まっしろな君へ4
土曜日。朝早くに家を出てターミナル駅で落ち合い、私たちは海へ向かった。
五月半ばで泳ぐにはまだ早いけれど、爽やかな潮風をまだ海水浴客のいない今のうちに味わいに行きたくなった。
なるべく人の少ない空間でのんびりとイチャイチャしたくて、特急券を買った。
特急車両は休日だというのにそこまで人は多くなくて空席が目立った。
二人で隣り合ったリクライニングの座席は広々として快適で、お互いに日帰り旅のテンションも上がった。
備え付けの簡易テーブルを引き下ろして、私たちはそこに出発前に買い貯めたお菓子を広げ、お菓子パーティを始めた。
パーティ気分を味わうためにペットボトルのお茶を乾杯し、二人して思い思いにスナック菓子やチョコ菓子を摘まみ、会話を弾ませる。
そうしているうちにあっという間に、列車は目的地へ着いた。
のぞみとの休日デートは、連休以来のおよそ二週間ぶりになるだろうか。
そこまで間が空いたというわけでもないはずなのに、お互いの関係が擦れ違っていた期間があったせいか、すごく久しぶりなデートな気がした。
海に行くのだからと二人してお揃いの白ワンピコーデにしてみた。
昨日の学校帰りに服屋さんに寄って、二人で選んだものだ。
ワンピースの上にはお互いの思うイメージカラーのカーディガンを合わせた。
私はライトグリーンで、のぞみはライトブルーだ。
砂浜に照り付ける快晴の太陽は、まだ夏は遠いというのに既に初夏みたいに暑くて、十分に夏の海デートの気分を味わえた。
水着を持ってきていれば、このまま海に入ってしまうこともできたかも知れないと思えるくらい、夏のムードであった。
「きれい――!」
と相変わらず初夏の太陽に負けないくらいに明るい笑顔を咲かせて、のぞみは歓喜の声を上げた。
その横顔にぼんやりと見惚れていると、見られていることに気付いたのぞみと目が合って、どちらからともなく笑いかけた。
「来てよかったね」
私がそう言うと、のぞみは今までに見た一番素敵な笑顔で頷いた。
「うん!」
サーフィンをする人がちらほらと見えるくらいで、人もまばらな砂浜を、私たちは手を繋いでそぞろに歩く。
このためにわざわざ買ったビーチサンダルで砂浜を踏みしめると、時折砂が素肌にかかった。
真夏ほどのうだる暑さもないほどよい気温で夏の気分を堪能して、なんて贅沢なひと時なのだろうと感傷に浸る。
後で足を洗うのが大変だなと思う一方で、二人で積み上げる非日常を噛み締めた。
しばらく他愛のない会話で二人きりの時間を彩った後、私たちは結局調子に乗って波の打ち付けるすぐ傍まで近づいた。
海水はひんやりと冷たくて、思ったより波は早く遠くまで届いた。
打ち付ける波が私たちの足元を攫うたび、砂浜がサンダルの上から足を覆って、そのたびに私たちは悲鳴を上げて喜んだ。
時々膝のあたりまで高波が届くと、私は焦ってスカートの裾を持ち上げたが、のぞみは濡れるのなんて気にしない様子ではしゃいだ。
「ましろちゃんぱんつ見えてるー!」なんてからかわれてむっとして、両の頬を手のひらで挟み込んでぐりぐりとこねくり回すと、のぞみは何故か嬉しそうにして奇声を上げ、抗うように私の手のひらを握り返した。
遊び疲れた私たちは、浜辺と道路を仕切る石堤の上に腰かけて休憩をとった。
日差しで熱された石が少し熱かったけれど、座れないというほどでもなかった。
そして隣り合って手を繋ぎ、時折見つめ合っては笑い合った。
綿菓子みたいな雲を見つけたとか、さっき浜辺で見たカニが食べられるのかとか、生産性なんて微塵もない会話でひたすら盛り上がった。
意味なんてない、ただ一緒にいられることを幸せと感じるだけの時間を大切に過ごして、気付けばお日さまは頭上高くまで登っていて、のぞみはお腹を大きく鳴らした。
「お腹すいちゃったね」と私は言った。
「おにぎり食べようよー」
コンビニで買ったおにぎりを広げて、どれをどっちが食べるとか議論しあう他愛のない時間。
昔からずっとひとりでいて、これが私だと思っていた。
誰かと幸せを共有しあう時間、喜びを分かち合う瞬間なんて知らなくて、それは私には相応しくないものだと思っていた。
そんなことで一喜一憂する人たちのことを、愚かだとどこか冷めた目で見ていた。
きっと昔の私が今の私を見れば、軽蔑するのだろう。
どうせいつかは別れるのにとか、幸せに水を差すようなことを思うのだろう。
でも、誰かを強く思うこの気持ちが、ほんの短い人生に豊かさを与えてくれたことを、私は感謝している。
だから私は愚かでいい。きみと一緒に居られるのなら。
のぞみと一緒に食べたコンビニのおにぎりはおいしかったけれど、お互いが何の味を選んだのかなんてもう忘れてしまった。
ただきみが幸せそうに笑う顔に夢中になって、見惚れてしまうので一生懸命だったから、それ以外のことなんて考えていなかった。
おにぎりを食べ終えて午後には水族館へ向かった。
水槽の魚をみるたび「おいしそー!」なんて言うのぞみに、私は苦笑交じりで相槌を打ったが、川魚ゾーンのマスやヤマメはさすがにおいしそうに見えてしまって、何も言えなくなった。
家族連れで賑わうのイルカショーを、階段の一番上の立席スペースから眺めた。
スマホカメラのシャッターを切る手が止まらなくて、だけどショーの凄さとイルカのかわいさを肉眼でもしっかりと焼き付けておきたくて、忙しなく視線を移動させていると、またのぞみの横顔に気を取られた。
幼さを残したあどけない顔で、無邪気に喜ぶその様子に釘付けになっていたら、ショーのラストを見逃してしまった。
不意に「すごかったね!」と同意を求めるのぞみと目が合う。
取り繕うように目を逸らし、しっぽで観客にバイバイするイルカたちに向けて、万雷の拍手を送る。
私の気なんて知る由もなく、隣でのぞみも同じように拍手をしている。
出口手前のスーベニアショップで、おみやげを交換し合うことにした。
のぞみらしいおみやげって何だろうっていやに真面目に選んでいたら、のぞみは「これかわいくない!?」なんてゲテモノみたいな魚のキーホルダーを選んできた。
絶対に適当に目についたものを取ったでしょ――なんだか真剣に悩むのもアホらしくなって、私は思わず乾いた笑いを零す。
ふと視界の端を掠めたサメのキーホルダーがなんだかかわいらしく見えて、意趣返しとばかりに「これかわいくない?」って見せてみた。
「かわいいー!」
憎めない顔をしたデフォルメ調のサメの顔が、冷静になって見てもかわいげがあって、全然意趣返しになっていないことに気付いた。
何にでも無邪気に喜ぶのぞみを見ていると、どうしてか許してしまうのだけれど。
退場ゲートを通って出口を出ると、山並みの向こうの西の空が赤橙色に染まりつつあった。
帰りにもう一度海に寄ってみた。
二人並んでさっきと同じように石堤の上に腰かけてみると、昼の時とは違ってお尻がひんやりとした。
私たちは手を繋いで、空が赤く染まっていって、そして暗くなっているのをぼんやりと眺めていた。
そろそろ帰らないと、遅くなってしまう。
「来てよかったね」
午前中に私が心から思った言葉をそのまま、のぞみがリフレインする。
黒く深い漆塗りの瞳が、水平線を照らす夕日の反射を受けてキラキラに輝いて、その無垢な瞳の奥に溺れてしまいそうになった。
私はしばしそのまっすぐな視線に見惚れた後、彼女の気持ちに同調するように同じ言葉を返した。
「……うん」
一時は関係がこじれてどうなってしまうかと不安になった。
私なんかは、もうのぞみと友達じゃなくなっても、二度と話せなくなっても、どうでもいいとすら思ってしまった時もあったけれど……。
頑張って本当に良かった。
そしてこの景色を、二人で共有できている。
「こんな夕焼け空、今はその気になればネットで探せば見られるんだろうけど」
「ううん、見られないよ」
「……そう。そうだね」
水平線の向こうが熱く揺らめいて、ゆっくりと深い赤に落ちるこの景色を、二人きりで肉眼で焼き付けるこの光景を、ネットなんかで探し当てられるわけがない。
この景色は、二人だけの特別な思い出だ。
「また来たいな」
考えるより先に、言葉が出ていた。
「また来よう。来年も、その次の年も!」
「……うん!」
私たちは、空が完全に暗くなってしまう前の絶妙な薄明に、思い出したようにスマホカメラを向けた。
そしてお互いの笑顔にカメラを向け合い、最後にインカメラを私たち自身に向けて、めいっぱい肩を寄せ合ってツーショットを撮った。
たくさん写真を撮って、普段は使うことのないカメラロールに、のぞみと二人で映っている写真が溢れた。
そこに二人だけの時間が流れていた証拠が残ったみたいで、私はスマートフォンを大事に胸に当て、今日に思いを馳せるように目を閉じた。
「――あっ、一番星!」
感極まったみたいに言うのぞみにつられて、私も一気に暗くなりゆく空を見上げた。
頭上からゆっくりと夜の帳が降りて、街明かりの少ない海辺に一番星が煌めきだす。
「そろそろ帰らないと」
「……まだ帰りたくない」
そう言って私の腕を抱き締めて、駄々をこねる幼子みたいな素振りに、私はもうすっかり慣れてしまった。
優しく頭を撫でながら、わがままを言って困らせるのぞみを、私は子守唄を歌うみたいなたおやかな口調で根気強く諭す。
「またいつでも遊ぼう」
「寂しい」
「寂しくないよ。離れててもずっと一緒」
「今日が終わっちゃうのが怖い」
「明日もたくさんお話しよう」
「ずっと一緒に居たい」
「大丈夫、ずっと一緒だから」
――星明りだけが差し込む幻想的な空間の真ん中に、玉のような黒い瞳が輝く。
宝石は天の川銀河を鮮やかに映し出して、悠久の宇宙に吸い込まれてしまいそう――
そして私たちは、深く濃厚なキスで時間を止めた。
目を閉じて、もっとその唇の感触を、舌先の温かさを味わう。
口づけは砂糖が溶けるみたいに甘くて、いつまでも夢中になった。
早く帰らないとなんて自分で言っておいて、その甘すぎる中毒性にうっかり溺れてしまいそう。
唇を離して、お互いの残り香に酔う。
つ――と二人の間に引いた少し粘り気を持った糸が口づけの名残を惜しみ、繋いだ手の甲の上に落ちた。
そして私たちは強く抱き締めあった。
深く遠く広がる宇宙の下、誰も私たちが愛し合うのなんて気にも留めずに、ゆったりとした時間が流れている。
それは星空の営みの全体からすればごく僅かな一瞬でしかないのだろうけれど、私たちにとって一生忘れられないくらい重要な、永遠にも近い時間であるかのように思えた。
行きに乗ったのと同じ色の特急電車に乗って、私たちは帰路に就いた。
すっかり遊び疲れてしまって、私たちはどちらが先だったのかも分からず夢の中に落ちた。
颯爽と途中駅を通過する間の記憶はほとんどなくて、気がついたら終点に着いていた。
寝ぼけ眼を擦りながら列車を降りる。
別れ際、改札の前でもう一度、私たちは抱き合った。
いくら交わしても飽きないお互いの感触を、匂いを、温もりを、何度も何度も――感じ合った。
第一章は以上です。お読みいただきありがとうございました。
次章の構想もできていますが、書きあがるまで一旦完結済みとさせていただきます。




