春の日差し6
私ときたら本当に極端な人見知りで、恥ずかしい話、コンビニを除けば一度訪れたことのある店にしか入れない。
学校の最寄り駅から自宅の反対方向、ターミナル駅を降りて、前に妹の雪菜と来たおしゃれな喫茶店に入るなり、朝雛さんは分かりやすく目を輝かせた。
「すごーい、おしゃれー……!」
「あっ、今日は私が出すからね」
「ほんとに!?」
このお店の欧風レトロで落ち着いた雰囲気が気に入っていた。
お店の内装に感動してくれている朝雛さんを見て、とりあえずほっと胸を撫で下ろす。
私とは違って一人でどこへでも出掛けて行けてしまう雪菜に連れてきてもらっていなければ、この店に巡り合えなかったかと思うと、彼女には頭が上がらない。
仲良くなりたいだなんて向こうから言ってくれた幸運をいいことに、私はいま新入生の人気者を連れ出して独り占めにしてしまっている。
相手の方から友達になりたいなんて言われるのは、生まれて初めてのことだった。
相手が本当に私でいいのかという不安や、人気者に友達になりたいなんて言ってもらえた自己肯定感がないまぜになって、私は緊張していた。
声が上ずって震えているのが自分でも分かる。
せめて彼女の時間をもらう対価として代金は私が払わせてもらおう。
少しは罪悪感が薄れるかも知れない。
「うちの学校の子って、やっぱりいつもこんなカフェでお茶してるんだ。私憧れちゃう……」
胸の前で手を合わせて感激しているところ申し訳ないけれど、私はあなたが思うようなお嬢様なんかじゃないと思う。
「いつもじゃないけど……。朝雛さんはこういうお店好き?」
「うん! いつかおしゃれなカフェで、かわいい制服着てバイトするのが夢なんだあ」
大きくて黒く丸い瞳を、星空みたいにきらっきらに輝かせて朝雛さんは言う。
上品でかわいらしいエプロン制服を着た店員さんが注文を取りに来て、私はカフェラテを、朝雛さんはミルクココアを注文した。
朝雛さんみたいな美少女がこんな制服を着たら、絶対にかわいいとは思うけれど。
「うちの学校、バイト禁止だけどね」
「えっ、そうなの!?」
「な、なんでこの学校入ったの」
「だって、本物のお嬢様に会えると思ったから……」
朝雛さんはかなり天然な子のようだった。
とはいえそれも、彼女が愛されキャラたる由縁だろう。
四葉女子学院の高校の入学偏差値はかなり高く、入試倍率も相当のはず。
お嬢様に会いたいからとか、おしゃれだと思ったからとか、そんな動機だけで試験をパスできるほど難易度の低い学校ではないはずだ。
つまり朝雛さんは、かわいい見た目をしてかなり勉強のできる子なのだろう。
「確かに、この学校に朝雛さんが会いたいと思ってるお嬢様みたいな子はいると思うけど……。私は友達少ないし、紹介できそうなお嬢様の友達はいないよ」
「――ねえ、ましろちゃんてさ」
いつもはみんなの輪に囲まれて屈託なく明るく元気な彼女が、神妙な表情でこちらを見つめてくる。
不意を突かれて、私は思わず息を呑んだ。
「なに?」
「…………」
沈黙。
朝雛さんはそれきり黙りこくって、でも視線ではじい――っと私を捉えて見つめていた。
なんだか気恥ずかしくて、私は目を泳がせて狼狽える。
なに――えっ、どうしたの。そんなに急に見つめて……。
「――お待たせしました。ホットラテお待ちのお客様は――」
「……あっ! はい、私で――」
さっき注文を取りに来てくれた店員さんがドリンクを持ってきて、気まずい沈黙を破った。
朝雛さんには、グラス越しにミルクの白とチョコレート色の混ざるアイスココアが提供されて、静かな店内に再び沈黙が戻る。
小動物みたいに動くものすべてに興味津々な様子で、朝雛さんは店員の女の子の後ろ姿を目で追っていた。
(は、恥ずかしいなあ……!)
口には出さず、心の中で叫びたくなる衝動をぐっと堪えた。
朝雛さんはいつも何かをまっすぐと目に据えて、その大きな瞳で興味の対象をじっと見つめる。
今は店員さんのかわいらしい制服を、そしてさっきは、私のことを……。
「ましろちゃんって、目がすごくきれいだよね」
「はぇ!?」
思わず変な声を上げてしまって、静寂な店内に響き渡る。
他の客の注目がこちらへ集まってしまうような想像をして、たちまち顔が火を噴いたみたいに熱くなった。
私は恥ずかしさから逃れるように、顔を両手で覆い隠した。
だってそんなこと、初めて言われたのだ。
朝雛さんの、宇宙みたいにぜんぶを吸い込んでしまいそうな漆塗りの瞳に気を取られていたと思ったら、彼女はずっと私の目を見つめていた。
……ずっと視線が合うわけだ。ニーチェみたい。
「べ、別に普通だと思うけど……」
「ヘーゼルのすっごくきれいな目。ましろちゃんの目、ずっと見てられるくらいに好き」
「へ……?」
うっとりと言う朝雛さんの言葉に動揺して、私は取り繕うようにスマホのインカメラを起動し、生まれてこの方一度もまじまじと見たことのない自分の瞳を見つめてみた。
――確かに、と感心した。私、こんな目の色をしていたんだ。
言われてみて初めて気付いた私の瞳は、黒というにはかなり薄めの、赤みがかった茶色の瞳をしていた。
「ねえ、もっとよく見せてよ――」
朝雛さんは、私が今まで彼女に持っていた印象からは、想像もつかないくらい熱に浮かされた表情でテーブルに身を乗り出す。
彼女の小柄な身体では、大きめのテーブル越しに私の座る対面へ体が届くはずもなく、テーブルの上の飲み物をうっかり零してしまうより前に、私は慌てて彼女を制止した。
「ま、まって朝雛さん! あぶない、危ないから……。わかったから!」
はっと我に返ったように、朝雛さんの黒い瞳にハイライトが戻る。
「はっ……えっと、ごめんね。私、夢中になっちゃって」
さっきからずっと顔が熱いんだ。
寒がりで、春でも温かい飲み物が好きな私だけど、ホットドリンクを頼んだことを少し後悔してしまっていた。
唇を尖らせて、口内の寂しさを紛らわすかのようにティーカップに口をつける。
「……目なんて、褒められたの初めてだったから、私びっくりしちゃって」
恥ずかしさが過半数、嬉しさがほんのちょっぴり。
そして、十六年生きてきて、自分でも知らない自分の身体があったことに、驚いたのがほんのちょっぴり。
「いいよ――ちょっと恥ずかしいけど。朝雛さんが見たいなら私の目、見ててもいいよ」
絞り出すように言うと、彼女もまたきれいで見入ってしまうような漆塗りの瞳をゆらゆらと揺らして、表情を華やがせた。
喫茶店を出るまでの小一時間、私はすっかり、いくつか用意していた彼女との話題を全部忘れてしまった。
当の朝雛さんは、私の気なんて知らずに、鼻歌混じりにるんるん気分で、こちらをじっと見つめるばかり。
こんなに長い時間、誰かに見つめられるなんて初めてだ。
「そろそろ出ようよ」と言えば、「もうちょっとだけ」と粘るやり取りを何度も繰り返した。
朝雛さんはすっかり時間を忘れてしまって、ちょっと怖いくらいだったけれど、外が暗くなってきたあたりで少し強めに退店を促すと、渋々と従ってくれた。
もっとたくさんお話してみたかったのに……。
私は完全に、朝雛さんのペースに乱されっぱなしだった。
「ましろちゃんは覚えてないかもだけど」と朝雛さんが切り出す。
「えっ?」
駅へ戻る道のり。
どうやら彼女も、私に言いたい何かを用意していたようだった。
……私はすっかりペースを乱されて、朝雛さんに言おうと用意していた頭の中の台本を、すべて記憶の彼方へ飛ばしてしまったのだけれど。
「私、前にも一度ましろちゃんとお話してるんだよね」
覚えてないかな、とかわいらしく首を傾げる。
自分のかわいさを自覚してるみたいなアイドル性は、確かに新入生の間で人気者になるだけある。
でも彼女の雰囲気は今までに感じたものとは少し違っていた。
底抜けのみんなのアイドルな笑顔ではなく、どこか物憂げで臆病さを感じる、儚くて、きっと私には初めて見せるであろう表情。
「生徒手帳のとき……?」
「ううん。もっと前」
屹立するターミナル駅のビル群に向かって、大勢の名前も知らない人たちが吸い込まれてゆく雑踏が、鉄塊のアスファルトを擦る音を不規則に装飾する。
憧れの人との沈黙を咎めるかのように、耳障りなクラクションが私を急かした。
「……わかんない」
「うん。私ね」
そうして朝雛さんが手を差し伸べたその空間だけが切り取られて、世界がほんの一瞬だけ無音に静止したような気がした。
その瞳と対峙していると、まるで世界に二人だけが取り残されたかのように錯覚する。
それだけ彼女の魅力に吸い込まれて、夢中になってしまっているということなのだろう……。認めよう。
「その時からずっと、ましろちゃんと仲良くなりたいと思ってたの」
「……え?」
いや、私が彼女を知るより前から、彼女は私の何かに惹かれていた。
そんなことに、私は気付けてすらいなかった。
朝雛さんから向けられる、今まで知りもしなかった感情が、舞台袖に引きこもってしらける私の背を押す。
「ましろちゃん。私と友達になってください」
そして私もまた、朝雛さんの魅力に強く惹かれているのだから。
周りの何もかもを吸い込んでしまいそうなくらい深い瞳が、まっすぐに私のことを見つめて、惹きつけて離さない。
「――はい」
ほとんど突き動かされるように答えて、その手を弱々しくとると、朝雛さんは緊張で冷え切った私の手を両の手で強く握り返した。
温かくて包み込まれるような体温が、昂る鼓動を通して伝わってくるみたいだった。
「ねえ、明日も一緒に帰ろうよ!」
「あぅ、えっと……」
指摘されるまでもなく顔が茹で上がって、だけど覆ってしまいたい手が朝雛さんに握られて逃げ場がなくなってパニックになる。
閉じるに閉じられない口が収まりどころを失ってあてもなく開閉し、せめてまっすぐに見つめられる視線から意識を外そうと、下へ俯いて自分の爪先を睨みつけた。
まともに目を合わせられないそのままの視線で、私もこう返す。
「私も、朝雛さんと友達になりたい」
全身いっぱいに喜びを表すみたいに、握った両の手をぶんぶんと縦に振る。
往来の人々の視線を気にする余裕もなく、私はされるがまま。
朝雛さんの調子はいつもの明るい人気者のイメージに戻っていた。
さっきの態度が出来のいい演技なのか、それともこちらが彼女の本性なのかは分からない。
須く、人とは二面性を持つものだ。
ただ元気で明るいように見えてその実、草食動物みたいに臆病で、誰とでもすぐに仲良くなれるくせに、どこかで一線を引いて最後の一歩がなかなか踏み込めない。
それが朝雛希海という女の子なのだとしたら――それってめちゃめちゃ好きになっちゃいそうだと思った。
「ましろちゃんも、下の名前で呼んでほしいなあ」
「う、うん」
「ねえ呼んでみて。のぞみ、って!」
「の、のぞみ、ちゃん……」
「なあにー、ましろちゃん!」
「うぅ、いや……、なんでも……」
聞いたことないくらい上ずった自分の声が恥ずかしくて、消え去りたいくらいで。
まだ手を離してくれない。
今までにないくらいに嬉しそうにする彼女に、まったく勝てる気がしなかった。
「なんでもないのー?」
「そろそろ帰ろう! 夜遅くなっちゃうし、家族も心配するだろうし……ね?」
「そうだね、また明日だねっ!」
――まあ、悪くないかななんて思っている私もいる。
十六歳、高校一年生の春。私に親友ができた。
うさぎみたいにいじらしいその女の子との出会いは、運命の出会いと呼べるのかどうかは分からないけれども。
何の取柄もなく友達の少ない私が、誰かを初めて大切にしたいと思った。
駅までの人ごみを私たちは手を繋いで歩いた。
明日また、のぞみに会えるのが楽しみで仕方なかった。




