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星降る夜7

 お昼休みが明ける前に教室に戻ると、晴れやかな顔をした私を見て察したのか、あすかが弾んだ調子で近付いてきて訊ねた。


「仲直りできた?」

「うん」

「やったね!」


 ピースサインで歯を見せて笑うあすかの笑顔がなんだか光って見えて、私まで嬉しくなって真似してピースサインを返す。


 席に戻るとすぐにチャイムが鳴って午後の授業の開始を知らせた。

 次の授業の担当教師が続けざまに入室する。

 私はやおらに数学の教科書とノートを鞄から出した。


 ――放課後。


 ひとまずれいかとの仲直りは済んだものの、のぞみとは相変わらず話せていないし、教室中から何となく突き刺さってくる視線も居た堪れなくて、学校は相変わらず居心地が悪い。


 明日からの土日が恋しくてさっさと帰ってしまいたくて、帰り支度をしていると、普段は話さないクラスメート数人が話しかけてきた。


「あの……、美星さんってさ」

「……なに?」

「高入生の朝雛さんとお付き合いしてるって……」

「いや、あの……」


 そう言吃っていると、すっかりこの騒動の一番の理解者になってくれているあすかが助太刀に入ってくれた。


「ましろちゃん、噂とかされるのすごく困ってるって。だからやめてあげてね」


 噂が大好きな女の子たちも、さすがにあすかのカリスマ性には敵わなかったのか、一言二言話した後に「ごめんね」と謝って退いてくれた。

 連休明け以降、あすかには本当に感謝しかない。


「……ありがとう」

「いえいえ、いつもましろちゃんにはかわいいをたくさん摂取させてもらってますから」

「またからかってる」

「ほんとだよ? それじゃあ、また明日ね」


 家へ帰っても落ち着かなかった。

 自室へ戻ってスクールバッグを置き、何をするともなしに机に向かって突っ伏して、大きく溜息を吐く。


 ここ最近、常にのぞみとは連絡を取り合って、色々な話をしていた。


 連休中は学校もなくて、会っていない時でも四六時中話していたような気がする。

「いま何してるの?」とか、「今日のご飯は何?」とか、本当に他愛のない会話まで。のぞみとはずっと一緒にいた。

 そんなメッセージのやり取りの一切がなくなって、私はすっかり手持ち無沙汰になってしまった。


 のぞみに連絡することも考えた。

 でも、あんなことがあった昨日の今日で、何の話をしたらいいのかも分からない。


 きっとのぞみは、罪の意識を覚えている。

 私と付き合い始めた、みたいなカミングアウトだって、きっと悪気もなしに、舞い上がって言いふらしてしまったのだろう。

 その行動がどんな意味を持つのか、後先も考えずに。

 その結果は望まない方向へと進んでいって、彼女はきっと今すごく落ち込んでいるだろう。

 ……というか、落ち込んでくれていないと困る!


 のぞみのことは好きだ。

 あの子のことを考えていると胸がぽかぽかと温かくなるし、自然と笑みがこぼれてくる。

 一緒にいるといつも楽しいし、何でもしてあげたくなる。

 たくさん話をしたいし、触れ合っていたい。

 そんな風に思える子ができたのは、生まれて初めてで、恋が人を変えるというのはあながち間違ってもないと思えるようになった。


 でも同時に、近づきすぎることで知った不満だってたくさんある。

 のぞみと話をするようになって、睡眠時間が減った。

 夜はずっとメッセージを送ってくるからなかなか眠れないし、かと言って朝起きる時間が遅くなるわけでもない。

 それに、本を読んだり勉強したりする時間も減って、連休中の宿題は最終日にのぞみの家から帰った後、慌てて終わらせたくらいだった。


 勝手に私の物に触れたり、スマートフォンを覗いたりしてくるのもやめてほしい。

 彼女曰く「ましろちゃんの全てがほしいし、全てを知りたい」らしいが、そんなのはあくまで方便であって本当に全部奪われてしまったらたまったものじゃない。

 家族とのやり取りだって、知られたくないことぐらい少しはある。


 極めつけは口が軽いところ!

 そのせいでれいかとひと悶着あったわけだし、今日だって「高入生の朝雛さんとお付き合いしてるって……」なんてクラスメートに絡まれる始末。

 これに関しては私もしっかりしていなかったのは悪かったけれど、だからってなんでもかんでも周りに喋りすぎだ!


 ――のぞみに対しての愚痴を頭の中で上げ列ねていたら、なんだか段々腹が立ってきて、悩んでいるのがバカバカしくなってきた。


 私はスマートフォンを立ち上げて、なるようになれ、なんて気持ちでメッセージを打ち込み始めた。


 れいかとだって何とかなったんだ。

 のぞみが相手だって、とにかく言いたいことを全部ぶちまけてしまえ!


『今いい?』

『うん』

『ちゃんと話をしておきたくて』

『うん』


 …………。


 勢いだけでメッセージを送ったものの、ここからどう続ければいいのか分からない。

 直接対面していれば、表情を窺ったりして様子を見ることができるのに、と思った。

 ……いや、一緒にいて何を話したらいいか分からない方が気まずくて時間の無駄、ってこともある。

 とはいえ、決戦の火蓋はもう切ってしまった。このまま何も送らないわけにもいかない。

 文字を打ち込みながら、言いたかったことを少しずつ言葉にしてゆく。


『のぞみのこと、親友としてすごく好き』

『……うん』

『でも、やっぱり私にも嫌なことがあるから、聞いてもらってもいい?』

『……うん』


 ちゃんと話しておかなければならないこと。

 それがお互いに痛みを伴うことであっても、話さなければ前へ進めないから。


『私は目立つのが得意じゃないから、私とのことをあまり他の人に話さないでほしい』

『わかった』

『それと、勝手に物をとったりとか、スマホ覗いたりするのもやめてほしいな』

『わかった』

『うちは姉妹が多くて一人部屋じゃないから、通話もあまりできないんだ』

『それに、私は寝るのが早いからメッセージのやり取りもあんまり遅くまではできない』

『ごめんなさい』


 のぞみからの返事はシンプルでしおらしくて、私が言いたかったことはスラスラと――ほとんど一方的に言えてしまった。

 直接顔を見ていなかったから、今のぞみがどんな風に考えて、どんな気持ちでいるのか、正確なところまでは分からなかった。


『私ね、昔から子どもみたいにわがまま言って、友達を困らせるんだ』


 そして今度は、のぞみが思いの丈をメッセージしてくれる番。

 私はその一言一句を見逃さないよう、目を皿にする。


『だからましろちゃんは絶対に幸せにしたいって思ったんだけど、無理だったみたい』

『無理じゃないよ。お互いに気持ちを伝えあって、もっともっといい関係にしていこうよ』

『ごめんなさい』


 ――その謝罪ははっきりと拒絶の一言で、私は寂しがり屋で臆病な彼女のもっと深い闇にようやく辿り着いてしまった。


 息が止まって、背筋が伸びる。

 次のメッセージを見るのが怖くて、私は何かに憑かれたみたいに急に立ち上がった。


『実はクラスの友達からましろちゃんの昔の話を聞いちゃいました』

『昔って、いつの?』

『本当にごめんなさい』

『……ごめんなさいじゃ分からないよ』


 そうして、私の決断は全部ぜんぶ、雪だるま式に悪い方へと転がってゆく。


 居てもたっても居られなくて、私は弾けたように部屋を飛び出して、通話ボタンを押した。

 ……分かってはいたけれど、のぞみは通話には出てくれない。

 次のメッセージを受信する。


『私の知らなかったましろちゃんの辛い過去が苦しくて』

『辛くなんかない。のぞみと親友になれて、本当に幸せだよ』

『そんなことも知らずにましろちゃんのことを傷つけていたのがもっと辛くて』

『傷ついてなんかないよ』

『だから私にはましろちゃんの恋人でいる資格も、友達でいる資格もありません』

『……資格って何? 私がのぞみと恋人でいたいっていうのじゃだめなの?』


 玄関を走り抜けて、制服のままスマートフォンだけを片手に、夕暮れの住宅街を疾走する。

 行く当てもないまま、ただそこで留まっていられなかったから。


『さようなら』


 ――その言葉だけを残して、それきりメッセージに既読がつかなくなった。


『ねえ待ってよ』

『まだ言いたいことは終わってないから!』

『大好きだよ! のぞみは私のこと好きじゃないの? 嫌いになったの?』

『ねえちょっと待ってよ!』


 駅に近付くにつれて人通りが増える。

 住宅街へ四散してゆく人々の群れは、仕事や学校、買い物を終えて家路へ着く人たちの日常の営みで、私はその波に一人立ち尽くして取り残される。


 スマートフォンの画面に目を落としても一向に反応はない。

 おもむろに滲んでゆく視界が、赤黒く急速に染まってゆく西の空の昏さのせいなのか判別がつかなくて、私は悔しくて奥歯を噛み締めた。


 ほとんど何も考えずに、人々の流れに逆行して駅のホームへ吸い込まれてゆく私がいた。


 つい一昨日訪れたばかりのあの子の家の場所を、方向音痴の私が覚えているかどうか少し自信がなかったけれど、そこで黙って立ち止まっていることも私にはできなかったから。


 私はそのまま、今頃リビングでテレビを見てくつろいでいるはずの雪菜に、『ちょっと帰り遅くなるかも』とメッセージを入れた。

『りょ』とだけ帰ってきたのを確認して、改札機にスマートフォンをタッチして改札を通る。


 こんな時間の電車に、それもいつもとは逆方向に乗るのなんて初めてだったから緊張した。

 しかしそれ以上に、武者震いで全身が高揚していた。






 電車を乗り継いで、のぞみの家の最寄り駅に着いた頃にはすっかり夜になっていた。

 駅前の商店街はまだまだ人と活気で溢れていて、数日前に昼間に通った時とは印象が変わっていた。


 あの時とは違って一人だというのもあって、春の夜の風の寒さも相まって、にわかに不安が襲ってきた。


(確か、こっち……)


 記憶だけを頼りに、のぞみの家へ向かう。

 商店街を抜けて途中右に曲がって、次の信号を……あれ?


「……あちゃー」


 完全に迷子だ。


 やはりというべきか、私は完璧にはのぞみの家までの道のりを覚えていなかった。

 見覚えがあるような気はするけれど、子細な道筋までは分からない住宅街に迷い込んで、並び立つ家々が全部同じに見える。

 ゴールのない真っ暗な迷路に迷い込んだみたいに右往左往して、今にでもしゃがみこんで逃げてしまいたい。


 スマートフォンの地図機能を使えば、とりあえず元来た道に戻ることはできるだろう。

 文明の利器に感謝、といったところだが、それではここまで来た意味がない。


 周囲をきょろきょろと見回しながら、とぼとぼと馴染みのない住宅街を徘徊していると、時々近くに住んでいると思われる人とすれ違った。

 顔も名前も分からない赤の他人が、目的地を教えてくれるはずなんかもなく、私はただひとりぼっち、街灯で星明りも見えない夜空を見上げて呆然とする。


 ……やっぱり帰ろうかな。


 こういう時、物語の主人公であれば、思い悩むヒロインを颯爽と連れ戻して、ハッピーエンドへ向かえるのだろうな。

 でも、私は所詮モブに過ぎない。

 颯爽と家を飛び出して、お姫様を救う主人公の真似事をしたところで、事がそう上手く運ぶはずもない。


 私は格好がつかないことを承知で、のぞみにメッセージで助けを求めた。


『……あのー』

『私ましろさん。今あなたのお家の近くにいるの』

『……迷子になっちゃった。迎えに来て』


(……だっさ)


 自分のあまりの醜態に失笑した。

 相変わらずのぞみはメッセージを読んでくれない。これじゃダダ滑りの寒い独り芝居だ。


 諦めてスマートフォンをしまい、己の無力さに打ちひしがれながら夜空を眺めて――しばらくして住宅街が途切れ途切れになって、空き地や畑が目立ち始めた。街灯の数も減ってきて、雲一つない夜空に一番星がぴかりと輝きだす――。


「……ましろちゃん?」


 真っ暗な道の向こうに、制服姿のままののぞみが立っていた。


 幻覚でも見ているのかと思って目を擦ったが、そこにはやはりのぞみが唖然とその場に立っていて、私は突き動かされるように地面を蹴って――縋るように彼女に抱き着いた。


「――のぞみ」

「えっ、ましろちゃん、何でこんなところに」

「ばかっ! のぞみのばか、ばか。なにさ、さようならって――あんな一方的なの、ずるいよ、ばかっ!」


 頭で考えるよりも先に激情が口をついて、次の瞬間には声を出して泣き叫んでいた。


 のぞみはただ困惑して私に抱きかかえられるばかりで、私は気が済むまで泣き喚いてのぞみのことを潰れるのではないかというくらいに強く、強く抱き締めた。


 もう二度とさようなら、なんて言葉が出てこないくらいに、絶対に離してやるものかと――大事に大事に、愛しい彼女を抱き締めた。

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