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春の日差し4

 休み明けの月曜日。

 予報通りに朝から雨が降った。


 昨日から珍しくお母さんが体調を崩して寝込んでいて、毎朝作ってくれているお弁当の代わりに五百円を握り締めて食堂へ向かい、日替わり定食を注文する。

 食堂で食べるなんて久しぶりだから、ちょっとドキドキした気持ちもありつつ、いつもお弁当を作ってくれているお母さんには改めて心の中で感謝した。


 ずっとひとりでいると、周囲の音を気にしないスキルが磨かれる。

 私は、周りの子たちの会話を一切気にも留めず、あくまで雨音に混じるインストとして、黙々と定食のチキンを口に運ぶ。

 そうやって友達が少ないなりの処世術をすっかり身につけているものだから、我らが人気者に話しかけられたことに、すぐに気付けなかった。


「ましろちゃんだー!」


 お盆に小盛りサイズのカレーライスと水の入ったコップを乗せて、朝雛さんは私を見つけるや否やぱっと表情を華やがせてやってきた。

 呆然とする私に気付いてか否か、朝雛さんは矢次早に続ける。


「ねえね、一緒にお昼食べてもいい?」

「ええっと……、他のお友達は?」

「みんなも一緒に! ねえ、いいでしょ?」


 さすがコミュ力の塊、根っからの陽キャ。

 朝雛さんは、一緒に来ていた他の女の子たち(昨日カラオケを一緒した子も中にいたが、違う子もいた。改めて彼女の交友関係の広さに驚かされる)を、大仰に手を振って呼び、あれよあれよの間に、私を取り囲んでの食事会が始まった。


「ねえ、美星さんのお父さんって、どんな人? どんな仕事してるの?」

「美星さん、都心の一等地に住んでるってほんとー!?」


 高入生はみんな、内進生が全員お嬢様だと思ってるの?


 高校二年生に上がるまでは、高入生と内進生は別クラス、別カリキュラムで授業が進行する。

 そのため、同じ学び舎に居ながら、部活動に入っていなければ交流の機会はほとんどないと言ってもいい。


 部活動はいま仮入部期間中のはずで(部活をしていない私には関係ない話だけれど)、まだ本格的な活動は始まっていない。

 高入生にとって、中学からいわゆる私立のお嬢様学校で過ごしてきた内進生は、同じ時期を市井の公立で過ごした高入生の彼女たちにとって、珍獣かのように映るのだろうか。

 だとすれば今の私は、動物園の檻の中のトラみたいなものかな。……み、見世物じゃないぞ!


 私は面映ゆさに声を僅か震えさせながら、檻の向こうのお嬢様の生態に興味津々な彼女たちの誤解を必死に訂正する。


「お父さんは普通の社会人だし、家は郊外の住宅街だよ。言っとくけど、お金持ちな子も確かにいるけど、私は至って普通の一般人だよ?」

「でも美星さん、窓際でひとり読書してる系の女の子だって聞いたよ」


 席は窓際じゃなくて教室の真ん中より少し前あたりです。

 そんな少女漫画の主人公みたいな子じゃないです、私。


 いったい誰がそんな……朝雛さんか。

 朝雛さんはしたり顔でウインクをしている。

 かわいい顔してえげつないことをする。


「ただ友達が少ないだけだよ……。読書は好きだけども」

「いつも食堂で食べてるの? ねえ、また一緒に食べてもいい?」


 世間でお嬢様学校なんて呼ばれている学校に入学できて、彼女たちはすっかり浮かれ気分なのだろうか。

 まさかこんな口下手な私が、一瞬でもこんな人気者になれる日がくるとは夢にも思わなかった。


 いや、よく考えればこれはあすかが気まぐれで繋げた縁でしかなくて、偶然の産物に過ぎない。

 そのうち私の本性が割れて、他の内進生の子たちが高入生と関わりを持つようになれば、私みたいなつまらない人間、すぐにお払い箱になるだろう。

 内進生はそれこそ、本当の意味でのお嬢様とか、成績優秀な才女、お金持ち、女子校の王子様――ありとあらゆる女子の憧れの的がよりどりみどりなのだから。


「今日はお母さんが体調悪くて、学食なんだ。いつもはクラスでお弁当食べてるよ」

「ねえ、ましろちゃん――」


 隣の席でカレーを頬張りながら、身を乗り出して目を輝かせる朝雛さん。

 その笑顔が眩しくて、なんだか気後れしてしまいそうになる。


「わたし、ましろちゃんともーっと、仲良くなりたい」


 私も私も――そう口々に、朝雛さんのクラスメートたち。

 巣箱から親鳥に餌をねだる雛のように強引で、だけど初々しくて憎めなかった。


 それにまあ、話せる友達が増えて損なこともないか。

 どうせ内進生には友達は数えるくらいしかいないし。

 私なんか、と劣等感を抱く反面、きっと一時的に幻想を持たれているだけにしても、好感を抱かれて持て囃されるのに、悪い気はしていなかった。


「それじゃあ、もしよかったら、明日も……」


 勇気を出してそう答えると、雛鳥たちの喜びが弾けるようだった。

 その後の会話でも、朝雛さんは笑顔で会話の中心にいた。


 この時はまだ、彼女は普通の、いつも元気で明るくて学級の中心の女の子という印象しかなかった。

 誰とでもすぐに仲良くなれるのに、どこかに一線を引いて踏み込まない臆病さに、まだ彼女のことを何も知らない私はまだ気付けなかったということである。


 二日連続でこんなに大勢の人と話したのが久しぶりで、春雨の気だるげな雰囲気と相まってごっそり体力を持っていかれてしまった。

 しばらくは慎ましやかに暮らそう、なんて思いつつも、明日また食堂にくることを約束してしまったことを思い出す。


(あんな約束、してよかったのかなあ……)


 根本的に私は人見知りで人付き合いが苦手で、口下手で人嫌いだ。

 そんな私が、朝雛さんみたいな学園のマスコットのすぐ隣にいて、たくさんの人の中に入っていく毎日に耐えられるのだろうか。


 そんな風に逡巡していると、思考がどんどんネガティブになっていって、自己肯定感が下がってくる。

 どうしてこんな私のことを、みんな羨望の眼差しで見てくるのだろう。

 まあ、それも今のうちだろうけれど、私なんて大した人間じゃないし、勉強も普通で運動も苦手、容姿も平凡で地味だし、すごい子なら他にもっとたくさんいるし、しばらくすれば彼女たちの興味もそっちへ向かうだろうし……。


 ――やめだやめ。

 私は教室の隅っこで本を読んでいるくらいがお似合いなのだ。

 彼女たちのお遊びには、数日付き合ったらきっぱり切ってしまって、またいつもの日常に戻ろう。

 こうして不安の渦に巻き込まれてしまうのも、きっとこの物憂げな雨のせいなのだから。


 さて、お腹がいっぱいになったら眠くなってきた。

 次の数学の授業は、寝落ちしてしまわないよう気を付けないと。






 放課後になってもまだ雨は降りしきる。

 憂鬱な気分を胸に秘めて、さっさと帰って家でゴロゴロしようとベッドに思いを馳せていると、なにやらあすかが悪そうな笑みで振り返ってきた。


「ましろちゃん、やるじゃん」

「……なあに?」

「あれっ、ましろちゃん不機嫌モード?」


 思っていたより声音が尖ってしまって、私は不機嫌を悟られまいと平静を取り繕った。


「別に……。やるじゃんって、何が?」

「のぞみちゃんと仲良くなったって聞いたよー。明日も一緒にお昼食べるんでしょ?」


 耳が早い。

 数日適当に付き合ったら、食堂にももう行かずうやむやにしてしまおうとしていたのだが、少しずつ外堀から埋められてしまいそうで困った。

 みんなの人気者で、クラスメート全員が友達! ……みたいな女の子の友達になるには、やっぱり私には荷が重い。


「高入生って、内進生みんながお嬢様だって勘違いしてるの? なんか私までそう思われてたみたいで。でも、素の私を知ったらすぐ飽きるでしょ」

「別に、みんながみんなってわけではないと思うけどー」

「……けど?」


 にやにやと企み顔のあすか。

 ……さてはお前だな!

 朝雛さん一味になにか変なことを吹き込んだな!


「ましろちゃんは自覚が足りないよ。年収二千万の超エリート弁護士の娘で、姉妹全員が私立の中高一貫に通ってる子が、お嬢様じゃないわけないじゃん」

「西東京の普通の一軒家で、お母さんはお弁当やさんのパートだよ!? それに小学校は地元の公立だし、由緒正しい家の出ってわけでもないし……。百歩譲って、普通と比べてちょっと裕福だって言うなら分かるけど、お嬢様はないない!」

「似たようなもんだよ」

「似てなーいー!」


 久しぶりに大声を出して、ぜえぜえと息を切らし、クラスメートからの注目を集めてしまった。

 反省。私は顔を真っ赤にして俯く。


「……とにかく、朝雛さんたちに変なこと吹き込むのやめて。私、目立つの得意じゃないんだから」

「私はただ、ましろちゃんの魅力をのぞみちゃんたちにプレゼンしようと」

「だから、それが余計なお世話なの」


 私はそこで会話を切ってスクールバッグを持ち、席を立った。

 ……それに、親がなんの仕事してるかとか、どこに住んでるかとか、そんなのは私自身の魅力なんかじゃない。


「せっかくだから、駅まで一緒に行かない?」

「……私、用事あるから」

「そんなつれないこと言わないで」


 雨のせいで鬱屈とした気分は、大切な友達の魅力的な誘いなんかじゃ簡単に晴れてくれるわけもなく。

 むしろ人と話すこと、言葉を発することに疲れ切ってしまって、私は一刻も早くここを去って消えてしまいたかった。


 でもあすかはそんな私の様子なんてお構いなしと言わんばかりに、背後から私にとびかかって抱きすくめた。

 思わず、前傾に倒れそうになるところを、あすかに抱き支えられ、そして彼女は耳元でいたずらっぽくささやいた。


「のぞみちゃんのこと、もっとたくさん教えてあげるよ」

「……別に、興味ないし」


 振りほどいてさっさと逃げようかとも思ったのだけれど、背後からがっしり抱きかかえられてしまって、あすかの抱擁を振りほどくことができなかった。

 観念したように嘆息して、「駅までなら……」と諦めると、あすかは逃がさないとばかりに私の手を握る。

 手を繋いでいたら、うまく傘を差せなくない?

 この期に及んで雨の中あすかを振り切れる気もしないのだけれど、脅しに屈したみたいでなんだかすごく悔しかった。


 最近のあすかは少し変だ。

 今までだったら、ただそこにいるからちょっかいをかけているだけ、みたいな扱われ方だったはずなのに。

 今の彼女を、いったい何が突き動かすのだろうかと訝しんだ。






「というか、その理屈でいくならあすかの方がよっぽどお嬢様じゃない?」

「えー? うちのお父さん工場労働者じゃん」

「いやいや、超有名製鉄企業の重役でしょ!」


 藤宮あすかのお父様は、間違っても工場労働者なんて肩書きに収まる器ではない。

 誰もが名前を聞いたことのある有名企業の超絶お偉いさんである。


 四葉女子学院は、自由な校風を理念に掲げる由緒正しい女子校であり、旧華族や有名企業の社長令嬢なんかも多く通う名門お嬢様学校である。

 それと同時に、年に数十人単位で名門大学や医学部への進学者を輩出する進学校でもある。


 かつては高貴な家の出の生徒がほとんどで、高校からの入学者も受け入れない完全中高一貫制であったらしい。

 今では独特なカリキュラムを残しつつも、大衆に門戸を開き、高校からの入学も受け入れて、幅広い層の女子生徒を募集する女子校となっている。


 中学受験というと親が熱心で、子どもは親が言われるがままに勉強させられて――なんてイメージが昨今ついてしまいがちであるが、私は父に紹介されてこの学校を知り、みずから興味を持ってその世界に飛び込んでいった。


 小学生だった頃は勉強が好きで、いつも学年トップだった。

 地元の公立で一番だったというだけで天狗になって、井の中の蛙だった私は、五年生のときに中学受験のための塾に通い始めて、大海原の広さを知ることとなった。

 名門女子校である四葉女子に合格はしたが、中学入学以降も上位の成績をとることは一度もできていなくて、私は特別でもなんでもない、ごく平凡な一般人であることを身を以て知った。


 元々、友達が少なかった私は、きっとうっすらと周囲を見下しながら生きてきたのだと思う。

 私はどこか特別で、周囲よりも優秀な人間なのだと。


 結局、それはただの勘違いだった。

 中学生になってから、何となく持っていた自分の万能感が幻想であったことに気付いて、それからは世界に埋もれるようにおとなしく生きるようになってしまった。

 けれど、それでいい思う。

 誰もが私に興味を持たないことで、無用な期待を受けて失望されることも、きっとなくなるのだから。


 自分の器の小ささを受け入れても、人嫌いな悪癖は治ってはくれなかった。

 そして誕生したのが、何の取柄もないくせに友達も少ない、何の魅力もない嫌な中二病女である。

 ……我ながら言ってて自分が嫌になってくる。


 それにしても――お嬢様、とは。

 張り合うように言ってしまったが、正直私もあすかもお嬢様って感じではないだろう。


「のぞみちゃんちって、犬とインコとうさぎ飼ってるんだって」

「そっちのがよっぽどお嬢様っぽい」

「あっ、のぞみちゃんの話題に食いついた」


 まんまと罠にはめられて、私はばつが悪くそっぽを向いた。


 日がな一日しとしとと降りしきる雨は、世界を薄暗く包み込む。

 アスファルトを行き交う車のライトが、ちかちかと星のように輝いた。


 うさぎか――朝雛さんのことを思い出す。


 小学生のときに学校で飼っていたうさぎの仕草を思い出してしまったのだ。

 草食動物であるうさぎは、犬や猫と違ってすぐには人に慣れない。

 警戒心の強い彼らは常に気を張って生きていて、いつもどこかおどおどしている。

 しかしひとたび慣れてしまうと、人懐こく近付いてきてこちらをつぶらな黒い瞳で見上げて、餌をくれるのを待っているのだ。


 あの時の黒い瞳と、彼女のまなざしが、どうにも被ってしまった。


「――なんか、朝雛さんっぽい」

「ん、なにがなにが?」

「あっ、いや……こっちの話」


 考え込むと、つい自分の世界に入ってしまう癖がある。

 思わず漏れてしまった独り言を慌てて誤魔化したけれど、藤宮あすかという悪女の前に誤魔化しきれている自信がなくて、まるで救いのように駅が見えてくる。

 私は逃げるように早足になった。


「それじゃあ、駅までだからね。私、これから用事あるので」

「……用事なんかないくせに」


 別れ際にぼそっと呟いたあすかの言葉を聞こえなかったことにして、私は駅という核シェルターへ逃げこんだ。


 用事ならあるさ。

 おうちに帰ってお布団にくるまって体力を回復するという、大事な用事がね。

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