星降る夜8
ひとしきり溢れ出る感情を吐露しきった後、私たちはお互いに気まずくなって、手も繋がずに民家もまばらな郊外の畑道をそぞろに歩いていた。
のぞみは何も話し出さないし、私も何も言ったらいいか分からなくなって、後ろ手で指を絡ませながら、足元だけを見て漫然と歩を進める。
どこへ向かっているのかもよく分かっていなかった。
しばらく歩いていると、公園が見えてきた。
のぞみは無言で園内に入っていく。
何を考えているかも分からず、私も黙ってそれに続いた。
木々に囲まれた寂れた公園で、夜の暗さも相まって錆び付いた滑り台やブランコが物悲しく映えた。
公衆トイレの前のベンチに腰かけたのぞみを見て、私は足を止めて逡巡する。
そして、彼女の隣までは行かずにすぐそばの花壇の脇にしゃがみこんだ。
のぞみは相変わらず、何も言わずに俯いていた。
そこに初めて会った時のお日さまみたいな輝く笑顔は見えなくて、淡い街灯に影を差す、ひとりぼっちの寂しがり屋な女の子がいるだけだった。
錆びかけた街灯には羽虫や蛾のような小さな虫が無数にたかっている。
「なんであんなこと言ったの?」
気まずい沈黙を破って、ぶっきら棒に私は切り出した。
のぞみの表情は敢えて窺わず、私は目を閉じて夜の虫の声に耳を傾ける。
「ましろちゃんのこと、もう傷つけたくなかったから」
「あんなことを言われて、もっと傷ついたんだけど、私」
のぞみの震えるような声は虫の合唱にすぐに消えゆく。
今宵は風もほとんどなくて、空気が凪ぐのがなんだか癪で、私は喋り続けた。
「私はあなたのお人形さんにはなれない。だから、私だってわがままを言うし、やめてほしいことだってある」
前に彼女はこう言った――ましろちゃんのこと、お人形さんにしてお部屋に飾りたいなあ。
でも私だって意思を持った人間だ。
私はのぞみのことが好き。でも、嫌なところだってある。受け入れられないことだってある。
すべてを受容することが決して人間関係としての正解ではないし、細部の否定が即ち全部の否定ではない。
「あなたと一緒にいたいと思ったから、たくさん話をして、私のことももっと知ってもらいたいと思って。それで……」
「……私ね、ましろちゃんの全部がほしかった」
声を震わせながら、のぞみの体がまるで小さく萎んでしまうように、自信なさげに背を丸めて顔を伏せる。
そんな痛々しい姿が、初めて彼女に会った時の印象と全然一致しなくて、私は戸惑う。
「ましろちゃんに嫌だって言われた時、ショックを受けちゃったんだ。大好きなましろちゃんに、私の全部を否定されちゃったみたいで」
「全部なんか否定しないよ。あなたのことが好きだから」
「ましろちゃんとの仲を、みんなに見せつけたいと思っちゃったんだ。ましろちゃんは私の物だって」
「……うん、まあ。気持ちは分かるけど、でも私は目立つの苦手だし、恥ずかしいから」
「それで、ましろちゃんに私の知らない過去があるって知った時、すごく嫌な気持ちになった。……ましろちゃんは私の物にはならないんだ、って」
「さっきから物って――。のぞみ、やっぱちょっと変だよ。生まれた時から一緒にいるわけじゃないんだから、知らないことの一つや二つ、あったって……」
「……そうだよね。私、変だよね」
軽率について出た買い言葉を、私は咄嗟に後悔して、喉がきゅっと締まった。
お日さまみたいに明るいみんなの人気者は、臆病で卑屈な本当の自分を隠すための彼女なりの虚勢に過ぎなかった。
それを知られて謗られることがのぞみにとっての一番の地雷であって、私はとっくにその地雷原の真ん中にまで足を踏み入れてしまっていた。
気付くのがあまりにも遅すぎて、冷たい炎は連鎖するかのように次々と誘爆する。
「変で何が悪いの? 私だって変だよ。自分以外全員ばかだと思ってるくらい、めちゃくちゃ性格悪い女だし!」
「よく変って言われるんだ。それで、友達がみんないなくなっちゃうの」
ただ周りの人から好かれたくて、嫌われたくなくて、自分の芯の部分は隠して明るく振る舞って。
だけど本当の自分を見せた途端に幻滅されてみんな自分から離れて行ってしまう。
そんな苦しさを、そもそも人嫌いで友達なんて別に欲したこともない私は、想像すらしたことがなかった。
私とのぞみは、本質的に孤独という共通点を見出すことはできても根本的に正反対の人間で、もしかしたら本当は出会うべきではなかったのかも知れない。
私たちの出会いは、運命なんかでは到底なかったのかも知れない。
「やろうとしてもできないんだ。だから、ましろちゃんが嫌だったら私が身を引くしかないんだよ」
「そんなことって……」
ましろちゃんとの仲をみんなに知ってほしいから、ましろちゃんは私の物だってアピールしたいから、みんなに話した。
ましろちゃんの持っている物は全部身近に感じたかったから、ましろちゃんの持っている物全部に惹かれた。
ましろちゃんとずっと一緒にいたいから、その声をずっと近くで聞いていたかった。
それができないのなら――最初から夜空の星なんて見上げなければよかった。
「……なんかそれ、すっごくむかつく」
やっぱり私とのぞみは一緒だ。
お互いにないものを持っている相手に惹かれて一目惚れして、不用意に近づいた。
でも本質的には二人とも、独り善がりでわがままで、性格が悪くて――お互いにお互いのことを第一に考えて愛し合っているつもりなのに、根本的に一番大事なのは自分自身でしかない。
「それって、私の意思はどこへ行くのって、ずっと言ってるの!」
何度でも言うけれど、私は人形じゃない。
分かってもらえるまで、耳にたこができるまでだって言ってやる!
「嫌だって言うのは素直に聞けるのに、好きだって言うのは素直に受け取ってくれないの? あなたが大好きな私が、嘘を言っているように見える?」
「そういうことじゃない」
のぞみはもう、感情を殺してロボットみたいに定型文を返すだけになっていて、言葉の抑揚は死んでいた。
煮えたぎって熱くなる思考回路を必死で抑えながら、私は立ち上がってベンチで丸くなるのぞみの前へ出る。
口を真一文字に結び、怒った表情を浮かべて、両手を広げて立ち塞がった。
「思いっきり抱き締めるから、それで仲直り。明日からはまたいつも通りだから!」
「……いつも通り、ね」
浮かない表情で立ち上がったのぞみを強引に抱き寄せて、その匂いを浴びた。
甘い匂いがつんと鼻をついて、脳を焦がす。
柔らかくて、湯たんぽみたいにほんのりと温かい。
だけどざわざわと騒がしいこの気持ちのせいなのか、胸の鼓動がなかなか同調してくれなくて落ち着かなかった。
のぞみの抱き寄せる力は弱々しくて、そこに彼女の意思は感じられない。
大きく一度深呼吸をして抱擁を解き、無理やりにのぞみの手を取る。
「駅まで連れてってください」
「……うん」
握り返す指に力は入ってなくて、道中一つも会話は交わさなかった。
駅に着いて改札で別れるまで、のぞみは一度も私と目を合わせてはくれなかった。
土日を挟んで翌週の月曜日。
休日にのぞみと一言も話すことができなかった。
鬱屈とした気分のまま、それでも日常は時が進むのを待ってはくれず、いつも通りの学校生活が始まる。
誰とも会話をしない日常なんて、私は慣れていたはずだったのに、のぞみと数日まともに話さないというだけでこんなにも胸が痛い。
「なに読んでるの?」とあすか。
「……おはよう、あすか」
「今日はなんだか眠そうだね」
沈んで低い声になっているのが自分でも分かった。
ゆうべ眠れないなんてことはなかったが、ずっと気が晴れず憂鬱で、良い天気に似合わぬ浮かない表情しか作れない。
いつの間にかのぞみの存在は、私にとってそれだけ大きなものになっていることに気付いた。
やっぱりあの子が私の太陽だったのだと思う。
たとえその胸の内に昏いものを秘めていたのだとしても、私の陰を明るく照らして笑ってくれてたのはのぞみだった。
一人だけではないもっと違う人生もあるのだということを、彼女が教えてくれた。
そんなことに、失ってからようやく気付けた。
嫌がるのぞみに無理に自己主張を押し通して、大切なものを手放してしまったのは私自身だった。
「五月病になってない?」
「……なってるかもね」
「なんかほんとに眠そうー」
あすかは困ったように眉尻を下げた。
内容もまるで頭に入ってこないのに、本に目を落とす。
数日前からほとんどページが進んでいない。
「れいかちゃんが久しぶりにましろちゃんと遊びに行きたいって言うんだけど、放課後どう?」
「……れいかが?」
れいかも私と同じで、あすかに話しかけられることはあっても、自分から話しかけにいくような子ではなかったはず。
私の知らないところで、いつの間にやり取りをしていたんだろうか。
……まあ、私には関係のない話か。
「やめとく」
「まあ、ましろちゃん彼女いるもんね」
「……のぞみのことなら、別に彼女じゃないよ。しばらく話してないし」
「そういえば距離を取るって……もしかして、またなんかあった?」
あすかはいつも察しが良くて困る。
あれだけ勇気を出したのに一向に解決しないのぞみとの関係の拗れを、もうどうしたらいいのか分からなくて、私は憔悴しきっていた。
しかし誰かの力を借りて解決したいというより、もう誰とも話したくない気分だった。
またあの時の、ひかり先輩との時みたいに、私だけ逃げて有耶無耶になって終わってしまう気がしていた。
「別に……」
「私やっぱり、ましろちゃんのこと放っておけないな」
不意に目が合って、あすかはいたずらっぽく微笑んだ。
いつも余裕綽々な、私は何でもできます、何でも知ってますみたいな笑みが、今は無性に腹が立った。
「ほっといてよ。何も知らないくせに」
「本当に気まぐれなんだから」
言いながら席を立って、あすかはからかうようにひらひらと手を振った。
「んじゃ放課後、待ってるからね」
「帰るからね」
すかさず言い返して、私は再び活字に目を落とす。
四葉のクローバーのしおりが未練がましく視界を邪魔してきて、息が詰まるようだった。
前まで使っていたしおりは家に置いてきたはず――。
もういっそ、あの子のことなんて忘れてしまおうかとすら思った。
今はまだ学校中が私たちのことに関して、あることないこと話して噂に尾ひれがつく時期だろうけれど、流行りものが好きな女子高生はそのうちすぐにそんなこと忘れて新しいトピックに飛びつく。
だいたい私たちはもう付き合ってなんかないし、関係ない。
みんなを照らす太陽とか、最初から私には分不相応だった。
最初から関わらなければ傷つきはしなかっただろうけれど、今ならまだ引き返して、元のひとりだった頃の静かな日常に戻れる。
ただ一つ、あの子のことが好きで好きで仕方がないという胸の痛みだけ、なかなか忘れることはできないだろう。




