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春の日差し2

 噂の人気者で学年のマスコット、朝雛(あさひな)希海(のぞみ)とは、私が思っていたよりもずっと早く初対面することができた。


 あすかから朝雛さんの話を聞いた放課後、部活動にも所属していない私は、一目散に校門を去って駅へ向かおうとするところだった。

 前を横並びで歩いていた何人かの女子グループの一人のポケットから落ちた生徒手帳に、彼女の名前が書かれていた。


「朝雛さん!」


 滅多に出さない大声が掠れなかったことに安堵しながら、振り返った彼女と目が合う。

 確かにあすかの言っていた通り、上目遣いで見上げる彼女の背丈は私よりも低くて、集団で歩く女の子たちの中でも特に小柄だった。

 あすかに言われたせいで意識しすぎたのだろうか、一瞬時が止まったように感じて、私は思わずその美少女の振り返り様に見惚れてしまった。


「……これ、落としたよ」

「わあ――ありがとう!」


 無邪気に言って生徒手帳を差し出す私の手を、小さな両手のひらでぎゅっと握る仕草に、私は思わずどきっ――と胸が高鳴るのを覚えた。


 背中を隠すくらいに伸びたストレートの黒髪ロングの、柔らかい雰囲気の女の子だった。

 背丈はかなり低いが、その小さな身体を必死でアピールするかのような健気な仕草が愛らしい。

 そして何より整った目鼻立ちと、人形みたいに大きな瞳は、まさに美少女の出で立ちそのもの。

 朝雛さんを中心にして横一列に歩く他の女の子たちが、彼女の存在を引き立てるための取り巻きか親衛隊のように見えてしまうくらい、集団の中でその子は特に目立っていた。


「あっ、あの……」

「わっ、ごめんね!」


 急なスキンシップに驚いて言吃っていると、朝雛さんは生徒手帳を受け取ってからようやく手を離してくれた。

 そんな一挙手一投足がかわいらしく見えて、私は頬が真っ赤になっているのを気付かれまいと、顔を手の甲で覆った。


「もう、のぞみちゃん、おっちょこちょいなんだー!」

「気を付けてねー!」

「拾ってくれた子、私からもありがとー!」


 周りの子たちが口々にそう言うので、私は思わず恥ずかしくなってその場から逃げ出したくなって、立ち竦んだ。

 別に悪口を言われたり、責められたりしているわけでもないはずなのに、なんだか私がこのキラキラした場にいるのが申し訳なく思えたのだ。


「ありがとう!」と改めて、朝雛さんも礼を言う。


 ……別に、こんな程度のこと運命の出会いなんかじゃないし。

 確かにあすかの言った通り、朝雛希海は美少女で、性格も見るからに明朗快活、学年の人気者たるオーラを放った女の子だった。

 私よりもっと低い身長も、ただのチビの私なんかとは違って愛されオーラを放った小動物体質で、きっとそんな風に周りの女の子たちからもかわいがられているのだろう。

 私からすれば、そこは決して立ち入れない聖域だ。


「そ、それじゃあ!」


 そう言って、文字通り逃げるように、駅に向かう道を走り去った私。

 振り返って朝雛さんの様子を確認している余裕なんて、あるわけがなかった。






 読書以外にたいした趣味もやることもない私は、部活動にも所属せず、おおよそ青春とは無縁な中学時代を過ごした。

 エスカレーター進学で上がってきた高校でも、変わり映えのしない日々が幕開けて、私はすっかり世界の隅っこのモブでいることに慣れてしまっていた。

 いずれ高校を卒業して、大学に進学してからやりたいことなんてまだおぼろげで、ぼうっと十代女子というモラトリアムを食い潰している。


 いつものように早起きをして身支度をし、通勤ラッシュがくるより少し早めに登校して、読書の続きを始める。

 クラスメートのお嬢様方の「おはよう」の合唱を背景にして、私はただ空気に溶け込むみたいに静かにその場に佇む。

 自分だけの世界に入り込み、目立たぬよう穏やかに朝のひと時を過ごす。

 そしてまた「なに読んでるの?」と話しかけてくるあすかと二言三言会話をして、気まぐれに去ってゆく彼女を見送る。


 授業が終わればさっさと家に帰り、宿題や読書の続きをして、夕飯時には四人姉妹と両親の賑やかな食卓を囲む。

 夜更かしをせずに就寝。

 毎日がそれの繰り返し。


 将来の夢とかやりたいこととか、私にはまだよく分からなかった。

 どんな大人になりたいのか、とかも。


 私もいずれ誰かと結婚して、子どもを持って、家庭を築くのだろうか。

 私もいつか、お母さんになる日がくるのだろうか――漠然とそんなことを考えることがある。


 でも、そうなるにはきっと、誰かを好きにならなくてはならない。

 誰かと運命的な出会いを果たして、脳が焦がれるほどの恋愛をして……。

 そうなっている自分自身を想像できなかった。


 自分で言うのも、なんだけれど、私は比較的冷めている側の人間だ。

 中学の修学旅行のときのみんなの恋バナにはちっとも混ざれなかったし、今の今まで誰かを本気で好きになったことなんてない。

 恋愛小説やドラマ、女の子向けのアニメなんかを見ていても、女の子の主人公が白馬の王子様に恋をして――なんてお話で溢れている。

 きっと世の女の子はみんなこういうのが好きなんだろうし、私も創作の世界としてそれを楽しみはするけれど、自分のこととなるといまいちピンとこなかった。


 この間のあすかの言葉がリフレインする――きっとそれは、運命の出会いを経験していないからだよ。


「運命の出会い、か……」

「ましろちゃんもついに恋愛に興味が出てきた?」


 昼下がりの移動教室から帰る道すがら、背後から急に話しかけられて、私は思わず普段では出さない甲高い声をあげて背筋を伸ばしてしまった。

 こんなタイミングで話しかけてくるなんて、レギュレーション違反である。


「び、びっくりした――あすかか」

「運命の出会い、探しに行っちゃう?」


 いたずらっぽく笑ってこちらを見下ろす彼女の目鼻立ちは整っていて、すごく美人だ。

 聞けば彼女は、女の子から告白されたこともあるらしい。


「行かないよ」

「えー、行こうよ」


 そう言って背後からじゃれついて、包み込むように抱きついてくるあすかに思わず戸惑う。

 友達が少なくて、こういうスキンシップには慣れていない。

 腐れ縁とはいえ、あすかみたいなきれいな子にいきなり抱き着かれたら、さすがの私だってドキドキする。


「今日さ、噂の高入生の子たちとカラオケ行くんだよね。ましろちゃんも行かない?」

「……行かない」

「えー、行こうよ」


 さっきからそれしか言わない。

 私よりも高いあすかの身長で抱擁を受けながら、横にゆらゆら揺れられて、私は口だけで抗議をするが、今日の彼女はいつにもなく強情だ。

 私に対してドライないつもの彼女であれば、私が一言拒否すればすぐに退いてくれるのだが、今日はいつもと少し雰囲気が違った。


「……私みたいなのが行ったら、場の雰囲気を壊しちゃうよ」

「そんなことないよ。ましろちゃんかわいいし」

「そういう問題じゃなくて」

「そんなことよりも」


 やっと抱擁を振りほどいてくれた彼女は、私の前に回って、目を伏せる私の目を覗き込む。


「ましろちゃんがこの間のこと引きずってくれてるのが嬉しくてさ。きっとおもしろいことが起きるかも、って」

「いや、別に引きずってなんか……」


 おどけるように片目を瞑って笑う高身長女子の端整な顔に、不意に見惚れてしまって、私は慌てて視線を逸らした。

 にしし、といつもより押しの強い彼女がしたり顔で笑う。


「放課後、待っててよね。帰ったらいたずらしちゃうよ」


 困惑する私の返事を聞かずに、あすかはスキップを踏んで先に教室へ帰っていった。

 あすかのいたずらは、ちょっと考えたくないな。






 きっとおもしろいことが起きるかも――あすかの言葉が引っ掛かっていた。


 思えば彼女の行動原理はいつだっておもしろいかどうかだ。

 教室の隅でひとり、誰とも喋らずに読書に夢中になる私に話しかけたのだって、きっとその方がおもしろいからだったのだろう。


 あすかは特別仲のいい友達というわけでもなかったが、それでも数少ない気兼ねなく話せる仲である。

 無理に断って関係を悪くするよりも、いつも話しかけてくれる恩返しのつもりで、今日くらいは彼女についていってもいいかと思った。


(まあ、今日だけなら、ね……)


 机の中の教科書をすべて鞄に入れ、前の席から振り返ったあすかと目が合う。

 にやりと不敵な笑みを浮かべて、彼女は私の手を取った。

 今日はいつにも増して、スキンシップが多くて困った。


「それじゃ、行こうか」

「お、お手柔らかに……」


 人の多いところが苦手な私は当然、カラオケみたいな密閉空間で人が集まって、大声を出して歌って盛り上がる場なんて気乗りしなかった。

 まあ、その場の流れに合わせて、空気になっていればなんとかやり過ごせるだろう……なんて、楽観視をしているわけではなかったけれど、なるようになれ! なんて気持ちでいるしか、平静を保つ方法はなかった。


 いざ場の雰囲気を壊してしまうようなことがあれば、私みたいな日陰者を連れてきたあすかのせいにすればいい。

 ……あすかのせいにしたところで、何も起きないんだけれど。


 合流したグループの中に、朝雛希海はいた。

 あすかが朝雛さんを含めた高入生の、おそらくは一軍グループと速攻で仲良くなってきたというのは本当のことらしく、すっかり打ち解けて明るい雰囲気の彼女たちの輪にうまく入りきれず、私はただおどおどとあすかの陰に隠れて愛想笑いをした。


「言ってた通り、友達連れてきたよ。同じクラスの美星茉白ちゃん」


 急に陽キャ女子たちの視線を一身に受けたものだから、私は息を詰まらせて戸惑い、やっとのことで目を泳がせながら、こう言うのが精いっぱいだった。


「ええっと……美星です。よろしくね」


 そして口々に、


「美星さん、よろしくねーっ!」

「ましろちゃんっていうんだ、かわいい名前!」

「あれ、もしかしてこの前、のぞみちゃんの生徒手帳拾ってくれた子じゃない?」

「あれっ、ほんとだー!」

「てか、ましろちゃんかわいいね」

「さすがお嬢様学校、内進生みんなかわいくて天国……」

「お友達になりたいですっ!」


 次々に飛び交う黄色い声の応酬に、私は目をグルグルと回して、簡単な相槌を打つのでやっとだった。

 まるで今にも泣きだしそうな子どもをあやすかのように、あすかは私の頭にぽんと手を置いて、優しく撫でながらゆっくりと言う。


「ましろちゃん困ってるから、その辺にしといたげて。そろそろ行こっか」


 同意の声が飛び交った。


 あすかのこういう気遣いの行き届いたところが、彼女がモテる由縁なんだろうと思った。

 私には遠い世界の話だ。


 私たちは横一列になって歩道の幅を塞いで歩き出したわけだけれど、女子ってなぜかすぐに横一列で並びたがる。

 傍から見ていると後ろから抜かしにくいし騒がしいしで、正直迷惑に感じてしまう。

 でも、自分が当事者になってみると、賑やかな同世代の女の子同士の集まりの中で自分たちだけの世界を形成し、その価値観の共有に快感を見出す気持ちは分からないでもない。


 だけどやっぱり、こういうキラキラした女の子同士のグループって、ちょっと私は苦手だ。

 周囲に世界が広がることを忘れて、そこが自分たちだけの特別な空間であると錯覚して、まるで主人公になったみたいにつけあがる彼女たちのことを、どこか冷ややかに見下してしまう、性格の悪い自分がいるのを自覚する。

 そして内心の端っこで彼女たちのことを蔑みながらも、表面上は笑顔を取り繕ういやな自分に辟易して、もっと嫌いになってしまう。


 グループの中でもひときわ小柄だが、特別な存在感を放つ学園のマスコットが、こちらへ歩み寄ってきた。

 キラキラの黒い双眸が上目遣いで私を捉え、屈託のない笑みを溢れんばかりにこぼした。


「よろしくね、ましろちゃん!」


 眩しく天上に輝くお日さまみたいに明るい少女たちの好意に混ぜてもらっているというのに、どす黒い感情を捨てきれない自分が恥ずかしくて、その破壊力抜群のかわいさに浄化されるかのようで困り果てた。

 きょう一日は朝雛さんや他の子たちの顔を立てる意味でも、全力でいい子でいなくてはと、気を引き締め直す。


「う、うん。よろしくね、朝雛さん」


 隣であすかが何やら含みのある表情でこちらを見てにやついていた。

 一体何を企んでいるのやら……。

 すっかり彼女の手のひらで踊らされているのを確信して、やるせない思いの行き場を失っていた。

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