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星降る夜6

 学校帰りにあすかと二人で寄り道をするのは、今年に入ってからは多分初めてだ。

 昔あすかと来たことのあるドーナツ屋さんで、プレーンシュガーとアイスカフェラテを注文する。

 あすかは「何事もおもしろさが大事!」とか言って期間限定のカレー味を注文していた。

 ハズレだったとしても、骨は拾わないからな。


「これ結構いける。ましろちゃんも食べてみなよ」

「いや、いい」


 私はきっぱりと断って、不機嫌にストローを噛んだ。

 私の食べるペースは気にせずにドーナツを食べ終わったところで、あすかの方から話を切り出してくれた。


「れいかちゃん、やっぱりましろちゃんに未練があったんだろうね」

「……うん」


 もうあのことは終わったと思っていたのに、忘れようとしていた過去が今になって追いかけてくる。


 中学一年生の秋のある日、私はれいかに告白された。

 告白を断ったその日の放課後に、ひかり先輩に犯された。


「のぞみちゃんと同じクラスの高入生の子で、文芸部の子がいるんだって。その子伝手で、ましろちゃんのこと色々聞いてたみたい」


 のぞみは私が考えていた以上に、あれこれ周りに言いふらしていたみたいだった。

 何をどこまで話したのかは分からないが、付き合っていること、家に泊まったこと、キスしたことまでれいかが知っていたのだとしたら、かなりの情報が公になっていることを覚悟した方がいいのかも知れない。


 気が重かった。いつもは大好きなドーナツの味が砂みたいに、カフェラテの味が泥水みたいに、味が感じられなかった。


「まあ、元はと言えば私がのぞみちゃんから色々聞き出してたんだけど……」


 あすかはばつが悪そうに言って目を逸らす。

 そういえばそうだった。

 恋のキューピッドがどうとか言って、私のあることないことのぞみに吹き込んでいたの、あすかじゃないか!


「そういえばあすか、のぞみに私のことどこまで喋ったの?」

「そんなに変なこと喋ってないよ! ましろちゃんは昔ロングだったとか、もっとツンツンしてたとか……、そのくらい」

「……のぞみからはどこまで?」

「最近は直接はやり取りしてなかったよ。クラスの仲いい子たちに、色々喋っちゃってたみたい。それを人伝手で聞いちゃったの」


 あすかは苦笑いで、私は潔白ですよと言わんばかりに両手のひらを見せる。

 じと――と目を細めて睨んでみたが、とはいえあすかには助けられてもいるわけだから、私はそれきり追及をやめて嘆息した。


「あんなことがあっても、中二の頃までは仲良かったのに」

「そうだよね……。私もそれが引っかかってて」


 友達がたくさんいるあすかとは違って、れいかにとっても私は数少ない仲良しの友達だったはず。

 中学三年以降クラスが別になってからは、ほとんど接点がなくなってしまったが、それまでは仲良くやれていた。

 告白を断ったとは言っても、仲の良い友達ではあったから。


「やっぱりちゃんとれいかと話すべきなのかな」


 仲は良かった。でも、文芸部の部室であったあの出来事は私たちの間で完全なタブーになっていて、その話に触れたことは今まで一度もなかった。

 でもきっと、れいかにとってあの日の出来事はトラウマになっていたはずだった。


 あの日、気が動転した私は、焦ってあすかに助けを求めた。

 それまであすかは彼女の方から学校で話しかけてきてくれた時だけ話す仲だった。

 私から彼女を頼った初めての日がそれで、それ以降私はあすかのことを信頼するようになった。


 相談に乗って、親身になってくれているあすかは、自分のことのように神妙な面持ちをしていた。

 彼女自身ももしかしたら、色々と思うところがあったのだと思う。

 頬杖をついて声を潜め、慎重な口調で言う。


「ましろちゃんがわざわざ傷つきにいくことないと思うけどね。だいたい、のぞみちゃんの件とは一切関係ないじゃん」

「それは……そうかもだけど」

「ましろちゃんの話聞く限り、れいかちゃんの言ってることはただの逆恨み、で終わりだと思うけどね」

「……正論で終わるならそんな楽な話はないと思うけれど」


 あすかは何かを言おうとしてとどまって、頬杖を崩して大きく溜息を吐き、机に突っ伏した。


「もうお手上げだよー」

「……私も」

「そうだよね、ましろちゃんが一番お手上げだよね」


 私はあすかと顔を見合わせて苦笑した。

 普段はクラスの一番キラキラした子たちとつるんで、みんなの人気者のあすかが、クラスの日陰者の私とドーナツカフェで同じ感情を共有しているのがなんだか不思議で、余計におかしくなる。

 思えばあすかは、私が一番大変な局面でいつもそばにいてくれた。


「やっぱりれいかとちゃんと話してみるよ」


 あすかの存在が心強くて、そう決心できた。


 あの時の過ちに向き合うのは怖かったけれど、根気強く私に付き合ってくれるあすかに対しても、ずっと仲良しでいてくれたれいかに対しても、そして――大好きなのぞみに対しても、誠実でいたかったから。


 あすかは一瞬虚を突かれたように目を見開いて、そしてにへらと相好を崩して笑った。


「いざって時のましろちゃんの行動力、私好きだな」


 心当たりのないことを褒められることほど不思議なことはない。

 私にはあすかの言っていることがよく分からなかった。

 行動力の高さなら、私はあすかのことを尊敬しているのだけれど。


「なにそれ、どういう意味?」

「そのままの意味。……ましろちゃん、なんか変わったね。やっぱ恋したから?」


 恋……か。

 未だにその言葉の意味はよく分からないけれど、それに対して真摯でありたいとは思えるようになったかも知れない。

 だとしたら、私は少しずつ変われているのだろう。


「これが運命の出会い、ってやつ?」


 おどけた口調で言ってみせると、あすかはにかっ――と歯を見せて笑って、私の頭をくしゃくしゃに撫でた。


 照れ隠しにカフェオレを飲もうとしたが、もう氷しか残っていなくて、薄い味の冷たい液体が舌を冷やすだけだった。

 ドーナツはまだ半分くらい残っているのに――私は小さな一口でプレーンシュガーにかぶりついたが、やはり甘い砂糖には冷たい水が恋しかった。






 れいかとのメッセージ履歴はかなり下の方に埋まってしまっていて、最後にやり取りをしてからもう一年以上経っていた。

 当たり前か。彼女とクラスが別れて、関係が自然消滅してしまったのもそのくらいの時期だ。


 翌日。意を決してれいかにメッセージを送ると、しばらくして返事が返ってきた。


『昨日はいきなり泣き出してしまってごめんなさい。ちゃんと話をさせてください』

『こちらこそ、急に怒鳴ったりしてごめんね。私もましろちゃんと久しぶりに話がしたいです』


 お昼休みに、二人でよく本を読んだ桜並木の河川敷に呼び出すと、れいかはばつが悪そうに俯いて視線を合わせない。


 私は努めて笑顔を貼り付けて、れいかの手を握り、二人で斜面に腰かけた。


 春には真っ白の満開に咲き誇った桜の木はすっかり新緑に染まって、煌びやかな春の日差しを乱反射する。

 その眩しさを見上げて、私は恍惚と目を細めた。


「よくこうして二人で本を読んでたっけ」

「……うん」


 れいかは昔よりだいぶ背が伸びたような気がした。

 前から彼女の方が一回り背が高かったけれど、もっと差をつけられてしまった気がする。

 背は伸びても相変わらず自信なさげに背を丸めて、眼鏡の向こうに視線を落として目を細める様子が変わっていなくて、昨日彼女に感じた鬼気迫る恐ろしさはもうなくなっていた。


 さて何から話しだそうか。

 私はれいかを呼び出しはしたものの、上手く話を頭の中でまとめきれていなかった。


 そうしているうちに、いつもより少し強い風が心地よくて、よく晴れた春と夏の狭間のお日さまの温かさが眠気を誘って、おのずとあくびが出てしまった。

 昨日まであんなに気が重かったのに、実際にれいかと対面してしまったらなんだかリラックスしてしまったみたいだった。


 れいかの方から口を開いてくれた。


「私、やっぱりまだましろちゃんのこと好きだったみたい」

「……うん」


 周囲がみんな敵に見えて、他人のことなんて嫌いだった私に、ちょっとずつ嫌いじゃない人ができはじめた三年前、中学一年生の初夏。

 その時の私にはまだ恋なんて早くて、まして同性同士での恋愛なんて考えられなかった。


「ひかり先輩のこと、ほんとは好きじゃないって知った時、安心しちゃったんだ」


 ひかり先輩の提案は、まだ何も知らなかった私にはちょっとだけ魅力的に見えたんだ――彼女はあまりにも美しすぎて、私はその宝石みたいな輝きに騙され、それに触れようと手を伸ばしてしまった。


 初めてのキスで感じた甘酸っぱさを、まだ覚えている。

 それはあまりにも淫靡で、屈辱的な味だった。


「そういえば、ちゃんと聞いたことなかったよね――私のどんなところが好きなのか、って」


 れいかの必死な形相での告白も、私はちゃんと覚えている。

 だけどあの時、私は頭が真っ白になって、その場から逃げ出してしまった。

 何を言ったのかも不明瞭で、よく覚えていない。


「貴女の紡ぐ言葉が好き」


 あの時、貴女はこう言ってくれたよね――友達の多さがその人の魅力なんかじゃない、と。


「……うん」

「貴女の柔らかな口調が好き」


 まるで歌うみたいな美しい抑揚で、優しく言ってくれたよね。


「それからね――貴女のお星さまみたいな、切なくて優しい笑顔が好き」

「……うん」


 そう言って儚げに笑うれいかの目から、一筋の涙がはらりと落ちた。


 星が見えるにはまだ早すぎる五月の昼下がり。

 その涙が流れ星みたいにきらりと輝くようで、私は思わず見惚れてしまった。


 れいかのことは友達として好きだ。

 けど、元々積極的な人付き合いを好まなかった私は、クラスが離れてまでわざわざ話しかけにいこうとまでは思わなかった。

 ただ、彼女が隣にいた時間は確かに豊かで充実していたように思う。


「私はね、まだ恋とかよく分からないんだ」

「……そうなの?」


 かすかに震えた声で私の言葉に耳を傾けるれいかに、とつとつと思いを語る。

 考えてみれば私がれいかに話してきた言葉はぜんぶ、彼女が欲していただけの受け身の言葉だった。

 私は彼女に、本当の意味での本音を話したことなんて、今までで一度もなかったような気がする。


「お日さまを見つけたんだ。きっとそれに近付けば、身も心も焦がされてしまう気がして――でも、太陽の奥深くが本当は冷たいように、お日さまは遠くから見ているだけじゃその本質が分からなかった」

「…………」


 ぽかんと眼鏡の奥で目を見開くれいかと、初めて目が合った。

 私はそれが嬉しくてその目を見て微笑むと、れいかはすぐに恥ずかしがって頬を紅潮させ視線を逸らす。


「その歪さを、好きになったのかもね」

「……分かんない。ましろちゃんは時々、難しいことを言うね」

「分からないなら、それでいいんだよ」


 れいかには悪いけれど……、私だけに分かるあの子の良さがあったっていいじゃないか。


「話せて嬉しかった、れいか」

「……昨日はひどいこと言ってごめんなさい。ましろちゃんを誰かにとられちゃうと思うと、私怖くて……」


 最初から私は誰のものでもない。


 のぞみも私を自分の物にしたいなんて言うけれど、元々私は誰かに干渉されないひとりの時間に浸っているほうが自分らしいと思っていた。


「じゃあ、クラスは違うけど、また仲良くしようよ」

「……いいの?」


 不安そうな顔をするれいかに、私は強がって微笑みかける。


 昨日の朝、一年以上ぶりに話す昔の友達の言葉はあまりにも唐突すぎて、私には心の整理をする時間が足りていなかった。

 れいかだってびっくりしたんだろう――ずっと片思いをしていた女の子が、急に知らない誰かと恋仲になったなんて聞いて、どうしていいか分からなくなって。それで感情が爆発してしまったのだろう。


「私、れいかのこと嫌いじゃないよ」


 昔よりも友達を作ることが嫌じゃなくなった。

 あすかのお陰で学校ではひとりぼっちにならずに済んでいるし、のぞみは私に新たな光を与えてくれた。

 だかられいかとだって、昔みたいに仲良くしたい。


「ほんとに……?」

「うん。だからまたこうして話そうよ」


 正直、話がもっとこじれることを予想していただけに、れいかは素直に謝ってくれて、私も言いたかったことを話せて、スムーズに話を終えられて拍子抜けするくらいだった。

 勿論円満に話が終わるならそれに越したことはない。


 れいかは感極まったのか手のひらで口元を抑えて肩を震わせている。

 そんな大げさにすることでもないのに……。


 ――ただ、私はまだ恋というものを甘く見すぎていた。


 のぞみという女の子が一筋縄ではいかないということを、散々思い知らされていたにも拘わらず、私はあまりにも呑気にしすぎてしまっていて。

 しばらく距離を置こうと言って、連絡を絶っているのぞみのこと、私とのぞみが付き合っていると同級生のほとんどにばれてしまったこと、そしてひかり先輩のこと――。


 問題は山積みだというのに、私はそれらをそのままにした状態で、平然と日常に戻っていこうとしてしまったのだ。

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