まっしろな君へ2
次の日の朝。登校するなり自分の席にバッグを置いて、私はすぐさまのぞみのクラスへ向かった。
人見知りな私だけれど、その日の私は不思議と万能感に包まれて、どこへでも行けて何でもできる気がしていた。
ゆうべの雪菜の言葉に勇気づけられて、それだけをモチベーションに、知り合いのいない高入生クラスのドアを開けて、のぞみの姿を探した。
のぞみはまだ来ていないようだった。
教室中からは思わぬ来訪者の登場に興味津々の視線を向け、にわかにざわつきだす。
私は一瞬たじろいだが、怯むことなく近くにいた子に声を掛けた。
知らない子に自分から話しかけるなんて、生まれてこの方初めてだった。
「のぞ――朝雛さんまだ来てないかな」
「ああ、えっと、まだかな」
困ったように上ずった声で返す彼女に、短く感謝を告げて教室の戸を閉じる。
のぞみが来るまで、教室の外で待つことにした。
内進生のクラスのあるエリアと、高入生のクラスのあるエリアは少し離れていて、交友関係が広く頻繁に行き来するような子ならともかく、私みたいな友達の少ない生徒は、高入生からしたら見慣れなくて、待つ間私はとにかく注目を浴びた。
すれ違い様にみんなが私について何か言っているみたいに思えて、とにかく居心地が悪い。
心が折れかけて自分のクラスへ戻ろうかなんて弱気が浮かび始めたくらいの時になってやっと、数人の友達に囲まれてのぞみが姿を現した。
目が合って私は努めて笑顔を作ったが、のぞみは気まずそうにすぐに目を逸らす。
のぞみと一緒に歩いてきた子たちの中には、先月のカラオケを一緒した子もいて、私のことを覚えていた。
「えっ、美星さん?」
「美星さんだ! 噂の――」
「おはよう、のぞみ」
浮ついた取り巻きのガヤを遮って、のぞみに微笑みかける。
一週間ぶりに見たのぞみはやっぱりかわいくて、みんなのアイドルだった。
浮かない表情をしていたが、それでもみんなに囲まれてその中で一際明るく輝いて見えた。
――ああ、やっぱりこの子が、私のお日さまなんだ。
「……おはよう」
「いい加減仲直りしない?」
「……え?」
のぞみは虚を突かれたみたいに丸くて大きな瞳を見開いて固まった。
私たちは思わず目を見合わせる。
私がそんなことを言いにここまで来るなんて想像していなかった、みたいな顔だ。
確かに前までの私なら、絶対にそんなことはできなかった。
でも、散々悩んで、苦しい思いをして、吹っ切れて、世界は思ったよりも広いことに気付けて、こんなちっぽけでくだらないことでいつまでも縮こまっていても誰もおもしろくないと思えたから、私は行動に移すことができた。
「昨日はごめんね。のぞみも仲直りしたいって思ってくれてたんだよね」
「……え?」
「……ん?」
「き、昨日?」
「え? 謝りたいって、誘ってくれたんじゃ……」
「私はそんなこと……」
「……は?」
昨日の朝、私は確かにあすかから、のぞみが私に謝りたいと言っていると伝えられていた。
あすかの昼食への誘いは、その仲立ちだったのだろうと。
心当たりがなさそうに困惑するのぞみの様子を見て悟る――私の早とちり? というか、全部あすかの独断での行動だったんじゃないか!
私は気持ちを落ち着かせるべく深呼吸をして、それから大きく伸びをした。
そして強がるみたいに胸を張って、のぞみの友達が私たちのやり取りを心配そうに見守るのも無視して、のびのびと声を張る。
「とにかく、もうやめにしない? また前みたいに仲良くしようよ。メッセージだってまた送ってよ。だって私たち――」
そして、周りに見せつけるように、たじろぐのぞみの腕を取る。
「――私たち、付き合ってるんだから」
途端、蜂の巣をつついたみたいに黄色い歓声が上がった。
……ああ、言ってしまった。
これでもう逃げられない。
でも私はすっかり高揚状態になっていて、後悔はしていなかった。
目立つのは苦手だけれど、このままずっとのぞみと話せないよりは、こっちの方が断然いい。
「……ま、まし――」
「私たちの仲をみんなに見せつけたかったんでしょ。これで私はあなたの物――あなたも、私の物だよ」
いつの間にか私たちを囲うようにして廊下には人だかりができていた。
明らかに一クラスの人数では済まない人数が押し寄せていて、早朝の学び舎は無秩序と化す。
私はダメ押しをしかけるようにのぞみの顎を摘まみ上げて、短い口づけを落とす。
観衆に思い知らせてやるかのように。
「愛してるよ、のぞみ」
「あの、ましろちゃ……、みんな見て……」
「ん、それが?」
「だって、ましろちゃんが嫌だって言ったんでしょ! みんなに知られたり、目立ったりするの……」
のぞみは顔を真っ赤にして、それでも嫌がる素振りはなく私に抱かれるがままになっている。
そんな焦る姿がかわいくて、私は調子に乗ってもう一発、今度は軽く舌を入れて、周りに見せつけるようなキスをする。
他の子たちが騒ぐのとか、もう気にならない。
今この瞬間だけは、私たちがこの物語を支配している自覚があったから。
私は何でもできて、どこへでも行ける気がしていた。
「本当は嫌だよ。今だって死ぬほど恥ずかしい。でも――」
私はきみに出会えて変われた。
だから、どうせ私はこうだから、とやる前から自分を定義して足踏みするよりも、きみに振り回されてでも一緒に歩く方がおもしろいんじゃないかと思えた。
「のぞみがそれがいいって言うならする。大好きな人のしたい通りにする。だって、ずっとそばにいたいから」
「ましろちゃ――」
名前を言い終わるのを待たずに強くその肩を抱き寄せ、胸元に包み込むと、高鳴る胸の鼓動が痛いくらいに伝わってきた。
その鼓動の大きさが愛の大きさなのだと理解すると、なんだか余計に愛おしくて、ずっとそうしていたくなる。
最初、のぞみは申し訳程度にもぞもぞと抵抗していたが、すぐに動くのをやめて私の抱擁に身を任せた。
呼吸は全然落ち着かなくて、のぞみの熱い吐息が耳にかかる。
しばらく触れられなかった分、まだ離してやる気なんかなかった。
たとえ嫌がっても、最初にわがままを押し通してきたのはのぞみの方だ。
だから私だってとことんわがままになってやる。
ずっとずっとこうして、いつまでだって離してやらないから――。
そんな時間が永遠に続くわけなんてなくて、ホームルームが始まる時間を合図にして観衆はおもむろに散り散りになっていった。
先生が教室へやってくるくらいのタイミングで私たちは現実へと引き戻されて、自分のしたとんでもないことを今更になって自覚して、私は一気に顔が熱くなるのを自覚した。
その後はのぞみと、まるで目を合わせられなかった。
「……それじゃあ、また後で」
「うん。またね、ましろちゃん」
一週間を明けて久々に交わした会話が、何気ないものであっても嬉しくて、やっぱり私はこの子のことがどうしようもなく好きでたまらないということを再確認した。
「聞いたよ、ましろちゃん」
「…………」
ホームルームが終わるなり、一限が始まるまでの僅かな空き時間であすかがすっ飛んできて、私は顔をしかめた。
「もうどこから突っ込んだらいいか分からないよ! まったく、お騒がせなんだから……」
「……あすか、昨日私に嘘ついたでしょ」
「嘘?」
あすかは昨日、のぞみと私で仲直りの場を設けるみたいなことを言っていたけれど、当の本人はどうやら心当たりがないみたいだった。
「えっ、ついてない! のぞみちゃんがましろちゃんと話したいって言ってたのは本当だよ」
「でも昨日のこと話したらきょとんとしてたよ」
「あれは……、というかましろちゃんこそ何さ、昨日の態度。私まだ怒ってるからね!」
「あれは、その……。ごめんなさい」
昨日は思わずあすかに当たってしまって、そういえばまだ彼女に謝れてなかった。
しおらしく謝る私を、あすかは唇を尖らせて腕を組んで見下ろした。
「分かればよろしい」
「……なに目線?」
思わず顔を見合わせて、私たちはどちらからともなく表情を和らげた。
連休明けからもやもやしていたことが全部、一気に融解して解決していったみたいだった。
何もかも、気の持ちよう次第でどうとでもなるのだなと分かって、すっかり心がふわりと軽くなった。
思えばいつも、れいかの件だって、私の心の支えになってくれていたのはあすかだった。
……大嫌いなんて思ってしまってごめんなさい。
「ましろちゃん、なんか変わったね」
「そう?」
「うん。今、すごくいい顔してるよ」
「……なんか恥ずかしいな」
「そういう素直なところも」
そしてまた、なかなか懐いてくれなかった気まぐれな野良猫をかわいがるみたいに、頭をくしゃくしゃに撫でる。
そうされると絡まっていた緊張の糸が解れるみたいで、悪くない気持ちになった。
あすかは満足げな表情できびすを返して、私はその頼りがいのある背中を目で追った。
ふと立ち止まって振り返り、またあすかと目が合う。
「……ましろちゃんさ」
「なに? 一限始まるよ」
私たちの会話の脇で、前の席の子が不安そうにちらちらとこちらを見てきて、時々目が合った。
落ち着かない気分だった。
あすかは目を合わせたまま、にひるに笑って白い歯を見せた。
「おめでと。仲直りできてよかったじゃん」
「……ありがとう」
机の中にしまっておいた古文の教科書を取り出していると、また前の子と目が合った。
女子っていう生き物は、どうしてこうも色恋沙汰に敏感なのだろうと訝しむ。
あれだけの騒ぎになったのだ。
この子も多分、今朝の渦中の私のことが気になっているから、さっきからこちらをちらちら見てくるのだろう。
……なんて思ってしまうのは自意識過剰なのだろうか。
これでもし、今朝のことが関係なかったら、穴にでも入ってしまいたい。
同じクラスになるのは多分初めての子で、おさげで大人しい雰囲気の子だ。
今までに話したことはなかったはず。
もしかしたら仲良くなるチャンスかも――なんて一瞬脳裏に過ぎった私は、あすかの言う通り確かに変わった。
昔の私だったら、自分から誰かと仲良くなろうなんて考えもしなかったのだから。
彼女は訳知り顔で苦笑を浮かべながら、
「美星さん、これから大変だね」
「……なんの話?」
それだけ言って前へ向き直る彼女の背中をぼんやりと見つめ、私は思わず長い溜息を漏らした。
余計なお世話だ、と心の中で独り言ちつつも、どこかこの状況を楽しんでいる自分にも気付いていた。
眩しすぎるお日さまは気付けば私という人間を根っこから変えてしまっていて、物語のエキストラでなく、主人公を演じる私も何だか悪くないなと思えるようになった。
きみとならどこへでも行ける気がして、心なしかわくわくと胸を躍らせる自分が確かにいる。
――まっしろな君と、次はどんな物語を紡ごうか。




