんだから、性別なんて関係ないよ」
「……こわいなあ」
言うだけ言って満足したのか、あすかは最後に私の頭を粗雑に撫でまわして、一軍女子グループの会話に混ざりに行った。
去る彼女の後姿をねめあげながら、私はくしゃくしゃに乱れた髪を整え直す。
あの子、私を地域猫か何かと思ってかわいがっている節があるな。
とはいえ、彼女の言うことにも一理あるかと悔し紛れに思い直す。
人気者の友達をやるのは、きっと大変だろう。
友達の少ない私にとって、たとえのぞみと友達になれたとしても、彼女にとっての私は数多くいる友達のうちの一人にしか過ぎない。
きっと他の友達ともたくさん遊びに行くだろうし、そもそもクラスが違うから学校での時間のほとんどは一緒にいられない。
昨日のあんなことがあったからって、所詮私は煌びやかな女子の花園の隅っこに、慎ましやかに生える雑草に過ぎないのだ。
放課後。
昨日の別れ際に連絡先を交換しておいたのぞみから連絡があり、私は校門前でのぞみと合流した。
のぞみは昨日のお返しと、行きつけの店に誘ってくれるらしい。
「今日は私が奮発しちゃうんだから!」
終始笑顔を綻ばせてスキップしながら歩くのぞみを、かわいいなあなんて微笑ましく思いつつ、ふたり電車に乗って着いたのはどこか古めかしい感じの古着屋だった。
愛想笑いを張り付けて「何かお探しですか?」なんて話しかけてくる若い女店員の見当たらないアウトローな雰囲気のお店で、世の中にはこんな良心的な服飾店もあるのかと感心し、エスコートしてくれたのぞみのセンスに感銘を受けた。
服を見ている間話しかけてこない店員は、それだけで好印象である。
「今日はましろちゃんの激カワコーデを探します!」
「えっ、服とか買っても着る機会ないし、悪いよ」
「あるもん!」
弾んだ声で言って、躊躇なく私の手を取る。
のぞみは本当にスキンシップの多い子だとは思っていたが、昨日にお互い友達になろうと言葉を交わし合ってから、より接触が増えたような気がした。
私はまだ心の準備がしっかりとできていなくて、どぎまぎしてしまう。
「私とたっくさん、デートするんだからね!」
「でも、他のお友達と遊びに行ったりとかしないの?」
「他の子とも遊ぶよ。ましろちゃんとも遊ぶからね!」
邪気のない言い方でそう言われて、私はそれ以上食い下がるのも野暮かと口を噤んだ。
服を買うのなんて数年に一回しかなくて、人生のほとんどの時間を制服か簡素な部屋着で過ごしているのだから、この機会に着られる服が増えるのは嬉しくないわけではない。
「覚悟してねー……。今日のましろちゃんは私の着せ替え人形です!」
「は、はい……」
手柔らかに頼みたいものである。
――ましろちゃんはかわいくてきれいだし、もっとおしゃれとかするものだと思っていた。のぞみにそう言われた。
私は彼女が思うようなキラキラした人間ではないし、お嬢様でもなければ光る才能もない。
容姿も平凡だし頭脳も並で、学園モノ小説ならば地の文にも描写されないようなモブがせいぜいだ。
だから教室でも極力目立たないように努めるし、誰かに迷惑をかけるのも怖いから、積極的に友達を作りにいくようなことはしない。
意地になって孤独を貫いても、それはそれで目立つから、ある程度のレベルでの人付き合いはやっておく。
でも、決して深い仲にはならない。
なぜなら私は生粋の人嫌いで、性格の悪い孤独好きだから。
のぞみはあれよあれよの間に様々なコーデを持ってきては私を試着室に詰め込んだ。
丈の短いふわふわのミニスカートとか、ボーイッシュなショートパンツのコーデとか色々試したけど、最終的には黒のリブニットに、モスグリーンのロングスカートを合わせた大人っぽいコーデが気に入ったみたいだった。
レジへ向かうとのぞみは頑なに自分が支払うと言って聞かず……。
結局、昨日の八百円のココアが、七千円のおしゃれ服になって返ってきた。
前代未聞の超高効率なわらしべ長者の誕生だ!
決してそんなつもりで奢ったわけでは……。
「連休の初日さ、一緒にお買い物に行こうよ!」
のぞみはすっかり私との時間を気に入ってくれたみたいだった。
それは確かに魅力的な提案だった。
しかし私はこれ以上のぞみとの関係が深くなるのが怖かった。
私自身ものぞみのことをとても気に入っていたのは事実。
そもそも、学年のマスコットで高入生の間では人気者になっている女の子との時間を、独り占めにできているというだけで、代えがたい贅沢であったし、そんな子が魅力的でないはずがなかった。
のぞみのことを好きになればなるほど、自分が普通ではなくなってしまう気がして恐ろしかった。
平凡な人間が、収まるべき枠から外れれば、きっと社会から手痛い制裁を受けるに決まっている。
根暗は根暗らしく、大人しくしていればいい。
「えっと、連休の初日……」
「私が選んだ服、着てきてほしいなあ」
「……うん」
もうすぐ世間は大型連休に突入する。
いっそ予定があると言って断ってしまおうかとも思った。
あまりにも強すぎる光に近付きすぎれば、陰は消えてなくなってしまうのではないかと恐ろしかったから。
……でも、こんなにも嬉しそうにする彼女を見て、断りきれなかった。
「もしかして他の予定があった?」
「……ううん。一緒に遊ぼうか」
笑いながらも困り果てた私を見て、私の気を知って知らずか、のぞみはにっと白い歯を見せて笑う。
「私、ましろちゃんとお友達になれて嬉しい!」
「……私もだよ、のぞみちゃん」
彼女がどうして私のことを気に入って、友達になりたいと思ってくれたのか。
その真意はまだ、笑顔の裏に読み取れなかった。
けれども今は、この明るすぎる光に影を差して、汚してしまわないようにしたいと思った。
「あのコーデ、本当に似合ってた?」
のぞみほどでないにせよ、小柄でちんちくりんな私に、大人っぽい雰囲気のロングスカートは似合っているとはあまり思えなかったのだけれど。
「桜の木の下に儚くたたずむ美少女って感じでね、とてもよく似合っていると思いましたよ、ええ」
「急に何目線……?」
桜……?
得意げに腕を組んでしたり顔する横顔もなんだか画になっていて、私はなかなか彼女に強気に出ることができずに、されたい放題になってしまっていた。




