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春の日差し3

 カラオケでは全員が歌わなくてはならないなんて誰が決めたんだろう。

 実際には誰もそんなことは決めていないんだろうけど、一人だけ何も歌わないというのも心象が悪い。

 私は最初の二巡だけ適当な流行りの曲を入れてお茶を濁し、頃合いを見て疲れたからなんて言い訳をして、ローテーションから離脱した。


 聴き専に回った私は手持無沙汰になって、ドリンクバーのメロンソーダをひたすらに流し込んでいた。

 それだけハイペースで飲み物を飲み続けていたら当然トイレも近くなるというものである。


「はぁ…………」


 ひときわ大きく溜息を吐き出して、鏡に映るやつれた顔を見返す。


 中学の途中までは髪を伸ばしていたが、朝のセットが面倒になり、肩より上で切り揃えるようになった。

 化粧もまともにしたことがなくて、美容といえばお母さんに言われるがままの簡単なスキンケアくらいしかしたことのない私は、平凡を絵に描いたような顔立ちの何の変哲もないモブだ。


 今もまさに楽しく歌って盛り上がっている、キラキラと輝かしい青春を送る子たちと私とでは、住む世界も思考回路もまるで異なっている。

 カラオケに来てからまだ一時間を過ぎたくらいだというのに、私はすっかり自分の場違い感に居た堪れなくなってしまって、腹痛すら感じ始める始末だった。


「帰りたい……」

「――ましろちゃん、もしかして楽しくない?」


 うっかり呟いた弱音を聞かれてしまったことに気付いて、さっと血の気が引いた。

 慌てて振り返ると、トイレの入り口に我らが学園のマスコット、朝雛さんが、大きな瞳をまんまるに見開いてちょこんと立っていた。

 見られたくないところを見られてしまった焦燥感から、私は必死に笑顔を取り繕った。


「あっ、いや……楽しんではいるよ! ただ、ちょっと疲れちゃったなあというか……。私、普段こういうところあんまり来ないから」

「よかった! ちょっと楽しくなさそうに見えたから……」


 朝雛さんは愛くるしい上目遣いでこちらを覗き込む。

 ぱちぱちと目を瞬かせて、まっすぐに見つめてくるその黒い瞳に絡めとられそうな気がして、私は目を逸らして苦笑した。


「そんなことないよ。朝雛さんたちと遊べて、今日はすごく楽しいよ」

「そっか、よかった!」


 言って、彼女は飛び跳ねた。


 小学生だった頃、飼育係だった私は、学校で飼っていたうさぎの世話をしていたことがある。

 臆病でなかなか人に慣れない子だったが、根気強く世話をしてやると次第に懐いてくれるようになった。

 その時の感じを、朝雛さんからも感じた。


「わたし、ましろちゃんともっと仲良くなりたいな」

「えっ?」

「あすかちゃんがね、すごくおもしろくて優しい子だよって」


 あのあすかが、ね……。


 普段はクラスの一軍グループにいる彼女が、一人でいる私に話しかけるのも、おもしろいからというのがモチベーションだ。

 あすかが私に話しかけてくれるのは、あくまで陽キャの道楽の一つでしかなくて、私は本来あすかや、それこそ朝雛さんのような子と接点を持つなんて不自然なことなのだ。


 そのあすかが私を優しい子だと評したのが意外だった。

 ――いや、あの子のことだから、また適当を言っているに違いない。

 あすかは誰かを傷つけるようなタイプではないが、あれで性格が悪いから、私はよくからかわれている。


「別に、私は普通だよ」


 困った調子で私は言う。

 朝雛さんは相変わらずうさぎみたいな人懐こい仕草で、まっすぐな視線でこちらを見据える。


「普通じゃないよ。だって、内進生ってお嬢様なんでしょ? わたし、お嬢様とお友達になりたいなぁ」


 朝雛さんはうっとりとした表情で、胸の前で手を合わせる。

 一挙手一投足は確かにかわいらしくて、彼女が入学早々に人気者になるのも頷けた。

 ……が、今はその話ではなく。


「うちの学校、確かにお嬢様学校って世間では言われてるみたいだけど、私は違うよ? 私はごくごく普通の一般家庭の子だから」


 サラリーマンの父と、お弁当やさんのパートの母、そして中三、中一、小四の三人の妹の六人家族の長女で、お父さんは確かに平均以上には稼いでくれているかも知れないけど、それでもごく一般的な家庭の範囲の環境で、私は別にいわゆるお嬢様って柄じゃない。


 確かにこの学校には、天の上の人みたいな暮らしをしている、いわゆるお嬢様も通っているが、みんながみんなそうというわけではない。

 私立の中高一貫校だから、ある程度裕福な家庭が多いかも知れないけれど、それでも一般人と変わらない普通の生活をしている子の方が多いだろう。

 朝雛さんの幻想を砕くようで悪いけれど、それならなおのこと、私のような凡人は彼女の友達には釣り合わない。


「でもでも、ましろちゃんって読書が好きなんでしょ? 窓際でそよ風を感じながら、ひとり物思いに耽りながら読書なんて……。それって立派なお嬢様じゃん!」

「……それ、あすかから聞いたの?」


 ありもしない妄想にうつつを抜かしてうっとりいるところ悪いのだけれど……。

 なるほど捉えようによっては、友達付き合いに腐心せず、自分の世界をしっかり持ってお淑やかに読書に浸る美少女は、絵に描いたようなお嬢様かも知れない。

 実態は人見知りで人嫌いな凡人が、友達付き合いをサボって教室の真ん中の席にひとりぼっちで空気でいることに徹し、たまに話しかけてくれるあすかみたいな変わった友達に毎日感謝の気持ちを欠かさない陰キャ女子なのだけれど。


「あすかちゃんから色々聞いてるんだよ。ましろちゃんともっと仲良くなりたくて」

「私と……なぜ?」

「なぜって……。仲良くなりたいから?」


 悪気もなさそうに首を傾げる彼女を訝しむ。

 朝雛さんみたいな友達なんて選びたい放題な子が、わざわざ私なんかに目をつける理由ってなんだろう。

 あすかみたいな底意地の悪さはこの子からはあまり感じられない。

 とすると……、ただ見境がないだけ?


「ましろちゃん、また後で話そうね。ちょっとお花を摘んでくる!」

「お花――あっ、うん。……また後で」


 すっかり朝雛さんのペースに振り回されていたのに気付いて私は呆気にとられた。

 さっきまで溜息を吐いて、帰りたいなんて弱音を吐いていたのが嘘みたいに、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 朝雛さんはそういう意味でも、人の感情を大きく動かしてしまうほどのエネルギーを持った女の子なのだろう。

 そういう子だからこそ、みんなの輪の中心にいて、太陽みたいに明るく輝くのだ。


 一緒にいてあんなに温かい気持ちになる子に、初めて出会った。

 きっとそばにいるとずっと笑顔でいられるから、彼女の周りにいる子たちは居心地がいいのだろうなと分かった。


 だけど私はただ、世界の真ん中で眩しく輝く太陽を、窓越しにして少しだけ享受できればそれでいい。


 春が好きだ。

 春の日差しがちょうど心地よいから。

 夏ほどお日さまの主張が激しくなく、冬ほど控えめでもない。

 秋ほど忙しなくするわけでもなく、一番のんびりときみを感じることのできる季節だから。


 鏡を覗き込むと、妙に浮かれてにやにやとした自分が映っていて、なんだか気味が悪かった。

 ちょっと陽の気を浴びただけでこれだ。

 あんな子と四六時中一緒に居たら、私はどうにかなってしまいそう。


 手を洗ってハンカチで手を拭き、朝雛さんのお手洗いが終わるより前にそそくさとトイレを出た。

 彼女とずっと二人きりで話すのは楽しかったけれど、私には春の日差しの下で、静かに本を読むくらいでちょうどいいから。






 カラオケには結局、三時間くらい居た気がする。

 家に帰る頃にはすっかり暗くなり、家族は全員揃っていた。


 妹たちは揃って横並びにソファに座り、ゴールデン帯のアニメに夢中になっていた。

 中学生の二人の妹は、私とは違う私立の共学の同じ中学に、小学生の一番下の妹は地元の公立の小学校にそれぞれ通っている。


 中学生二人の髪型はそっくりの背中まで伸びたロングヘアで、後ろ姿では見分けがつかないくらいによく似た雰囲気だ。

 しっかりした雰囲気のブレザー制服の格好のまま仲良く肩を寄せ合ってソファに掛けている。


 小学生の妹は、中一の三女の肘をぎゅっと抱き締めて、その隣に。

 相変わらずこの下ふたりの仲が、姉妹で一番いい。


「ただいまー」


 妹たちは口々におかえりと返した。

 私は妹たちにお姉ちゃんなんて呼ばれたことがなくて、いつもましろちゃん、と名前で呼ばれる。


「おかえり、珍しく遅かったじゃない」とお母さん。

「ちょっとね」と私ははぐらかす。


 キッチンからは出汁のいい香りがしてきて、陽のオーラに包まれて三時間を耐え抜いた私の疲労困憊の脳を優しく刺激する。

 思わず「いいにおい」なんて呟くと、お母さんは自慢げに「今日の晩御飯はおなべでーす」と返してきた。

 妹たちはアニメからは目を離さずそのままの体勢で、「やったー」と口々にさえずる。

 私は自室へ戻るのも億劫で、食卓の自分の定位置に、スクールバッグを置いた。


「どこか行ってたの?」とお母さん。

「友達に誘われちゃって」

「あら、ましろが友達となんて珍しいじゃない」


 家族構成を聞かれて四人姉妹だと伝えると、ほとんどの場合驚かれる。

 そして「大変そう」とか「賑やかでいいね」とか、おおよそ似たような返事が返ってくる。


 妹が三人いることを、不満だと感じたことはなかった。

 寧ろ友達の少ない私にとって、妹たちはずっと友達の代わりでもあった。


 小学生のときは、学校から帰れば妹たちと四人並んでテレビを見たり、一緒におままごとをして遊んだり。

 お風呂には一緒に入って、畳の部屋に布団を並べて敷いて、四人で並んで雑魚寝した。


 私が中学に入ったくらいの頃からだったか、姉妹は一人の時間が増えるようになっていった。

 お父さんは一戸建ての住宅の二階の二部屋をそれぞれ二人ずつに分けて、部屋の間をカーテンで緩やかに仕切り、それぞれの自室にしてくれた。

 そして寝室に二段ベッドを二つ用意してくれて、それぞれのベッドで別々に寝るようになった。


 それでも夕飯前には一緒にテレビを見て、お母さんが用意してくれる食卓を待つ。

 姉妹仲は相変わらず良くて、みんなで食卓を囲みながらその日あったことを口々に共有しあい、他愛もない話に花を咲かせる。

 人見知りの私に友達が少なくても、寂しさをそこまで感じなかったのは、賑やかな家族がいてくれたからでもあった。


 私は一つ年下の次女、雪菜(ゆきな)に誘われて、その隣に座った。

 今はすっかりショートヘアに慣れた私だが、中学時代の私も今の雪菜と同じくらい髪を伸ばしていた。

 雪菜の方が性格も明るく社交的で、見た目も垢抜けた雰囲気だ。


 愛され末っ子の小学四年生、若葉(わかば)は、三女の和穂(かずほ)の腕を枕の代わりにして、うつらうつらと今にも寝てしまいそう。

 和穂も今年から中学に上がって、雪菜と同じ学校に通っている。

 下から数えて二番目の妹の和穂は、末っ子の若葉のお世話をするのが大好きみたいで、二人は特別に仲が良い。


 私たちは若葉の眠そうな顔を覗き見て、顔を見合わせてでれっと相好を崩した。

 みんな末っ子には甘い。

 和穂は若葉の小学生らしい三つ編みの先っぽを、かわいがるように撫でていたが、それを嫌がる様子はなかった。


 鍋料理が食卓に小分けされて並んだ。

 いい匂いがリビングまで漂ってくると、誰かのお腹が不意にぐうっと鳴りだす。

 私たちはお互いに誰のお腹の音だとからかい合い、お母さんに食卓に呼ばれて卓についた。

 すっかりいつもの日常に戻ったみたいになった私は、カラオケでの出来事なんて忘れて、一家団欒のひとときを過ごしていた。


「お父さん、今日も遅くなるの?」と雪菜。


 仕事柄、残業や仕事の付き合いで遅くなることの多いお父さんは、女子会そのものの家族のテーブルには一緒につかないことの方が多く、今日もそうであるらしかった。


「今日は飲み会ですって。まったく本当なんだか」


 言いながらエプロン姿のまま、四十を過ぎたばかりのお母さんも食卓についた。

 自分で作った料理に、いただきますと手を合わせる。


「なんかさ」と三女の和穂。「友達に四人姉妹なんだよね、って言ったら。いいなーって言われた」

「えー、でも私はひとりっ子がよかったなー」


 次女の雪菜は姉妹のなかでもとりわけ友達が多いみたいだ。

 自立心が強くときどき遠慮がないが、姉妹仲が悪いわけじゃない。


「えーやだ! ゆきちゃんがお姉ちゃんじゃないとやだもーん」


 末っ子がかわいらしく唇を尖らせると、雪菜は冗談だと笑う。

 そんな姉妹の思い思いの会話を、お母さんは口を挟まず、だけどどこか嬉しそうに聴いているように見える。


「ましろちゃんは?」


 和穂に振られて、柄にもなく私はこう答えた。


「私は……、かわいい妹が三人もいて、嬉しいよ」


 今日はいつになく食卓が賑やかであるように感じられた。


 雪菜には「急にそんなこと言い出すなんて怖いー!」だなんて茶化された。

 和穂は「ましろちゃんだいすき!」なんてデレられて、若葉はいつも通りマイペースで。


 夕食後には順番にお風呂に入って、寝る前に忘れず宿題をする。

 今日も変わらず、日付が変わる前にはベッドに潜ってしまおう。


 ちょっと陽キャの友達に誘われて、一軍グループのカラオケに交ざったくらいでは、私の変わり映えのしない日常は揺らぐことはなく、淡々と時は過ぎてゆく。

 そしてまた、いつもの朝が来る――今日までは、そんな風に思っていた。


 まだ、あすかのあの言葉が少しだけ引っ掛かっていた。――きっとそれは、運命の出会いを経験していないからだよ。


(……なに考えてんだか、私は)


 私に限って、運命の出会いだなんて、そんな。

 本来なら遠く触れられない太陽の光を、偶然近くに感じたくらいで、勘違いしてしまうほど愚かな女ではないはずだと、その時までは思っていた。

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